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海の女王と陸の花  作者: 天谷あきの


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8/21

ティティ

 宿を出るときに少々いぶかしげな目で見られはしたが、入る時ほどの注目はなく、咎められもしなかった。


 十数分後、コンスタンスは首尾良く、アリエディアの町中を歩いていた。歩きやすい靴を履いているし、ずっとなだらかな下り坂だから、移動もそれほど苦ではなかった。早朝から開いている屋台で朝ご飯を買い求め、歩きながら食べた。本物の令嬢でなくて良かったと思いながら。


 下るにつれて、建物が少しずつ小さくなり、密集していくのがよくわかる。アリエディアはそもそもが、その景観を楽しむ観光地として整備された町だ。見晴らしのいい上の方には貴族用の宿や邸宅があり、下の方にはそれらの人々の生活を支える人間の家や店が建ち並ぶ。貧民街などは存在を許されない。『舞台裏のない街』、それがアリエディアだ。


 しかし本当に、上下に長い街だった。


 きちんと整備されているから、『若い女性の一人歩き』でも何の危険も感じず、足下も歩きやすかったけれど、距離の長さは如何ともしがたい。幾度か人に訊ね、マイラの指示したサフィン商店という店を見つけだしたのは、もうお昼時だった。


 そしてまた、マイラの書いたリストがびっくりするほど長かった。


 サフィン商店の女将は慣れているらしく、驚きもせずに受け取ってくれたけれど、あの量の品物を用意するのにはかなり時間がかかりそうだ。コンスタンスは辺りを見回した。どこか休める場所はないだろうか。


「お嬢さん」


 忙しく店中を行ったり来たりして品物を準備していた女将が、ふと立ち止まってこちらに顔をつきだした。


「ごめんね、品物は全部ちゃんと揃うんだけど、やっぱりだいぶ時間がかかるんだ。いつものお嬢さんも、リスト渡した後は、四半刻くらいかな、散歩に行かれてた。お弁当持っていきなよ、お昼まだなんだろ? ほら、そこに並べてあるだろ。いつもたくさん買ってくれるから、サービスしとくからさ」

「え――い、いいんですか?」

「もちろんだわよー。店の横通って裏側回って、少し行くと川があるから。花見にはちょっと早いけど、いい天気だから気持ちいいと思うよ」

「わあ、ありがとうございます」


 コンスタンスは思わず顔をほころばせた。女将もにっこり笑う。


「好きなの選んで。お茶もサービスしとくわ」

「えええー」

「いーのいーの、お得意さまのお友達には大サービスだわよ!」


 お友達。

 瞬きをしたコンスタンスに、女将は笑う。


「今回は遅いなってね、心配してたのよね。いつも三月に一度は来てくれるのに、今回は四ヶ月くらい空いてたから……あの子やっぱり忙しいの? あんまり無理しないように伝えといてよ」

「ええ、伝えます」


「あなたたち、育ちの良さそうな、人の良さそうな、いいお嬢さんの匂いが同じ。きっと仲良しなんでしょ?」


 コンスタンスはにっこり笑った。「ええ、とっても」

 そして、これも夢だろうか、と思った。いや、そんなはずはない。夢ではなく、近い将来の現実だ。でも、心の中だけで、『これからそうなる予定です』と言い訳をしておく。


 お弁当を一つ選び、竹筒に入ったお茶を受け取り、女将に言われたとおり、店の脇の小さな路地を通って裏に向かった。数分も歩かないうちに水音が聞こえてくる。そして、土手に出た。川と言うよりも、細い小さなせせらぎだったけれど、水はとても綺麗だった。


 コンスタンスは土手に腰をかけ、お弁当を開いた。最近令嬢としての食事しかしていなかったから、簡素な彩りが懐かしい。


 中身は堅焼きの薄いパンと、甘辛い人参の炒め物、炒り卵と、茹でたインゲン豆だ。


「あ、おいしい」


 パンに具を挟んでかぶりついて、うっとり堪能したその隙に、脇から小さな手が伸びてきた。炒り卵をひょいと摘んで、


「……ふむ、なるほど。なかなか悪くない」


 呟いたのは幼い声だ。

 コンスタンスは下を見下ろした。いつの間に来たのだろうか、黒髪のおかっぱ頭がコンスタンスの横に座り込んでいる。遠慮なくもう二枚の薄切りパンをつかみ、人参と炒り卵とインゲン豆をぐいぐい挟んで、


