表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
(非公開)  作者: 非公開
第一部
14/53

戦火 ~再び起こる悪夢~

   ◇◇◇   ◇◇◇


 ミーミルの森の、エルフの住む小さな集落。その集落は一度大きな損害を受けた事があった。

 遠い、遠い昔の話。村を出たエルフの青年二人が、エルフではない力を持って帰ってきた時の事。

 集落の中心部の古びた家屋はもういつ崩れてもおかしくないほど燃え上がっており、もはや修復は不可能だろう。


 その業火を背に、淡い緑の髪の男が業火よりも紅い瞳をぎらぎらと輝かせながら、足元で苦痛に悶えている女をその手に持つ剣で刺していた。

 執拗なくらいに下腹部を、何度も、何度も。


「ぐっ、ああっ、あっ、うあっ」


 刺される度に悲鳴を上げるのは、刺している彼と同じ色の目のエルフ。その長い東雲色の髪の毛先を、自らが作る血溜まりで赤くじわじわと染めていく。

 既に彼女の両親は、今目の前にいる男によって動かぬものとなっていた。そして次は彼女の番。

 彼女がその痛みに意識を失いかけた頃、他のエルフと応戦し終わった黒髪の青年が駆けて来た。彼は仲間の行いを見るなり声を荒げる。


「話が違うじゃないか!」


 そして横たわる女に慌てて駆け寄ると、手当てをするべく魔術紋様の陣を地に描いた。


「何が違うのですか、私はきちんと貴方に伝えたでしょう? 私の家族を殺す、と」


「……ッ! け、けど! お前から憎んでた事を聞いていたのは両親だけだったから……まさかあれだけ可愛がってたルフィーナを殺そうとするだなんて思うわけ無いだろう!?」


 そう叫びながらも手早く陣を完成させた黒髪の青年は、陣に手を当てて治療魔術を発動させようとする。だがそれを見下ろしていた紅い瞳の青年は、折角描いた陣を踏み躙って発動の邪魔をした。


「まだ治療するには早すぎます。傷跡が残るくらいまでもう少し待って頂けますか」


「何言ってんだ! 何をしたいんだよスクイル! 親への復讐じゃなかったのか!?」


 その怒声に、スクイルと呼ばれた青年はゆっくりとその引き締まった口唇を開く。


「えぇそうですよ、ユング。これは私の両親への復讐。ですがこの子がもし子を成せば、あの男の血が絶える事無く続いてしまうのです。分かってください」


 ユングは友の狂気に戦慄した。

 その背に冷たい何かがぞくりと通るのを感じ、それ以後の言葉を飲み込む。

 彼は友情と恋慕、どちらかを選ぶことが出来ず、動けなくなった。故に、既に気を失っている片思いの相手を、ただ見ている事しか出来なくなったのだ。


「そろそろいいでしょう」


 スクイルが陣を踏みつけていた足をどかした瞬間、ユングの魔術は発動した。

 別に治療魔術など得意でも何でも無かった彼だが、その力は今や人外のもの。酷い傷にも関わらず、その光がルフィーナの傷をみるみる癒していく。

 治っていく、という事はまだ息があったと言う事。ひとまず安堵の表情を浮かべるユングを、スクイルが現実へ引き戻した。


「分かっていると思いますが、あまり綺麗に治さないでくださいね。今度は本当に命を奪う事になりますから」


 肩をぽんと叩いて、その高い背を少し屈ませて耳元で囁く。その声色は至っていつも通り、何のブレも無い。


「ちゃんと貴方の復讐も手伝いますよ、安心なさい」


 この時、この集落のエルフは一気に半分ほどまで減った。たった二人の、この里出身の若者によってそれは行われたのである。




 次にルフィーナが目を覚ましたのは、ミーミルの森ではないどこかのベッドの上だった。木の天井は見覚えの無いもので、彼女は一瞬夢でも見ていたのかと思考がこんがらかる。

 しかしすぐに襲ってきた下腹部の刺すような痛みが、あの出来事が実際にあったものだと言っていた。


「っ痛……」


 手当てはされているようだが、完全では無い。彼女は自分で治療の続きをしようと思ったが、何故か腕には手錠。困惑しているところに見知った顔が部屋に入ってきた。


「ユング……?」


「気が付いたんだね、ルフィーナ」


 さらりと伸ばした黒い長髪をバンダナで少し上げて、整った眉と濁りの無い黒の瞳がよく見える。

 手にはタオルと水の入った桶。ごく普通の看病用品を持ってやってきた幼馴染に、少し違和感を覚えてルフィーナはその違和感の正体を探る。


「あれっ、耳が……」


 そう、エルフであるはずの彼の耳が、丸く短くなっているではないか。

 彼女の呟きに気付きつつも敢えてそれに触れない彼は、ただ黙ってタオルを絞る。


「ユングよね? どうしたのその耳。っていうかここはどこ? 何で手錠なんて……」


 浮かぶ疑問をただ口にし続けるルフィーナから目を逸らして、彼は絞ったタオルを彼女に渡す。


「手錠は邪魔だろうけど、自分で拭いた方がいいよな、多分」


 彼女が意識を取り戻すまでは彼がその体を拭いてあげていたわけなのだが、流石に今それをする勇気は無かったらしい。

 ルフィーナは不自由な両手でタオルを受け取るが、体を拭こうとはせずにまず問いの答えを急かした。


「ねぇ、どういう事なの」


 だんだん強くなる彼女の言葉に、長い黒髪の青年は黙って耐える。そこへ、小さなこの部屋の戸が再び開いた。

 入ってきたのは、ユングよりも背が高く肩幅の広い、淡い緑の短髪男。こちらもルフィーナにとっては見慣れた人物であり、そして彼女の掛けがえの無い異母兄。しかし兄の耳も何故か短く丸い。


「兄さ……」


 ユングと兄はいつもセットのようなもので、その出現に疑問も持たずに声をかけようとする。が、はたと彼女は思い出す。

 この男に父が、母が、凍らされて砕かれて、その破片すら跡形も無く燃やし尽くされたあの時の光景を。そしてその後自分に起こった事を。

 なのに平然と兄は自分の前に姿を晒しているのだ。本当にあれは現実だったのか、夢なのか、もうワケが分からない。


「あ、あれ……?」


「記憶がまだ混乱しているようですね、きちんと説明してあげましょうか?」


 一聞すると気遣っているように聞こえる言葉だが、それはとても残酷な現実を叩きつけると同意。ルフィーナに好意を抱いているユングがそれを制した。


「おい、やめろよ!」


 しかしそれにも関わらず彼は喋り続ける。


「どうせすぐ分かる事です」


 カツカツと彼女に歩み寄り、自然とベッドで寝ている彼女を見下ろす状態で、その続きを告げた。


「お嬢と私の両親は殺しました。お嬢も、子を産めない身体にさせて貰いますのでしばらく手錠を外せませんが我慢してくださいね」


 何の悪びれも無く淡々と、事実と今の状況の意図を説明されてルフィーナの頭は更にこんがらかる。

 兄の親嫌いは今に始まった事では無い、許せずともその復讐までは事実を飲み込めた。けれど、自分が何故こんな目に遭っているのかが全く理解出来ない。


「子供を……何で……?」


「あの男の血は、私達で終わらせましょう、と言う事ですよ」


 その言葉に、ユングが彼等から顔を背ける。

 両親が既に他界しているユングにとっては、スクイルの感情は気持ちの良いものではない。だが、彼らがどれだけ親に振り回されてきたのかも知っているので否定もしない。ただ、押し黙った。


