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第五話裏: 鉄錆の墓標

境界都市アクロポリスの西、陽の光すら煤煙に遮られた工場区。 そこにはレヴィアタンのような煌びやかな搾取ではなく、コミューンという名の「平等な絶望」が支配していた。


フリードリヒは、打ち捨てられた溶鉱炉の影で、冷たい鉄の匂いを嗅いでいた。 レヴィアタンの拠点を壊した彼だったが、それによって世界が変わるわけではない。組織という怪物は、一つの頭を失えば、別の頭がより凶暴に芽吹くだけだ。


「……死ねば、鉄屑として再利用される。それがこの街の『平等』か」


フリードリヒの視線の先では、コミューンの武装実行部隊『鋼鉄の槌鎌』が、指示に従わない労働者たちを「再教育」と称して引きずり回していた。


「――同情しているのかい? ニーチェ」


背後の暗闇から、冷ややかな声が響く。 フリードリヒが振り返るまでもなく、そこに立つ少女――エリザベートの気配が、周囲の空気を歪ませていた。


「同情? ……笑わせるな。俺はただ、あの連中の掲げる赤い旗が、血で汚れて黒ずんでいるのが滑稽だと思っただけだ」


「相変わらずね、お兄様」


エリザベートは、鋼鉄の槌鎌の黒い制服に身を包み、兄を見つめる。その瞳には、かつての家族としての情愛など微塵もなく、ただ「フリードリヒ」という絶対的な偶像を自分の手で檻に閉じ込めたいという、狂気じみた執着だけが宿っている。


「あなたは自由を求めて彷徨うけれど、それは孤独という名の死に向かっているだけ。コミューンは、あなたに『役割』を与えるわ。……完璧な、壊れない偶像としての役割を」


「断る。俺を縛る鎖なら、レヴィアタンで十分に味わった」


「残念ね」


エリザベートが指を鳴らす。 瞬間、物陰から『鋼鉄の槌鎌』の重装歩兵たちが現れた。彼らはレヴィアタンの私兵のような「金で雇われた駒」ではない。自分の意志を組織に捧げ、組織の痛みを自分の痛みとして共有する、狂信の兵士たちだ。


「排除せよ」


重装歩兵たちが一斉に突き出したのは、巨大な鋼鉄の杭。 フリードリヒは【神は死んだ】を発動しようとした。だが、彼らの「意志」はあまりに泥臭く、執念深い。


一人の歩兵がフリードリヒに肉薄し、その体に触れる。 異能【鋼鉄の粛清】。 消去ではない。それは、対象の「存在の軽さ」を、コミューンが背負う「数百万の労働者の重圧」へと置換する呪いだ。


「――っ!?」


フリードリヒの膝が、コンクリートを砕いて沈み込んだ。 体が重い。 これまで彼が否定してきた「他者の価値観」が、物理的な質量となって彼の肩にのしかかる。否定しても、否定しても、彼らの「群れとしての執念」が次から次へと溢れ出し、フリードリヒの個を磨り潰そうとする。


「……ぐ、あ……」


「お兄様、苦しいでしょう? それが『連帯』の重さ。個人の否定なんて、この大衆の意志の前では無力なの」


エリザベートは、苦悶するフリードリヒの頬を、慈しむように撫でた。 フリードリヒは、泥水を吐き出しながら彼女を睨みつける。


「……群れなければ、……何もできない、……無能どもが」


「ええ。だからこそ、私たちはあなたという『絶対』を求めているの」


フリードリヒは、かろうじて立ち上がろうとする。 だが、周囲を囲む歩兵たちの瞳には、一人の少年を追い詰めているという自覚さえない。彼らはただ、巨大な機械の一部として、効率的に「異分子」を排除しているに過ぎなかった。


フリードリヒは悟る。 レヴィアタンが「冷徹な計算」なら、コミューンは「泥臭い執念」だ。 どちらにせよ、そこに一人の少年の居場所などない。


彼は這いずるようにして、工場区の深淵、暗い地下水道へと逃げ込んだ。 背後で、エリザベートの愉悦に満ちた笑い声が、鉄錆の風に乗っていつまでも追いかけてくる。


拾われなかった少年は、今や「救い」という名の追っ手から、永遠に逃げ続けなければならない。 暗い地下道に、フリードリヒの荒い呼吸と、引きずった足音が虚しく響き渡った。

名前 エリザベート (Elisabeth)

年齢 14歳

所属 コミューン(武装実行部隊「鋼鉄の槌鎌」指揮官候補)

異能 【意志への意志ウィレ・ツム・ウィレ

能力説明 対象が抱く「願望」や「執着」を増幅させ、その重圧で精神を自壊させる能力。また、周囲の味方の「組織への忠誠」を物理的な質量に変えて対象に叩きつける。フリードリヒの「否定」を上回るほどの「狂信」を供給し続けることができる、彼の天敵。

好きな事 フリードリヒの世話、秩序、組織の歌、日記を書くこと

嫌いな事 自由、孤独、兄を否定する世界、泥水

史実紹介 フリードリヒ・ニーチェの妹。兄の死後、彼の膨大な遺稿を自らのナショナリズム思想に合うように改竄・編集し、ニーチェ思想が後に歪んで伝わる原因を作った人物。


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