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第七話表: 孤独な群衆

工場区の広場に吹き荒れる、赤い旗と数万人の喝采。 丸山眞男が放った「我々に預けなさい」という甘い誘惑と、数万人の視線という物理的な圧力に、ルネの膝は震えていた。


(……一人は、こんなに寒いんだ)


ルネの展開する【我思う、ゆえに我あり】の防壁は、三島のような「一撃の熱」には強固だが、コミューンのような「際限のない同調」には向いていない。 周囲の人間たちがルネを「仲間」として飲み込もうと一歩近づくたび、彼の存在定義が、巨大な海に溶ける一滴のインクのように薄まっていく。


「ルネ君、無理をすることはない。君が守ろうとしている『自分』とは何だ? 記憶もなく、過去もなく、ただこの街に放り出された空虚な記号じゃないか。そんなものに、執着する価値があるのかい?」


丸山の声が、脳内に直接響く。 ルネは奥歯を噛み締めた。 確かに、自分には何もない。名前さえ、クリスに付けてもらった仮初めのものだ。


「……それでも。僕は、僕だ」


ルネは震える手で、ポケットに入っていたものを握りしめた。 それは、店を出る時にクリスが持たせてくれた、古びたコーヒー豆の袋だった。 何の異能も宿っていない、ただのゴミ同然の麻袋。けれど、そこには確かに「カフェ・メソッド」の香りと、ルネを待っている日常の温度が染み付いていた。


「僕は、あなたの計画の一部じゃない。僕は……クリスの店の、ただの店員だ!」


ルネが叫んだ瞬間、彼の周囲の空気が爆発的に凝縮された。 それは敵を倒すための波動ではない。 「自分はここ(日常)に属している」という強烈な帰属意識が、コミューンの「連帯」という名の泥を、内側から弾き飛ばしたのだ。


「……ふむ。思想イデアではなく、単なる『生活』を根拠に、私の論理を拒絶するか」


丸山はわずかに目を見開いた。 ルネは混乱に乗じ、熱狂する群衆の隙間を縫って走り出した。 背後から、丸山の指示を受けた『鋼鉄の槌鎌』の兵士たちが追いかけてくるのがわかる。だが、ルネは振り返らなかった。


(帰らなきゃ。……あそこだけが、僕が『僕』でいられる場所なんだ)


自分を繋ぎ止めるための「日常」へと辿り着くために。 ルネは、泥にまみれた足で、琥珀色の灯りが待つ場所へと必死に走り続けた。

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