「私が生きているのにお嬢だけ殺すのは理不尽かと思いまして、少し回りくどいやり方になってしまいました。あぁ、でもやり過ぎて死んでしまいそうだったところを助けたのはユングなのですよ、お礼を言っておきなさい」


 どこかズレた物言いは、いつも通り。真面目なのにどこかとぼけていて憎めない兄にルフィーナはいつも癒されてきた。彼女やユングの張り詰めた弦を緩ませてくれるのは、他でもないこの兄。

 しかし目の前の兄は、暴虐残忍な行いをした後にも関わらず、やはりいつも通りなのだ。それは、彼がその行いを反省するどころか何とも思っていない事を意味する。

 兄はこんな人だったのか、と気付くと同時に失望し、悲観的な感情が彼女の胸に生まれた。


「殺して……」


 両親も、未来も、兄への想いも、全てを失ったルフィーナが、声をかすれさせて呟く。


「そ、そんな事言うなよ」


 下手な慰めの言葉をユングが投げかけた。無論、こんな言葉では彼女の心に届くはずも無い。

 そこへ追い討ちをかけるようにスクイルが暴言を吐く。


「どうせ死ぬのなら役に立ってから死になさい。丁度ユングの目的に人手が欲しいところなのです。それくらいしてあげたらどうですか」


 しかしその言葉はルフィーナに怒りという感情を沸き立たせ、以後の彼女の生きる糧となった事を誰も知らない。


「……わかったわ」


「ええっ!?」


 思いもよらぬ返答に目を丸くしたのはユング。

 愛情は憎しみへと容易く変化する。兄が困る様子、苦しむ様を傍で嘲笑ってやる、と。ルフィーナは共に行く事を決めた。

 そしてルフィーナは二人の身に起こった出来事を聞く。

 二人がもうエルフと呼べるものでは無くなっている事を。そしてそれが、とある現場を修復している所を見てしまった、というだけで神のような存在によって行われたという事を。

 もし彼らがエルフのままであったなら、こんな悲劇は起こらなかったと言うのに。

 彼女の憎むべき対象が増えた。それがそのままユングの目的と重なり、気付けば手伝うだけだった研究に真剣に打ち込むようになっていく。


 調べ、探り、同じようにその不確かな超常的存在と敵対する種族だったサラの末裔の一部と手を結び、やがて神の代行者の捕縛に成功した一行は、その対象にビフレストと呼び名をつけて更に研究を進める。

 神的な存在とはいえ、何でも出来るわけでは無いのはもはや明白だ。抗う術は、きっとある。まずはその『橋』を開かなくてはいけない。


 ちなみにこの時、ルフィーナは女の姿をした神の代行者の身の回りの世話も任された。そしてそれが彼女のささくれた心を少しずつ直して行く事となる。

 兄への失った情のかわりか、はたまた自分よりも幼く見えるその娘にもう身篭る事の適わない子供という投影をしたのか。

 どちらかは定かではないが、ルフィーナはビフレストの思考、価値観、その美しさに己の中にあった憎しみを説かれ、溶かされていく。


 しかし再び彼女の中に絶望と憎悪が巣食う。

 兄セオリーと、その兄との交換条件で里を半壊させ、次は実験の最中にビフレストをも壊してしまった幼馴染の青年フィクサー。

 かつての名を捨て、エルフではなく人外の者として生きる二人の行動は文字通り『人でなし』に等しいものだった。

 捕まっていても彼らを見捨てる事無く大切にしてくれていたビフレストは、壊れてなお水槽の中で漂う。その光景にルフィーナは耐えられなかった。


 サラの末裔達と相違が生まれて揉める研究施設内部の混乱と共に、彼女は離脱する。




 その後起きた事は掻い摘んでフィクサーから聞ける程度の事しか彼女は知らない。

 そこまでがルフィーナの、クリスには言えなかった本当にあった出来事。子供の頃から見ているエリオットには、もっと話したくなど無い。

 そして百数年その出来事から離れていたにも関わらず、今彼女はあのビフレストと共に居る。


「参ったわねぇ……」


 時折思い出したように痛む下腹部をさすりながら彼女は悩んでいた。

 軍人に踏み込まれて二人で逃げざるを得なかったクリスとエリオット。二人と離れた事によってレクチェが大慌てしており、それが彼女を悩ませている。

 彼らの荷物はどうにか引き取る事に成功したが、間違いなく監視されていて、追っても二人と合流した後に揉めるのは明白だ。

 しかしレクチェが今すぐ追うと言って聞かない。彼女はさっきから室内を落ち着きなくウロウロしている。


「落ち着きなさーい」


 声をかけると、レクチェがくしゃくしゃにした顔を彼女に向けた。


「だって、だって、追いたいのに追えないだなんて……っ!!」


 そこまで慌てる理由がきっと何かあるに違いないのだが、禁則事項です☆と言わんばかりにそういう部分は口を閉ざす事をよく知っているのでいちいち問いただす事はしない。

 今彼女と一緒に歩く事が出来るなら別に何だっていい、付き合ってやろう。そういう想いでルフィーナは今もここに居る。


「そうねぇ……じゃあ彼等をまず撒きましょうか」


「どうやって?」


 レクチェが足を止めてルフィーナに聞いた。


「レクチェの力で飛べば早いけれど、監視がある中でそれをするのは貴女にとっても良くないわよね」


「うん……」


「しかも今あのサラの末裔と精霊武器が来られたらたまったもんじゃないわね」


「うんうん……」


 何か秘策でもあるのか、とレクチェはルフィーナに近づいてその続きを待つ。ルフィーナはそんな彼女に苦笑いをして、提案した。


「となると、彼等の監視する気を失くせばいいのよ。クリス達と合流するとは思えない場所を目的地にしてね。且つその目的地は、迂闊に精霊が襲ってこれない場所」


「それって、どこ?」


「王都しか無いでしょう」


 その目的地に、レクチェがおおぉ、と感嘆の声をあげる。が、すぐに怪訝な顔をして、


「じゃあすぐには合流出来ないんだ……?」


「仕方ないでしょ、それくらい我慢しなさいな!」


「うああぁ……」


 頭を抱えて困り果てるレクチェに、ルフィーナも頭を抱えたくなった。


   ◇◇◇   ◇◇◇


 ハダドから北西へ進んだところに、小さな町がある。その町でとりあえず必要な品を揃えて、町を少し北に行った森の中で私達は改めて着替えていた。

 エリオットさんは元々ライトさんの服を借りていたので、いつもの貴族っぽい服というよりも結構落ち着いた服だった。そこにレクチェさんが選んでくれたフードを羽織っても、髪を少し染めたくらいでは流石にまだ変装としては物足りない。

