リチェルカーレ ~逃げ切れ私! ~
数人の兵士達がぞろぞろと入ってくる。
やや軽装ではあるがきちんと鎧や兜を見に着けて、戦闘準備は万端な彼等の後に、一人の女性がピリッとした雰囲気とそれに見合う毅然とした態度で部屋に立ち入った。
女性は腰より少し上くらいの長さの茶色の髪で、後ろ髪はそのまま下ろしているが、両サイドの髪は後頭部で括って垂らしている。
いわゆる上半分だけポニーテール状の髪型で、その両サイドには黒い名残羽。綺麗な白いレースのリボンで髪を飾り、着ている鎧は胸当てと左側の肩当てだけ。そこからベルトで繋がれているなめした革の簡易な防具が膝丈スカートの上で頼りなくも彼女を守っていた。
お嬢様がショートドレスの上に鎧を可愛く着こなしたらこんな感じになるであろう。
「ッブチ殺すぞこの糞王子が!!!!」
しかし彼女は両腕を胸の前で組みながら、その清楚な見た目を一瞬で壊す暴言を吐いた。元々はきっと高く可愛らしい声を最大限に低く轟かせてドスをきかせており、それがまた上手く出来ていて物凄く怖い。
口を塞がれたままエリオットさんをちらりと見ると、その表情はとにかく恐れ戦いている。
「小隊長、我々の目的は王子を連れ戻すだけか……とっ!?」
彼女に異論を唱えた兵士の一人が、思いっきり腹を殴られた。最後まで言わせて貰えずに殴られた。
「え~、糞王子様、大人しく来て頂けないと手が滑ってこのレイピアで心臓を刺してしまうかも知れませ~ん。ご同行お願い出来ますか~?」
腰に装着されていた小剣をすらりと抜いて、その琥珀の瞳が鋭くエリオットさんを睨む。口元だけは笑っているが声色はドスをきかせたまま、その綺麗な顔からは想像もつかない迫力でこちらを脅してきた。
「……クリス、今すぐ変化しろ」
ぼそりとそう言って、私の口から手を離す。その要求はつまりそういう事。
「私、寝巻きのままなんですけど……」
とはいえ状況が状況なので、仕方なく私は変化を始める。黒い角や尻尾がメキメキと伸び生えてくる光景と室内に巻き起こる風に、兵士達が一歩後ずさって様子を伺っていた。
一人、それに怯む事無く立つのは小隊長と呼ばれた女性だけ。
「大人しくしていれば糞王子に人質にされていた子供、で済んだものを……」
「ニール!!」
私の呼び声に反応して、壁に立てかけられていた槍がふわりと浮き上がり、私の手元へ飛んでくる。
この時意識はしていなかったが、私はもうニールを使いこなせていた。自然と彼の使い方が分かる。
私は風圧で飛びそうになるほど捲れている寝巻きを気にする事無く、槍を構えて切っ先をその女性へと向けた。
「楯突くなら、王子を連れ去る悪魔として指名手配になるがいいのか?」
「どうぞお好きなように」
私はベッドの上のローブを手に取ると、即座にエリオットさんを抱きかかえて背後へ飛ぶ。その先は、窓。
「追えッ!!」
女性の手が指示し、兵士達をこちらへ向かわせるが、一歩遅い。
私達は彼等の手の届かない位置まで飛んでいる。窓の外は店の立ち並ぶ人通りの多い道。私とエリオットさんが作る影に気付いた下の人々が、こちらを見上げてざわついた。
「どこに行きましょう?」
追えない位置まで飛んだので安心した私は、肩に担いでいるエリオットさんに尋ねる。そこへ飛んできた怒声。
「逃がすか!!」
窓際であたふたしている兵士を踏み台にして、鳥人の女性が大ジャンプしてくる。人間に進化した鳥人はもはや鳥のように飛ぶ翼は無いが、その身軽さだけは侮れない事をすっかり忘れていた。
「わあああっ!?」
