introduzione ~軽薄な彼の視点~
◇◇◇ ◇◇◇
皮肉なもので、特に物欲無く育ってきた俺が初めて欲しいと思ったそれは、結局俺の手には留まらなかった。たった一つの我侭ですら適わない、その歯がゆさにどれだけ身悶えた事だろう。
そして歳月がそれを諦めさせてくれた頃、今度は別に欲しいものが出来てしまう。しかしそれもまた手を伸ばす事ですら躊躇われるくらいの障害があった。今更変えようの無い過去が大きく、大きく、二人の邪魔をする。
結局アイツ以外の他の誰をも愛さなかった、俺の愛した君は……
未だにこの縄を解いてくれやしないんだ。
俺は鈍感とは真逆だからな、お前の気持ちも自分の気持ちもよく分かっている。
けれどまだお互いに吹っ切れてない、そうだろう。
お前も俺も、同じ影背負って縛られたまま、何一つ解決していないんだ。まだこれからなんだよ俺達は。
ほら、キリキリ歩け。
まだもうしばらく、出会った頃のように皮肉でも言い合いながらな。
◇◇◇ ◇◇◇
誰か成功するナンパの秘訣を教えてくれ。
「結婚するなら君しか居ない」
王都より西、山峡の街スーベラの酒場に着くなり俺はまず彼女に声を掛けた。
「え?」
可愛らしいその唇で問い返す彼女の栗色の短い髪が、店の明かりを受けて輝いている。ふわりと揺れるエプロンの上ですらりとした細くて白い指がかすかに震え、不審者か、と怖がられている気がしないでもない。
で、も!
「俺と結婚してください」
めげずに真剣な表情で言ってやる。ちなみに俺は彼女の名前すら知らないし、彼女も俺の名前など知らない。出会って三秒、電撃プロポーズ。三枚目の俺にはまずインパクトが大事だからな!
呆気に取られている彼女の手を取り、自分で出来る限りの凛々しい眼差しを作ってその瞳を見つめた。
……しかし彼女のその表情はとにかくどん引き。どうやら今日も俺の作戦は失敗したらしい、マジで誰か秘訣を教えてくれよ。
「まぁとりあえずオススメのアルコールを適当にお願い」
彼女がヒいてしまったのでとりあえず普通に注文する。お姉さんは一瞬ぽかんとしていたがすぐに調理場の方へ小走りで向かい、何やらカウンターに居るマスターにオススメを聞いているようだった。
俺は席を立って同じようにカウンター側に向かう。
いや、別にお姉さんのお尻を追いかけているわけじゃない。俺は人探しをしているからそれについてマスターに尋ねたいだけ。
ポケットから紙切れを取り出し、マスターに聞いてみた。
「なぁ、この女知らないか?」
「……うーん、名前は知ってるけどね、ここらでは聞いてないよ」
「そっか、あんがと」
残念な返答に肩を落としつつ、俺はすごすごと元居た席に戻り紙切れを見つめる。
それは写真ではなくただの手配書と似顔絵で、そこに描かれているのは流れる空の様な透き通る髪と水晶のような水色の瞳を持つ女性。白い肌に鮮やかな口紅が目立つこの似顔絵はよく出来ている。本物そっくりだ、あぁ今すぐにでも抱きしめたい。
『怪盗ローズ』
それがその手配書の絵の彼女の呼び名だ。フルネームは表沙汰には出ていないがローズ・セリオルと言う。現れ方はまさに怪盗、一国の城にまで忍び込んで盗みを働くその腕から懸賞額も並ではない。
俺の相方だ。
色々あってひとめ惚れして追いかけて、どうにか相方という鞘に納まる事が出来たのだが今は離れ離れ。それで俺は毎晩枕を濡らす生活をしながら探し歩いてるってわけ。
しばらくその手配書を眺めているとさっきの店員のお姉さんが机の上にグラスとボトルを置いた。どうやらオススメは地ワインらしい。