 というわけで、


「こんなもんか」


 私の目の前には、付け毛で長くした髪をポニーテールに結って銀のフチの眼鏡を掛けた男性が居た。いや、まぁ、エリオットさんですけど。

 女装、と言うわけではないけれど、髪型をポニーテールにしただけで百八十度印象が変わっていた。あと眼鏡もかなり効果が大きい。ウェーブのかかった前髪を真っ直ぐにしてしまったらもう別人。これなら王都を歩いても全く気付かれる事は無さそうだった。


「完璧ですよ、いつもよりずっとマシです!」


 たまには褒めてやろう、と好感的な感想を述べたつもりだったのだが、それなのにエリオットさんは眉を寄せる。


「マシって何だよ、マシって」


 下唇を突き出して不満を露にした彼は、フンッと背中を向けてしまった。


「具体的な感想が欲しいんですか? そうですね、いつもは下品な顔立ちなのに、眼鏡や髪型のおかげで賢そうに見えますよ」


「そういう事言ってんじゃねえよ! しかももっと酷い事言ってるって気づけ!!」


 びゃーびゃー喚いているが私は蝉が鳴いたところで気にも留めない。ワンピースはやはりスカスカするので、町で買った濃い目のグレーのレギングスを履く。


「ケッ、てめえも似合ってんよ、女装がな」


 失礼な意味で言われた気がするが、私は女なのだから女装が似合うという事は女らしい服が似合うという意味でも取れなくは無い。

 無理やりな感じだが、敢えてそっちで取ってやろう。


「えぇ、これもなかなか可愛いでしょう?」


 にっこり笑って悪態を退けると、エリオットさんはむぐぐと何か言いたそうな顔をしつつも押し黙った。そして視線をこちらに向けるのを避けるように、周囲をキョロキョロとする。


「どうしました?」


 そう言ってわざと視界に入ってやると、その落ち着きの無い態度を更に加速させ慌てる彼。


「っ近寄るな女装野郎が!!」


 その酷い物言いに、思わず私の右手はエリオットさんの鳩尾にめり込んでいた。




 その後、変装をしてからは順調に旅が進む。

 馬を借りる事も宿に泊まる事も容易く、数日かけたものの予想より早く着いた王都は、以前と全く変わった様子の無い街並みを見せていた。


「さて、酒場にでも行こうかな」


 いきなり何を言っているんだこの人は。まぁ確かに今は夜だけれども。


「ルフィーナさん達がここに来ているとしても、この広い城下を探すのは大変なんですよ? 飲んでる場合じゃないでしょう」


 そう言って窘めるとエリオットさんはチチチ、と人差し指を振って私を馬鹿にする。


「逆だぜ、俺を探すなら酒場なんだから、あいつらだって酒場は毎晩確認するはずだ」


「……こんなに情けない正論、なかなか例に見ませんね」


 正しいはずなのに何故だろう、泣けてくる。呆れるを通り越して同情してしまうくらいの、ダメさ加減。

 エリオットさんは手近な場所にあった酒場へ、スキップしてポニーテールを揺らしながら入っていった。


「私は宿でも一通りあたってみますかね……」


 しかしマトモな女の子の格好をしている私が、宿を渡り歩くのはかなり怪しい。エリオットさんも居なくなった事だし、と、私は建物の影でこっそりとニールを召喚する。


「保護者の役、という事か」


 既に意思疎通が出来ている精霊は、説明の手間が省けてイイ。


「えぇ、よろしくお願いします」


「手や服かどこかを触れていて貰えれば、槍もこの身体で隠してしまえるが?」


「そんな便利な事出来るんですか」


 ニールの本体である槍は、実体化した人型の精霊へと溶け込んだ。私が持っていてはどうしても目立ってしまう大きな槍が消えたかわりに、私の隣には銀髪の長身の男性。

 ニールの手を握ってから、私はまた路地へと出る。


「触れていないと、数秒もしないうちに槍に戻ってしまうから気をつけて欲しい」


「分かりました」


 こうして私達は数ある宿屋を、一つずつ尋ねて行った。

 数件回ったところで未だルフィーナさん達は見つからない。そもそも王都には居ない可能性もあるのだから、今日は無駄足を覚悟した上で回らなくては……

 お父さんと歩くって、こんな感じなのかな、と私は背の高い人型のニールを見上げてそんな事を考える。一応見た目は男の人。男性と手を繋いで歩くだなんて経験は私には無いので何となく嬉しい。


「クリス様は本当の両親を知らないのだったな」


「えぇ」


「姉君も知らない、と?」


「多分……姉から聞いた事はありません」


 そこで会話は途切れた。

 私の考えは大体ニールに伝わっているらしいが、こちらにニールの考えは伝わってこない。私は彼が何を考えているのか気になって、歩きながら見上げてその表情を伺った。

 太い眉と、大きいけれどつり上がった目元、水晶のようなオッドアイ。どれも特に表情と呼べる動きはしておらず、結局ニールの質問の意図は分からず仕舞い。


「以前、ダインが言った事を覚えているだろうか」


「うーん、覚えていません。何の事でしょう?」


 私の心を読んだのか、途切れた会話を再開させてくれるニール。けれど申し訳ない事に、彼の望んでいたであろう返答は出来なかった。

 無表情をほんの少しだけ曇らせて、彼は続ける。


「クリス様の変化した時の姿は、私達によく似ているのだ」


「あぁ……角とかありますしね」


「けれど姉君はあの通り、普通だった」


 姉さんと私の変化した時の姿は、全くと言っていいほど似ても似つかない。姉妹と呼べるくらい、普段の姿は似ているはずなのだが、言われて見ると確かにコレはおかしい事なのかも知れない。

 私を見て、ニールがゆっくりと頷く。


「女神の末裔には違いないのだが、クリス様は何か別のものも混ざっている」


「ヒトの血とか、獣人の血とか、ですか?」


「いや、それは有り得ない。女神の血と、この世界の種の血は混ざらない」


 私はそれを聞いて思わず固まってしまう。それってつまり、同種族としか子供を作れないって事では無いか。サラの末裔って確かもうほぼ絶滅してるんでしたよね。


「……まぁいいや、私一応聖職者見習いでしたし」


 子供を作れないと言われるとちょっとびっくりするが、作る気は毛頭無かったのですぐに落ち着いた。少なくとも一年前までは間違いなく、神にこの身を捧げて結婚とは無縁な人生を送る予定だったのだから。


