第74話:追い詰められて、破綻して
「…………マアジ……マアジ」
夜のこと。俺が普通に寝ているところを起こすタマモの姿があって。一緒のベッドで寝ているという異常事態を、コイツ等がどう思っているのかはたまに問いただしてみたくなる。だが、それはそれとして、タマモが俺を起こすのも今日が初めてというわけではない。既に一緒のベッドで寝ているルイとイユリは熟睡しており、起きる気配はない。その二人が眠っている最中にことをいたそうというのなら、俺としても夢が広がるのだが。
「…………お……お願いします」
「へぇへ」
我慢にあえぐタマモの顔を常夜灯の暗闇の中で何となく悟り。俺は一緒にベッドを抜け出す。既に暗い寝室を、怯えるタマモの手を握って抜け出し、繋がる部屋の明かりをパチパチと付けていく。未だ恐怖が拭い難いのか。俺の手をギュッと握って後ろを歩くタマモは震える小鳥のように弱弱しい。で、俺が何をしているのかと言えば。
「…………すみません」
「まぁ別にいいんだがな」
トイレに付き合っているわけだ。夜中に一人でトイレに行けない。そう言ったタマモはチョクチョク俺を頼って一緒にトイレに行っている。ちなみに玄関から繋がる廊下の側面にトイレはあるので、リビングを突っ切る必要があり。そこまで案内して、まだ足りない。
「…………いますよね? ……マアジ」
「ちゃんといますぞー」
とにかく誰かと一緒にいないとロクに排尿も出来ないらしく。俺はタマモの恐怖を和らげるためにトイレの扉に背を預けて、一人しんみりと座っている。
「…………いますよね? ……マアジ」
「ちゃんといるって」
それでも恐怖の拭えないタマモは俺の存在をインターバルありきで確認してくる。まぁやっていることは幼児のソレだが、本人はいたって真面目なので、俺から言うことは無い。別にバカにする気はないし、可愛らしい女の子とも思える。問題は、トイレから聞こえる水の跳ねる音。アイドルのトイレの音とか、録音してASMRにするとバズりそうなのだが、流石にそこまで介錯する気は俺には無い。水の跳ねる音が聞こえるのはタマモ的にどうよという話だが、俺がそこをツッコむとちょっと嬉しそうに過去のタマモは恥じらった。誰にでもというわけではないが、俺に聞かれるのは興奮すると。たしかにタマモはチョクチョク聖水プレイを俺に提案していたし、そういうことを性癖に傾かせているのは俺も悟っていた。まぁだから聖水プレイを俺がするのかと言われると、かなり経験値が足りないのだが。言ってしまえばアンモニアの液体なので、どう取り扱うにせよ問題は山積する。飲んだり掛けたりということを気軽にできる物質でもないのだ。もちろん一部の人にはそれが御褒美であっても。
「…………マアジ」
「ちゃんといるって」
タマモの本音で言えば、実は俺にトイレの中で待機してほしいらしいのだが、それは俺が断った。というか冗談ではないというのが本音だ。いや別にタマモの排尿に引いているとかではないが、それはそれとして俺の性欲にもリミッターは存在する。拘束制御術式第三号、第二号、第一号が解放されるとハリーハリーと言ってしまうのだ。
さてどうしたものか。
これも何かの迂遠なプレイなのでは、と俺が思案していると、玄関の扉が開いた。ちなみに普通に真夜中で、もちろん施錠もしている。ここにはオメガターカイトのメンバーが寝泊まりしているので、セキュリティの面では慎重になる。じゃあ誰が、となるとまぁ。
「お帰り」
片中サヤカに相違なく。玄関の明かりを赤色に反射する黒髪の美少女。ただロリ系。残念なくらい貧相なボディが、だが一部のファンには垂涎の的というこの矛盾。そのサヤカは目元を赤く腫らし、そして俺を見て動向を開く。驚いているらしい。
「……待ってたにゃ?」
「いや。過剰評価。タマモのトイレに付き合っているだけ」
静かに声を抑えると、水の跳ねる音が聞こえる。ソレが何を意味するのかは言語化するだけ野暮だろう。
「っていうか、お前がこの時間に戻ってくるってのが俺的には問題だ。聞くまでもないが何かあったろ」
「ん……にゃ」
コックリと頷くサヤカ。どうにもちょっと前から様子がおかしいとは聞いていたが、ルイ達の杞憂でもなかったらしい。
「ちなみにそれはお前にどうにもできないことか?」
「わかんにゃいけど……にゃにをすればいいのか」
それがどうにもできないってことだと思うんだが。
「じゃあ俺には?」
サヤカの問題であれば、解決するにやぶさかでもない。そもそも今までどこにいて、何に追い詰められているのか。
「その……生臭いことを聞くんにゃけど」
へぇへ。
「おにーさんってお金持ち……だにゃ」
たしか財閥の子息だとは既に話してあったな。つまり金絡みの案件か。しかし片中サヤカが、か? 金なら幾らでも稼いでいるだろう。借金をするほどアホでもないだろうし、男に貢いでいるのなら俺の存在が矛盾する。
「ちなみに俺は金持ってないぞ。俺の家が金持ちなだけで」
「でも動かせる……にゃ」
「欲しいものが有ったら買ってもらえるってだけで、俺の自由になる金銭は実は存在しない」
精々生活費程度だ。枯渇したら要求できるが、俺はあまり消費欲求がない。マンションに一人暮らししながら何言ってんだって話だが、必要経費も実家持ちなので、マジで俺の自由になる金なんて然程でもない。
「金が欲しいのか?」
もちろん俗物的な意味ではないだろう。なにか重大な問題が発生して金が入用なのだとは悟れる。
「おにーさん……」
その俺に縋りついて、涙を流すサヤカ。
「お願い……助けて……」
「いいぞ」
別に人の不幸を呪うほど奇矯な性格はしてないし、サヤカのために一肌脱ぐのは俺として問題ない。
「お金が……足りにゃいの」
だから金を出せ、ということなのだろう。
「とりあえず、話を聞かせてくれ。何にせよ、俺が動かせる金が無い以上、実家に言うにはデータがいる」
「ごめ……なさい……」
「いや。頼ってくれたのは普通に嬉しいぞ。金銭周りの問題なら、別に俺も気楽だし」
都合がつかないとすればアイツの機嫌次第だということを除けば。
「…………マアジ……いる?」
そういや今俺はタマモのトイレに付き合っているのだった。ある意味間接的な聖水プレイ。
「いるぞ」
「…………えへー」
「おにーさん。タマモと何してるにゃ?」
「うーん。それを語るには、ちょっと幾つか説明がいる」
端的に言えば、夜のトイレが怖いというだけの話なのだが。
「聖水プレイ?」
「俺も最近そうじゃないかとは思ってる」
「上級者だにゃ」
「不本意ながらなぁ」
既に水の跳ねる音は聞こえてこないが。それもそれで自然の摂理。救えぬ馬鹿共だ。永遠なぞというものはこの世には存在しない。




