第66話:追い詰められる杏子
「はあ」
溜息。つきたくもなる。
ルイ。タマモ。サヤカ。イユリ。
彼女らをどうしろと。俺的にはルイとタマモがいてくれれば問題ないんだが、それで「わかりました」とか納得してくれるサヤカやイユリでもないだろう。日本では重婚は出来ないので、結婚するのは誰か一人。その上で他三人は愛人か? それを世間にどう説明するのかと考えると気が重くなる。
「贅沢な悩みだとは分かっているんだが」
俺がそう呟くと、教室の後ろの方が沸き立った。
「今日のグラビア最高だな! ルイちゃんとかマジ活ホッキ!」
「いや。やはりタマモちゃんの暴力的肢体がディスティニー!」
「わかっちゃいるんだがサヤカちゃんは出ないのか!」
何やら好き勝手言っていた。グラビアとして少年誌の表紙を飾ったルイとタマモについて意見があるらしい。その二人が俺と……とか思っちゃったりして。とはいえこのままでは見捨てられるのも秒読みだとは思うのだが。性的な目で見ていないというのは全くの虚偽だが、抱いていいとは思っていない。というか、幸せ家族計画ってどこに売ってんだ?
ちょっと調べてみる。
「ドラッグストアとかで売ってんのか」
ちょっと意外だったが納得もする。手に入れるのは簡単そうだが、それで問題が解決したわけでもない。むしろ悪化するとさえいえる。
しばらくそうやって悶々としていると、担当教諭がやってきて、朝のホームルームを始める。その後、授業があって、俺は普通に受けた。昼休み。学食を利用する前に、杏子のクラスに顔を出す。彼女がいたら少し飯に誘ってもいいかもしれない。
「きょ、う、こ~?」
誰にも聞こえない声で、そう呼んでみる。だが杏子は何処にもいなかった。先に学食に行ったのか。それとも今日は来ていないのか。だが休むなら俺にも御一報あってもいいはずだが。何かしら嫌な予感はするが、構いすぎるのもそれはそれで。
「――――緊急です」
と思っているとスマホが俺にオーケーマアジを伝えてきた。素早くスマホを取り出すと、画面に学校のマップが浮かび、杏子の座標が表示される。近くの女子トイレだ。俺はそっちへと足を進める。女子トイレに入るのは気が引けたが、四の五の言っていられる状況でもない。
「ッ」
思ったより状況は悪かった。内開きの扉の取っ手にタオルで固定されたモップがそのままストッパーになっている。これでは開けるためにはモップを破壊するより他になく、そんなことは普通出来ない。俺は外側からモップを解放して、鍵をかけていないだろうトイレの中へと踏み入る。
「……ッ……ッ……ッ」
そこにははたしてトイレに座ってまるくなっている杏子がいて、泣いていた。扉の上の方にはある程度の空間がある。そこから水を掛けられたのだろう。トイレに閉じ込められている杏子はずぶ濡れだった。
「大丈夫か?」
「ごめ……なさい……ごめん……」
「気にしなくていい。それより拭くもの……はないから保健室に行こう。タオル借りようぜ」
「ごめん……なさい」
他に言うべき言葉が見つからないのだろう。杏子は泣いていた。
「あー……」
その泣きじゃくる杏子を連れて保健室に行くと、大体を察した養護教諭はタオルを貸してくれて、ついでにホットコーヒーを淹れてくれた。そのカップを杏子に差し出す。飲んで温まるのは必須事項だ。
「飲め。温まるぞ」
「ごめん……なさい」
「謝らなくていい。お前は何もしていない」
イジメの根幹は加害者にこそある。
「でも……この仕打ちを……マアジは受けた」
「……俺は気にしてない」
杏子を慰めるために、俺がそういうと。
「嘘ッッ!!!」
思ったより大きな声が杏子から発せられた。
「嘘! 嘘! 嘘! 嘘ばっかり! 佐倉くんは私を恨んでる! そうでしょ! こんな辛いことが起きて攻撃しないなんてありえない! 言ってよ! 私のこと嫌いなんでしょ! そうじゃないと理屈に合わない!」
「落ち着け」
別に恨んでいないというのは簡単だ。本気で俺は何とも思っていない。俺がショックだったのは杏子に裏切られたことであって、そこから派生するイジメに関しては些事だ。
「俺は何も思っていない。杏子を恨んだりなんてするものか」
「じゃあ……じゃあ何でそう言えるの? 私はこんなにも辛いのに、それを付与した私をどうして佐倉くんは許せるの……?」
「言っとくが許して無いぞ」
「でしょ。そうでしょ。こんな目にあって、佐倉くんが私を許したりなんて……」
「ただ、それとこれとは話が違う。俺が杏子を許さなくても……杏子を助けることに異論はない」
「嘘だよ。だって佐倉くんは私を徹底的に嫌ってるから」
「ここでざまぁみろって言えないのが俺の限界だよな」
だからどうしても杏子の信頼を得られない。俺がどれだけ杏子を許しても、その言葉を受け取る杏子が自分を許せない。だから俺の側から何を言っても意味がないのだ。
「杏子。お前が辛いのは分かるが、だからって俺がお前を蔑ろにする気は毛頭ないぞ」
「なんで? 佐倉くんは私が嫌いでしょ? なんでそれなのに私を心配するの?」
「理由が必要か」
「いるよ。いるに決まっている。私の身体が目当て? 抱かれたら佐倉くんの信頼を勝ち取れる?」
「ご結構だ」
そんなことで、杏子を貶めるわけにはいかない。なのに杏子は代償を求める。天秤の片方が驚異的に沈んだらバランスを取るために重いものは反対に置くように。
「なんで……佐倉くんは……」
「お前が大事だからだ」
ソレが詭弁であることを、俺は誰より知っている。
「とりあえずコーヒーを飲め。話はそれからだ」
何よりコイツに必要なのは温度だ。冷えた身体では、何も思い浮かばないだろう。
「なんで……なんでよ。なんで佐倉くんは……」
俺はその杏子の髪をタオルで拭いて、水気を抜く。ジャージに着替えた杏子は、けれども俺からの好意を受け止めきれない様だった。本気で俺のやっていることが理解できないのだろう。たしかに俺も、別に杏子のやったことを全部気にしていないわけではないのだが。
「ていうか冷えてるな。どれくらいあそこにいたんだ?」
「二限目から」
俺が救出したのが昼休み。つまり二時間くらいあそこにいたわけだ。
「もっと早く呼べよ」
「だって授業があるし……」
だからってお前が我慢する必要なんてないだろ。
「罪業だから。私は……佐倉くんを貶めた」
「だからってお前が辛い目にあって罪業が無かったことにはならんだろ」
「でもこれが……佐倉くんの見ていた世界……」
まぁそこは否定しないんだが。