 がぶり。

 遠慮もためらいもなくかぶりついた。


「……んー。んむんむんむ、んむ」

「……」

「……んぐ。ふむ、これもなかなかじゃの。なるほどなるほど。料理というのは佳きものじゃ」

「……何をなさってるんでしょうか」


 訊ねるとおかっぱ頭が動いてこちらを見上げた。昨日と変わらず、完璧な美しさだ。若草色の瞳がコンスタンスを見て、


「見てのとおりじゃ。貴女の昼食のお相伴に預かっておる。何ぞ文句があるのか」

「…………いえ、どうぞ、お好きなだけお召し上がりくださいませ」

「うむ」


 当然じゃ、と言わんばかりに、人魚は改めてパンにかじりついた。何に納得しているのか、ふむふむ、とうなずいている。


「これはあれじゃろうか、小麦を曳いた粉をこねて、菌による力で発酵させて竈で焼いた、パン、というものじゃろうか」

「そ、そうです。この薄いのがパンですね」


「ふうむ。前に儂が食したものはも少し白くてふわふわしておったが、これも同じ、パンなのか」

「……たぶん、以前召し上がったものは白パンで、こちらはライ麦パンですね、どちらかというと、こちらの方が廉価なんです。材料が手に入りやすいので」


「ほうほう。しかし、こちらも悪くない。香ばしい、というやつじゃな」

「人魚の皆様は、お料理をなさらないのですか」


「うむ、似たようなことは儂らもするが、全く同じではないな。何しろ火を使うのが面倒でのう」

「ああ、なるほど……」


 結局、人魚が弁当のほとんどを食べてしまった。昨日と比べ、人魚はかなり機嫌が良いらしい。しかし、いったい何の用だろう。ごくごくお茶を飲む人魚の顔を見るともなしに眺めていると、ぷは、と飲み終えた人魚がこちらを見た。


「ふむ、馳走になったの。……時に何ぞ、甘いものはないのか」

「あ、申し訳ございません、買いそびれまして……」

「どこぞで買えるか。儂は、銭、というものを持ち合わせておらぬ」

「さっきのお店に戻れば、たぶん、買えると思います」

「左様か。ではそちらが先じゃな」


 先?

 コンスタンスは少し待ったが、人魚は何も言わず、どうやらコンスタンスが動き出すのを待っている。コンスタンスは仕方なく、よっこらしょ、と立ち上がった。どちらにせよ店には戻らなければならないし、人魚にほとんど食べられてしまったから、コンスタンスの胃もそろそろ存在を主張し始めている。


「何か、召し上がりたいものはありますか」


 訊ねると人魚はそのあどけない顔を輝かせた。


「なに、選んで良いのか。しかし馳走になる身ゆえあまり贅沢は言えぬ。貴女の懐の痛まぬ範囲で構わぬぞ」

「はい」


 コンスタンスは微笑んだ。なんだか楽しくなってきた。尊大な物言いではあるけれど、幼い子供の姿をしていることもあってか、嫌みがない。というよりむしろ、可愛らしい。


「申し訳ありませんが、あのお店には、そもそもあまり高価なものは置いていないようでした。飴とか、そういったものならありましたけれど」

「店を覗いて、食べたいものを選んでも良いのじゃろ?」

「ええ、それはもちろん」


「儂が選んだものがあまりに不適切なものじゃった場合には、教えてくれるであろうな」

「ええ、それももちろんです」

「ふふふ」人魚は無意識のように、コンスタンスの手をぎゅうっと握った。「買い食いか。憧れじゃった」


「そうですか」


「儂がほとんど食べてしまったゆえ、貴女も空腹じゃろう。大丈夫か。金はきちんと持っておるか」

「ええ、大丈夫です」


 念のためにと、貯金を持ってきて良かった。つくづくそう思う。


 店に戻ると、まだマイラの頼んだ品物は全て整いきっておらず、女将は恐縮したけれど、コンスタンスも人魚も全く構わなかった。コンスタンスは弁当をもう一度選び、人魚は大喜びでその辺をふんふんと覗いて回る。弁当を確保した後は、コンスタンスも楽しんで人魚のためにいろいろと解説した。これは飴、こっちは水飴、キャラメルにザラメに、一口大のカステラ――