彼女は私の腰に飛びついて、しっかり掴んだまま離れない。ていうか、飛んでいる最中にこんな事されたら……
「しっ、死ぬううううううう!!」
私の肩の上でエリオットさんが絶叫。二人分の重さプラス飛びつかれてバランスを崩した私は、うまく飛べずに真っ逆さまに落ちていった。
「くううぅっ……ッ」
地上に着く寸でのところで、私はうまく羽ばたいて落下の衝撃を和らげる。
ドスン、と軽く尻餅をつくだけで済んだが、周囲は人だかり。肩にはエリオットさん、腰には鳥人の女性。四方八方塞がっている。
すると小隊長の女性が即座に私から飛び退いて、小剣をこちらに向けて啖呵を切った。
「王子を離せ、人攫いの悪魔めが!!」
構図的に、もはや言い訳のしようが無い。
その瞬間、私は周囲が完全に認めるお尋ね者にされてしまったのだ。
「ハハハハー、言われて離す馬鹿がおるかー」
ヤケクソで私も彼女の演技に乗る。
「く、クリス!?」
肩の上でエリオットさんが驚いた声を出しているが、別に考え無くこんな事をしているわけではない。
彼女の演技に乗らずに二人でそれを否定すれば、エリオットさんは公衆の面前で『家出している事実』を晒すハメになってしまう。
それは、レイアさんを筆頭に、エリオットさんを大切に思ってくれている臣下の皆さんに対して申し訳無さ過ぎる。だったら攫われた方がまだマシというもの。どちらにしても失態には違いないが、王子に抜け出された間抜けな警備、よりはいいと私は思う。
私の演技に一瞬彼女が驚いて隙を見せたので、そこを突いて私は再度高く飛んだ。今度は着いてこられないくらい高く。
「甘いぞー、私を捕まえたければ今度は飛行竜でも持ってくるんだなー」
「おのれ……っ!!」
鳥人の小隊長は私を憎憎しげに見上げる。それを尻目に私はとにかく距離を伸ばそうと、方角も分からないままひたすら飛んだ。
街が見えなくなるくらい先に飛んでから、私とエリオットさんは何も無い平原の木陰で休む事にする。
変化を解き、翼のせいで破けた寝巻きをエリオットさんにうまく縛って着せ直して貰って、その上からレクチェさんの買ってくれたフードを被る。エリオットさんは元々普段着を着たままだったので、その上から同じようにフードを被った。
「見つかるの、早かったですね……」
リャーマに着いたのはつい昨晩の話である。
「いつから尋ね人にされてたのか分からないしな、リャーマに着くまでの間に情報提供されてて、その情報からリャーマに行くだろうと予測されてたのかも知れん」
「なるほど……」
宿に荷物をほぼ置きっぱなしにして来てしまったが、兵に取り上げられていなければきっとルフィーナさん達が回収しておいてくれるだろう、とそこは僅かな希望に賭ける。
というか、ここからどう彼女達と合流すればいいのかも分からないし、もしかしたら彼女達が捕まっている可能性も有り得なくは無い。部屋を別々に取っていたのが唯一の救いであり、それで何とか誤魔化せていたらいいけれど……
私の浮かない表情に、エリオットさんがポンと肩を叩いて慰める。
「ルフィーナ達なら何とかやれるさ。年の功ってか、肩書きだけならアクアよりは上だしな」
「アクア?」
「あー……さっきの怖いお嬢ちゃん」
思い出すだけで身震いしてしまう。あんな見た目なのに、中身はヤクザみたいな人だった。多分お城の人なのだろうに、エリオットさんをあわよくば殺してしまえみたいなノリ。
「あの女性に、何かしたんですか?」
怨恨の線を疑う私。
「直接何かしてるワケじゃないんだけどな……昔から目の敵にされてる」