「でも他の血が混ざらないのに、私には別の因子があるわけですよね? それって矛盾していませんか」


「……私にも分からない事はある」


 さいですか。

 のんびり歩いて、次の宿に到着した。ここでもまた空振りとなるのだろうか、と思いつつ宿に一歩を踏み入れようとしたその時だった。


 爆音の後に続く、悲鳴。


 何が起こったのか分からずにその音の方向をただ見上げると、風が巻き起こって建物の残骸が宙に飛んでいた。それらが落ちてまた被害を大きくさせる。


「どこかの工場とかが爆発したとか、火事になったとか……」


 私はあくまで一般的に起こり得る現象を思い浮かべてみた。

 ふと気付くと手を繋いでいたはずのニールは槍に戻っている。

 騒ぎの中、周囲はそれに気付く事も無く、爆発音の方から逃げ離れて行った。一部、野次馬のような人がちらほらと敢えてその騒ぎの中心へ向かって行く者も見えるが……


「貴方が槍に戻ったって事は、そういう事ですよね……」


『あぁ、アイツの気配がする』


 嘘、だって、ここは王都なのだ。いくらなんでもそんな中で暴れたら、どんなに大きな力を持っている姉とその精霊でも、どうなってしまうか分からないでは無いか。

 それなのに無謀にも、姉を使ってあの精霊はここで暴れ出した、と。


「常識じゃ考えられませんよ!!」


 予想の裏の裏を地でいくのは、むしろダインだった、という事か。出足を挫かれたような気分と、姉を使い捨てるかのようなダインのやり口に苛立たされる。

 私は人波に抗って、爆音の轟く方へと走った。が、流石は王都と言ったところか。軍人が指揮をして人々を誘導して逃がしており、その流れに逆らって進んでいた私は声を掛けられてしまう。


「おい君、危ないぞ! あっちへ逃げるんだ!」


 兜を被った赤い軍服の騎士のような人に、逃げるよう促された。


「あ、あっちに姉さんが!」


 嘘は吐いていない。掴まれた腕を振り切って、更に進む。

 他にも人々が沢山居る中、私一人に構ってはいられないのだろう。それ以後は特に掴まる事も無く、どうにか騒ぎの中心へと辿り着いた。

 そこはお城の外堀の手前。城壁の向こうと、街と、両方から大勢の軍兵が挟んで騒ぎの根源を狙っていた。


「撃て!!」


 誰かの声と共に空中へ様々な攻撃が飛ぶが、同時に衝撃波がいくつも地へ降り注ぎ、地上の人々を亡き者へと変えていった。

 おまけに私の目の前の地面をも容易く割り刻まれる。その攻撃が飛んできた先を見上げると、白い羽を広げて空から高みの見物とでも言わんばかりに見下げる、姉が居た。

 ちなみに今日の衣装は紺のブレザーとひだ付きスカート。何かもう突っ込むのも馬鹿らしいが……


「今度は学生服ですか?」


「これもなかなか可愛いよね!」


 無邪気に笑う、姉の体を借りた精霊。各所から飛んでくる銃撃や魔法の矢を楽々と飛んで退けながら、彼等など見えていないかのように私をじっと見る。


「変装しててもボクには君達がすぐ分かるよ。あの女はどこに隠したんだい? 折角見つけたのにやめてよもう」


「あの女……?」


 誰の事だろう、と一瞬怪訝な顔で精霊を見上げた。が、多分精霊が探している女、と言えばレクチェさん以外に居ないだろう。

 さっきまで彼女がここに居たという事ならば、私がこのまま精霊と対峙すれば後でレクチェさんやルフィーナさんも援護に戻ってきてくれるかも知れない。それなら勝機は、ある。


「今日こそ姉さんを返して貰います!!」


 周囲の目も省みず、私はその場で変化を始めた。被っていたフードを脱ぎ捨てて身軽なワンピースのみになるが、それも背中は破けて綺麗な布が舞う。


「皆さんは巻き込まれないように防御壁でも張っていてください!」


 加減なんて、出来ない。聞いているかは分からないがすぐ近くで私を呆然と見ていた兵に声を掛けて私は翼をはためかせた。


「……へぇ、やるじゃん」


 ダインが姉の口を借りて、何故か褒めてくる。しかし、何を褒められているのかさっぱり分からない。


「何がです?」


 私は、剣を砕く気で投擲の構えをした。


「持ち主風情が、よくそこまでボクらと同調出来てるって褒めてるのさ。けど今はそれが仇となってるね。そのまま攻撃すると、ボクが避けたらお城はただじゃ済まないよ?」


「……っ、だったら街から押し出すまでです!」


 槍の持ち手を変えて、姉に真っ直ぐ向かっていって振り下ろす。精霊は大剣で悠々とそれを受け止めるが、姉の身体は少しだけ飛んでいる高さが下がる。こちらが力で押せているのだ。

 槍をうまく大剣に引っ掛けて、剣を大きく上へ捌くと、姉の身体はがら空きになった。姉を死なせる気ならば、ここでその身を刺してしまえばすぐに終わった事だろう。

 けれどまだそれが出来ない私は、その姉の身体と大剣の刃の間に槍を割り滑らせてから、最後にダインに聞いた。


「……姉を、元に戻す気は、ありませんか?」


 これは姉を救えるか否かの、最終確認。この精霊が頷かない限り、剣を壊したところで姉は元に戻らない。ここで返事がノーならば、私は自分の手で姉を殺す覚悟を本当に決めなくてはいけないのだ。


「無いよぉ……っ!」


 大方、予想通りの返事。

 ぎりぎりと歯を食いしばりながら、精霊は剣を構え直そうと試行錯誤している。が、一応こちらは槍の鍛錬は積んだ身だ。そう簡単には外させない。


「では、姉ごと貴方を斬ります」


 スゥッと息を吸ってから私は叫ぶ。


「********!!」


 この身が出せる最大の大声を放って、気合を入れた。その弊害としてお城や近くの建物にヒビが入った事は、気にしてはいけない。

 ビリビリしたと音の衝撃に耐える姉の顔には、焦りの顔が浮かんでいた。


「君、やっぱり何か違うよ」


「どうでもいいです」


 苦し紛れに呟く精霊に、私は全ての感情を押し殺した声で一蹴する。

 大剣の動きを止めていた槍を一旦そこから抜いて、私はすぐさま手を持ち替えて大きく振り被った。

 しかし、


「くはっ……」


 背中に鈍痛を感じて私は呻く。

 投げようとした槍が私の手から落ちて、数メートル離れた地上へと大きな音を立てて落下した。何が何だかよく分からないまま、背中に受けた衝撃の原因を探ろうと私は目の前の姉から目を離して、振り返る。

 そこには、ポニーテールの青年が銃をこちらに向け構えていた。その目は鋭く私を睨む。


「ぇ、エリオットさ、ん……」


 あまりの事にショックは大きいが、実際彼に撃たれても傷は浅い。だからこそ彼も牽制のつもりでやったのだろう。

 だがそれによって作られた、僅かに気の逸れる瞬間と、すぐに手元に呼び寄せる事が出来るとはいえ、一旦手放してしまった槍とその距離。この二つは途方も無く大きなダメージに値した。


