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海の女王と陸の花  作者: 天谷あきの


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19/21

信者

 〈神殿〉についた。


 近くから見ると、本当に、呆気にとられるほど巨大な建物だった。アデリシアが住んでいたあの塔が、百本は入るに違いない。建物に近づくにつれ往来は活気を増していく。雪が降り始めていたが、視界が消えるほどの強さではなく、往来の両側に立ち並ぶ屋台からの呼び声も賑やかだ。


「あっ、パトリシア様ー!」

「パトリシア様だ!」

「エルカテルミナ!」


 行き交う人々がパトリシアに気づき、親しみのこもった声をかけていく。エリックが周囲に目を配っているのにアデリシアは気づいた。パトリシアは麗しい微笑みを浮かべて、人々の和の中に分け入っていく。


「みんな、息災でしたか。春が来るまでもう少しの辛抱です。力を合わせて乗り切りましょう」


 パトリシアが優しく声をかけると、人々は嬉しそうに頷く。本当にお姫様だ。アデリシアはパトリシアの手を離し、その毛皮からできるだけ離れようと、エリックの方に行った。エリックは、少しだけ不思議そうな顔をして周囲を見ていた。つられて、アデリシアもきょろきょろした。アデリシアはここにきたのは初めて――というより、町に来たこと自体が初めてだから、エリックがなにを訝しがっているのかなどわからない。


「ちょっと訊ねるが」エリックが手近にいた人間に声をかける。「あの店はどうした?」


 エリックが指した屋台は、閉まっていた。訊ねられた人は、ああ、と言った。


「今日は休みなんじゃないですか」

「休み? なぜだ」

「さあ」

「そこだけじゃない。そこも、そこも、そこもだ。昨日までやってた。なぜ今日は開いてない」

「さあ」


 その人は少し煩そうに言った。パトリシアの話が聞こえないじゃないか、と言いたげだ。


「あそこの店なら知ってますよ。休暇を取って家族で旅行に行きました」


 別の人間が声をかけて来、エリックが答える前に、パトリシアに言った。


「そんなことより、パトリシア様。〈その日〉はいつなんです?」

「ああ」パトリシアは微笑んだ。「もうすぐよ。もうすぐ」

「人魚が協力してくれるなんてね。やっぱりパトリシア様のお教えは正しかったんだ。人魚の後ろ盾があるんだから」


 嬉しそうにその人は言う。周りを取り囲む人たちもにこやかに頷く。〈その日〉って何だろう、と、アデリシアは思う。


「パトリシア様、頑張ってくださいね。私も――私も、一緒に行かせてください!」


 マイラくらいの年頃の少女が、崇拝するように手を組み合わせてパトリシアに言う。パトリシアは微笑んで、頷いた。


「ええ、そうね。可能性があると思う人は、是非試してみて頂戴。孵化を迎える人間が一人でも多く欲しいもの」

「パトリシア様、〈神殿〉で、お話をお聞かせいただけませんか。〈窓〉が盗まれてるとかいう噂が――」

「ええ、もちろん。行きましょう。そのために来たんですもの。みんなを集めて。〈その日〉に備えて準備を整えなくては。国民を組織して、月に一度……扉を開いて……」


 話しながらパトリシアは先へ行く。彼女を取り囲む人々も、うっとりしながらぞろぞろとついていく。エリックはついていかず、まだ顔をしかめている。アデリシアはエリックを見上げた。


 猛獣のような一面と、パトリシアの家に自分だけじゃなくその仲間まで当然のように上がり込ませる振る舞い方が、不快だった。


 でも、アデリシアを気遣い、家において、“娘みたいなもの”と仲間に紹介した。その食事を心配し、サーシャに釘を刺した一面が、意外で、同時に、ありがたくて。


 アデリシアはまだ、このエリックという若者をどう思っていいのかわからない。マイラを殴るという。でもパトリシアをとても大切にしている。ロビンソン商店に言いがかりをつけ商品を壊す。でも、国を愛しているからアナカルシスに売ったりはしない、と、冷静に判断する頭も持っている。