「こちら、当店オススメの……」
「あぁ、そんなのいいからいいから」
ワインの説明をしようとする可愛いお姉さんの話を断ち切って、俺は自分の隣の椅子をポンポンと叩く。
「さ、座って」
「え!? いえ、お客様、そういうわけには……」
手をぶんぶん振って拒否をする彼女。しかし問答無用でその手首を取って引き寄せてやった。
勿論困る店員さん。
「お客様、本っ当にそういうわけには……」
接客慣れしているのだろう、俺の無茶振りにも口調は丁寧であるが流石に目は笑っていない。怒った顔も可愛いじゃないか、ちょっと強気な方が刺激的なんだ。
「挙式はどこでする? 大きな教会もいいけどこの街みたいな小さなところでひっそりやるのもいいねぇ」
更に何段階もすっ飛ばして語りかけると彼女の開いた口が塞がらなくなる。色々突っ込んでやりたくなる可愛い口だ、なんて自主規制せざるを得ない事を考える俺。
しかし、そんなとっても貴重な時間が一瞬にして壊された。
楽しい会話をしている最中によくわからんガキが彼女の肩を叩いて後ろに下がらせ、かわりにソイツが俺の前に進み出てきた。
一丁前に『困っている女性を助けた』つもりにでもなっているのか? 冷めた表情で少年は俺を黙ってじっと見据える。
「…………」
うざい、うざすぎる。
容姿端麗、と言う言葉が似合いそうな少年は、見たところ宗教かぶれな白い法衣を着ていて、ムカつく事にそれがまたお姉さんのハートを鷲掴みするような、そんな印象を受けた。
モデル顔負けの大きな水縹の瞳に、男にしては少し長めの丸みを帯びたショートカットで、耳元や襟元の髪は無造作にハネている。その細くて綺麗な水色の髪が何となくローズを思い出させるが、水色の髪なんて珍しいわけじゃない。
「お話中のところを割り込んで申し訳ありません、この人の情報を知りませんか?」
少年は、まだ声がわりもしていない声で聞いてきた。
……手には、俺の持っている物と同じ手配書を持って。
「何で?」
俺はコイツを床に叩き伏せたい衝動を抑えながら聞いた。
ローズを探すヤツなんて十中八九は賞金稼ぎだからだ。要するに俺の敵。
「情報があるのでしたら詳しく説明致しますが」
少年は丁寧な口調の割に、声の質がだんだんトゲっぽくなっている。
まだまだお子様なようだし俺の無愛想さにカチンとでもきたのだろうが、こちらの情報を賞金稼ぎに言うわけにはいかない。
「まずはその事情を聞いてからだ」
俺は髪を掻きあげて窓の外を見る。ここで暴れるのはよろしくないのでどうやって誘い出すかな、と考えていたら向こうから切り出してきた。
「ではここでは何ですし、外でお願いします」
その言葉を聞いてから、席に金だけ置いて無言で立つ。外に出るまでにチラリと再度少年を流し見たが、やはり顔の整い方がローズに似てるなと思わなくもない。
でもその時俺は既に、そのガキに永遠に相容れない何かを感じていて、とてもそれ以上の事は考えられなかったのだった。
その後は二人で店を出て街はずれまで無言でただ歩いていく。
少年が俺の前をスタスタと歩き、俺がそれに着いて行く形だ。
少年の荷物は多いようで少ない。
旅人には違いないが、生活に必要な荷物は少なく、ただその代わりにやたらと長い……多分槍か斧、棍棒のような物を担いでいる。
何にしても刃の先と思われる部分に布がぐるぐる巻きにしてあって、そのうちのどれだかは分からない。少年の身長をその武器のリーチで補うようなところか。百八十ちかくある俺の身長を越える大きさの得物だ。