「何かよく分からないけど、助かったよ人間!!」


 武器も無ければ、隙も見せてしまっていたその時、ダインが姉の身体で大きくその剣を横一線に振り切る。彼のこの言い方からするに、銃を撃った人間がエリオットさんだとは気付いていないようだ。


「……っの!!」


 私は身体を地面に平行な向きへ動かして、振られた剣を間一髪で避けようとする。が、微かに刃が私の黒い翼に傷をつけた。

 けれど痛みに構っている余裕は無い。横になっている大剣の刃に靴底をつけてその上に立ち、そこから大きく姉の頭に直接回し蹴りを放つ。鈍い音の後に姉の身体は剣と共に大きく吹っ飛び、塔の形状をしている本館とは離れの城壁にぶち当たる。


「ニィィィィルッッ!!!!」


 そう大きく叫んで間も無く、槍は私の元へと磁石のように引かれて飛んできた。パシッっと小気味良い音が手の平で鳴る。

 形勢は逆転したかに思えるが、そうではない。あの剣に斬られてはいけなかったのに、やられてしまった。見たくは無いが翼からは、背中の銃撃による打撲とは比べ物にならないほどの痛みを感じ、目眩がする。構っている余裕も無いけれど。

 城壁にめり込んだままの姉の身体へ向けて、今度こそニールを、この槍を命中させるのだ。

 城にどれくらいの被害が出るとか、考えている余裕はもう無い。出来れば姉の身体ではなく刀身に当てたいが、正確に狙う時間も勿論無い。


「今度こそこれで終わりです!!」


 大きく振り被ってニールを投げる。


 その時の槍からは過去に無い風圧と禍々しい気が放たれていた。

 渾身の力を込めて投げたその槍は、本来の力を出し切るように姉目掛けて飛んで行く。最初の頃は分からなかったけれど、彼と本当に通じ合えたその時から、『彼はこうやって使うものだ』と何故か識っていた。ニールは、その横刃がある形状からは考えにくいが、本来投げ槍なのだ。

 しかし槍が命中するその前に、爆発音と共に姉の身体がのめりこんでいた城の一部が、下から崩れて行く。その分、下へ身体がずれ落ちた姉の身体には槍は当たらず、その頭上の壁をぶち破る。


 瞬間、大きな黒いもやのよう何かが槍から地上に、空中に、物凄い勢いで溢れて周囲を暗闇へと変えていった。

 様々な悲鳴が地上の方向から聞こえてくる。

 一体どんな惨状になっているのかすら把握は出来ないが、良い状況では無いのは声からも明白だ。


「何て事……」


 命中させる事が出来ずに外した槍から、込めた威力分の何かが溢れて周囲に被害を被らせている。予想など出来るはずも無かったこの結果に、私は思わず声を漏らす。

 姉の身体を無理やりずらしたのはきっとエリオットさんだろう。多分塔の一階部分をほぼ壊すことで、上の階をも崩れさせたのだ。

 周囲にたちこめていたもやのような物がだんだん晴れてきて、改めて私は何が起こったのか目の当たりにする。


 ダインが斬った物を腐らせる呪いを持つように……ニールにも同じような特殊な力があると何故考えなかったのだろうか。


 ダインだけが特別だと言われていて、抜け落ちていたのか。

 いや、今まで槍を振っていても特に特殊な力が発動した事が無かったせいというのもある。今、私がニールの力を出し切れてしまった事が、こんな悪夢を生む事になろうとは。

 もやに捲かれていた地上の人々の体は、水晶へと変化してその場に転がっていた。その光景は、ダインが創り出す腐敗の死とは比べ物にならないほど綺麗で、自分が犯してしまった過ちとそれに対する恐怖という感覚を痺れさせる。

 とても、とても美しい芸術のような死。


「ニール……」


 呼ぶと、完全に崩れ落ちている城の残骸の中から、彼がこちらに飛んできた。


『すまない、与えられた力を制御しきれなかった』


 手の中でニールが私に語りかけてくる。

 そうだ、精霊武器はあくまで持ち主の力を吸って、その超常的な破壊力を生み出すような事を最初に聞いていた。だとすればこれはニールのせいでは無い。


「私のせいだ……」


 やがて、翼が飛べるほどの形を維持出来なくなってきて、私はゆっくりと地に堕ちて行く。


「どうなってんだこりゃあ……」


 地面に辛うじて両足で着く事が出来た時、一番大きく崩した城の瓦礫の方から聞き覚えのある若い声がした。

 ガシャンと瓦礫を蹴って自分が出られるスペースを作り、彼はそこから這い出してくる。


「貴方って人はっ!」


 瓦礫の向こうにいたからもやに捲かれる事は無かったらしい。

 不幸中の幸いというところだが、邪魔さえ入らなければこうはならなかったかも知れない、という思いからか、エリオットさんに対する怒りがこみ上げてきた。翼に受けた呪いの傷みも忘れて、彼に駆け寄り罵声を浴びせる。


「何て事をしてくれたんですか! 折角……」


 しかし彼の手にあるソレを見て私は次の言葉が出なくなる。


「お前がローズを諦めていたのは見てりゃ分かったよ。けど俺は自分勝手だからな。世界が滅びたってコイツを優先させる。文句は受け付けねぇ」


 彼が瓦礫から抜け出した後、そこから彼の手によって引っ張り出されてきたのは左頬を赤く腫らし、短めの普通のロープで縛られた姉の身体。

 変化は解かれ、その手には大剣は無い。以前のあの時と、状況は似ている。被害状況は似ても似つかない事になっているが。

 エリオットさんは割れた眼鏡を外して放り投げると、姉の身体を抱えなおして言った。


「さて、ここからだな。どうやって剣から解放させるか……」


「…………」


 私が悪い。全て私が悪い。

 きちんと伝えなかった私が悪い。

 私は一人で受け止める覚悟なんて持っていたわけじゃあない。

 彼に言う勇気が無かっただけなんだ。

 強くなんかない、その逆で、凄く弱かっただけなんだ。


 そしてそれが、悪い方へ悪い方へと転がってしまったんだ。


「エリオットさん……」


 何も言えずにただ彼の目の前で静かに泣きじゃくる。

 私が泣いているのを、彼がどういう意味で受け取ったのかは知らない。エリオットさんは、泣く私を黙ってみつめていた。いつまで経っても泣き止まない私の小さな嗚咽が、閑散とした周囲に響く。

