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第二話裏:価値の解体

アクロポリスの北端、かつて何かの工場だった巨大な廃墟群。 そこはどの陣営の法も届かず、ただ錆びた鉄と冷たい風だけが支配する「意味の墓場」だ。


フリードリヒは崩れかけたコンクリート造りの屋根に身を潜め、一人の男を眺めていた。 男は狂ったように、瓦礫の山を掘り返している。


「……あるはずだ。ここに、俺の失った『黄金』が。レヴィアタンが約束した、幸福の分け前が!」


男の爪は剥がれ、指先からは血が滲んでいる。だが、男の瞳には、かつてレヴィアタンの宣伝放送で流れていた「豊かな生活」という名の呪縛が、どす黒く焼き付いていた。


フリードリヒは、その様子を高い足場から冷ややかに見下ろしている。 あの雨の夜から、彼はこの廃墟を根城にしていた。 飢えれば、捨てられた配給品の残りを漁る。喉が渇けば、雨水を啜る。 誰にも頼らず、誰にも期待しない。その生活は惨めだったが、同時に、これ以上ないほど清潔でもあった。 ここには、人を欺くための「正義」も「救い」も存在しないからだ。


「……無駄だ。そこにあるのは、ただの石ころと錆びたネジだけだぞ」


地面に降りたフリードリヒの乾いた声が、静寂を裂く。 男はびくりと肩を揺らし、血走った目でフリードリヒを睨む。


「お、お前……。知っているのか! 黄金の隠し場所を!」


「知らない。……そもそも、そんなものは最初から無い。お前が信じているのは、あのアダム・スミスという男が、お前のような人間に働かせるために見せた幻に過ぎない」


「嘘だ! 努力すれば報われると、市場マーケットが約束してくれたんだ!」


「市場は何も約束しない。ただ、奪い、捨てるだけだ。……お前はもう、捨てられたんだよ。ゴミとしてな」


フリードリヒの言葉は、慈悲のかけらもない刃だった。 男は絶望に顔を歪め、獣のような咆哮を上げてフリードリヒに飛びかかろうとした。


その時、フリードリヒの周囲に、透明な「拒絶」の波紋が広がった。


男が彼に触れる寸前、男の全身から力が抜け、その場に崩れ落ちた。 フリードリヒが何かをしたわけではない。 ただ、フリードリヒという存在が放つ「徹底した否定」の気配に、男が縋っていた「希望という名の原動力」が耐えきれず、自壊したのだ。


「……はぁ、……あぁ……」


男はもはや、立ち上がる気力さえ失い、虚空を掴むように指を動かすだけだった。 フリードリヒは、その男を一瞥することなく、背を向けて歩き出す。


「――相変わらず、ひどいことをするのね」


不意に、上空から場にそぐわない艶やかな声が降ってきた。


鉄骨の上に、一人の女が腰掛けていた。女の名はルー。 彼女はどこかの陣営に属しているわけでも、誰かの味方であるわけでもない。 ただ、この街で起きる「破滅」を特等席で眺めることを愉しみとする、気まぐれな観測者だ。


「……消えろ。お前に見せる見世物など無い」


「あら、冷たいわね。私はただ、あなたがどうやってその『虚無』を完成させるのか見届けたいだけなのに」


ルーは軽やかに飛び降り、フリードリヒの数歩後ろを付いてくる。 彼女は彼の手を取ろうとはしない。彼を救おうともしない。 ただ、彼が歩く地獄の道筋を、面白そうに観察し、言葉という毒を吐きかけるだけだ。


「ねえ、フリードリヒ。あの男を殺してあげれば良かったのに。希望を壊して生かし続けるなんて、死なせるよりずっと残酷だわ」


「殺す価値さえない。……それよりも、あの男…アダム・スミスの面を、あの男と同じ絶望で染め上げてやる。それだけが俺の退屈を凌ぐ唯一の方法だ」


「いいわね。最高に醜くて、最高に美しいわ」


ルーは愉しげにくすくすと笑った。 彼女はフリードリヒにとって、仲間でも、恋人でも、ましてや救いでもない。 ただ、自分が孤独であることを再確認させるための不快な鏡に過ぎない。


フリードリヒは、足元の泥水を跳ね上げながら歩き続ける。 向かう先には、レヴィアタンの象徴である黄金の摩天楼が、夜の闇に傲慢な光を放っていた。


彼は拾われなかった。 だから、愛することも、愛されることも、その機能すら捨て去った。 ただ、世界が正しいと信じているすべての「価値」を、その根底から解体してやる。 少年の瞳の奥には、燃えるような復讐心さえ消え失せ、ただ凍てつくような「無」だけが宿っていた。

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