整備された道が途切れ始め足元が悪くなり、街はずれに着く頃。
どうせコイツと一戦するハメになるのならさっさと後ろから不意打ちをかけた方が早いんだよな……そんな事を思いながら様子を伺いつつ歩いていると、ふと少年の足が踵を返した。
そのまま少年の腕が振りかぶって、ビュンッと掠れるように風を切る音。
「あぶねっ!」
俺は少年の打ってきた氷の魔法を紙一重でかわした。それはそのまま俺の背後にあった岩を易々と破壊する。
やってくれた少年を睨むと、思っていたよりも涼しい顔で呟かれた。
「面倒くさいですね、避けないでくださいよ」
うおおおこいつむかつくうううぅぅぅ
「お前な、何を考え……」
「そのままです、どうせ貴方も不意打ちでもしようと考えていたでしょう?」
俺の言葉を遮って聞き捨てならない発言をしたかと思うと、少年は背中に担いでいた武器の布を手馴れた様子で解く。その間、一秒も無い。それは斧に近い、槍。
間髪入れずに槍を振り回してきたので、俺はその槍を思いっきり受け止めてやった。
白羽取りでは無い。
片手で、刃を掴む。
少年はその掴んだ俺の手ごと斬ろうと力を入れたのだろうが、そんなの俺には通じない。
「っ!」
少年は異変を感じたのか、すぐに後ろに飛んだ。まぁ賢明な判断だな。
少年の武器の刃は、既に俺の手によって少し壊れている。
説明すると長いがこれが俺の特技の一つ。触れさえすれば後はもう壊してしまえばいいだけだ。初撃のように飛び道具で来られるとキツイわけだが。
「魔術か何かですか、溶け方が少し変ですね」
刃を見ながら少年が問いかける。そりゃそうだな、正確には溶けたのではなく分解されて崩れたのだから。
「答えてやる義理はねぇよ」
俺は手に残った、少年の槍の一部を小さいナイフに変化させると、ヒョイ、と少年の顔めがけて投げてやった。勿論、かわされたが。
人とは少し違う俺の魔力は、一般的な魔法のように火や水などは生み出せない代わりに、最初からその場に存在する物に対してなら今のように魔力を通して対象を特定の物質に作り変える事が出来る。応用して壊すのも容易。
人より魔力が硬質だ、と言う表現が適切らしい。師匠談。
「さぁガキ。その武器は俺には通用しないぞ、どうする?」
俺が勝ち誇った笑みを浮かべて一歩進むと、少年は一見諦めたかのように何もせずただ黙って俯く……が、何もしないにしては様子がおかしかった。
「いいです、貴方には近寄らない事にしておきます」
一言喋ったかと思うと少年の周りの空気が揺らめいて一瞬濃くなる。
まずい、これは何かされる前にトドメを刺さないといけない。
嫌な予感にすぐさま右の腰元の銃を抜き、引き金を確かに引いたのだが、
「ふふ、気付くのが遅いです」
俯いていた少年の顔が上がったかと思うと、形相が先ほどとはまるで変わっている少年が息を吸い、叫んだ。
「***********!!!!」
言葉にならない叫び声、声で弾き返される銃弾、吹き飛びそうになる俺の体と周囲の木々。おいおい、夜だってのにこんな大声は近所迷惑すぎる。
声だけで銃弾を弾き返せるような種族なんて俺は聞いた事が無いが、少年のやたらと余裕な態度もこの先天的な能力値のせいなのだろうか。
「お前、ナニ?」
俺はきっと口元は笑っていても目は笑っていないだろう。焦りをひた隠しするつもりで問いかける。少年は先程まで確かにただのヒトだった。しかし、今は黒い角、羽、尻尾まで生えており、牙を剥き出しにして目も若干だがつり上がっている。
羽と尻尾によって破けた服はそれでいいのか?
