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第一部
12/53

晴れない心 ~噛み合わない歯車~

「そろそろ出ようぜ……」


 何故かげんなりしているエリオットさんがそう切り出した時。

 私はズボンの裾を捲くって靴を脱ぎ、足を地底湖にちゃぷちゃぷ投げ出して寝っ転がって天井をぼーっと見ていた。

 ちなみに小さめの岩に座っているルフィーナさんは、フナムシのような生き物をつっついて遊ぶレクチェさんをにこにこ眺めている。

 いわゆるフリーダム状態。


「もう出るんですか?」


 こんなに綺麗な場所、いつまで眺めていても飽きないのに。


「俺の体感時間は既に二十四時間を経過しているぞ!?」


「それはエリ君が興味無いから長く感じるのよ。私の体感時間は六時間ってところね」


 私は思わず体を起こして叫んだ。


「えっ、そんなに経っているんですか!?」


 そう思ったら途端にお腹が空いてきた。夕飯を食べていない気がするのに、もう朝ごはんになってしまうではないか。

 湖に浸けていた足を上げて、ぶるぶる振ると飛沫が舞い散る。足の指はもうしわしわのふにゃふにゃで、足を地に着けた途端に違和感がした。確かに長居し過ぎたかも知れない。

 そこへ、フナムシもどきを手でがっしり掴んだレクチェさんがこちらに寄ってくる。普通ならその手で虫が暴れてもおかしくないのだが、何故か大人しく掴まれたままでいて、まるで彼女に触れられる事を虫も嫌がっていないように見えた。


「多分日の出は過ぎてるかな」


「いやレクチェ、自然にソレを持ち歩かないでくれ頼むから」


 予想時間を教えてくれたレクチェさんからずざざざっ、と距離を置くエリオットさん。私はフナ虫は食べられるくらいなので気にならないが、彼はあまり好きではないようだ。


「こんなに可愛いのに……」


「……嫌いじゃないですけど、流石の私も可愛いとは思いませんよ」


 彼女の発言に、きっぱりと同意出来ない意志を伝えておく。いくらなんでもソレは無い。


「可愛いレクチェが、気持ち悪い虫を持って佇む……ギャップ萌えってやつね」


「違う!! それちがーう!!!」


 ルフィーナさんのよく分からない発言に、エリオットさんが全力で否定した。


「そうだよルフィーナ。気持ち悪くないよ、こんなに可愛いよ」


 だが、それに続いたレクチェさんの否定どころが完全に間違っている、という事はちゃんと私にも分かる。

 どんなに可愛らしく胸元の前で両手で優しく包むように持っていても、虫の気持ち悪さは全く変わらない。むしろ違和感MAXで、その小さな生き物は大きな存在感をアピールしていた。

 時間を言われた途端に襲ってきた睡魔に、私は大欠伸させられる。


「とりあえず、戻りますかね」




 そんなこんなであの狭い梯子まで辿り着いた私達だが、肝心の天井の戸が開いていなかった。


「内側から開けるにはここを引けばいいのよ」


 そう言ってルフィーナさんが梯子の一番上、戸の手前で何かを引く。というのも、暗くてあんまり見えない。

 彼女が引いてから程なくして、戸が勝手に開いた。梯子の上から眩しいくらいの明かりが洩れ、最初に見えたのは優しく微笑む綺麗な女性。オーキッドの髪を羽根飾りの付いたターバンでまとめ上げ……ん?


「さ、早く上がってきなさーい」


 先に上り終えたルフィーナさんが上で手招きしている。私は上る前に、隣にいたエリオットさんに聞いた。


「アレ、昨日の人ですか?」


 昨晩と雰囲気が随分違うので一見女性かと思ったのだが、どうも身体的特徴が限りなく昨晩の男性と同一である。


「多分……」


 エリオットさんも私と同じように困惑した表情で答えた。

 全員無事上り終えた私達を確認すると、そのターバンの人はゆっくりと床の戸を閉める。


「お疲れ様です」


 物腰柔らかに私達に労いの言葉を掛ける彼に、私とエリオットさんは思わず顔を見合わせた。そんな私達の様子に気付いたルフィーナさんが簡潔に説明を入れる。


「昼間は性格いいのよ、この子」


「恐れ入ります」


 彼はその言葉を受けて、深々と頭まで下げてきた。

 その変貌ぶりに私は思わず一歩下がってしまう。眠いと性格が悪くなるとかそういう感じだろうか。疑問は浮かぶが、深くは聞かないでおく。

 挨拶は短く済ませて小屋を出ると、空気が澄んでいて気持ちがいい。外は雲ひとつなく晴れやかに青空が広がっていた。


「とりあえずどうします?」


「……フリータイム昼の部でご休憩だな」


 エリオットさんが欠伸をしながら、読者が眉を顰めそうな単語で答える。それに釣られるようにレクチェさんも小さく欠伸。


「ふぁ……フリータイムにはまだ早いんじゃないかなぁ」


「そこ答えるのレクチェなの!? ルフィーナじゃないんだ!?」


 驚くエリオットさんに、その師が呆れ顔で言った。


「まるで女側のシモ担当はあたしとでも言うような口ぶりね……」


 ……間違いない。




 早朝の人気の無い通りをいそいそ歩き、私達はこんな朝から宿を取った。

 いつも通り、二人部屋が二つ。私を男だと勘違いしていたエリオットさんだが、女だと分かっても特に部屋割りを含む普段の扱いに変わりは無かった。まぁ変わられても困るけれども。