「……閉じてる店が多すぎると思わないか」


 ややして、エリックはアデリシアに言った。


「わからない。初めて来たもの」

「昨日から少し気になってた。今日はもっと増えてる。……何でだろうな」


 呟いて、エリックは首を振り、〈神殿〉へ向かった。パトリシアを取り囲んだ人垣はもうとっくに見えない。

 アデリシアはエリックを見上げた。


「〈その日〉って、なあに?」

「あ?」エリックはアデリシアを見下ろした。「何のことだ」

「人魚と約束した〈その日〉に、パトリシアはどこかへ行くの?」

「……ああ」


 エリックは微笑んだ。その色に、アデリシアは胸を突かれた。

 夢見るような色だった。


「もうすぐだ。もうすぐ、この〈冬〉が終わる」

「〈冬〉……?」

「かつてはな、エスメラルダは、こんな寒い国じゃなかった。アナカルシスとあまり変わらない、温暖な気候の国だった。作物はたっぷりとれて、獣も豊富で、海もあってな。……俺たちはこの〈冬〉を終わらせ、かつてのエスメラルダを取り戻す。【壁】などに屈したりするものか。この国に臆病者はいらない。国を挙げて脅威に立ち向かう。それが俺たちの誇りだ」


「冬って、終わりになるの?」

「毒を癒せばな」

「毒?」


「この【壁】は毒を封じ込めるためにできるらしい。ならば毒がなくなればいい。……毒のある場所にマヌエルが行けないと言うなら、行けるマヌエルを育てるしかない。急がないと」

「急がないと、いけないの?」

「パトリシアが最近食欲がない。孵化を堪えてるんじゃないかと思う」


 全く意味が分からない。「こらえる? なにを?」


「孵化だ。パトリシアはエルカテルミナだぞ。あんなに魔力が強いのに、今まで孵化が来てない。……口に出さないが、たぶん、堪えてるんだと思う。ふつうの孵化を迎えてしまえば、もうあっち側へは行けなくなる。急がなければ……」


 本当に意味が分からない。首をひねるアデリシアにエリックは構わなかった。いつしか、〈神殿〉の中をずんずん歩いて、階段を上り始めていた。

 この建物の中には、人がたくさん住んでいる。

 人々の気配が、充満している。

 確かに、と、思った。この堅牢な建物なら、雪の重みでつぶれたりはしないだろう。




 エリックに続いて、五階は上った。


 アデリシアは塔の階段を上がり下りするのには慣れていたが、エリックの足が速すぎて、さすがに息が切れてきた。と、エリックが手を伸ばしてアデリシアを抱き上げた。「軽いな」と一言。


「掴まれ。落ちるなよ」

「あ……ありがとう」

「待つのが面倒なだけだ」


 ぶっきらぼうに言い捨てて、さっさと歩いていく。軽い、と言ったとおり、アデリシアの体重など全く苦にならないらしい。


 屈強な人だ、とアデリシアは思った。まるで親分みたいだ。

 いや、親分より体格がいい。肌が浅黒いのは雪焼けか、それとも、地の色なのだろうか。肩に乗せられたので、アデリシアはエリックの頭に掴まった。茶色の頭髪が意外に柔らかい。


「エルカテルミナって、なあに?」


 訊ねるとエリックは呆れたように目だけでこちらを見た。「知らないのか」


「うん」

「お前を育てたばあさんは怠惰な人間だな」

「ニースは怠惰じゃない!」

「エスメラルダの出身のくせにエルカテルミナを孫に教えないなんて、怠惰以外のなんだっていうんだ。エルカテルミナは世界の花だ」


 また大きな話題だ。「世界の? 花?」


「エスメラルダは国全体が大きな神殿のようなもの。国民はみんな、エルカテルミナを守る神官で、エルカテルミナは巫女であり信仰の対象でもある。覚えておけ。パトリシアは千年以上連綿と続くルファルファの血族の末裔だ」