 そんな時、瓦礫がまた崩される音が、今度は街の方向から聞こえた。


「やっと見つけたわ」


「ルフィーナ! 居たのか!!」


 そこまでその衣服に汚れや乱れは無い。戦闘の中心現場からは離れた場所に居たのだろう。彼女はマントから大きくその足を出して、瓦礫を跨いでこちらにやってくる。


「って何よエリ君、その格好……まぁいいわ。居たも何も、大剣の精霊が最初に暴れだした時、その場に居たのよ。必死に逃げたけど」


「なっ、逃げずにその場に居てくれれば事はもっとスムーズに進んだってのに……!」


「馬鹿言わないでよ! レクチェがこんなに人の居る場所でアレと戦えるわけが無いでしょう!? 逃げるしか無いわよ!!」


 エリオットさんの無茶な要求に、声を荒げるルフィーナさん。その長身の後ろから、ひょこっとレクチェさんが身体を出してその存在をアピールした。


「エリオットさん、話があるの」


「何だ? ローズをよこせってんなら断るぞ」


「違う、この状況の修復の話だよ」


 レクチェさんは私や姉さん、そして精霊が起こした災いの後処理が主な仕事とルフィーナさんからは聞いている。今回もそれをすると言うのだろうか……

 エリオットさんは首を傾げつつも、姉を抱きかかえたままレクチェさんに近寄った。


「私は周囲の目がある場所で滅多な行動は出来ないから、エリオットさんにやってほしくて」


「国を復旧、って意味か?」


「ううん違う、死んでしまった人は無理だけど、その後に別の呪いで水晶になっている人々を元に戻してあげてほしいの」


 レクチェさんの言葉に一瞬息が止まる。

 私のせいでああなってしまった人々を、彼女は元に戻せると言っているのだ。どうして出来るのだとか言う前に、重かった気持ちが少しだけ緩和された。


「よ、よかった……っ」


 私はそう呟いて、ほっと息を吐く。


「……何で俺なんだ? っていうかそんな事俺は出来な」


 言いかけたその瞬間、彼の手の中で姉がすかさず動いた。

 スカートの下に素早く手を入れて何かを取り出し、ロープを切ったかと思うとすぐにレクチェさんに向かって腕を振る。

 一秒も無い、一瞬の出来事。


 レクチェさんの左胸には、小さな刃が刺さっていた。


 誰もが目を見開き、何が起こったのかを瞬時に把握出来ずに居る。


「ソレはボクの一部だよ、お前にもちゃんと効く。……分かるね?」


 一つ、エリオットさんのロープの縛り方はいつも甘い。

 一つ、姉の太腿に隠しナイフ。

 最後に、大剣を壊してもいないのにまた気を抜いた。


 最低で、最悪だ。


「……っ!!」


「レクチェ!?」


 レクチェさんが声もあげずに顔を歪め、それを見たルフィーナさんが悲鳴を上げる。


「君、あの時の人間か。まさかニールを持って、生きてたとはね」


 いつでもその腕から逃げられるという余裕でもあるのか。逃げようとしない精霊は姉の口でそう喋って、エリオットさんの首に片手をかけて寄りかかった。


「この身体にそこまで固執するのなら、何度も助けてくれたご褒美に、返してあげてもいいよ」


「!?」


 もう片方の手も彼の首に持たれかけて、エリオットさんに抱かれながら、抱きしめ返す構図となるダイン。

 思わぬ精霊からの言葉に、エリオットさんは敵である精霊から逃げる事もせずに動きが固まった。

 精霊は、姉の人差し指だけ私に向けると小さく呟き、それと共に私の翼から黒いもやが浮き出てきて、そのもやは姉の人差し指へと戻る。

 何をされたかは察しがついた、腐敗の呪いを抜き取って貰ったのだ。

 しかし何故そんな事を……考えるまでもなくその答えを精霊は言う。


「あの子供の身体をボクによこせば、この身体も魂も、全部返してあげる」


 交換条件は、極端すぎるものだった。

 そこへルフィーナさんがロッド片手に、エリオットさんへ土の魔法で岩をぶつけてくる。その形相は怒りに満ち、歯をぎりりと食いしばって。

 姉を抱きかかえたまま岩をどうにか避けたエリオットさんは、自分の師をキッと睨んだ。


「何を……っ!」


「分かっているでしょう! 早くその女の身体を壊しなさい!」


 レクチェさんは刺された後、その場に崩れるように倒れたまま動かない。

 ルフィーナさんはエリオットさんの返答を待たずに、次々と彼を土の魔法で追撃していった。両手が塞がったままで逃げるしかないエリオットさんは、ポニーテールを振り回しながら私達からどんどん離れていく。

 そんな彼に抱きかかえられたまま、姉の口がぴゅい、と口笛を吹き鳴らした。


「頼もしいねぇ、お姫様を助ける王子様みたいじゃん☆」


「ふざけてんじゃ、ねぇ……っ」


 落ち着く暇も無い間隔で追撃されていて余裕が無い彼は、息を切らしながら精霊に返事をする。

 私が今ここでやる事は……決断出来なかった。自分の身を差し出せば姉を助けてくれるとあの精霊は言った。殺すしか無かった選択肢が、増えてしまったのだ。助ける方法が出来てしまったのだ。

 悩んで動けない私にルフィーナさんが声を荒げる。


「今のうちに剣を探して折りなさい!!」


「け、けど折ってしまったら助かるかも知れない姉さんが……!」


 本当に助からずに終わってしまうではないか。けれど、


「クリスがあの精霊に完全に喰われたら、今助かったところですぐに皆死んじゃうわよ!!」


 彼女の言葉にハッとした。大剣の精霊が今ここで私に乗り換えようとしている意味を、ルフィーナさんはきっと勘付いている。そして私も今気付く。

 私はあの精霊に乗り移られた姉と二度の戦闘をしているが、どれも一対一でなら負けてはいなかった。むしろ勝てている。以前ニールが、大剣には勝てないと宣言していたにも関わらずだ。

 武器自体の力の差がニールの言った通りだとしたら、それなのに勝てたという事は、持ち手の差という事になる。

 私の技術が姉より勝っているのか、それとも姉の身体では変化してもあの大きな剣は使いこなせないのか、どちらにしても姉はあの剣にはうまく適合していないように思えた。

 そして、ダインはわざわざ私に乗り換えようとしている。これは姉よりも私のほうがダインにとって価値がある事を物語っていた。


「私、剣を探します!」


 私は力いっぱい城の瓦礫へ駆け出すと、大量のレンガを槍で薙ぎ壊す。

 ふっとレンガでは無い物が見えて手を止めると、それは遺体だった。多分、女性。崩れた城の下敷きになったのだろう。

 それもそうだ、人が居たかもしれない建物を破壊したのだから。エリオットさんと……私が。

 目を逸らしてまた捜索を再開する。この瓦礫の中から一本の大剣を探すだなんて途方も無い事、一体どれくらい時間がかかるのは定かではないが、それでも探すしか道は無い。

 ルフィーナさんがいつまでエリオットさんを止めていてくれるか……手負いで剣を持っていないとはいえ、姉さんの身体で精霊が何をするかも分からない事だし、エリオットさんは本当に精霊と結託して、私を犠牲に姉を取り戻そうとするかも知れない。


 私はレンガを掘って壊しながら、何故かまた頬を伝う涙の意味を分からずにいた。


   ◇◇◇   ◇◇◇


「くそ、どうすりゃいいんだ……っ!」


 ルフィーナに幾度も攻撃を浴びせられながら、俺はただひたすらに逃げ惑う。抵抗しようにも両腕はローズの身体で塞がっていて、何にも出来やしない。


「お前、自分で逃げられないのか!?」


「無理だよぉ、そこら中の骨が折れちゃってるもん。ボクは別に痛くないけど歩きようが無いや」


 クリスは俺の銃でも骨なんて折れる事無いってのに、ローズのほうは随分脆いもんだな……

 いや、最近はクリスを見てきていたからアレが普通な感覚になっていたが、今までローズと旅してきた時に彼女にあそこまでの腕力やタフさを感じた事は無かった。変化の形状が違うように、その性質も全く違うのかもしれない。

 城の方角にクリスが走っていくのが見えた。狙いはきっと、大剣だろう。

 アイツは大剣を自分の手で持つ事でローズを助けるか? それとも剣を壊してさっさと終わらせるか?