 部屋に着くなり着替えもせずに手前のベッドにどさりと倒れこむ彼。そのまま動かない。

 私も同じように寝てしまいたいが、地下で色々と汚れてしまったので服や体を洗ったりしなくてはいけない。眠い目を擦りつつそれらをこなした。

 一通りの作業が終わってようやく眠れる、と言いたいところだけれど……


「お腹が空いたのでご飯注文していいですか?」


 時間的に外の店で食べられなくもないが、あまり顔を晒すのはよろしくない。私の確認に、うつ伏せだった彼がごろりと仰向けになり、大の字に体を開く。


「俺にも何か適当に注文してくれ……」


「分かりました」


 やがて朝食が届くと、ごろごろしていたエリオットさんも重い体を起こしてテーブルについた。私は昨晩あった出来事を彼に伝えるべきか悩みながら、焼き魚をつつく。

 特に会話もなく黙々と無言で食べていると、既にエリオットさんのお皿はほぼ綺麗になっている。デザートの果物を口に運んでいる彼が就寝するのは時間の問題だろう。

 早く伝えないと言う機会が無いので、私は思い切って話す事にした。


「エリオットさん、いいですか?」


「ん?」


 果物に向けられていたその瞳が、私を映す。


「レクチェさんの記憶の事なんですけど……実は変な事があったんです」


「うぃ、言ってみろ」


「昨晩行った小屋の隣に教会があったでしょう?」


「あったな」


「そこで急に指輪が降って来て、それを填めたら記憶が戻ったようなんです」


 エリオットさんはそこまで聞いたところで相槌を打つのをやめて、何も言わずに果物を食べ終えた。じれったいところを耐えて、彼の返事を待ちながら私も野菜の甘みが溶けたスープを飲み干す。


「……昨晩ルフィーナが言っていたように、だ」


 俯きがちに彼が再度言葉を紡ぎだす。


「記憶をいじれる魔術式は、エルムの枝みたいな凄く面倒なものしか無いんだ。そもそも記憶中枢に働きかける、という大層な事をやれる魔術自体少ない」


「そうでしょうね……」


「降って来たという点も充分謎だが、それはまぁ誰かがやったと仮定しよう。だがそれを仮定したところで、その、記憶を戻せた指輪、というものがもう俺の知識の中には無い」


「じゃ、結局エリオットさんにも分からないって事ですかね……」


 彼女の記憶が元に戻ったのは喜ばしい事だが、新たな謎に私は不安を抱いてしまう。

 食べ終えたエリオットさんは席を立って、部屋のカーテンと窓を開けた。空気の入れ替えだろうか、食べ物の匂いでいっぱいになっていた部屋に綺麗な風が流れ込む。

 窓際で立ち、外を見ながら彼は言った。


「結局レクチェは何なんだ?」


「えっ」


「お前の種族の敵、とは聞いたが曖昧すぎる」


 あぁ、そういえば状況が状況だけに、ルフィーナさんはそんな感じで説明していたかも知れない。今なら以前聞いた話をもう彼に話してもいいだろうか?


「レクチェさん、神様の使いなんですって」


 それを言った瞬間のエリオットさんの顔と言ったらおかしい事この上無い。何を言っているんだこいつ、と馬鹿にしたような顔でこちらを見る。

 だが私は至ってマジメな顔を彼に向けた。


「呼び名はビフレスト、でしたっけね。神様の意志を世界に伝達しているとか何とか。で、私はその神様じゃない別の女神様の末裔なんだそうです」


 多分、こんなものだったと思う。一度聞いただけなので自信が無い。ちょっと違ったらどうしよう。


「……俺、そういうの信じてないって言わなかったっけ」


「そう言われましても、ルフィーナさんから聞いた内容を言っているまでですよ」


 彼はポリポリと頭を掻いて、返答に困っているようだった。

 また窓の外を見やり、日差しを受けてその髪が煌めき透ける。


「ルフィーナのレクチェへのあの執着は、宗教信者と言えば説明はつくけどな……」


「違います、お友達って言ってました」


「友達ねぇ」


 壁にもたれかかり、腕を組んで大きく溜め息。


「じゃあセオリーも宗教団体の一員って事でいいのか」


「いや、だから」


「不思議な力を持ってる女の子を捕まえて、信仰対象にでも持ち上げようとしているっとな」


 全く信じる様子も無く、宗教という方向で話を捲くし立てるエリオットさんに私はだんだん苛立ってきた。


「真面目に考えてくださいよ!」


「大真面目だよコッチは」


 怒鳴った私を冷めた目で見るエリオットさん。


「いつだって宗教は不安要素だ。まともな理論なんて通じないからな。妄信している人間が一番やっかいなのさ。ルフィーナが俺に話そうとしなかったのも、その虚像を否定されるのがオチだったからじゃないか?」