「エスティエルティナと、似てる」


 つぶやきに、あまり意味があったわけではなかった。

 エスティエルティナといえば、マイラが担うはずだった役職の名前だ。マイラはアナカルシスの王子様と結婚するとき、エスティエルティナになる、という話を、聞いたことがある。

 エリックは笑った。


「エルカテルミナを知らないのに、エスティエルティナは知ってるのか。エスティエルティナはルファルファの、つまりエルカテルミナの剣だ。エスティエルティナはエルカテルミナを守る、義務が……あるんだ」


 口調が、しん、と冷えた。

 アデリシアは少しぞっとした。

 エリックの目が、暗い。


「エスティエルティナは、エルカテルミナを、守る」


 囁くと、エリックは暗い目のまま頷いた。


「そうさ。……俺の妹はそれを拒否した。俺はマイラを許さない」

「マイラ」

「俺には三つ年下の妹がいる。……親父もお袋も、俺が覚えてないと思いこんでるが、俺はちゃんと覚えてるんだ。妹が生まれた日のことを」


 エリックの灰色の目が、次第に、ロビンソン商店の時のような、恐ろしい光を帯びていく。理由も聞かずに殴ったりしないで――パトリシアがそう言っていた。

 つまりこの人は、理由も聞かずにマイラを殴ったことがあるのだ。


「あいつが生まれたのは六月の、いい天気の昼だった。俺は邪魔になるからと、寝室に入れてもらえなかった。庭で遊んでた。ああ、よーく覚えているんだ。乳母と一緒に、流れ星を見た」

「流れ星」


「流れ星は消えず、母のいる寝室の窓から中に飛び込んだ。産婆と手伝いの女たちが悲鳴を上げてな。その瞬間に産声が聞こえた。乳母が言った言葉まで、覚えてる。ついにエスティエルティナが生まれたんだ。乳母は確かにそう言った」


「……?」


「つまり、あいつが生まれたその瞬間に、エスティエルティナがあいつのところに駆けつけたんだ……ああ、そうか。どうも、お前が外国から来たってことを忘れちまうな。エスティエルティナってのはそもそも剣の名前なんだ。ある人間を選んでそいつの持ち物になる。持ち主が死ねば、泉に帰る。そういう不思議な宝剣なんだ。

 前の持ち主が死んでから、二十年だか三十年だか、誰も選ばなかった。それがやっと選んだのが、生まれたばかりのマイラ=グウェリンだった。この国の人間のほとんどが、それを知らない。親父もお袋も産婆も乳母も手伝いの女たちも、みんな知らないフリをした。生まれた子供は産湯を使わされる前に急いで名前を決められ、指先に傷を付けられ、エスティエルティナを放棄させられた。……みんななかったことにした。だが俺は、覚えてるんだよ」


「三歳の、時の、ことでしょう」

「お前だって似たようなものだ」エリックは笑った。「お前と話してみてわかったが、小さい子供でもそれなりに賢いじゃないか」


「あたしは、体がちょっと小さめなの。三歳じゃないよ」ちょっと考えた。ニースは、五歳くらいに見えると言った。「えーと、七歳」

「七歳?」


 驚かれたようだ。大丈夫かな、アデリシアは身を縮める。


「それは……ちょっと小さめで済むのか? ちゃんと食えよ」

「あ、はい」何とか大丈夫みたいだ。「それで、そのマイラ、という赤ちゃんは、それからどうしたの」

「あー? どうもしないさ。赤ん坊の時に、周囲に無理矢理放棄させられたことも知らずに育った。別の国の王子様に嫁ぐためって理由で、ずいぶん小さいうちから礼儀見習いとして別の家にやられた。頻繁に帰っては来てたけど、他の子供と一緒に遊ぶことは許されなかった」