あえていうのならその少年の姿形はまるで、
「悪魔ですよ」
少年が答えた。
……ほんとかよ。声にならない独白を呟いているんだかいないんだか。
少年の勝ち誇ったその笑みが最高にムカつく。確かに悪魔そのものの外見だ。
けれど、コイツが悪魔に変化したそのおかげで俺はある事とコレを結びつける事が出来た。予想が正しければ俺的には休戦した方がいいのだが、こっちからハイ休戦です、と言って収まるような状況ではない。
まずは駆け引きにでも出るとしよう。
「俺さ、お前とは全く違うけど……ある意味似ている種族を見たことがあるんだよね」
じり、と少年に近づきつつ喋る。
「お前はまるで悪魔なわけだが、そいつは普段ヒトそのものなのに、自分の意思で天使みたいな姿に変身できるヤツなんだ」
また一歩近づく。気付かれたらしい。
「近づいても無駄ですよ、だからどうしたんです」
お前の戯言を聞いている暇などない、そんな顔で突き放される。多分事実を指摘されそうで苛々しているようなので、もう少し確信に触れておこう。
「まぁ聞けって。んで、そいつとお前、よく考えてみるとヒトの形をしている時の外見が割と似てるんだけど、これって偶然か?」
更に近づく。距離にして槍三本分くらい、十分か。
俺は自分で予想しておきながらその事実に吹き出しそうになる。今の俺の顔はさぞかし少年を逆撫でするような表情をしている事だろう。どうしようもなくおかしくて口元が引きつる。
だって、出会った時から尽く俺の勘に触りまくっていたコイツが、
「お前、ローズの血縁関係か何かだろ」
まさか、俺の愛する女の肉親かも知れないだなんて、
「答える義理はありません!!!!」
イヤ過ぎて笑いが止まらない。
少年は爪を立てて俺に向かってきた。距離は近いし速さも尋常じゃない。普通だったら俺は成す術も無く切り裂かれているだろう。
しかし、予測していれば何て事は無い。怒りに身を任せた攻撃は単調、真っ直ぐ正面から向かってくるだけのストレート剛速球。
「ばーか」
俺は左の腰元の銃を即座に抜き、引き金を引いた。
「そんなものっ……!?」
少年は弾丸を避けようとする、が、銃口から出たのは弾丸では無い。かわりにシュッと煙が舞う。
俺に向かってきたおかげで真っ向から催眠ガスを浴び、見事に俺の胸元に即倒する少年。マッドな知り合いに作らせた超強力&即効性の催眠ガスだ。吸いすぎると死んでしまうくらいの代物だが、コイツなら大丈夫だろう。
俺はあっけなく倒れてきた少年を、不本意だが宿に連れて行くべくお姫様だっこで抱きかかえる。扱いは丁重にしなくてはいけない。
何故なら、将来俺の親戚になるのかも知れないのだから。
しかし身長とその細さの割には重いなコイツ。俺は死んだように眠っているその少年を抱きかかえたまま、宿に入るとまずは少年をベッドに寝かせ、荷物からロープを取り出した。まぁ当然だよな。
こちらも先程使用した銃に続いて特製、力任せじゃ切れない上に、燃えないよう魔術も施されている。ちなみに魔法と魔術は違うので勘違いしないように。
少年を雁字搦めに縛り終わり、いつ起きるか分からないのでとりあえず飲みなおそうと酒を取り出し飲んだ。
…………
……ちょっと
聞いてるんですか
ねぇ
起きてくださいよ
「んん?」
聞きなれない声に目を覚ますと、部屋は随分明るかった。昨晩の記憶もあまり無く、まずは周囲に目をやる。日差しの暑さからしてもう昼過ぎか。床には随分と散らばった酒瓶達。愛しい酒瓶達は残念ながらどいつもこいつも中身は無し。
俺は、手が塞がっているので足で酒瓶を蹴った。
「んんん??」
よく見てみると手が後ろで縛られていた。これはどう見ても俺の自前のロープだ。記憶がハッキリしなくてワケが分からなくなっているところに、背中の方から声がする。
「いつまで寝ぼけているんですか」
縛られていて身動きが取りにくくもどうにか振り返ると、そこには水色の髪の少年。
「あー……」
昨晩の記憶が戻ってきた。あまりの出来事に頭を抱えたいが、両腕は塞がっている。精神的に頭が痛い、二日酔いで肉体的にも頭が痛い。
そりゃそうだ。時間をかければ、縄も外せない事は無い。起きた時に敵が寝ていれば、そりゃ外そうと努力するだろう。要するに、少年を縛って安心した俺が寝ている間に見事に縄抜けされて逆に縛られてしまったというわけだ。
「ちょっと、外そうぜコレ?」