 そう言っておどけたように彼は笑った。


「レクチェを研究して、その力をもし自分達に取り込めれば、自分達がレクチェに代わって信仰対象として立ち上がる事も出来る。辻褄は合うぞ」


「合いません、合いませんよ……」


 私は、言葉に詰まりながらもそれを否定する。

 もしエリオットさんの言う通り宗教絡みだったとするならば、じゃあ何故私とレクチェさんは本能的な部分で相容れないのか。


「私は、出会った時からずっとレクチェさんが恐ろしいんです……」


「何?」


 引かれるのを覚悟でずっと言えなかった心の内を、彼に打ち明ける。そうしなければ、信じて貰えないような気がして。


「彼女の近くに居ると首を絞めたくなります。触れると憎悪に近い感情が湧きあがります。凄く優しくていい人だと頭で分かっているのに、心がいつも落ち着かないんです。少なくとも彼女と私が相容れない種族だというのは間違いありません」


 彼女を見て首を絞めたくなるなど、私の他に誰がいるのか聞きたいくらいだ。自分の事でも気持ちが悪いのだ、他人からみればもっとだろう。


「普通に接してるように見えてた俺の目が、節穴だったって事か」


 壁にもたれかかっていた体を真っ直ぐ起こし、エリオットさんがこちらに歩いてきた。テーブルに手をついて、彼は正面から私に顔をずいっと近づける。


「……俺は?」


 息がかかるくらいの距離に、思わず私は椅子の上で出来る限りその距離を離す。


「えっ、どういう事です?」


「俺の首も絞めたいか?」


「はい!? いや常日頃思っているといえば思っていますが、そういうのとは違うんですよ。レクチェさんに感じるのはもっと寝るとか食べるとかそういう次元の感覚なんです」


 その答えを聞いてエリオットさんは、私にのめりこむように近づいてきていた顔と体を離して、テーブルの対になる位置に普通に立った。


「じゃあ大丈夫なんじゃねえの」


 そう言って彼は右の手先から光を発して、自らの左手の指をスッとなぞる。


「ちょっ……」


 どうやら魔力で自分の皮膚を切ったらしい。結構深くまで切ったようで、その指から真っ赤な血がぽたぽたと流れ出す。

 彼の血を見るとあの時の光景が頭に浮かんできて、意識がくらりとするのを感じた。

 けれどその指は、彼が再度右手でなぞると、綺麗に血が止まる。


「!?」


 エリオットさんは切った指の血を舐め、その指をこちらにしっかり見せてくる。その指に、傷跡などもうどこにも無い。

 ……それは魔術ではなく、魔法のように行われた。


「レクチェの力を間近で見た時、俺にも出来るような感じだったから地下で暇だった時間に練習してみたんだ。で、これくらいの傷ならとりあえず出来た。どういう事か分かるな?」


「エリオットさんとレクチェさんは、同じ種族、だと?」


「いや、それだと俺のところの王族皆同じになるだろう。そもそもこんな魔力を持っているのは兄弟の中でも俺だけだ」


 ううん、という事は……


「種族に関係なく、そういう力を持って生まれてくる事がある、ですか?」


「分からんが、種族という言葉では括れない事になる」


 切ったはずの指を眺めながら、彼は椅子に腰掛けた。


「俺としては神だの宗教だの以前に、精霊のほうがよっぽど怪しいね」


 ギィ、と彼の椅子が鳴る。その目は指に向けられているが、言葉は私に突き刺さるように響いた。


「ま、お前はそこの槍がお気に入りのようだからこれ以上は言わないけどな」


 両手を頭の後ろで組んで背伸びをしながら、暗に私に自分で考えろ、と彼は言う。

 壁に立てかけてあるニールは、この声も聞こえているのだろうか。私は何気なく槍に目をやった。エリオットさんも一緒に私の視線の先を見る。

 姉さんがあんな事になっている元凶の剣と同じ、精霊の宿った不思議な槍。

 私は彼から聞いている内容とルフィーナさんの話が大筋一致していたのですんなり信じていたが、片側、しかも私という間を介して話を聞いているエリオットさんからすれば、信じられないのも無理は無いかも知れない。


「ローズさえ元に戻れば、神とか宗教だとか連中の都合だとか、そんなのどうでもいいさ」


 エリオットさんは目的が迷走しかかっている私に、再度念を押すようにそう付け加えた。

 そしてふらふらとベッドへ移動し、部屋に来た時同様、彼は力が抜けたようにその上へと倒れ込む。


「気になるならとりあえず、後でレクチェにでも、聞けば……」


 その後の言葉はもう期待できない。どうやら歯も磨かずに寝てしまったようだ。

 私は溜め息ひとつだけついて、歯を磨いてからカーテンで光を遮った暗い部屋で落ち着いて就寝する。ゆっくりと泥に沈むような感覚は、すぐに消えていった。




 姉さん、姉さんは何故そんな場所に居るのですか?


 どうしてそんな事をなさっているのです?


 あの時姉さんを止められれば、追う事が出来れば、違ったのでしょうか?