最近ではなく、昔から、と。昔は良い王子様だったんじゃなかろうか。なのに目の敵にされるだなんて理由が思いつかない。
首を傾げる私の鼻先に、彼はずいっと指をさす。
「お前と同じだよ、シスコンなんだあの子」
「わっ、私はシスターコンプレックスではありませんよ!?」
「そうかぁ? 姉さんにつく虫は退治しないとって思ってんだろ?」
からかうように笑いながら言う。それは間違い無いけれど、そのゴミ虫をこうやって助けたのは私だと言うのに酷い言い草だ。
「もう……って事は、レイアさんの妹さんですか?」
「そそ。似てなくは無いだろ」
髪や目の色、そして鳥人、シスコン。これだけの情報が並べば私にだって分かる。
しかしいくらなんでも一国の王子相手に、軍の人間があんな暴言吐いちゃえるのだから凄い。
周囲に聞かれていたら大事だとは思うが、彼女もそれを分かっているのだろう。部下の前では気にしていなかったようだが、民衆の前で全くそんな暴言を吐いていなかったのだから、なかなか腹黒い。見た目は似ていても、レイアさんとはえらい違いだ。
「大方今回はレイアを困らせてる俺にブチ切れてきたんだろうよ。いやー、女って怖いねー!」
べちんべちんと私の背中を叩いて大笑い。そのおかげで私は完全にお尋ね者だという事を忘れているのか。というか女じゃなくてもお城の人ならば多少なり怒ると思う。
「笑っている場合じゃありませんよ、これからどうするんですか?」
「そうだなぁ……」
少しの間、上を見上げて考えるエリオットさん。
「都会に行くと見つかるかも知れないから田舎へ逃げよう、って常套手段はまずいから結局都会に行こう、と考えると思わせておいて裏かいて田舎に行こう」
「裏の裏、ですか」
それは表って言うと思います。
エリオットさんがしゃがんで、地面に指で簡単な地図を書く。まず方位を書いた後、リャーマと書かれた円から東に三角をちょこん、と。
「今俺達がいるのが大体この辺だとして」
そしてそこから南に真っ直ぐのポイントに、中を塗りつぶした円を書く。
「ここにハダド。この村は農作が盛んだけれど軍の駐在も何も無い、リャーマよりずっと田舎だ」
「ハダド! 聞き覚えがあります!」
「砂漠を越えて作物を売ったりしているだろうからな、南方では馴染みのある名前かも知れん」
彼はそう言って立ち上がると、フードローブの裾についた砂を払って南の方角を見た。太陽の位置は既に南を過ぎて傾いている。
「どうせ急いでも着くのは夜になるしゆっくり行きたいところだけどよ、追っ手が本当に飛行竜で来たらヤバイから急ぐぞ」
そしてエリオットさんは両手を広げて俺の胸に飛び込んで来いのポーズ。この場合、飛び込んで来いではなくて『さぁ早く俺を掴んで飛べ』って事だと思うが……
「その持ち方、落としそうで凄く苦手なんですよね……さっきみたいに肩に担いだ方が私としては楽なんですけど」
「担がれると腹が圧迫されて気持ち悪いんだよ」
「じゃあ肩車にしましょうか」
「マジで言ってんの!?」
私は変化してうまく翼をローブから出した後、中腰になってエリオットさんが肩に乗るのをちょいちょいと手招きして促す。
彼は困った顔をしながら、恐る恐る私の首を跨いで肩に座った。
「……コレは子供じゃない、女でもない、そう、飛行竜だ。竜と思え、俺……」
「何ぶつぶつ言ってるんです? 飛びますよー」
エリオットさんがしっかり乗った事を確認してから、私はすっくと立って翼をはためかせる。あ、エリオットさんの身長が身長なだけに、何かすんごく不安定だ。
