狼藉
往来を歩く内に人通りも増え、アデリシアはようやく、人心地付けるようになった。若い人も老人も、大人も、ご婦人も紳士もいたが、その内の決して少なくはない数の人々が、パトリシアに親しみのこもった挨拶を投げていくようになったからだ。
かん、かん、かん。
その挨拶に紛れて、アデリシアはその音に気づいた。
かん、かん、かん。
金属を打ち付ける音。
立ち止まって耳をそばだてるアデリシアに、先ほどの余裕と優しさを取り戻したパトリシアが言った。
「どうしたの? ……ああ、あの音? あれは魔法道具屋の音よ。ほら」
示す方を見ると、様々な品物を並べた店が開いていた。アデリシアは思わずそちらに駆け寄った。お店だ。話には聞いていたが、見るのは初めてだ。
アデリシアの前に商品を見ていた若い男の人が、すっ、と離れていくのには、気づいた。
でもアデリシアは全然気にしなかった。初めて見る、美しい道具の数々が、大きな台にたくさん並べられている。つやつや光る、巧妙で美しいものばかり。
こんな綺麗なもの、初めて見た。
アデリシアは感動した。
こんな綺麗なものを、本当に、人間の指先が作り出したのだろうか――。
と、
がしゃん!
派手な音がして、アデリシアの目の前の台がひっくり返った。美しい複雑な道具ががしゃがしゃと地面に落ち、アデリシアは愕然とし、パトリシアが叫ぶ。「エリック!」
「……何の騒――あ、グウェリン様」
奥から店主が出てきた。エリックを見上げて、困ったような顔をする。
「何かございましたか。商品に乱暴をされては、」
「今そっちに入った男を出せ」
エリックは軋るような声で言った。たぶん、先ほどの鬱憤もたまっていたのだろう。灰色の瞳がギラギラと光っている。店主の胸ぐらを掴み上げ、
「俺たちを見て逃げた。何者だ」
「グウェリン様、言いがかりは困ります」
「言いがかりだと!?」
「もうやめて、エリック!」
パトリシアが急いで止めに入る。エリックはパトリシアの言うことには逆らえないようで、ちっ、と舌打ちをして店主の胸ぐらを放し、その代わりとでも言うように足元に落ちた道具を蹴った。がしゃん、破片が飛び散りアデリシアは身をすくめる。
――こんな綺麗なものを。
信じられなかった。
――誰もが敬意を払うべき、芸術のような品物を。
「ごめんなさい、本当に。どうか弁償させて頂戴な」
パトリシアはエリックを睨む店主の両手を取って、そっとさすった。
「本当にごめんなさい。お怪我はないかしら」
「パトリシア、そいつから離れろ。前々からこいつは気に入らなかったんだ。こそこそ隠れて何かたくらんでる。親父とヴァルターの信頼をかさに着て、町民のくせに国の運営にまで口を出す出しゃばり野郎だ! お前、雪山の〈窓〉を盗んだ泥棒と何か関係あるだろう!」
店主はエリックを見返した。「……何のお話で」
「この店の職人なら、〈人魚の骨〉も加工できる。〈窓〉を盗んだ人間は、それをここに持ち込んだ。そうだろう。店の奥を見せろ。家宅捜索だ。盗んだ〈人魚の骨〉を出せ!」
「ご冗談を」店主は笑う。「〈人魚の骨〉を加工して、いったい何に使います?」
「それはわからん、だが、それならあんなものを盗む理由がわかる。エスメラルダを凍り付かせる利点がわからなかったが、素材が必要だったのだとしたら筋が通る。今俺たちを見て逃げた若い男は何者だ。そいつが盗んだに違いない。茶色の髪に藍色の瞳、細い目をした優男だ。知ってるだろう!」
「存じません」
店主はやれやれ、というようにため息をついた。
「パトリシア様、弁償してくださるとのこと、本当にありがたい。しかしグウェリン様、うちの商品をめちゃくちゃにした挙げ句に意味のわからない言いがかり、さらには泥棒の汚名まで私らに着せるおつもりですか。お父上に――」
「あの人は関係ねえ! これは警備隊長としての命令だ、家宅捜索に応じて奥を見せろ!」
「こっちはな、お前がしょんべん垂らしてた頃から工房やってんだよクソガキが」店主はあざけるように笑った。「一昨日来やがれ、しょんべんたれ」
「ねえエリック、お願いだからやめて頂戴」
「パトリシア、しかし、おかしいと思わないか」エリックは低い声で言った。「こいつはヴァルターの信奉者だった男だぞ。その葬式の最中に店を開いてる。教祖の葬式より大事な仕事があるってことじゃないか」
「ヴァルターさんの葬儀ならお前の親父さんも行かねえってよ。ヴァルターさんのおかみさんに合わせる顔がねえってさ」
そう言う店主の目は、紛れもなくエリックを糾弾している。蔑むような色。お前の悪さを知ってるぞ。言い続けるその瞳から、パトリシアが目をそらした。
エリックは呻くような声で言った。
「……そう言うお前は奥で何やってる。〈人魚の骨〉を盗んだ泥棒を匿って、こそこそ何を作ってる! 見せろ! 見せられないなら強制的に、」
「ああ、強制なあ、お前はそうさ、そういうやつだ。なあ、魔法道具屋に工房を見せろってのがどういう意味か、わかってんのか。頭かち割って脳みそ見せろってのと同じことだぞ。見てえんなら俺を殺して勝手に見ろよ。簡単だろう? お前には。なあ?」
店主は毒々しい笑みを見せた。
「ヴァルターさんもそうやって、お前が殺したんだよなあ?」
「――ッ」
「お願い。お願いよ。もうやめて頂戴。私に免じて、どうかお願い」
パトリシアが必死で囁いた。エリックは蒼白だった。握りしめた拳がぶるぶる震えている。が、一瞬の激情をこらえた後すぐに、旗色の悪さに気づいたらしい。先ほどまでパトリシアに親しげに挨拶をした人々までが、エリックを恐れるように遠巻きにしているその空気が、エリックの頭を少し冷めさせた。アデリシアの前に商品を見ていた男が離れていったのは確かだが、アデリシアには逃げたようには見えなかった。たぶん、周囲のみんなもそう思っているだろう。そして何より、パトリシアの必死さが、エリックに伝わった。ちっ、もう一度舌打ちをして、エリックは踵を返した。
「行くぞ、パトリシア」
「ええ。本当にごめんなさい。請求書は家に回して。どうか、どうか、グウェリンの伯父様には内密に……」
「パトリシア様。いくらグウェリンでも、あまり寵愛されるのはどうかと」
店主が囁き、エリックが吼えた。
「なんだと!?」
「行きましょう、アデル。ごめんなさい、片づけに人をよこすから」
パトリシアは言い置いて、エリックの後を追った。背に手をかけて、さあさあ、と連れて行く。アデリシアは哀しかった。いったいこの猛獣のような男はなんなのだ、そう思わないではいられなかった。町中の白い目がパトリシアにまで向けられる。エリックの後始末のために店主に頭を下げたお姫様が、気の毒でならなかった。