 返事をしてくれない姉の体は、溶けて赤い水溜りを作る。


「……っ!!」


 夢を見た。くだらない、不必要な夢に違いない。私の弱さがそのまま夢に出たような、そんな夢。

 折角疲れをとるべく眠っていたというのに、起き抜けから凄く体がだるく、逆にもっと疲れたような気分に苛まされる。少し汗ばんだ肌に、私はぱたぱたと服を動かして風を送った。

 隣のベッドのエリオットさんは、そんな自分が馬鹿らしくなるくらい気持ち良さそうに寝ている。私も少しはこの人のこういう所を見習っておきたいものだ。

 そういえば、今は何時だろうか。まだカーテンの隙間から光が漏れているので夜にはなっていないのだろうが、ルフィーナさんとレクチェさんはまだ寝ているのやら、いないのやら。


「ちょっと、あっちの部屋に行ってきますね」


 聞いているか分からないが一応声だけ掛けておく。すると、すぐに目だけスッと開けて彼が私を止めた。


「一人で行くな」


「えっ?」


 熟睡していたと思いきや、眠りは浅かったらしい。あまりに自然に目を開けて返事をするので私は少しビックリする。


「……行くなら俺も行く」


 体を起こし、背伸びして大欠伸。少し赤くなった頬には、シーツの皺がそのまま刻まれていた。

 それだけ見れば気の抜けるものだが、彼の目は笑っていない。それはエリオットさんが彼女達をまだ信用していない、と私に思わせるような表情であった。

 まさか今後は毎度毎度こんな調子で後を着いてこられるのかも知れないと思うとちょっと萎える。


「まぁ、心配ならどうぞ」


 私は半眼で彼を流し見て、先に部屋を出た。




 コンコン、とルフィーナさんとレクチェさんがいるはずの隣の部屋をノックする。バニッシュの塗られた木のドアの奥からは、返答は無い。


「まだ寝てますかねぇ」


 入るのを諦めようとした私の呟きをエリオットさんが無視して押しのけ、ドアノブを回すとそのノブはカチャリと回る。


「……寝てるのに、鍵が開いてるか?」


「そんなまさか……」


 バンッ!! と勢いよくドアを押し開けると、二つあるベッドの片方にはルフィーナさんがすやすやと小さな寝息を立てて寝ていた。そして、もう片方のベッドには……


「レクチェが居ねぇじゃねぇか!」


 険しい表情でエリオットさんが叫び、その声に驚いてルフィーナさんが飛び起きる。


「なっ、何!?」


 細い目を最大限に開いて、彼女は周囲を慌てて見回し状況把握をしようとした。


「おい、レクチェどこ行ったんだよ!」


「え、は? 居ないの?」


「気ぃ抜き過ぎだ馬鹿女!!」


 話についていけていないルフィーナさんに悪態を吐いてから、彼は部屋の入り口から踵を返して廊下を走り去って行った。多分、レクチェさんを探すのだろう。

 もしこっそり居なくなったのだとしたら今更探しても無駄な気がするので、私は追う事はせずに目をぱちくりさせているルフィーナさんに説明をした。


「えっと……レクチェさん、居ないみたいです」


「あらまぁ」


 元々彼女は記憶が無いから私達に着いてきていただけなので、いつ去ってもおかしくは無い。私も、きっとルフィーナさんも、ある程度覚悟はしていたので彼女の失踪発覚にも関わらず落ち着き払っている。


「色々聞きたい事があったんですけど、居なくなっちゃったんじゃ仕方ないですね」


「何か聞きたかったの?」


「えぇ、色々疑問がありますからね。ルフィーナさんが以前レクチェさんは神様の使いみたいな事言ってたでしょう? 記憶が戻ったなら神様とお話とか出来るんじゃないかなーって。そしたら全部分かるじゃないですか」