「エリオットさん、なるべく、頭下げて」
「お、おう」
彼の体は前に折られて、私の頭にしっかり付く形となる。肩で担いだ方がスピードは出せるけれど、まぁ仕方ない。この体勢で出来る限りの速さで私は飛び立った。
途中、休みながらもハダドにどうにか辿り着いた私達は、宿すら無いこの村にどうしたものかと考え込んでいる真っ最中。フードだけ外してお互いの顔を見合わせている。
多分食物は自給自足出来るからだろう、他に必要な物があれば外から調達でもしているのか、商店も一切無い。
「まさかここまで田舎だったとは……」
村はずれで畑の野菜を目の前にしながらエリオットさんが呟く。
「来た事は無かったんですね」
「流石にな」
追っ手は来ないかも知れないが、これではこちらも生活出来ない。野宿とほぼ変わらないこの状況に二人で深く溜め息を吐いた。荷物も無いのにこれは辛い。
一先ず変化を解いてぼやく私。
「ルフィーナさん達との合流もどうやってしたらいいのか……」
「ん、する必要あるのか? あっちはもう目的果たしてるようなもんだから、話を聞けた今は無理して俺達に着いてこさせる必要も無いだろ」
「ええっ!?」
彼のその言葉に私は驚く、がすぐに気付いて彼の考えを訂正させようとする。そういえば彼は知らないのだ。
「姉さんの持つ剣は、レクチェさんを狙ってくる可能性が高いんですよ」
……しばし無言。目を丸くしたまま固まったエリオットさんは、その後黙って頭を抱えたかと思えば腕を組んで悩む素振りを見せ、自らを落ち着かせるように大きく深呼吸。
そしてやっと喋った。
「何でそれを早く言わない!?」
「ご、ごめんなさい……もう何を伝えたのか伝えてないのか分かってないんです……」
「そうか、その槍もそんな感じだったよなレクチェに対して! うっわぁ、もうどうすりゃいいのかサッパリ分からん!!」
緑の髪を掻き毟って喚き散らす彼。情報交換が全くもって出来ていない事に申し訳なさしか出てこない私は、ただ縮こまる。
連絡をどう取るか考えていたところへ、そこまで夜更けでもないのに既に静まり返っているこの村はずれで、私達以外の声が響いた。
「こっち! 確かにこっちに何か大きなものが飛んで降りてきてたんだから!」
「怖いよやめようよお姉ちゃん~」
どうやらこの村の住人のようだ。獣人らしき女の子の影が見えたので、即座に私達は黙ってフードを被り直す。
流石にまだ指名手配は届いていないと思うが、あまり騒がれては困る。どうしようかと私が悩み始めた瞬間、エリオットさんが先に動いた。
のんきにこちらへ近づいてくるその子に、先手必勝と言わんばかりに駆け寄って、その首を片腕でいきなり絞めると低く静かな声色で脅す。
「……悲鳴を上げたら殺す」
賊が板についている王子だなんて、この人以外に誰がいるだろうか。
「……ッ!!」
肩につくくらいのピンクの髪のてっぺんから白くふわふわした長い耳を二本生やした女の子が、口をぱくぱくさせて、でも声を出したら殺される、と喉から洩れそうな悲鳴を必死に堪える。後からついてきた男の子も同じような感じの反応だ。
「よし、そっちのガキ。お前らの家族構成を教えろ」
「!? おっ、お父さんと……っお母さんと、ぼ、僕達だけですっ」
ぼろぼろと涙を流しながらも必死にエリオットさんの問いに答えようとする、見たところ八才程度の幼い兎耳の少年。
「両方家に居るのか?」
「お母さんだけ、居ます……」
「よーし、じゃあ家へ案内し……」
そこへ私の拳骨がエリオットさんの頭にゴッ! と直撃した。彼が『何をする』などと聞く前に、私が先に口を開く。