「なんじゃこれは!」ひとつの壷を覗いて人魚が歓声を上げる。「色とりどりの、星じゃ! 星じゃ星じゃ、星がいっぱいじゃ!」


 見ると、なるほど、人魚の頭くらいの大きさの壷に、星のような形をした砂糖菓子? がぎっしり入っている。女将がのぞき込んだ。


「あ、それね、金平糖よ。五十年くらい前だったかな、エスメラルダのお姫様か誰かが、異国から持ち帰ったってお菓子だわ。はじめは最高級品だったみたいだけど、それ、材料費はそんなでもなくてね。製法がわかってからはうちみたいな商店でも扱える庶民のお菓子になったのよ」


「星じゃ……! こ、これは菓子なのか!? 甘いのか!?」

「あの、おいくらですか」


 コンスタンスが口を出すと、人魚がキラキラした瞳でこちらを見る。女将は笑った。


「こっちの袋に詰め放題で、盤一枚ですよ」


 示された袋はコンスタンスの手のひらほどで、幼女が数日分のおやつにするには手頃な量だが、人魚のおみやげには少ないだろう。コンスタンスは量を目で測った。壷いっぱいでも、盤が十枚もあれば買えるのではないだろうか。


「この壷ひとつ全部でもいいですよ。どうぞご遠慮なく」


 囁くと人魚はぱっとこちらを振り返った。信じられない、という顔。


「そ、そんな。そのような……そのような……!」

「これ全部あれば、他の人魚さんにも分けて差し上げられるでしょ?」

「し、しかし……しかし……しかし、しかし昼食と甘味を馳走になったあげくに土産までたかるわけには……」

「はい、お味見」


 女将がやってきて、ぽい、と人魚の口に金平糖を一粒入れた。人魚はもごもごと味を見て、頬に手を当てた。はふん、うっとりしたため息。


「甘いいぃ……」

「この壷、全部いただけます? このお弁当も一緒に、さっきのリストとは別会計で、お願いします」

「毎度あり」


 女将とコンスタンスは顔を見合わせて笑った。まるで世間知らずのお姫様みたいでほほえましくてたまらない。



 買い物が全て整った。代金を支払って歩きだしたコンスタンスの隣を、壷を抱えた幸せそうな人魚がとことことついてくる。一粒食べては頬を綻ばせる様子にコンスタンスは目を細めた。ひとりで歩くより、可愛らしい小さな女の子と一緒に歩く方がずっと楽しい。