 しかしルフィーナさんは私の言葉に、少し頬を掻いて困ったような顔をした。


「聞いて答えてくれるなら苦労しないのよねぇ……」


 彼女はベッドから足だけを下ろし、少し乱れた着衣を整えてからまた口を開く。

 少しクセッ毛の彼女の髪は、寝起きだと更にも増してハネていて普段よりも若干若く見えた。


「レクチェが素直に何でも答えてくれていたなら、今頃こんな事にはなっていないのよ」


「うっ」


 正論、というか至極当然、当たり前の事を言われてしまう。私は自分の楽観的過ぎる考えに恥じて顔が熱くなった。

 ルフィーナさんは、少し困った顔をしながら私に改めて問いかける。


「で、何が聞きたかったのかしら?」


 これはルフィーナさんが出来る限りならば答えてくれる、という意味で聞かれていると判断していいだろうか。少し控えめなトーンで私は答えた。


「レクチェさんって、神様の命令で動いているのならどうやって神様と連絡を取っているのかなー、って……」


 彼女は記憶を取り戻したのだ。今後は本来の目的……神様の命令通りの行動に移ると考えるのが普通である。となれば、その命令の内容や受け方が私としては気になった。

 長い耳を少しピクンと上げて、ルフィーナさんはにんまりと口端を吊り上げる。


「クリスが神様から言葉を受けようと思ったら、どうする?」


「ふぇっ?」


 答えが返って来ない代わりに質問を投げかけられて少し戸惑ったが、しばし考えてから、


「私なら教会へ行ってお祈りとかするしか……ってまさか」


「過去の偉人が『神示が降りてきたから動いた』だの言うのは全部とは言わずとも、中には真実だったものもあるかも知れないわよね」


 もしレクチェさんの神様との通信手段がチャネリングによるものだとすると、そんな事言えばますますエリオットさんは胡散臭いと信じなくなってしまいそうだ。

 服を着替え始めるルフィーナさんを視界の隅に置きながら、私は考え込む。この問いの答えだけでは確証が全く得られない。


「じゃあ、レクチェさんが神の使いだ、と確信出来た出来事って何なんですか?」


 声をかけると服を持っていた彼女の手が止まる。


「……見て、聞いてしまったからよ」


 その声は細くかすれるように紡ぎだされた。何故かは知らないが恨み言でも言うかのように彼女は俯き、服しか無い目の前を睨む。

 その形相に私は相槌すら打てずに、思わず息を呑んだ。


「ビフレストは人間同士の争いには基本干渉してこないわ。私達が確認をしているのは、女神の末裔とその遺産による『世界への干渉』を彼女が修正して回っていると言う事」


 女神サイドの干渉、というのは以前精霊から聞いたように破壊が主な内容だろう。それを修正している様子を見てしまったと言うが、それだけではどうにも具体的に想像が出来ない。


「どんな風に修正していたんです?」


「前に少し見た事があると思うけど、あの光を使っていたらしいわ」


「ん」


 引っ掛かりを覚える言葉に私は少し首をかしげた。その言い方ではまるで、自分では見ていないようではないか。

 私のこの仕草にルフィーナさんが、言いたくなさそうではあるが渋々答える。


「最初にその光景を見たのはセオリーの上の人物よ。彼は元々私と同じハイエルフで、今でこそビフレストの行いだと分かっているけれど、当時は不可解な事象だったその『修正』の謎の確認を行っていたの」


「まぁ確かに壊れたものが突然直っていたら不思議ですよね……」


 その目を遠くを見つめるように細めて、静かに彼女は頷く。どれくらい前の話なのかは、私には想像もつかない。


「そして現場を目撃した彼は、そのままビフレストを通して神様と会話をしたそうよ」


「どっ、どんな事をですか!?」


 しかしそこでルフィーナさんは自分の腕で自分の体を抱きしめて、黙ってしまう。その腕は強く強く体を掴み、耐え難い何かがその先にあった事が分かる。

 何と声をかけていいか分からないけれど、放っておけるわけのないそのルフィーナさんの様子に、私は彼女にそっと近寄ってその腕を優しく握った。


「……ありがと……」


 憔悴したような表情で彼女は私を見て、その腕の力を弱める。掴んでいた場所の布には、深く皺が刻まれていた。


「神様なんて、私達の価値観じゃ測れるものじゃないのよ。レクチェはいい子だけど、私から見れば神様は悪魔のような性格ね」


 そして彼女のその先の言葉に、私は一瞬固まってしまう。




「神様は戯れに、彼を人間では無いものに変えてしまったの」




 ハイエルフだったその人が、人間……つまりヒトでも獣人でも鳥人でもエルフでも無い、何かに変えられたと。

 そんなまるで呪いのような事を、神様がしたと言うのか。

 しかし、これだけの情報ではレクチェさんの多重人格なだけも気がしてきて、やはりエリオットさんに伝えるには憚られる内容でもある。

 すると、その点を否定するかのようにルフィーナさんが続けた。


「後の調査結果としては、ビフレスト自体はそんな事しないし、出来るはずがない。その時は運が悪かったのね、彼女を媒体として降りた神様に彼は全てを変えられた。ほんの気まぐれに、実験を試すかのように、人外の存在へと。代わりに魔術の腕も人並み外れたみたいだけど」


「そう……ですか」


 そこで私はふと思い出す、あの人外とも思える存在を。


「セオリーも、同じように変えられた一人だったりします?」


「えぇ、彼と同じ仕事をしていたアイツは二人目の被害者ね。一人目の彼と違うのは、アイツはその変化を喜んで受け入れていたところかしら」


 忌々しげに吐き捨てる。

 『彼』とセオリーとの扱いの差から、ルフィーナさんがどれだけ嫌っているか痛いほど感じられる。まぁその変化を喜ぶくらいなのだ、確かに性格はよくなさそうだし私もセオリーは好きではないから分からないでも無い。

 だけどそれにしても酷い嫌いようなのでついつい聞いてしまう。


「前から思っていたんですけど、ルフィーナさんのセオリーの毛嫌いようって凄いですよね、何か過去にあったんですか?」


「…………」


 あ、聞いちゃまずかったかな。いつもこんな事をしているな、私は。ルフィーナさんがだんまりモードになってしまったので私は誤魔化すように少し口だけ笑ってみる、いや笑ってしまう。

 そこへ彼女は怖いほどの満面の笑みをこちらに傾けて、口を開いた。


「クリス、異母兄弟って知ってる?」


「父親が同じで、母親が違う兄弟の事ですよね。知ってますけど、それが何か……」


 ルフィーナさんの笑みは、崩される事無くそのまま彼女の顔で固まっている。否、彼女は敢えて笑みを張り付ける事で辛うじて言葉を紡ぎだしているのだ。言うのも嫌な事を、私に伝えようと努力した結果がこの表情なのだろう。つまりそれはそういう事で。


「ど、どちらが上なんですかね……」


「あの男が!! 先なのよ!! しかも私が女だから!! 本妻は私の母親なのに!! 母と私がどれだけ!! 肩身の狭い思いをっ!!!!」


 力一杯拳を握り締めて、捲くし立てるように叫ぶ彼女。何かしら因縁があるとは思っていたが、予想していたものと違ったので肩透かしを食らったような気分になる。  


「面倒な事に父は長老の息子だったから、そこらで結構揉めたのよ……」


 エリオットさんのところは同じ母親からの兄弟なだけあって穏便に押し付けあっているが(?)、このように異母兄弟となると骨肉の争いは荒んだものになるのだろう。親の居ない私には縁の無い話だけれども、親が居たら居たで大変そうだ。

