第十一話裏:深淵の行進
レヴィアタン本社の1階ロビーは、かつて世界の富を象徴した黄金の静寂を失い、赤黒い熱狂と硝煙に塗りつぶされていた。
「進め! 止まるな! 歴史の歯車に油を注げ!」
トロツキーの怒号が、ひび割れた高い天井に反響する。彼の異能**【永久革命】**が放つ不可視の熱波は、コミューンの兵士たちの脳に直接作用し、恐怖や痛みの信号を「破壊の快楽」へと強制変換していた。
その狂乱の先頭で、フリードリヒは自らの意志を無視して歩を進めていた。
「……ハァ、……ガッ、……ッ!!」
胸が焼けるように熱い。喉の奥からは鉄の味がせり上がってくる。 トロツキーが注ぎ込む過剰な「生のエネルギー」が、フリードリヒの根源的な性質である「虚無」と衝突し、彼の体内で激しい拒絶反応を起こしていた。全身の毛穴から、黒い煤のような霧が絶え間なく溢れ出す。
「ニーチェ! 見ろ、資本の番犬どもが塵のように消えていくぞ! お前の『否定』こそが、我々の進軍を阻むすべての論理を腐らせる、最高の酸だ!」
トロツキーが血に濡れた軍刀で、警備用ドロイドの残骸を指し示す。 フリードリヒが苦痛に耐えかねて発する悲鳴のような波動が、漆黒の霧となって床を這い、触れるものすべての「存在理由」を剥奪していく。 最新鋭の迎撃システムは物理的な破壊を受ける前に、「戦う意味」を喪失したかのように沈黙し、ドロイドの装甲は数十年放置された廃材のように急速に朽ち果てていった。
だが、フリードリヒの視界は、自分の引き起こす破壊を捉えていなかった。 彼の意識にあるのは、自分を「偶像」として担ぎ上げ、その絶望を「革命の燃料」として搾取する背後の軍勢への、殺意に近い嫌悪だけだ。
「……丸山……トロツキー……。貴様らも……この汚い熱も……まとめて消してやる……」
「ははは! 素晴らしい! その憎悪だ! それこそが歴史を動かす唯一の真理よ!」
トロツキーは、フリードリヒが自分に向けた殺意さえも「革命的情熱」として吸い上げ、全軍の士気へと分配する。フリードリヒは、自分の叫びが誰にも届かないどころか、他人の利益として「収穫」されていく絶望の中にいた。
その時だった。
上層階から、不快極まりない「眩しさ」が降り注いできた。 それはトロツキーの暴力的な熱さとは違う。もっと静かで、透き通った、あまりにも純粋で独りよがりな「肯定」の波動。
(……これは……「拾われた」側の、光……?)
フリードリヒは、上を仰ぎ見ることはしなかった。 その光に触れれば、自分の純粋な虚無が「救い」という名の欺瞞で汚されることを、本能で理解していたからだ。 彼は逃げるように、剥き出しになったエレベーターシャフトの闇へと足を踏み入れる。
「……来るな。俺に、触れるな……」
フリードリヒは上層へ向かうのではない。彼は、ビルの心臓部である地下の「中央制御室」へ向かっていた。最上階で光を放つルネとは、物理的にも思想的にも、決して交わることのない深淵へと。
彼は、ルネが守ろうとしているこのビルの「存在根拠」を、土台から腐らせ、崩壊させるために闇を広げていく。
視線が交わることはない。 一人は光の中で「日常」を繋ぎ止めるために叫び、一人は闇の中で「すべて」を断ち切るために沈んでいく。
黄金の摩天楼は、二人の少年の相容れない叫びを抱えたまま、内側と外側の両方から、決定的な「終わり」の音を立て始めた。




