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第三話表:斜陽の招待状

『カフェ・メソッド』の平穏が、砂の城のようにもろいものであることをルネが知るのに、そう時間はかからなかった。


レヴィアタンの地上げ屋が去った数日後。店はいつものように午後の穏やかな陽だまりの中にあった。クリスはカウンターで明日の仕入れの計算に頭を悩ませ、ルネはミルに教わった通り、棚のカップを丁寧に磨き上げている。


だが、その静寂は唐突に、物理的な「重圧」によって塗りつぶされた。


カラン……。


ドアの鈴が、弱々しく、しかし不気味に鳴る。 入り込んできたのは、風でも客でもなかった。それは、空間そのものを熱で歪めるような強烈な「意志」だ。


「――この店が、共和主義レパブリックの温床か」


低く、しかし驚くほど通る声。 そこに立っていたのは軍服を思わせる詰襟に身を包み、腰に重厚な一振りの刀を差した男だった。 彼の名は三島由紀夫。 『楯の会』の総長。この街で「滅びの美学」を説き、最も苛烈なナショナリズムを体現する怪物。


三島が一歩踏み出すたびに、ルネの肌を焼くような熱気が店内に充満していく。それは気温の上昇ではない。彼が信じ切っている「理想」が、周囲の現実を強引に書き換えているのだ。


「三島、総長……」


クリスが震える声でその名を呼んだ。彼女の手が、カウンターの下で硬く握られている。


「……何のご用でしょうか。うちは、政治的な議論をする場所ではありません」


「議論など無用だ。私は、このよどんだ中立地帯に、真の『美』を届けに来たに過ぎない」


三島はルネの方を向いた。その鋭い眼差しは、ルネの魂の奥底、彼が隠し持っている「実在への疑念」を正確に射抜く。


「少年。貴様だな、ミルがかくまっているという『白紙タブラ・ラサ』は」


「……僕は、ただの店員です。何も、持っていません」


ルネは必死に声を絞り出す。だが、三島が近づくにつれ、呼吸が苦しくなる。 三島の周囲には、陽炎のような黄金のオーラが渦巻いていた。異能【斜陽】。彼が信じる「至高の日本」という幻想が、物理的な圧力となってルネを押し潰そうとしている。


「持っていないからこそ、美しい。貴様のその空虚に、我らが『大義』を流し込めば、それはこの街を焼き尽くす最強の火種となるだろう」


三島は懐から、一枚の赤い封筒を取り出した。それを、まるで真剣を突きつけるような所作でカウンターに置く。


「三日後、我が『楯の会』の演武会が行われる。ルネ、貴様を招待する。これは命令ではない。運命の誘いだ」


「行けません……。僕は、ここにいたいんです」


ルネが拒絶の言葉を口にした瞬間、三島の瞳に冷たい光が走った。


「ここにいたい、だと? 資本レヴィアタンに切り売りされ、大衆コミューンに埋没する、この腐った日常にか?」


三島の手がゆっくりと、腰の刀の柄にかかる。 その刹那、店内の温度が跳ね上がった。カウンターに置かれた花瓶の水が沸騰し、窓ガラスにひびが入る。


「美しい伝統を忘れた日常など、焼土に等しい。……ルネ、確信なき生は、死よりも軽いのだと知れ」


「やめて!」


クリスがルネを庇うように前に飛び出した。 三島はわずかに眉を動かし、柄から手を離した。熱気が一気に引いていくが、破壊の痕跡は店内のあちこちに残っていた。


「……三日後だ。来なければ、この店ごと貴様の日常を『清算』してやろう」


三島は翻り、風のように去っていった。 残されたのはひび割れた窓と、焼け焦げた木の匂い。そして、クリスの激しい鼓動だけだ。


ルネは、震える手で赤い封筒を拾い上げた。 同時に、今まで彼を守ってくれていた「日常」という膜があまりにも簡単に、暴力的に破られたことを理解した。


思想とは、言葉ではない。 それは、他者の世界を焼き払い、自分の世界を強要する「暴力」そのものなのだ。


(……逃げられない)


ルネは悟った。 自分がどれだけ世界を疑おうとも、世界は「痛み」と「炎」をもって、ルネを逃がさない。 彼が拾われた温かな喫茶店は、いまや巨大な歴史の戦場へと変貌しようとしていた。

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