 

「揉めた結果はどうなったんです?」


「父の後にはあの男が継ぐはずだったわ」


「でも里の外に出ちゃってたんですよね」


 そうなる前から外で仕事をしていたのだ、しがらみが嫌で里を出たのだろうと察しはつく。

 が、私が思っていたよりもルフィーナさんとセオリーとの確執は大きなものだった。


「そうね、仲の良かった二人で森を出て行ったわ。で、次に見た時には二人ともエルフじゃなくなってた」


「まぁ、びっくりしますね……」


「えぇ。しかも帰ってきたと思ったら、あの男は自分の父母と私の母をその手で殺したのよ」


「!!」


 さらっと、一番大きな出来事を言われたような気がする。だが言われたと同時にあの男ならやりかねない、と自然と思ってしまった。

 どこかズレた雰囲気を持つセオリーならば、顔色一つ変えずにそれをやってのけそうだ、と。

 しかしそんな過去があったにも関わらず、その後ルフィーナさんは彼らと行動を共にしていた期間がある。

 長くなってきた話に、私は椅子に腰を掛けた。


「なのにルフィーナさんは、セオリー達と一緒に研究していたんですか」


 普通だったら考えられない話である。


「……元に戻る気の無いアイツと違って、もう一人の彼は必死だったからね……必死すぎてもう性格変わっちゃってるけど」


 そう話したルフィーナさんの表情は少しだけ優しく、少しだけ寂しそうだった。

 着替えを終えた彼女の首には服の襟の隙間からキラリとネックレスが輝く。ワイシャツの下につけるには大きすぎるソレは、私が渡した物。

 昨晩の戦闘では何も起こらなかったから、まだ何かあるのかも知れない。当分気が抜けなさそうだな、とネックレスを見て思った。


   ◇◇◇   ◇◇◇


 レクチェを探そうと宿の外に飛び出した俺は、顔を俯きながら人を探せるのかと悩みながら通りを歩いていた。というのも、太陽の位置から見て今の時間は午後を過ぎ、一番人通りの多い時間帯のようであまり顔を出したくないのだ。

 俯いてる顔を時々上げて周囲をキョロキョロ見ていると、その不審な行動に周囲の目がちらりと向き、それでまた俺は俯かざるを得なくなってしまう。


「……こりゃ無理だ」


 諦めそうになったところで、俺は見覚えのある長い金髪と帽子を見つけた。通りに並んだ行商の店でレクチェは店の主人と楽しそうに話している。

 どうやら俺達の元から去ったわけでは無かったらしい。自分の早とちりを恥じ、勘違いであった事に安堵した。


「おい、何やってんだレクチェ」


 俯くのをやめて背筋を伸ばして後ろから声をかけると、彼女はフッと振り向いて笑顔をこちらに向ける。


「あっ、エリオットさん! お金ください!」


「ええぇぇぇ……?」


 二言目に、お金をよこせとは何事だ。まぁ行商の店に立ち寄っているのだから何かを買いたいのだろうが……

 俺に気付いた店の主人は、その髭を手で梳かしながら言う。


「彼氏サンかい、この子ちゃんと見ててやらないとダメだよ。お金も無いのにフードを買いたいって駄々こねてるんだ」


「いやホントすいません……」


 彼氏では無いが、そこを否定するよりも謝る方が先だ。どういう状況なんだコレは。俺はぺこりと頭を下げ、ついでにレクチェの頭も手で押し下げる。


「何度か『買ってやろうか』って声かけてくる男が居たからね。しかもこの子ソレに着いていこうとするんだよ! そういう連中からの金は受け取らないでやったんだ、感謝してくれよ兄ちゃん」


「ホンッッットにすいません!!」


 心から謝った。

 記憶が戻ったというのに何だコレ、通常運転じゃねーか。元々こんな風に少し抜けた性格なのだろうか、神の使いとやらがか? ますます怪しい。

 とりあえず腰元のポーチから金を取り出し、俺はレクチェに聞く。


「で、どれが欲しいんだ?」


 彼女はその細い指で二つのフードを指す。一つはスプレイグリーンの、もう一つはロータスピンク。どちらも膝下くらいまでの長さのロングコートになっているフードだ。


「私が買いに行ってあげようって思って出てきたんだけど、お金無かったから困ってたの。結局探しに出て来させちゃってごめんねっ」


「あぁ」


 なるほど、俺とクリスの顔を隠すためのフードを買いに来ていたのか。今度は疑っていた事が申し訳なくなる。

 選んだフードを貰って支払いを済ませたところで、主人が金を受け取った手をふと止めて俺の顔をじっと見た。


「……兄ちゃん、他の街でも会ったか?」


 ほらほらキタよ、危惧していたのが! この田舎の住人ならまだしも、行商だと流石に見覚えがあるらしい。


「結構色々なトコを旅してっから、行商さんなら会ってるかも」


「そーかい、また会ったらよろしくな!」


 俺は苦笑いしながら誤魔化して、レクチェとその場をそそくさと去る。

 思わず手を引いて去ってきたので周囲から見れば完全に恋人同士。ましてやレクチェは顔良しスタイル良し雰囲気良し、と立ってるだけで目を引く容姿だ。道往く男がレクチェを見るか俺を睨むかしている。

