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第十一話表:階層の崩壊

レヴィアタン本社の最上階ラウンジ。 かつて黄金に輝いていた大理石の床は、ルーデルの鉄翼が穿った巨大な亀裂によって無残に割れ、そこから吹き込む夜風がクリスタル製のシャンデリアを「死の鈴」のように鳴らしている。


「……三島さん! 本当に、クリスを助け出せるの!?」


崩れた柱の影で、ルネは叫んだ。その視線の先、数フロア下の「特別保存室」が爆炎に包まれるのが見えた。 ルネの脳裏には、いつも静かに笑っていたクリスの顔が浮かぶ。彼女にとって、自分はただの「維持費コスト」の発生源でしかないのか。その不安が、ルネの心臓を鋭く締め付けていた。


「案ずるな、少年!」 三島由紀夫は、剥き出しの筋肉を躍動させ、軍刀を正対させた。「真の美とは、魂の燃焼そのもの。資本の帳簿などに書き込めるものではない!」


三島の前には、白衣の裾を風にたなびかせるハルトマンが、彫像のように立っていた。 彼の周囲数メートルは、異能【価値の階層カテゴリー】によって非情なまでに物理法則が書き換えられている。降り注ぐガラス片や火の粉が、彼の領域に触れた瞬間に「無害な物質」へと定義され、足元にカサカサと力なく落ちていく。


「……三島由紀夫。君の熱狂は『精神層』の暴走に過ぎない」 ハルトマンは眼鏡を指で押し上げ、冷徹に告げた。「だが、見ろ。地上から来る『あれ』は、私の階層論カテゴリーすらも食い破る、正体不明の腐食だ」


その瞬間、ビルの底から、心臓を直接冷たい手で握り潰されるような振動が突き上げてきた。 岩本の機銃掃射でも、ルーデルの爆縮でもない。 それは、すべてを「無」に帰そうとする、悲鳴に近い「否定」の波動。


ルネは胸を押さえて膝をついた。


「ルネ君。今、君の足元にある『床』という概念が消えかけている」 ハルトマンの声に焦燥が混じる。「階層が溶け合っているのだ。物理的なビルの構造が、少年の『否定』によって論理から崩壊し始めている」


「僕に……僕に何ができるっていうんだ!」


「肯定だ!」三島が叫ぶ。 「クリス殿という一人の人間を、この世界のシステムから奪い返すと誓え! 彼女を『維持費』ではなく、『かけがえのない命』だと、君の魂で再定義しろ!」


ルネは、遠く階下で眠るクリスの気配に意識を集中させた。 レヴィアタンのシステムは、彼女を「商品アセット」と呼ぶ。 コミューンの思想は、彼女を「犠牲コスト」と呼ぶだろう。


(違う……。クリスは、僕に温かいココアを淹れてくれた。僕がそこにいることを、一番最初に認めてくれた人なんだ!)


「――僕は、彼女を『モノ』になんてさせない!!」


ルネの掌から、混じりけのない黄金の光が溢れ出した。 異能【我思う、ゆえに我あり】。 それはハルトマンの「分類」をも、フリードリヒの「否定」をも超え、崩れゆくビルの鉄骨一本一本に、「そこにあるべき理由」を強引に植え付けていく。


ビルの崩壊が、物理法則を無視して一瞬だけ静止した。 ルネの「肯定」が、死にゆく摩天楼を巨大な一つの「生」として繋ぎ止めたのだ。


「……面白い。精神が、これほどまでに物質を支配するとはな」 ハルトマンは、初めて自らの理論が敗北したことを認めるように、微かに口角を上げた。


しかし、その光り輝く静止を嘲笑うように、最上階のモニターが真っ赤に点滅を始める。 アダム・スミスが仕掛けた『思想市場』に、最大級の「システム・クラッシュ」の予兆が走り抜けていた。

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