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第67話:杏子の好きな人


「…………」


 平日の放課後。俺は杏子と一緒に帰路についていた。杏子のメンタルがやられている。週末には地方のモールでライブをやるのに、そのコンディションを今の杏子は喪失している。このままではライブどころではない。あと数日でコンディションを元に戻すには休むしかない。とにかく学校側に説明して休みを取る。その上で、週末までにどうにか立ち直ってもらう。とにかく今は学校にいるだけでマイナスだ。


「佐倉くん……ッ」


 その杏子は俺に手を引かれて我が家まで帰り、その俺を我が家に引き込んだ。


 家に入るなり、俺を抱きしめて、その呼吸はハァハァと荒らげられている。


「佐倉くん……私に勇気を頂戴?」


「具体的に何をしろと?」


「抱いて」


 却下で。


 ルイもタマモもいるのに、不誠実な真似は俺には出来ない。


「佐倉くんに抱かれたら私は頑張れるの。求められたら私は此処にいていいんだって思える。だから私を抱いて欲しい」


 無理だ。そのゲッシュを俺は結べない。


「なんで? オメガターカイトの角夢杏子だよ? アイドルが佐倉くんを求めているんだよ?」


 ソレが今更だって話は……まぁしないとして。


「既に好きな奴がいる。だから……無理だ」


「誰? 刺すから。教えて?」


 余計言えるか。


 俺を刺すならまだしも許容できるが、ルイやタマモを刺されるのは理に適っていない。


「じゃあ私は愛人でいいです。その子のことも妥協するから」


「不誠実だ」


「誰にも言わないから。佐倉くんと私だけの関係」


 どうしてそれを俺が容認すると思った。


「佐倉くんは、それでも私を想ってくれる。だからきっと私といけないことをしてくれる」


 ハァハァと息を荒げる杏子に悪いが、そんなことを俺が出来るなら、事情はもうちょっと簡単だったと言える。出来ないから今の俺は厄介なのだ。


「佐倉くん。好き。大好き。濡れちゃうよ」


 俺を想ってくれる……その意識はとてもありがたいのだが。


「じゃあ俺はこれで」


 撤退するより他になく。俺は御暇を。


「ダメ。お願い。いて。佐倉くん」


 その俺に抱き着いて、杏子は推し留める。


「いや。ダメとか言われても。俺は俺で事情が……」


「お願い。一緒にいて。佐倉くんが一緒にいてくれないと、私は死にかねない」


 死なれるのは困るが。だからって自傷されてもそれはそれで困る。


「大丈夫か。お前。週末はライブだろ?」


「うん。だから。佐倉くんに傍にいて欲しい」


 その意見には俺も何とも言い難いのだが。


「ん……ゅ……」


 けれども怖いもの無しなのか。杏子は俺の唇にキスをしてくる。それはとても甘美で、俺の意識を奪ってしまう。


「んッ……んんッ……」


 俺の唇にキスをする杏子を俺は止められない。


「大好き。好きだよ。佐倉くん」


 その押し付けるようなキスを、俺は全霊で受け止めていた。今、杏子を襲っている孤独は類を見ない。だから何かしら補填するものが必要になる。と分かっていても、それで俺が納得するかは別問題で。


「佐倉くん。大好き。好き好き好き。私の全てをあなたに捧げる」


 俺の唇を貪って、トランス状態の杏子がそういう。俺に言えることはそう無い。何せ俺は杏子のガチ恋勢ではないのだから。以前の俺であれば話は違ったかもしれないが、今の俺は杏子をそういう目では見ていない。


「佐倉くんは私のこと嫌い?」


 ウルウルとした瞳で見られると、否定も難しいのだが。


「嫌いじゃないが、肯定もしない」


「私はこんなに佐倉くんが好きなのに……」


 それも杏子の勝手だと俺は知っていて。


「ほら」


 俺の手を握って、その手を自分の胸に持っていく。その胸の柔らかさに、俺は何を思うでもなく。杏子の胸が柔らかいことを、俺はこの時認識していた。


「そりゃタマモちゃんみたいには大きくないけど、私にだって胸はあるんだよ?」


 ムニュウと変形する胸を触って、俺の性欲が突発的に発起する。


「だから佐倉くん。私を抱いて?」


 その言葉に、俺は否定を示す。


「何となくだが、無理だ」


「何で……?」


 理由は言えない。俺は既にルイとタマモに愛されており、その都合上杏子の誘惑に乗るわけにはいかない……ということを言ってもいいものか。


「佐倉くんは何か例えるものが有るの?」


「無いとは言えないが」


 だから俺はそう言う。


「それは佐倉くんの事情に関すること?」


「まぁ。そうだな」


 それもそれで俺の事情だ。


「誰にも言わないから。私を抱いて?」


「本当に誰にも言わないか?」


「誓って」


「じゃあその誓いを、妥協に使え」


「何で……」


「俺にお前を抱く気はない」


「本当に誰にも言わないから……ッ」


「わかってる。本当に誰にも言うつもりはないんだろう」


「だから……抱いて……?」


「残念ながら」


 俺にとっては全部無理だ。


「それより地方ライブに精を出せよ。俺も参加するから」


「佐倉くん……だって……私は……」


 無理筋。そうと知っても、俺に言えることはそう無い。


「お前がイジメにあっていれば助ける。俺がそうしたいのは否定しない。けれど、それを杏子の完全とは俺には思えない」


「だって、佐倉くんは……私のことを……」


 思っているのは事実だ。ただそれが杏子の問題かと言われると、それは違うわけで。


「じゃあ佐倉くんにとって私って何?」


「愛おしい友達。それじゃダメか?」


「嫌だよ。私は佐倉くんに想われていたい」


 だから俺には、それが無理なんだ


「嫌だ。嫌だ。嫌だ。佐倉くんは私の物だって……そう言いたい」


 無理だって言ってるだろ。


「じゃあ佐倉くんは私を否定するの?」


「まぁそれも時間的に間違いではない」


 俺は杏子を何とも思っていない。それだけは確かだから。きっとそのことを俺は固定的には思っていないのかもしれない。であれば、俺にとって杏子はさっきのように何とも思っていない存在なのかもしれないのだ。


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