 これ以上人目につくのは避けたいので急ぎ足で宿へ向かう。が、掴んで引いていた手を、後ろから引き返されて俺はグッとふんぞり返りそうになった。


「!?」


 何かと振り返るとレクチェが立ち止まってカフェを見ている。看板には『絶品! ホワイトチョコムース♪』の文字。

 俺は渾身の力を込めてレクチェを歩かせようと引っ張るが、ビクともせずに彼女はその場に残ろうとする。正体不明の存在とは言え、女に力負けしている状況に俺はショックを隠しきれない。


「も、ど、る、ぞ……っ!」


 もう両手でレクチェを引っ張っている俺と、それにも関わらず片手で平然と俺を引き止め続けるレクチェ。


「アレ、食べたいなぁ」


 気付いていながら言葉に出さない俺に、ついに彼女が要求した。


「だ、め、だ……っ!!」


 そんな事をしていると周囲の人がだんだん立ち止まってこちらを興味深々に見ている。もう俯いて顔を隠すとか言うレベルじゃなくなってるじゃないか。


「分かったよもう……」


 完全勝利したレクチェはパッと手を離して嬉しそうにカフェの入り口へ駆けて行った。

 

 

 

「絶品ホワイトチョコムースくださいっ!!」


 声高らかに水を持ってきたウエイトレスに注文するレクチェ。


「俺はアイスコーヒーで……」


 ウエイトレスのお嬢さんは手馴れた様子で二人の注文を書きとめると、オーダーを繰り返してから去っていく。

 店内はいかにもな薄暗い照明と、外からの光を存分に取り入れられる大きな窓、シックなテーブルと編み椅子に、高い天井には小さめのプロペラがいくつか回って風を送っていた。客層は女性がほとんど。


「全く、こんな我侭でいいのかよ神の使いってのは」


 俺のぼやきにレクチェはにこにことするばかり。

 都合の悪い事は喋らないつもりなのだろうか。氷が解けてカランと音を立てるグラスに目をやって、俺はレクチェから視線をあえて外した。

 彼女を見ていては怒る気も失せてしまうからだ。つまり、俺はこれから彼女を多少なり強い口調で問いただそうとしている。


「……レクチェ、聞きたい事が」


「お待たせしました、ホワイトチョコムースとアイスコーヒーになりまーす」


「わーい!」


 だああああああ。

 折角切り出したというのに、目の前にはデザート。上にピンクの花びらのチョコレートをあしらったそのムースは白と緑の交互で四層に作られており、春を連想させた。そんなのどうでもいい。

 ムースに早速手をつけようとするレクチェから俺はその皿を取り上げる。


「食べるのは俺の質問に答えてからだ」


「っ!?」


 親の突然の訃報を聞いたかのような顔をしてレクチェが俺を見た。それほどショックなのか? まぁコレが効くのであればそれはそれで良い。


「レクチェは神様を信じているのか?」


「うーん、何の神様っ?」


 と、予想していない返答が返って来た。だが彼女の問いは正しい。宗派だって色々あるのだから問いかけ自体にキチンと提示せねばならない、か。……だけど俺はレクチェにとっての神がどれなのか知らない。


「何って特定はしないよ、信じてる神様が居るか居ないか、でいい」


 問いかけを少しだけ変えて再度聞いてみる。すると彼女は俺に逆に尋ねてきた。


「何に対し、何をもって、神と呼ぶのですか?」


 普段の朗らかな印象は消し去り、毅然とした態度で俺を見据える。怒っているわけではない、ただただ真剣な目。

 彼女がそれをするだけで、俺は思わずゴメンナサイと言いたくなってしまう。でも言ったら負けな気がするから、それはグッと飲み込んだ。

 

「俺は信じてないから、答えようが無いかな……」


 喉が渇くのを感じながら、辛うじて答える。


「それでいいと思います」


 俺は彼女の言葉に、いつだったか同じような事を言われた気がしてハッとした。が、すぐに思考を元に戻して俺は考える。


「ムース、食べていいっ?」


「あぁどうぞ」


 緊張感の無い普段通りに戻った彼女のギャップにすらびっくりする事無く、俺は上の空でムースの乗った皿を彼女に渡した。


 何かが違っている、違っているんだ。彼女は確かに『誰かの命令を受けて行動している』のかも知れない。けれどそれは神などと呼べるものではない、と彼女は言っているように感じた。

 じゃあなんだ、少なくともレクチェは今の自分の境遇を、その命令を、喜んで聞き入れているわけでは無いのか。

 もし彼女がその為だけに造られた存在ならば、何故そんな風に思う?