「はっ……」


 俺は自らの考えに嘲笑する。周囲の人間を優先して、自分の姉を手にかけようとした奴が、今自分の身を犠牲にして姉を助けようとするわけなど無い。

 それと同時に、クリスを犠牲にしてまでローズを助けようと本気で思っている自分が嫌になる。

 止まらぬ魔法の攻撃で、どんどん上手にクリスの方向から離されているのが分かった。我が師匠ながら、追い込み方がうまいな。近づきたくても逃げ道が反対側にしかありゃしない。


「おい、クリスがお前の本体狙ってるみたいだぞ」


「ボクとの交換条件飲んでくれる気になったのかな?」


「それは無いな」


「……一応言うけど、ボクが折れたらこの女は二度と元に戻らないからね」


 そんな気はしていた。

 クリスがローズを本気で狙っている目を見た時。救う気が無いのではなく、もう救えないのでは無いのか、と。それでも俺が足掻いたのは、信じたくなかったから。

 実際一つも救う方法が無いわけでは無かったし、俺のやった事は結果として良かったとも思っている。この精霊が言っている事を信じれば、の話だが、コイツの意志一つでローズを元に戻すのは可能なのだから。

 この城にも、世界にも、未練などは無い。何だってくれてやるさ。


「人使いが荒いな!」


 足をしっかり地面につけて、俺は足で無理やり地に魔力を流し込む。俺の魔力が地面を伝って、辺り一面を光の海へと変えてやる。

 瓦礫や死体や水晶が転がっている、ヒビ割れて荒れたこの街を……瞬時に平らにならしてクリスの居るであろう方向まで道を一直線に、かつルフィーナの土魔法を使えないようにした。

 俺の魔力が流し込まれたままの地面は、彼女の魔力では動かしようが無い。

 瓦礫も死体も水晶も、今はこの平らな、土とも石とも取れない白く光る地面の下だ。


「何だいコレ……」


 俺の腕の中で、精霊が震えながら呟いた。


「走るぞ」


 魔力操作を誤って片足だけ靴底が抜けてしまった状態で、俺はルフィーナ目掛けて走り出す。彼女は俺には目もくれずに、光る地面に向かって喚いていた。


「レクチェ、レクチェ!!」


 多分俺のやった事に巻き込まれたのだろう、レクチェは地面の下か。

 すぐにでもクリスのところへ行きたいが、せめても、と俺はもう一度足の裏から魔力を操って、ルフィーナの叫んでいる方向へ意識を飛ばす。

 探り当てて、レクチェであろう物を再度地面から出してやった。どうやら正解したらしい、光る地面からレクチェの姿が掘り出される。

 けれど彼女は動かない。息はあるようだがそれも絶え絶え。


「こんなの、絶対許さない……!」


 レクチェを丁寧に地面に寝かせた後、こちらを見るルフィーナの目は、憎しみで紅く燃えていた。

 そしてすっくと立って、こちらにまたロッドを構える。行かせる気は毛頭無いらしい。そりゃそうだな。


「またあの時みたいに二人で拘束魔術にやられても面倒だよねぇ。さっきのを使っちゃおうかな」


「?」


 精霊は指先を少しだけルフィーナに向けて、そこから何か黒いもやを飛ばした。


「何よコレ!?」


 避ける暇も無い。

 俺にとっては見覚えのあるあの黒いもやに、彼女は成す術も無くただ目を瞑ってしまう。

 ルフィーナもここで昔の俺のように腐敗の呪いにかかるのか、と淡々とした思考が脳裏を過ぎった。

 が、それは彼女の前でパチンッ! と雷でも走ったように弾けて消える。


「あれ?」


 ローズの顔を怪訝な表情にゆがめる精霊。そしてそれはみるみるうちに、恐怖に慄く色へと変わっていった。


「何故お前がそれを持っている……!!!」


 そう言うなり、精霊は俺に目を見開いて口元を震わせながら強く抱きつく。

 その腕も肩も、今までのこいつの余裕が掻き消えるほど小刻みに揺れていた。

 何が精霊をそこまで怯えさせているのか分からず、俺はとりあえず警戒を怠るべきでは無い、と判断して、ルフィーナから距離を取りつつ、迂回してクリスの方へ行く事を選択する。

 ルフィーナも何故黒いもやをかわせたのか分かっていないようで、何も起きない事に疑問を感じたのか、ようやくそっと目を開き始めた。

 が、もう俺は彼女よりも城側に位置しており、後は背を向けて逃げるだけ。

 なのに、そこに突如現れたいつものアイツ。


「台無しですよ」


 淡く短い緑の髪を戦場に吹き荒れる風になびかせて、大層不機嫌そうな顔で俺の目の前に立ち塞がる。


「流石にやり過ぎましたね。大事な女神の遺産とはいえ、もう不必要と判断されましたので私もあの子供側につかせて頂きます」


 俺は目の前が真っ暗になるのを感じた。


「無理だ……」


 この状況で、コイツに勝てるわけが無いじゃないか。

 前にセオリー、後ろにルフィーナ。絶体絶命の状況と、それによってこれまでの苦労や無茶が全て水の泡になるという失意から、俺はその場に崩れる。


「ふむ……」


 何か考える素振りをしながら、俺の胸元で精霊が小さく呟いた。


「いいよ、返してあげる」


 そう言ってローズの身体で精霊は静かに目を閉じる。

 ……こいつは今、返してあげる、と言わなかったか? その言葉の意味をそのまま受け取っていいのか?