「外すわけがないでしょう」
キッパリと返答され、まぁその通りなので大人しくする。自分の阿呆さ加減に泣きたくなってきた。
「ツメが甘いにも程がありますよ。こんな馬鹿な人、見たことありません」
少年はそう言うと、一人でテーブルの上にある注文したらしき食事を黙々と食べる。この部屋で注文すると俺の宿代に加算されるのだが、それは分かっているのだろうかコイツは。
「馬鹿だと自分で思ってても、人に言われるとムカつくんだよっ」
「そりゃそうでしょうね」
減り続ける食事。
時々鳴る、俺の腹。
刻々と過ぎる時間。
少年はようやく食事を済ませると俺の方に向き直り、最後に残しておいたようなピーマンを手でつまんで……
「食べます?」
「いらねえよ!!!」
しかし問答無用。
「残すのはよくありません。鼻に入れられるのがイヤなら食べてください」
子供が嫌いな野菜上位の緑の物体を、口に突っ込まれた。
仕方なしに噛んでいると、少年はようやく本題を切り出す。
「ローズを、知っているんですね?」
当たり障りの無い、それでいて自分の事には触れさせないような一言め。ムカつくなぁ。
「何だよ、他人のフリしたってダメだからな。どう考えたってお前血縁関係だろ、似すぎてる」
少年は一瞬不満そうな表情をしたかと思うと、すぐに笑顔にかわってフォークを俺に向けてくる。
「捕まっている側は貴方です、答 え な さ い」
笑顔の脅しは怖いというが、その容姿のせいもありそこまで怖くない。まぁ血縁関係という事は、ローズの敵という線は薄いだろう。
「あぁ、知ってるよ」
観念して答えてやる。
「今、彼女はどこへ?」
「知らない」
「……まぁ聞き回っていたようですし、そうでしょうね。では、どこまで知っているのでしょう?」
「まぁどこまでって言っても大した行き先は分からない。カンドラ鉱山付近で離れちまった程度だ」
正直に答えると少年は訝しげにまた尋ねてくる。
「離れた、という事は共に行動をしていたのでしょうか?」
「相方だからな」
ピシッ
……と、場の空気の固まる音がしたような気がした。どうやら単に少年が、持っていたフォークにを少しヒビ入れたらしい。普通は曲がるものをどういう力を入れたらこんな風にヒビ入るんだ。
「もうすぐ親戚になるかも知れないんだから、この縄外そうぜ?」
「親戚になる前に亡き者にした方がよさそうですね」
今度の笑顔は少し怖いぜ少年。多少なり下手に出ないと俺の未来が色々危ない予感がする。仕方なく、妥協案を出してみた。
「……親戚はともかく、だ。お前が賞金稼ぎなわけでなく、ローズに危害を与える気も無いのなら俺とお前は『ローズを探している』という面において目的は同じだろ? 争うのは馬鹿馬鹿しいと思わないか?」
少年の表情が冷たい笑顔からしかめっ面に変わる。
「彼女に危害を与える気はありません……が、何を言いたいんです」
「休戦して、お互いちゃんと情報交換という事で」
「今の私に、それは得はありません」
「損でもないと思うんだけどな」
むむむむ、と少年が考え込む。もう一押しか。
「休戦して放してくれるなら、旅の費用を援助したりしても構わないが」
「休戦しましょうか」
そんなに金に困っているのか、即答した少年は嬉しさを隠してきれていない表情でにんまりとしながら縄に手を伸ばすと、
「嘘吐いたら怒りますよ、もうあの銃も通用しませんからね?」
一応釘を刺して、解き始める。
「あぁ、お前が敵でない以上、こんな嘘を吐く必要も無いさ」
これは一応、俺の本音だ。するりと縄が解け、俺の両腕はやっと自由になった。肩の調子が悪いのでとりあえず背伸びだけして、先程まで背もたれになっていたベッドを椅子代わりに座る。
「俺はエリオット。否定されようが事実、ローズの相方やってた元盗賊。後はさっきの通り、離れちまったから探しているだけだ。お前は?」
「……クリスです。ローズは私の姉にあたります。というか盗賊の分際で貴族みたいな名前とか聞いてて恥ずかしいですね。ゴンザレスに改名でもしたらどうですか?」
「お前ほんっっっっとムカつくな」
しかし何でクリスが俺に直でローズの事を聞いてきたのかと思ったら、俺が彼女を探していた事を酒場のマスターから聞いて回って来たらしい。
疑問も解消したところでまずは今後について決めなくてはいけない。