 もし俺が何でも出来る神様みたいな奴だったとしたら、そんな面倒な人形を作ったりしないし、そもそも食事や睡眠なんて取る必要無く造るぞ。 


「なぁ、レクチェ……」


「ふぁい?」


 口いっぱいにムースを頬張りながら返事をする。ハムスターみたいな頬がこれまた可愛くて頭を撫でたくなるが、それは我慢。


「お前、元々は普通の人間だったんじゃないのか?」


 俺と同じようにどこかで人間として暮らしていて、でも俺のように何か周囲と違う力があって、そこを誰かにつけ込まれたのでは、と。これはあくまで俺の憶測でしか無いが……

 レクチェはもぐもぐと口の中の物を噛んで飲み終えると、俺に向かって微笑んだ。


「そんな事言われたの、初めてだなぁ」


「まぁあんな不思議な力があれば、そうかもな……」


「当たってます」


 俺は温くなりそうなアイスコーヒーを飲もうとした手を止めて、レクチェの言葉に静かに耳を傾けた。


「普通の人間、と呼べる頃は、私にもありました」 


 やっぱりか、と心の中で俺は呟く。

 そしてそれと同時に自分の身に不安を感じた。彼女の言う通りならば、俺だって他人事では無いのでは、と心配せざるを得ないからだ。


「じゃあ何で……今みたいになっちゃったんだ?」


 なるべく少しずつ、一歩一歩紐解いて行こうと俺はゆっくり質問を進める。が、


「色々あったから」


「はぐらかすのか?」


 これ以上は答えるつもりは無いと言うような内容の無い回答に、俺は強い口調で追求した。レクチェはそんな俺と目を合わせようとせず、憂いを帯びた瞳でテーブルに視線を落とす。


「いつか、分かります」


 そう言ってスッ、と彼女は席を立った。


「ちょっ、待てよ、それって……」


 嫌な予感しかしないレクチェの言葉に俺は焦りを隠せずにガタンと椅子を後ろに倒す。勢いよく手をついたテーブルの上のコーヒーが倒れ、零れた飲み物は床にまで滴り落ちていった。

 無論会計は俺が出すと決まっているのだが、レクチェは会話を切り上げてさっさと店外に出てしまう。もしこれがデートならば酷い扱いだ。せめてご馳走様くらい言え、と。


 慌てて零れたコーヒーの後始末に来た店員の声など、俺の頭には全く入って来ない。

 レクチェから聞いた情報は役に立たないどころか、新たな気がかりだけを心に重く残していったのだった。


   ◇◇◇   ◇◇◇


 何事も無かったかのようにレクチェさんが部屋に戻ってきたのが十分前。

 エリオットさんがフードを持っているから使ってね、っと言われて出かけていた理由が買い物であった事をそれで把握した私は、自分の部屋に戻ってそれを受け取ろうとした。

 が、エリオットさんは部屋には居らず、そのうち戻ってくるかな? と待っていて今丁度彼が戻ってきたところである。


「…………」


 彼は私のベッドにローブ二着を放り投げると、そのまま自分のベッドに今朝のように倒れ込む。まだ眠いのだろうか。


「レクチェさん、こっそり私達から逃げたわけじゃなかったですね」


 私の声掛けに、エリオットさんの返事は無い。


「寝たふりしてもダメですよ、そんな寝転がって一秒で眠れるような特技、無いでしょう?」


 てくてくとうつ伏せに倒れているエリオットさんに近づき、肩を揺すってその眠りを妨げようとした。

 けれどもそれに大して怒る事もせずにゆさゆさ揺らされっぱなしの彼の態度は、普段の性格を考えると少しおかしい。いつもなら何するんだ馬鹿、とか言われるのに。


「……何かあったんですか?」


 そう言って彼の体をゴロンと転がして顔を見る。


「ってうわ、何ですかその顔は」


 目は虚ろ、頬や口元も力無く、まるで合格発表を見に行ったものの自分の番号が無くて茫然自失しているような表情だ。

 何がどうしてこんな放心状態になっているのかさっぱり分からない。レクチェさんはちゃんと居たじゃないか。


「……息をするのも面倒臭い」


「死ぬ気ですか!? 一体何があったんです、言わないと分かりませんよ?」


 するとエリオットさんはガバッと起き上がって、虚脱していた体に力を入れてこちらを強く見据えて叫ぶ。


「言わないと分からないんだよ!」


「そ、そうですよ……」


 聞いているのはこちらだというのに、エリオットさんが何か聞きたいかのような言い方。何だか色々と理不尽過ぎるが、彼の切迫した雰囲気と表情に怒る事など出来やしない。


「わ、私が何かしました?」


 心当たりが全く無いのでとりあえず聞いてみる。


「お前じゃない、レクチェだ」


「! 何かレクチェさんから気になる事でも聞いたんですか?」


 私に一人で行くなと言いつつ、エリオットさんが一人で話をしていたらしい。とはいえ私もルフィーナさんと色々話したので文句は言えない。

 彼の話を聞いてからこちらの話も伝えよう、と私はエリオットさんの次の言葉を待つ。

 だがそれは部屋の戸を叩くノックの音によって阻まれた。


『いらっしゃいますか?』


「はー……んぐっ」


 返事をしようとした私の口は、エリオットさんの手で塞がれる。扉の外から聞こえた声は、聞き覚えの無い男性の声だった。


「……居留守するぞ……」


 口が塞がれているので私は返事も出来ずに、ただ目が丸くなる。居留守って何でまたそんな事を……と思ったのも束の間。

 外から鍵がカチャリと開けられる音と共に部屋のドアは豪快に開いた。


【第十二章 晴れない心 ~噛み合わない歯車~ 完】

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