「そんな、どうして?」


「みんなで楽しく遊んでる最中に、剣が飛んできたらどうする。あっと言う間に国中に知れ渡っちまうだろ。……いつも一人で箱庭の中で遊んでた。たいてい本を読んでたな。そのせいか、グウェリンのくせに剣もへたくそだし、臆病だし、怠け者で、おまけにバカだ」

「ひどい」


 思わずつぶやくと、エリックは足を止めた。

 そこに大きな窓があった。

 エリックはアデリシアを肩から降ろして、窓枠に寄りかかった。


「ひどいか。……お前、パトリシアをどう思う」

「ど、う……?」


「あの人は、当然だが、生まれたときからエルカテルミナでな。過酷な〈冬〉が来るたびに、他の子供はみんな暖かい国でぬくぬく過ごすのに、あの人だけは残された。国民の不安を和らげるためにだ。……この冬を越すってことが、どういうことかわかるか。この冬が果てしなく続くのかって思うときの絶望がわかるか。国民に巣くうその絶望を和らげるために、一人で、ずっと、奮闘してきた。それがパトリシアって人だ」


「……」


「エルカテルミナには、エスティエルティナが必要なんだよ。もともとルファルファの娘は〈二人娘〉って呼ばれる。剣が平らかにした道を、花が歩く。支え合って、国を導いていく。そういう役割なんだ。それをずっと、あの人は一人でやってきた。傷ついても守ってくれる剣がない。道を示してくれる者もない。手探りで、血だらけで、それでも投げ出さずに立ち向かう、そんな孤独な花が、俺は不憫だった。

 だからマイラに言ったんだ。エスティエルティナを担ってくれって。アナカルシスの王子なんかどうだっていいじゃないか。そいつを助けるより先に、守るべき人を守ってくれって。剣は一度あいつを選んでる。放棄したのはあいつの意志じゃない。それなら、あいつが剣にさ、エスティエルティナになるって宣言したら、剣だって拒否しやしないだろう。……だがあいつは拒否した」


「そ……」


「隣国の王子が、そんなに大事なのか。自分の生まれた国は、どうだっていいのか。俺がそういうと、あいつは、エスティエルティナが生まれるのはまだ早いと思うって言いやがった。なにも知らないくせに、なにも背負ってないくせに、〈冬〉に立ち向かうためにパトリシアが示した道が、誤りだって言いやがった! ……俺はあいつを許さない。自分の責務を放り出して。パトリシアを見捨てて、一人だけ逃げようと……」


 言葉が途中で途切れた。

 エリックは、目を見開いて窓の外を見ていた。


 アデリシアもそちらに目をやった。窓枠にしがみついて、何とか頭を持ち上げる。建物の外はほとんど空だった。とても高く、さっき歩いてきた道が一望できる。広々とした灰色の空から降ってくる雪が、次第にその強さを増していて。


 嵐が、近づいてくる。


 それは、不思議な光景だった。だいぶ離れた場所に【壁】が見える。アナカルシスは晴天らしく、【壁】の向こうに広がるのは青空だ。


 その青い空を、嵐が埋め尽くしていく。

 ふつうの嵐じゃなかった。黒雲が近づいてくるのではなく、【壁】の根本から、嵐が湧きあがってくる。【壁】沿いをすごい勢いで走っている何かがあって、その後ろから嵐がもくもくと立ちのぼってでもいるみたいだ。その見えない何かは嵐をまき散らしながら進んでいる。ただでさえ雪に埋もれたエスメラルダに、さらなる災厄を振りまいている。そんな錯覚を抱いた。


「……あそこだ」


 エリックが呻いた。はっ、わらい声が漏れた。


「見つけたぞ……泥棒め……!」

「エリック、」

「アデル、家に帰っていろ。一人で帰れるな? 父親探しは今日は無理だ。先に帰っていろ!」


 エリックは言いおいて、走っていってしまった。


 ――泥棒。


 アデリシアは途方に暮れて、窓の外に視線を戻した。

 嵐をまき散らしている、『何か』。

 それが、泥棒……なのだろうか。


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