第82話:さらわれ【サヤカ視点】
「私が君のアイドルになる♪ だから君こそ私を愛して♪」
次の箱ライブのため、私は踊りの復習をしていた。
片中サヤカ。
ソレが私の芸名だ。オメガターカイトに所属してアイドルとかやっている。最近ではメンバーの顔色も分かるようになってきた。今調子を上げてきているのは角夢杏子だ。つい先日までグッダグダだったのに、今はむしろ好調なくらい。
「コーチ。此処の振り付けですけど……」
と、その隣でコーチにアドバイスを貰っているのはルイお姉ちゃん。センターを務めるだけあって、その向上心は既にプロの域にあり、ていうか私たちはプロなのだった。色々と状況は錯綜するけど、今最もパフォーマンスを落としているのは私だろう。
「大丈夫? サヤカちゃん。何か心ここにあらず……って感じですけど」
メンバーからそう言われると私としても苦笑する。
「サヤポンは大丈夫だにゃ~。むしろ新曲が欲しいまであるにゃーよ」
もちろんそれが酷い虚偽であることを承知で。
佐倉マダイ。
その名が私に深く刺さっている。
「三秒に一回、死者を悼んで泣かなくていいのか」
一言一句ではないが、そのようなことを言われた。真理だと思う。地球の裏側で殺人事件が起きても、それを悲しいとは私には思えない。どころか日本で起きた殺人事件さえも私の心には響かない。テレビでニュースが流れても、哀惜の慟哭を吠えることもない。どころか、そのニュースを聞きながら歯磨きを並列しているまである。
つまり私の家の事情は佐倉マダイにとって、それと同じ程度の情報でしかない。私がテレビの不幸なニュースを「ふーん」って流し見するように、彼にとっては私が申告した不幸は「だから何だ」で済ませられるものなのだろう。それを残酷だとは思えない。おりしもマダイさんが言った通りだ。世界を駆けずり回って全ての死者の葬式に参加していない人間が、自分の不幸だけを主張して助けてもらうというのは依怙贔屓が過ぎる。
「とはいえ」
佐倉マダイに助けてもらわなければ両外建築が破滅するのは私も認識している。売掛金を支払う意思がキツツキ商会にはなく。マッチポンプで融資した闇金はお父さんとお母さんから意地でも借金を回収するだろう。既に我が家は詰んでいる。さすがに一億円の借金……それも利子がトイチで、それを返済する能力は私には無い。アイドル活動をしているので収入はあるけども、贅沢に金を使えるほどは稼いでいない。多分オメガターカイトで最も稼いでいるのがルイお姉ちゃんだろう。多分数千万程度は稼いでいるはず。じゃあそこから借りて、借金だけでも……とは思うけど、多分それは無理。借金をしたらメンバー内の不和が起こるし、そんなギスギスした空気をルイお姉ちゃんが首肯するはずもない。オメガターカイト全体で俯瞰すればどう考えても愚策と言える。けれどコマーシャルとかに一番出ているのがルイお姉ちゃんなので、彼女からが最も金を引き出しやすい。そのルイお姉ちゃんが無理となると、頼れる人はそういない。もう一度マアジおにーさんに頼んでみるか。マダイさんとの面会を。
「で、そこからどう納得させるかだにゃー」
ダンスの練習が終わって、スポーツドリンクを飲みながら、私はアイドルとは別のことを考えている。そりゃパフォーマンスも落ちるはずだ。今の私はアイドル活動に全力を出せないのだから。
ここからどう展望を広げていくか。悩んでいると、スマホに電話が鳴った。休憩中だったので通話に出る。
「ああ。こちら片中サヤカ(実際には実名)さんのお電話でよろしいでしょうか! わたくし両外建築の者なのですが!」
焦るような声が聞こえてくる。
「そうですけど」
私の実名を知っている人からの電話。ただこっちには把握が難しく。
「社長が倒れました! 今病院に運ばれています。どうにも借金がプレッシャーだったらしく。今からこっちに来れますか? 駅まで来てくれれば私が迎えに行きますが」