結局決まったのは、不本意だが基本は一緒に行動。街等では各自動いて情報収集と言うところだ。ちなみに旅費は俺が全額負担。ちょっと援助してやろう程度のつもりだったんだが、そう言ったら泣きそうな顔をされたので出来なかった。子供はコレだから困る……そういやコイツの金の出所はどこなのだろうか。
「とりあえず鉱山からこの山脈までは一通りあたってきたんだ」
「それで手がかりゼロですか……嫌われて避けられてるんじゃないですかね」
「断じて否定する」
俺とクリスは地図を片手に今後の行き先を検討中。どうにも手がかりが無さ過ぎてこの場にまだ残るべきか先に進むべきかが悩む。
「そもそも何故離れてしまったんですか?」
もっともな事をクリスが聞いてくる。
「あぁ、ちょっと変な物を掘り出しちゃったんだよな。遺跡発掘とかもしてたんだけどやたらでかい古びた剣が出てきて」
「無断で発掘ですか」
じと目でクリスが突っ込んできた。
「イエス。多分呪いの類が施されてたんだろうな。ローズは剣を手にした途端暴れだして俺は斬られて、気付いたらローズが居なかった」
と、簡易的にここまで説明したところでクリスの表情が固まっている。俺の視線に気がつくと少年のその表情はみるみるうちに怒りに変わっていき……
「使えない人ですね! じゃあ今姉が無事かどうかも危ういではないですか!!」
怒鳴られた。
「いや、そんな事言われてもだな」
と、俺は仕方ないので服を脱ぎ始める。
「!? 何を……」
何やってるんだこの変態、と言いたげなクリスの息がすぐに止まった。それもそのはず、まだ治りきっていないからな。
脱いで出てきたのは包帯でグルグルになった腹部。少し解いてその中を覗かせてやる。切り口は綺麗ではなくノコギリで切ったようにズタズタ、生きているにも関わらず腐敗が続く傷の周辺、それを止める為に焼いた後が更にその部分を醜くしていた。
「斬られただけなんだけどな、この傷ちょっとおかしくてなかなか治らないんだ。斬られた直後に腐敗が始まってきてヤバかったんだぞ」
そう言って俺はまた服を着る。嫌なものを見たかのようにクリスは少し顔を背けていたが、向き直して会話を続けた。
「それ、放っておくとまずくないですか」
「まぁな。でも俺でどうにもならないから、俺以上の術者に仰ぐ必要がある。そこらの病院や治療魔術じゃどうしようも無いぞコレ。結構めんどくさい呪術が掛かってるっぽい」
「でしょうね……」
「多少の怪我だったら追えたんだけど、流石に無理だったんだ」
そこで少し沈黙が続く。ローズの持った剣の正体を掴まない限り見つけたところで連れ戻すのは難しい気がするから、ローズを探しながらその剣について調べる必要がある。その為に、と俺は今のところの目的地としては、怪我を診つつその怪我から色々割り出せそうなマッドな友人&自分の師匠の元へ行こうかな、と思っているんだがそれを優先していいものか悩むところだ。コイツの事だから優先順位は間違いなく俺の体よりサッサと姉探しだろう。
しかしそんな事を考えていると
「姉を見つけるのは確かに急ぎたいのですが、まずはその怪我を治しましょう」
クリスが重い口を開いた。まさかコイツずっとその事を考えていたのか?
「あぁ、気ぃ遣ってくれてありがとな。一応そのつもりで鉱山からこの山脈まで来てたんだ」
「別に……効率を考えたまでです。アテはあるのですか」
可愛くねーやつ。まぁ顔に『照れてます』って書いてあるからヨシとしよう。気は合わないだろうとは思うが、根はそこまで悪いヤツじゃないんだろうな。喋った後気まずそうに窓の外に目を逸らすその幼い顔に、反抗期とか思春期とかそんな単語がいっぱい思い浮かんだ。
「聞いてます?」
俺の返事が無い事に痺れを切らしたらしい。見れば見るほど女ウケしそうな端整な顔立ちの中の、ローズに良く似た少し小さい厚めの唇が尖る。見とれていたとでも言うのか、返事もせずに凝視していた自分が何だか悔しい。
「あぁ、一応二箇所アテはある。一つはフィルに居る俺の師匠、そこで無理なら王都に行かないとダメかな」
そして間髪入れずにクリスの恒例突っ込み。
「エリオットさんの師匠と聞いた時点で今からテンションが下がりますね」
「お前、一言多いんだよ」
やはり気は合いそうに無い。
まぁ行き先は俺の当初の予定通りでいいらしい。荷物を整え、田舎街を後にしたのだった。
【第一部 introduzione ~軽薄な彼の視点~ 完】