「脅すんじゃなくて普通に頼みましょうね」
にっこり笑顔で彼を抑止した。
「怖がらせて申し訳ありません、お金なら払いますのでこの村で一晩泊めてくれそうな家はあるでしょうか?」
私は被っていたフードを捲くって顔を出す。私の普段の外見ならば、見せた方が怖がられる要素は減るからだ。子供達は顔を見合わせて考え込む。
「泊まりたいだけなの……?」
エリオットさんに首を絞められたまま、女の子のほうが確かめてきた。
というかこの子、よく見てみると私より年上かも知れない。子供には違いないけれど露出度の高いその服から覗く胸は私よりずっと大きいし、顔もどことなく大人びている。
私はエリオットさんの腕を彼女から剥がしてあげて会話を続けた。
「えぇ、出来たら食事も頂けると助かります。旅の途中なのですが宿も食べ物も無くて困っていまして」
女の子は私をじーっと見透かすように凝視する。
「お兄さんは悪い人じゃなさそうだからウチに泊まってもイイかも」
「おにぃ……」
「でもこっちの背の高い人は信用出来ない!」
あーあー言わんこっちゃ無い。そりゃ出会い頭に首絞めて脅したりすれば信用して貰えないのも当然だ。
「面倒くせえな、やっぱり脅して家に入った方が早いんじゃねえの」
「そういうやり方、今後一切やめてくださいね!!」
キッパリと言ってやったところで再度子供達にお願いする。
「このおじさん、育ちが良すぎて常識が無いんですよ。こんなんだけど根はそこまで悪人じゃないんで泊めて貰えませんか?」
うぅーん、と悩む子供達。これが大人だったら一度脅してしまったものをこんなワケにはいかなかっただろう。来たのが子供で本当に良かった。
「お母さんに聞いてみてからでもいーい?」
「勿論です、よろしくお願いします」
フードの下で仏頂面を下げているエリオットさんを後ろに、私は二人の後を着いていく。
村は畑があるおかげで随分家と家との間隔が随分広いが、彼女達の家は割とすぐ近くの家だった。他の家に比べると随分綺麗なほうで、そんなに田舎臭くは無い。クリーム色の外壁はこまめに手入れしているのだろう、くすみも少なかった。
「お母さーん! 泊まりたいって人が来たー!」
勢いよく家の扉を開けて叫んで入っていく女の子と、びくびくしつつその後をついていく男の子。
「本当に泊めて貰えるのかよ、こんなんで……」
エリオットさんが疑って掛かっている。
「私よくこんな感じに泊めて貰ったりしていましたよ?」
「マジかよ信じらんねー」
少し家の外で待っていると、きっとさっきの女の子のお母さんなのだろう。同じように白くてふわふわの長い耳を頭の上からぴょんと伸ばしている、赤髪の女性が出てきた。思っていたよりも若くて美人さんで、エリオットさんが『おおっ』と驚いた反応を見せる。
「こちらのお二人なの?」
「うん、そーだよー」
女性の問いに、元気で無邪気な返答が家の中から返って来る。
エリオットさんはフードを捲くって、いつもよりキリッとした、言うなれば余所行きの表情でその女性に顔を向けて言った。
「一晩だけでいいのです、どうか泊めて頂けないでしょうか?」
現金すぎる彼の態度に私は黙って呆れたが、ここでソレをやる分には状況としても助かるので敢えてツッコミはしないでおく。
しかし、多分兎の獣人のような女性は、彼の顔をまじまじと見て呟いた。
「お、王子様……?」
都会の街中ですら気付かれなかったエリオットさんの顔を、何故こんなド田舎ご在宅の奥さんがッッッ!!