「……で、どこまで行くのじゃ」


 一握りほどの量を食べて少し満足したのか、人魚がようやくこちらを見た。


「昨日の若者はどこへ行った。なんぞややこしそうじゃが」

「……そうなんです。ややこしいんです」


「ふむふむ、実はな、昨日会うた時、貴女方の周りにもやもやとややこしい色が漂っておるのがちと気になってのう。不穏な空気、悲しみの色、秘密の気配……」


「秘密の。そうなんです。私、みんなからのけ者にされてしまってるの」

「のけ者に、のう。貴女をないがしろにするとは不遜な者どもじゃ。一食一飯の恩があるゆえ、望むなら、ちと手を貸してやらぬでもないぞえ」

「……本当ですか」


「人魚に二言はない。次の約束まで今少し刻がある」

「あの、私、先ほどのお買い物を届けなければならないんです」

「どこへゆく」

「あちらの」コンスタンスは上を指さした。「斜面の一番上に見える、古びたあの塔です」

「おやおや」


 なにやら感心したように人魚は呟いた。


「あれもまたややこしそうな塔じゃの。魔法がかけられておる」

「そうなんですか?」

「じゃが意味が分からぬ。何を目的とした魔法なのか……」


 人魚は少し首を傾げたが、まあよい、とまたこちらを向いた。


「儂にも用事があっての、今からあそこまで歩いて用を済ませてからでは間に合わなくなるやも知れぬ。先に儂の恩を受け取ってからでは間に合わぬか」

「え、いえ。あの、期限を指定されたわけではないので」

「そうか。ではこちらへ来やれ」


 人魚はつと道をそれ、右の路地へ入っていった。込み入った路地を迷う様子もなくとことこ歩いて、細いせせらぎへコンスタンスをつれていった。せせらぎの様子から、さっきの土手の、少しだけ上流に当たる場所らしいとわかる。


「……さて。後先になったが、まず名乗ろう。儂の名はティシティアリナフェイミス」


 丁重な口調で名乗られて、コンスタンスは慌てた。予想以上に名前が長く、一度では聞き取れない。


「あ、申し訳ありません、ティシ……?」

「ティシティアリナフェイミス。じゃが正式名は長くて不便ゆえ、皆ティティと呼ぶ。貴女もそう呼べ」


 コンスタンスはホッとした。「ティティさん、ですね」


「そうじゃ」

「私は、コンスタンス。コンスタンス=ガルフィンと申します」

「うむ、コンスタンス。佳い名じゃな。それで……こんぺいとの恩、昼飯の恩、それから貴女の心根に対する恩。三つ返せば良いじゃろうか」

「え、三つも?」

「うむ。儂は人間を学びたいのじゃ」


 しかつめらしい顔つきで、ティティは言った。


「姐さまがたは皆、人間と混じおうてはならぬと言われる。人間は下賤で、儂らの劣等品じゃし、責務を託されたは人間なのじゃから、よけいな手出しをしてはかえってよくないと。儂もずっとそう思っておったのじゃが……少うし前に男を拾っての」

「拾った……のですか? 男性を?」

「さよう、船が難破したようで、儂が拾わねば海の藻屑となっておった」


 呟いてティティは、少し夢見るような顔をした。


「……美しい男であった」

「はあ……」


「じゃが気の毒に、彼は……中身は女じゃった」


「は、はあ?」

「たまにそういう人間が出るらしい。生まれるときに、入る体を間違えたのであろう。じゃが気立てのいい男、いや、人間であった。嫌であったに相違ないが、儂が望んだとおり、男として振る舞ってくれた。愛い人間であった。あんまり綺麗で可愛かったので、食わずに帰してやった。人間の寿命は短いゆえ既にこの世には亡いであろうが、まだ時折思い出す」


「すてきな人だったんですね……」

「うむ、それでな、儂は思ったのじゃ。人間はまことに、儂らや銀狼の劣化版にすぎぬ、取るに足らぬ存在であろうか。姐さま方の言われることはまことに真実なのであろうか、とな」


「……」


「じゃから折に触れ、こうして人と交わろうとしてみるのじゃが、貴女のように親切にしてくれる人間はそれほどおらぬ。じゃが儂もだいぶ鍛えられての、いい相をした人間の見分けがつくようになった。あの店の女将もなかなかじゃったな。金さえあれば通うのじゃが、金を手に入れる術をまだ知らぬ。材料はたやすく手に入るが、偽造は儂の誇りが許さぬ」

「はい」


 うなずくとティティは微笑んだ。


「さあ、想え」

「……想う?」


「貴女の望みを想うのじゃ。それにまつわる絵を見せる。それが〈水鏡〉じゃ」


 ティティは水面にかがみ込んだ。その可愛らしい唇から、歌がこぼれ出た。はよう想え、促されて、コンスタンスは目を閉じた。ずっと心を占めていた、ユリウスのこと、そしてマイラのこと。ざわざわと水面が沸き立つ音。良いぞ、と言われて、目を開ける。


 のぞき込むとそこに、ユリウスが映っていた。


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