 僅かに残った希望の光に、俺は腕の中で眠ったように目を閉じる彼女を黙って見つめた。

 しかし、


「無駄な抵抗をしないのは、良い事です。無益な殺生をする気はありませんから、王子は殺さないであげますよ」


 その言葉に嫌な予感がして俺はセオリーのほうを向く。

 その瞬間だった。俺の腕を上手にすり抜けて、奴の魔法の氷の矢が、抱きかかえていたローズに刺さる。

 全部で三本、俺に一切傷つける事無く、その上で致命傷となるべく彼女の身体に深く埋まっていた。


「あ……」


 何も考えられなくなったその後の俺の反応など見向きもせずに、セオリーは次にルフィーナの方へと歩いて行く。


「うまく不意打ちされたものですね、ほぼ壊れてしまっているではありませんか」


 横たわるレクチェを見下ろして、特に感情のこもっていない声で。


「まぁ壊れた体でも研究には何かしら使えるかも知れません、回収しましょうか」


 そう言ってレクチェに手を伸ばすセオリーを遮り、ルフィーナが瞬時に魔方陣を地に描いた。


「アンタに渡すくらいならッ!」


 最後にロッドで陣を一突き。青い光と共にレクチェの身体が少しずつ消えていく。それは、いつか見たセオリーの空間転移魔術と酷似していた。

 目の前で消えてしまった被検体に、セオリーはごく僅かではあるが静かな怒りをルフィーナに向ける。


「どこへ飛ばしました」


「アンタみたいに位置指定なんて出来てたら苦労しないわよ!!」


 それだけ叫んで二人は改めて対峙し始めた。

 俺はただ腕の中で、このまま絶命するしか無い愛する人を呆然と見つめるだけ。ライトのところに連れて行きたいが、この傷では下手に動かすことも出来ない。

 今俺がこの傷を治せたなら……そうは思うが小さい傷ならまだしもこの大怪我を治せるほど俺はあの技を会得出来ていない。何故もっと試して練習してみなかったんだ、と悔しさだけが込み上げて来る。


「……泣いてるのね、らしくない」


 苦しそうな表情で、でも口元だけはその笑みを絶やす事なく、一言ローズが喋った。しかしすぐにごぽりと口から血を吐く。


「しゃ、喋るんじゃない……!」


 やはりあの大剣の精霊はローズを元に戻して消えたんだ。なのに、セオリーはそんなローズを手にかけた。

 その理不尽さとやるせなさに俺は今すぐにでもあの男をぶん殴りたかったが、もう死の瀬戸際である彼女から離れる事など、出来るわけがない。


「ずっと秘密だったけどね、私、妹がいるの……」


「あぁ、知ってるよ……」


 溢れる涙で、もっとよく見たい彼女の顔が見えやしなかった。


「こっちに生きた人間がいるぞ!!」


 そこへ、少し離れたところから男の声がする。大きい爆発音などがしなくなってから随分経っているのだ。多分様子を見にきた兵士だろう。


「……仕方ありませんね。見逃してあげますよ、ルフィーナ嬢」


 そう言って掻き消えるセオリー。


「……っ」


 実力差から、弄ばれていたに過ぎないルフィーナは、セオリーが消えてすぐに膝をつく。そしてその後すぐに、無事に生き延びていた連中がぞろぞろと、こちらの様子を伺いつつ近づいてきた。


「ッ来たら殺す!!!!」


 俺は顔を上げて天に向かって大声で叫ぶ。

 騒がしい連中が寄ってきて、ローズの声を掻き消されたらたまったものじゃない。

 俺の言葉に、先程までの惨劇もあっての事だろう、それ以上不用意に近づいてこない兵士達。

 ローズはだんだん焦点が合わなくなってきている目をしていた。けれど、まだ伝えるべき事がある、と言わんばかりに力を振り絞って言葉を紡ぐ。


「妹は、何も知らないの。だから、私が終わらせたかったんだけど……もう無理みたい」


「何か、俺に出来る事は?」


 滑稽だな、死ぬ間際で思い残しているのはクリスの事。俺に言う事なんて、無いってか。けれど、それを言っちゃあ小さい男だ。最後までお前の忠実な下僕で居てやるよ。

 少しだけクリスに嫉妬し、それを押し殺してからローズに問いかけた。


「私の盗んだ物を、見直して、繋げれば、妹を……」


「あぁ、全部言わなくていい、もう分かった」


 ローズが盗んでいたのは、何だか知らないがとにかくクリスの為の物だった、って事だ。当時は分からずとも、クリスを知っている今、そう言われて考えれば想像がつく。

 ローズの目の焦点がふいに合って、こちらを見た。苦しいだろうに呻く事もせずに、微笑みだけは絶やさない。その微笑の意味は色々だったが、思い起こすと彼女はいつも笑っていた。そして、今も。


「……その髪、いつもよりは、いいわよ」


 目が合ったと思えば、失礼な事を言ってくれる。まるでいつもがイマイチみたいじゃないか。


「お前の妹も同じ事言ってたよ、酷い姉妹だな……」


 俺の言葉を聞いて、最後にふっと笑ってから彼女は目を閉じた。


 クリスは今頃あの大剣を壊しているのだろうか。

 クリス、お前がどんなにローズに愛されていようが、お前に出来なかった事を俺は今やっている。これは俺のちっぽけなプライド。

 見取ったのは、俺だ。ローズを諦めようとしたお前じゃない。そう心の中で一人呟く。

 やがて動かなくなったローズに口付けをして、俺は俯き、声をあげずに泣き続けた。


   ◇◇◇   ◇◇◇


「あちらが騒がしくなってきましたね」


 一生懸命掘っているのだがどうにも剣が見つからずに、だんだん萎えてくる。

 事態が収束でもしたのだろうか、大きな音が聞こえないかわりに人々の声ががやがやと聞こえてきた。

 しかし、収束したとなるとどういう事だろう。ルフィーナさんが無事にエリオットさんを止めた?

 そこで槍の先に、突いても壊れない物が当たった感触がした。


「!!」


 慌ててそこを掘り起こすと、あの大剣が見つかる。


「もう失敗しませんよ……!」


 私は槍を振り上げて、大剣目掛けて振り下ろそうとした。そこへ頭へ響く声。


『君のお姉さんは元に戻してあげたよ』


「!?」


 ダインの声も、持たなくても直接響いてきた。そういえば、姉もコイツに呼ばれて剣を手にした、と聞いた気がする。


『だから見逃してくれないかなぁ? ほら、折れちゃったら意味無いし、ボクとしてもこうするしか無かったんだよ』


「姉が目の前に居ない今、信じられるわけが無いでしょう」


『うー、信用無いなーボクー』


 人を騙した事もあるくせに、よくこんな事が言えたものだ。

 いや、これはもしかすると時間稼ぎなのかも知れない。ここでエリオットさんが駆け寄ってきたら、またどう転ぶか分からないでは無いか。


「お話はここまでです」


 少しだけ距離を取って、また私は投げる構えを取る。やっぱり振り下ろすやり方では、何となく折れない気がして。

 またあの黒いもやが出なければいいのだが、込める力を手加減すればいいのか? いや、手加減しては大剣を折る事は出来ない。

 多少の被害がまた出たとしても、今度こそ外さずにやり遂げなくては!!


「いきますッ!!!!」


 今度こそ全力で、投擲した。


【第十四章 戦火 ~再び起こる悪夢~ 完】

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