お父さんが倒れた。そのことで私の頭は真っ白になった。そりゃ仕事の金が入ってこなくて闇金の借金をすれば悩みの一つはあるだろう。胃潰瘍が出来てもおかしくない。ほぼ首吊りしか未来がないお父さんの悩みを鑑みれば、私が此処でアイドル活動をしていることさえ軽んじるに値する。
「今すぐ向かいます! 駅は!」
「――――――――」
聞いた駅は、私の実家の近くの駅。病院もその近くなのだろう。社員さんの連絡が無ければ私はその事に気付けなかった。そうして通話を切って、メンバーとコーチに事情を説明。先に抜けさせてもらって、近くの駅の電車に飛び乗る。そうして隣の県まで移動して、指定された駅に行くと、見知らぬ人が私を呼んだ。
「今から病院に向かいます! とにかく乗ってください!」
悲痛に顔を歪ませて、そういう社員さん(仮)に言われて、私は車に乗る。そうして運転された車は病院ではなく古典日本形式の屋敷についた。
「えと。病院は?」
「大丈夫ですよ。お父様は病院になんて運ばれていませんから」
それはどういう……と思ったところで、後部座席に座っている男が私の口元にハンカチのような布を当てる。
「なに……を……?」
意識が遠くなる。眠りに落ちるような浮遊感が私を襲い、そうして無抵抗に私は意識を失った。
「ん……んぅ?」
果たして目を覚ますと、私は日本家屋のお座敷にいた。
「え? ナニコレ?」
動こうとしても、動けない。意識を失ってから今覚醒するまでに何があったのか。縛り付けられた状態で、畳に転がされていた。
その上座にラフな和服を着た男性が片膝を立てて座っていて、ニヤニヤとこっちを見下ろしている。とてもではないが友人として迎えるには難のある笑顔だ。私であれば仲良くはしたくない。
「よう。起きたか嬢ちゃん」
その張り付いたような笑みを浮かべる男性が、私の視界の中でそう言った。
「誘拐って奴にゃ?」
「任意同行と言って欲しいね。別に何もしちゃいねえだろ?」
じゃあ何で腕と足を縛っているのか。
「単なるファッションだよ。何も悪意があるわけじゃねえ」
「私を誘拐して、お父さんとお母さんを破産させる気?」
「お。よくわかったな。名探偵になれるぜ。お嬢ちゃん」
そう言ってゲラゲラと笑う男性。その上座に座っている男性が笑うと、下座に座っている十人ちょっとの男性たちもゲラゲラと笑った。今の私はまな板の上の鯉だということがよく分かった。じゃあどうするかって話なんだけど。
「オーケーマアジ!」
まだスマホは奪われていない。その可能性に賭けて、私はそう言う。スマホに伝わったのかはそれこそ神のみぞ知る。腕も脚も縛られているのでスマホを弄ることさえできないのだ。
「正直面倒なんだよな。あそこまで粘られると。さっさと会社潰して、借金で苦しんで欲しいんだわ。そうして母親をソープに沈めて父親には首吊ってもらわんと、こっちの仕事が進まない」
だから娘の私を誘拐して、破滅するように親を誘導する。吐き気を催す邪悪だ。まぁ暴力団なんてそんなもんなんだろうけど。
「何ならいい目見せてやってもいいんだぜ? アイドルなら男なんて知らないだろ?」
「いやいやアニキ。こいつオメガターカイトのメスガキ系ビッチアイドルですぜ。男なんてくわえまくってますよ」
「そうなのか。アイドル界隈には詳しくないからな。じゃあやっても問題ないわけだ」
あるに決まっている。私はまだ処女だ。こんなところで散らすのは不本意が過ぎる。とはいえ、それを主張しても無意味だってことは分かってはいるんだけど。諦めが勝るほど今の状況が絶望的なのは事実で。だから悲鳴のようにおにーさんの名を呼んだ。
「佐倉マアジおにーさんッッッ!」
それが儚い願いと知りながら。けれど事態は推移する。
「アニキィィ!」
三下の一人が、この座敷に焦りながら転がり込んできた。その顔は青ざめている。まるで問題が起きたような……ってまさか。
「なんだ。どうした?」
「カチコミです!」
なんだっけ。それ。