ショックを隠せない私とエリオットさんに、獣人の女性がにっこりと微笑む。
「とりあえず、中へどうぞ!」
少なくとも警戒は解けているようである。私達は緊張しながら家の中へ招かれた。
中もやはり田舎の割には綺麗な御宅で、むしろ都会にありそうな整った室内。お城や豪邸と比較しては劣るが、家具も結構高そうな物ばかりで花瓶など高級感が漂っている。
の、農家じゃないのだろうか……
「お掛けになってくださいな」
奥さんが上機嫌で私とエリオットさんへ着席を促した。ワンピースをふわりと揺らして彼女はキッチンへ歩いていく。
「コーヒーと紅茶、どちらがよろしいでしょう?」
フフ、と愛想を振りまいて飲み物を尋ねてきた。
「コーヒーでお願いします!」
「お、お構いなく……」
相変わらず余所行きの顔を張り付けたままのエリオットさんが答えると、ご機嫌でお湯を沸かし始めた奥さん。
私はひそひそと小声でエリオットさんに話しかけた。
「王子だって分かったのにすんなり入れてくれるだなんて怪しくないですか?」
「美人に悪い人は居ない」
「そんなワケがありますか」
あくまで小声でつっこんでます。
エリオットさんは何かあっても後で暴れたらいいと思っているのかも知れないが、私としては何事も穏便に進めたい。こんな罠みたいな状況を疑いもせずに受け入れていいのか心配していたものの、それは杞憂となる。
コーヒーを二つ用意してくれた獣人の女性は、向かいに座って笑顔を絶やす事なく話し始めた。
「わたくし、王子様の成人の式典に王都まで観に行かせて頂いておりまして。随分大きくなられましたけれども、すぐに分かりましたわ!」
嬉しそうに話す婦人のその表情からは、少しの自己顕示と高慢さが見え隠れする。
「それは遠路遥々ありがとうございます」
エリオットさんはというと、こちらも同じような感じで、下心の見え隠れする綺麗な笑顔でそれに対応していた。
「もう六年ほど前でしょうか? よく覚えております。娘が八つの時で、それはもうその華やかな式典に大喜びしていましたもの!」
始まった世間話を、私は出されたコーヒーを飲んで聞き流す。
何というか、こんな田舎には不釣合いな雰囲気の奥さんで、そう、言うなれば貴族や商人みたいな現金に直接縁のありそうな……家の雰囲気からしても、今不在であるこの家の主はそれなりの稼ぎをもつ商人等なのかも知れない。
エリオットさんは猫を被ったまま、でっち上げの事情説明をする。
とりあえず私達は、誰の差し金かは不明の暗殺者から逃げている王子とその御付きの者という事になった。よくある王族のトラブル内容に、疑いもせず信じる彼女。
「分かりました、誰が来ても知らぬ存ぜぬを通しましょう」
王子に直接恩を売るだなんて機会、逃すはずも無い。先に礼金として出された金貨に目の色を変え、二つ返事で獣人の女性は了承してくれた。
「夫の部屋で申し訳ありませんが、こちらが空いておりますのでご自由にお使いになってくださいな」
残念ながらベッドは一つ。私は御付きの者という設定なのだから床で寝るしか無い。
食事を頂き、お風呂も借りて汚れを落としたところでいい時間になってきたので、さっさと寝る事にする。
と、そこへ部屋の前で足音がトトトと聞こえた。
音の軽さからして大人では無い。ある程度予想はしているが一応確認の為扉を開けると、部屋の前にはエリオットさんが首を絞めた女の子が居た。いや失礼、先程の母親の言葉を聞く限り、この子は私よりも年上で間違いない。しかも二つも。
「ちょっと入ってもいーい? 家来さん」
「えぇ、構いませんよ」
身長は長い耳を除けば百五十も無いくらい。その体は小さくとも出るところが出ていて、将来はきっとお母さんのように美人になるのだろう。羨ましくなんか無い。
彼女は手にアルバムを持って部屋の中に入ってきた。
「ココ、小さいけど王子様が入るように私を撮った写真なの!」
そこに写るのは満面の笑みでVサインを手で作る女の子と、その遠く後ろの壇上で手を振っているエリオットさん。六年前ともなると流石に若くて、何だか笑える。
