第十二話裏:セリング・クライマックス
レヴィアタン本社の地下深層、巨大なサーバー群が唸りを上げる中央制御室へと続く回廊は、一瞬にして「墓場」へと変貌した。
頭上のスピーカーから響く、アダム・スミスの無機質な宣告。 「――全資産の価値を強制下方修正する」 その言葉が地下の闇に溶け落ちた瞬間、これまで空間を支配していた狂気的な熱量が、嘘のように霧散した。
「……な、なんだ? 身体の火が……消え、る……?」
トロツキーが狼狽した声を上げた。彼の異能【永続革命】によって限界まで引き出されていた兵士たちの闘争本能が、アダム・スミスの「無価値化」という冷徹な計算式によって、文字通り「なかったこと」に書き換えられたのだ。昂揚というコストすら支払われなくなった空間で、兵士たちは糸の切れた人形のように次々と床へ崩れ落ちる。彼らの瞳から革命の赤が消え、後に残ったのは、ただの泥のように動かない肉体だけだった。
「ふざけるな……スミス! 革命を、歴史を、お前の帳簿一つで止めてたまるか!」
トロツキーが激昂し、軍刀を振り回す。だが、その剣筋に宿っていた破壊の熱波さえも、アダム・スミスの【見えざる手】によって「非効率な出力」と定義され、空中で霧散していく。
その停滞と虚無の渦中で、ただ一人、フリードリヒだけがその状況に「適合」していた。
「……はは、……はははは!!」
フリードリヒの口から、渇いた笑いが漏れる。 トロツキーに強制されていた不快な熱が引き、凍えるような本来の孤独が戻ってきた。アダム・スミスが世界を「無価値」へと叩き落としたことで、フリードリヒの異能【神は死んだ(ゴット・イスト・トット)】は、皮肉にもかつてない純度で覚醒を始めていた。
「アダム・スミス……。お前は正しい。この世界に、守るべき価値など、最初からどこにもなかったんだ」
フリードリヒが踏み出す一歩ごとに、床のタイルが灰色に枯れ、物質としての存在を放棄していく。 アダム・スミスが「法則」を奪ったことで、世界の守りは脆くなっていた。フリードリヒの「否定」は、もはや抵抗を受けることなく、ビルの心臓部へと浸食を広げていく。
その時、頭上の崩落したシャフトから、一筋の黄金の光が降り注いだ。 それは上層でルネが放った「肯定」の残光。 その眩しさに、フリードリヒの顔が激しい嫌悪に歪む。
「……まただ。あいつだけは、まだ『ある』と喚いている」
闇の底にいてもなお、自分を焼きに来る「光」。 フリードリヒはその光を拒絶するように、漆黒の霧をより一層濃く引き寄せた。 彼にとって、アダム・スミスの暴落は「救済」ですらあった。すべてを「ゼロ」にすれば、あの忌々しい光も、自分を縛るトロツキーの熱も、丸山の作為も、すべてを無効化できる。
「……終わらせてやる。お前が作ったこの『市場』ごと、何もかもをな」
フリードリヒは、もはや背後のトロツキーさえも視界に入れず、制御室の心臓部――アダム・スミスへと繋がる唯一の回廊へと歩を進める。 そこは、物理的な法則すらも暴落によって消失した、純粋な「思想の虚無」が広がる場所。
最上階から光と共に墜ちていくルネ。 地下の底から闇と共に這い上がるフリードリヒ。
二人は依然として出会うことはない。 しかし、暴落によって世界の「床」と「天井」が崩れたことで、彼らの思想の波形は、アダム・スミスという一点を巡って、残酷なまでに同期し始めていた。




