第92話:ちょっと過去のこと
「お姉さん。綺麗ですね」
ニコニコ営業スマイルで俺に話しかけてきたのは、スーツを着た男性だった。何をどうのでもないが、張り付いた笑顔がちょっと違和感。そもそもお姉さんも何も俺は女じゃない。女装はしているが。
「何か?」
「お時間ありますでしょうか? モデルのお仕事とかご興味ありませんか?」
「ああ、貧乳なの。俺」
「は?」
「これはパッド」
自分の胸元に膨らんでいる胸を揉んでそう言う。
「いえ、でもお綺麗ですし。モデルには胸囲はあまり関係ありませんよ。これを機にモデルデビューとか如何でしょう? お姉さんならすぐにでもトップモデルに……」
「ごめんなさい。今からデートだから」
「彼氏さんをお待ちなんですね。では気が向きましたらこの名刺の番号にお掛けいただければ」
と、名刺を渡してくる。なんとかという覚えるのも苦労する平坦な名前の事務所名が載っていて、多分だがコンビニに寄ったらゴミ箱に捨てるだろうなという確信があった。
「おいアレ……」
「上玉じゃね?」
「可憐だ……」
東京二十四区の一つ。庵宿区はあらゆるトレンドが集まる流行の発信地だ。そこの駅で待ち合わせしている俺を、道行く人が二度見していた。まぁ痛い勘違いファッションをしている自覚はあるが。ファッション自体はシンプルにまとめているが、色合いがモノクロで胸にはパッド。髪はヘアカラースプレーでピンクに染めている。まさに狂気の判断だが、さすがに今回に限り男と認識されるわけにはいかないので、念には念を入れているわけだ。
「ねえねえ。君一人? もしよかったら俺とお茶でも……」
そんな今時昭和人でも使わない軟派セリフを聞けただけでも、女装して正解だったと思える。
「あー、興味ないんで」
俺はスマホから顔を上げずにそう答える。
「君を待たせるなんてひどい男もいたもんだね。俺だったらなんでも奢ってあげるから、乗り換えてみない」
「じゃあ、このまま京都の料亭に連れて行って、高級ホテルの宿泊代まで受け持ってくれる?」
「それは男舐め過ぎじゃね?」
そこで、俺はスマホから顔を上げて、犬歯を見せながらニッと笑う。
「俺は可愛いから男が貢ぐのは当然っしょ?」
「ちっ。勘違い女が……」
渋々と言った様子で去っていくナンパ男。
「おー……」
それを見ていた女子がパチパチとスタンディングオベーション。正確には座ってから立ち上がったわけではないので、定義的には該当しないが。二人の女子が俺を見て感心していた。
一人は紫に反射する黒髪の美少女。本人曰くDカップとのことだが、どうも最近サイズアップしているのでは、と俺は懸念している。野球帽を目深にかぶり、フレームの太いダサい眼鏡をしているが、愛らしさそのものは目減りしていない。ただそのオーラだけ抑えている。よく見ると美少女だが、たいていの人間はよく見ないという。
もう片方は翠色に反射する黒髪の美少女。もはやパッドかと思えるくらい大きな爆乳の美少女で、こっちは胸を小さく見せるファッションだ。元が大きいので、こういう場で空気を読む必要があるのだろう。おっぱいが大きいとファッションが制限されるとは聞くが、彼女にも苦労はあるのだろう。
どちらも俺の知り合いで、ついでに待ち合わせの相手でもあった。
黒岩ルイと古内院タマモ。国民的アイドルグループ、オメガターカイト所属のアイドルだ。俺とは色々と関係を持っているが、とりあえずは最近のゴタゴタに対して謝罪をしていなかったので、リベンジさせてくれと言うと、デートを要求された。なので、俺はこれからトップアイドル二人とデートする。もちろん、そのまま俺のままでデートすると社会的にニュースになるので、俺も女装している。
「可愛い。マアジ」
「…………オメガターカイトに所属しませんか?」
「俺は推しを推せればそれだけでいいからな」
スマホをポケットにしまって、そうして二人が左右から俺の腕に抱き着く。そこそこ美男美女が着飾って闊歩している中でも、俺の女装はとびぬけている。その俺にエスコートされる女子二人がオトメの顔をしているので、騒めきも一入。さすがに黒岩ルイと古内院タマモだとはバレていないが、女子同士で腕組みをして百合ハーレムデートをすれば、そこそこ人目は引く。
「じゃ、行こっか」
「…………可愛いマアジに貢ぐのは恋人の義務ですもの」
「あー、言っとくが、今日はお前らに一円も払わせんぞ」
お詫びデートだ。こういうのは気持ちだが、気持ちを伝えるには金が要る。
「まずはどうするの?」
「映画とか予定しているけどどうだ? ベタながら鉄板かなって」
「映画の内容は決まっているんだぞ?」
「…………できればホラーは」
怖くて夜にトイレに行けなくなるもんな。タマモの場合。
「恋愛かアニメだな。俺的にはアニメがいいが」
クソオタの完成はデートには不向き。
「じゃあ名探偵納言にしよ。怪盗チャイルドが出るんだぞ」
「ああ、好きそうだな。ルイは」
「同人誌も買ってるぞ」
「…………納言ならあたしも」
じゃあそれで。そんなわけで大きなシネマで席予約して。その間はモールで時間つぶし。
「注目されてるぞ」
「ルイもタマモも可愛いからな」
「…………多分注目されてるのマアジ」
知ってる。ルイもタマモもパッと見没個性な服を着ているから、印象的には美少女ではない。可憐というより人間社会における迷彩服を着ているような感覚だ。それに対して俺は巨乳のモノクロ衣服で、ついでに勘違い系女子にありがちなピンクの髪。目立たないわけが無いというか。ルイとタマモから観察の視線を奪うためにわざとやっている。
「どうやって染めたんだぞ?」
「ヘアカラースプレー。ルイが使ってる奴」
個人的に外に出るとき、ルイはちょくちょくスプレーを使っていた。俺もそれを応用して、アニメっぽいヒロインのコスチュームで遊んでいるわけだ。
「スムージー飲むか? それともクレープ食うか?」
映画までまだ時間がある。楽しむ分にはいくらでも詰め込める。
「その前に」
ニコッと微笑んで、ルイが俺に言う。
「最初に言うことがあるでしょ?」
「それは最後にしてくれ」
「あー。わかったけどさ」
「じゃあ全員スムージーな。糖分たっぷりだから、後で運動しろよ」
「…………マアジも」
「タマモがエアロバイク漕いでるとこ見るとエロすぎて興奮するんだよ」
「揉んでいいですのに」
「今は自分のがあるから大丈夫」
最近のパッドは感触まで本物っぽいので、俺としても揉みがいがある。
「ボクも揉んでいい?」
「構わんぞ」
「…………あたしも」
そして衆人環視の中で、俺の偽乳を揉み議論するルイとタマモだった。