「王子様が実は性格悪いってのは秘密にしてあげるから、ココにサインちょーだいよ!」
「ガキってのはどうしてこうもまぁ要らん一言ばっかり言うんだろうな」
ベッドの上であぐらをかきながら、彼がぼやいた。
手渡されたアルバムを、エリオットさんはパラパラ捲る。一緒に覗くと三ページ丸々が式典の写真で埋まっていた。沢山の人を背景にして少女が写っている写真達は、どれも極彩色。式典がそれほど華やかなものであった事をその絵が物語っている。
少女の指定した一枚に借りたペンでさらりとサインを済ませると、彼はアルバムを閉じた。
「これで皆に自慢出来るー!!」
「いやいや俺達の事は喋んなよ!?」
母親からまだ口止めされていないのか、獣人の少女は大喜びでアルバムを手に取る。エリオットさんが叫んだものの、話を聞かずにさっさと部屋を飛び出して行ってしまった。
「どうするんです? あれ」
私の小さな声に、彼は溜め息を吐いて顔に手を当てる。指の隙間から見える目は半眼で気の抜けた様子。
「後でもっかい忠告しといてやってくれ……」
それだけ言って布団を被る。
が、何か思い立ったように彼はすぐに布団から体を起こし、こちらに眠そうな顔を向けて口を開いた。
「可哀想だから布団に入れてやってもいいぞ」
一応私が座っている床には薄い布だけ敷かれているが、それでも寝心地が悪いのは間違いない。他に意図があるわけでもなく、単純に眠りにくかろうと私に提案したのはその何も考えてなさそうな表情からも明白だ。
けれど、
「お気遣いありがとうございます、それは嫌です」
きっぱり拒否。眠りにくい方を選ぶに決まっている。
「すんげームカつくけど、眠いから相手なんてしてやらねーよ!」
そんな捨て台詞だけ残して、エリオットさんは再度布団を被った。
そして朝。外の光が瞼の中を刺激して、私は目が覚める。
硬い床でもよく眠れたものだ、と思ったが私は自分の下に柔らかさと生温かさを感じて、何でだろう? と目を擦りよく見た。
どうやらふかふかの布団の上で私は寝ていたらしい。布団の中、ではなくあくまで上。床に敷いていたはずの布を被って、布団の上で一晩過ごしたようだった。
全く記憶は無いが、やはり眠りにくくて移動したのかも知れない。そう、エリオットさんの布団の上へ。何度も言うが、上である。
一晩潰されていたのかも知れないエリオットさんはというと、布団の中で苦しそうな表情をしたままでまだ眠っていた。彼が起きる前にここから退かなくてはいけない。
私は体を起こそうと腕に力を入れる。
「ぅぐえっ」
すると、カエルの潰れたような鳴き声が下から聞こえた。
手をついた場所が悪かったのだろう、寝ていて力の抜けている腹を押されて呻くエリオットさん。
「あ、ごめんなさい!」
慌ててついていた手を離すと、上半身を起こした私の体重は大体お尻のあたりに偏る。私のお尻は大体エリオットさんの下腹部あたりに乗っていた。
「うっ、ぐ……」
またしても呻き声。苦しそうな表情でようやく目を薄らと開く彼。その目と目が合ってしまい、私は思わず目を逸らしてカーテンの隙間の空を見る。
「いっ、いい天気ですねぇ」
「どうでもいいから、そこをどけぃ!!」
「娘にはきちんと申しておきました、失礼をお許しください」
場所は移って、今は獣人の奥さんの部屋。
彼女はそう言って私に服を出してくれた。昨晩のお嬢さんの話をして、奥さんから言って貰えるようお願いしたのだ。
ついでにもう少しお金を手渡して、私に服を売って貰った。私の身長は奥さんと大体同じくらいなので、服も奥さんの持ち物と思われる物を手渡される。
スカート部分に明るい緑の花柄が描かれ、バストの部分にはシャーリングが施されている、ふわふわした白いシフォンワンピース。
「ほ、他に何かありませんか……」
こんな女性らしい衣類を着るのは、憚られる。
「控えめなデザインのほうなのですが、もっと鮮やかな物がお好みですか?」
「いや! これでいいです!」
私は諦めてコレを着る事にした。宿を飛び出した時にそのまま履いてきていたお城で貰ったサンダルに似合うのは不幸中の幸いか……
そこでそのまま着替えてから彼女の部屋を出ると、傍の階段の影からピンクの髪の少女が言った。
「悪い奴らに気付かれないように、変装して出るんだ!?」
「正解だぞ、頭がいいじゃないか!」
何故か少女と仲良くなっているエリオットさんが、その後ろからにやにやしながら答える。
「何が正解ですか、嘘を教えないでください」
「まぁまぁ、その格好ならまず気付かれないぜ。髪を染めればもっと良さそうだな」
「そうですわね、では染め粉も用意しましょうか!」
こうして私は着実に変装をさせられていった。
そしてされるがまま、私の髪は菖蒲のような淡い紫に染まる。旦那さんの白髪染め用だと言う明るい薄紅の染め粉を使った結果、こんな色になってしまったのだ。
髪型も少し整えて貰って、鏡を見ても自分だとは思えない。
あの尋ね人の張り紙が隣にあっても、流石に同一人物だと気付かれる事は無さそうだ。
「違和感やべー」
同じように染め粉を使って緑の髪を染めたエリオットさんは、少し赤みがかかって濃くなったくらい。大きな色の変化はそれほど無いが、それでもパッと見た印象は随分変わっている。
「これなら街を歩いていても大丈夫そうですわ!」
奥さんがやや大袈裟に拍手をしながら太鼓判を押してくれた。
「まぁクリスは間違いなくバレなさそうだな」
「ううっ、スースーする……」
最初は変装なんかじゃなくて単に着る服を頂くだけだったというのに。
しかし逃げているのだから、変装しておいて損は無い。我慢我慢、と自分に言い聞かせて、私は丸めていた背をグッと伸ばした。
「お世話になりました、今は無理ですがいつか城に遊びに来てください、ご招待しますよ」
エリオットさんが奥さんの白い手を握って、何か言っている。
子供の前だと言うのにどうしようも無い男だ、と思って呆れて見ていた私は、私と同じような顔をして母親を見上げている娘を見つけた。
彼女の場合は喜んでいる自分の母親に対してその目を向けている。本当に恥ずかしい人達だ、ああはなりたくない。
あまり私達と打ち解けられていない息子さんは、もう少し離れた位置でこちらを覗いていた。
「夜はあんまり出歩かないようにね」
私は少しそちらに近寄って声を掛ける。
「うん……お兄ちゃんも頑張って……」
わー、全く頑張れる気がしない応援を頂きました。
そして私達はその家を後にする。
まだ太陽はそこまで高くない。この時間から動ければどこへ行くにしても余裕がありそうだ。
「さ、どうします?」
スカスカして落ち着かない足元を気にしながら私はエリオットさんに問いかける。ルフィーナさん達と合流する手立ては、申し訳ないが私には思いつかない。
「そうだな……」
彼は少し考えて、ふと立ち止まる。
「王都へ戻るか」
「ええっ!?」
私は全く予想だにしていない行き先に思わず叫んだ。
「レクチェは狙われるかも知れないんだろ? 今襲われたら手が足りずに不利だし、俺なら人に紛れ易い場所に移動する。って事で王都」
「で、でもそんな、王都に戻ったらエリオットさん見つかっちゃうんじゃ……」
「それまでにもっとキチンと変装出来るような物を買わないとな!」
アッハッハ、と大笑い。
そんな変装程度でどうにかなるのかと私は不安で仕方が無いが、リャーマから逃げたばかりだと言うのに城のすぐ近くに戻って来るとは普通思わない。アリかも知れない。
「エリオットさんに似合うスカート、ありますかねぇ」
「いやいやいやいや、女装は無理だぜ!?」
断固拒否する構えのエリオットさんの背中を、ぽんぽんと叩いて私は優しく言ってあげた。
「私でも出来たんです、大丈夫ですよ」
にっこり笑って、有無を言わさぬ表情で。
「ほんと、無理だから……ね?」
人の困った顔って、意外と面白いものだ。
私はにやけてしまった顔を彼に見せないように、背を向けて歩き出す。
【第十三章 リチェルカーレ ~逃げ切れ私! ~ 完】