第61話:マリア様が見ている
「じゃ、行ってきまーす」
「…………いってきます」
朝。ルイとタマモを見送って。昨夜はサヤカはおらず。それから俺は一階下の十二階二号室に赴いていた。そこは俺の魔窟とも言える場所で。ズラリと並んだ衣服が揃えてある。
「今日杏子が収録だったのは幸運だったな」
ネット番組の収録で登校しない。であれば俺も警戒しなくていい事になる。
「今日は播磨王の制服にするか」
播磨王はラブコメアニメのタイトルで、そこの制服が可愛いとネットで評判だった。俺はその制服のコスプレを着て、化粧を施す。そのまま姿見を見て、自分が完璧な女装をしていることを確認。そうしてマンションを出た。別に女装が趣味というわけでは……ないわけでは若干ないが、一応別の理由もある。
「ふんふふふーん」
そのまま駅近なので電車に乗り、アキバへ。同人界隈で噂の本が今日発売するのだ。しかも乙女向けの。で、平日に、しかも乙女向けの本を買うのに男が一人で向かうのは例えるならストリーキングみたいなもので。周囲の乙女も困惑するだろう。なのでこういう時は女装するのが俺の常だった。正直な話、杏子の案件さえ懸念していれば諦めるつもりだったが、案外あっさりと都合がついたので、今俺はオニメイトに来ている。もちろん既に乙女が何人も立ち並んでいる。アニメキャラのプリントシャツを着ている猛者までいるほどだ。女子としてそれでいいのかとは思うが、言ってしまえば今の俺が男子としてそれでいいのかという話にもなるわけで。
「~~~♪」
そのまま開店まで待って、時間つぶしにスマホを弄る。
あのカップリングが。このカップリングが。と語る乙女たちに混じって、俺は時間を潰す。そうしてオニメイトが開店。雪崩れ込むように店内へと侵食する乙女の流れに逆らわず。俺も店内へと。
既に全員の意見は一致している。つまり目当ての同人誌。二限で指定されている同人誌が港のマグロのように売れていく。俺は別に保存用を買う必要はないので、一冊でいいのだが。それはそれとしてこうまでして学校をサボって買いに来たのだ。逃すわけにはいかない……と思って手に取ると、それが最後の一冊だった。
「あ……」
俺が手に取った本で売り切れ。というのは自然の摂理としても、つまり俺の後ろに並んでいる乙女の悲嘆は筆舌に尽くしがたいわけで。
チラリと彼女を見やる。
「…………」
乙女本を買いに来たのだ。もちろん乙女なのだろう。此処ではむしろ俺が例外。その乙女を見て、俺は何と申すべきか、五秒ほど悩んだ。
「えーと」
チ、チ、チ、チ、ポーン
「いります?」
あまりに絶望しているその御尊貌を見て、ちょっと哀れに思って同人誌を差し出す。後一冊しかないので、つまり彼女に譲れば俺は買えなくなる。
「でも……それはお姉様のものでは?」
オズオズと自重するようにそういう乙女。たしかに俺が掴んだのだから購買権は俺にあるんだろうけども。お姉様て。
「アナタさえよければ、譲って差し上げますよ? 再販はされるでしょうし」
ちょっと乙女声で言葉を紡いで、度量の広い女の子を演じてみる。
「よろしい……のデスか?」
「あなたさえよければですが」
そして乙女は俺と同人誌をチラチラと見て、それから俺の好意をどうすべきか悩んでいるらしかった。ありがとうと言えば俺が同人誌を買えなくなる。だが遠慮すれば俺の好意を無下にしてしまう。
周囲の乙女は同人誌に一喜一憂しており、俺と乙女を見てもいない。腐女子に乙女に夢女子まで揃っている。それらが今回の同人誌を素早く手に入れようとバトルしあっており、今回に関していえば腐女子がメインでもある。俺は腐男子ではないが、今回のサークルの本は常に買っている。
「では、有難く頂戴いたします」
とはいえ会計は乙女がするので、頂戴には該当しないのだが。というわけで今日の目的である同人誌は乙女に譲ったので、俺は乙女本を少しだけ見て回って、それから帰路に就くことにした。同人関連は十二階の秘密部屋に収納しているので、ルイやタマモも知らないのだ。
「帰るか」
学校を休んでまでオニメイトに来たというのに、戦利品も無しに帰るのは少し虚しい気もする。とはいえ男の分際でこの乙女の園に何分もいるというのも心苦しい。そう思って店を出ようとして、
「お姉様!」
とある声が俺を呼び止めた。正確にはお姉様と呼ばれただけで、それが俺を指しているとはとっさに認識できなかったが、なんとなくその場の流れで俺なんだろうな程度は読み取れる。振り返ると、会計を終わらせてオニメイトの袋に同人誌を収納して大事そうにかき抱いている乙女が、そこにいた。
「お暇ですか?」
聞かれてスケジュールを確認。とはいえ脳内ではあまり予定もない。オニメイトに同人誌を買いに来ただけで、終われば帰るだけだとも言えるのだ。
「お茶……しませんデスか。御馳走させてください」
「構いませんけど。悪いですよ」
「拙はお姉様と語り合いたいのデス」
「伊豆愛されについて?」
「やっぱりお姉様も総受けだと思いますか?」
「否定も難しいですね」
仕方ないので苦笑した。どうやらこの腐女子らしい。というか伊豆愛され本を買って腐女子じゃなかったら何なんだって感じだが。そうすると俺は何なんだ?
「ふむ」
アキバにも喫茶店はあるし、メイド喫茶だってバリバリ運営されている。その一つに入って、俺は乙女と同席していた。俺は紅茶とパンケーキ。乙女はケーキセットを頼んだ。
「はーい。砂糖とミルクは要りますか?」
メイドさんがそう尋ねてくる。
「お願いします」
なので俺は穏やかに微笑んだ。
「じゃあ入れちゃいます。目を見て混ぜ混ぜ~」
俺を見詰めながら紅茶にミルクと砂糖を混ぜてくれるメイドさん。こういう仕事を俺も文化祭でせにゃならんというわけで。
「……お姉様?」
で、そこでハッとなって、俺は現実に引き戻される。
「あの……ありがとうございました。この本。どうしても欲しくてデスね」
「ああ。気にしないで。別に初版にはこだわりないですから」
ここまで売れつくせば再販もするだろ。しなかったらサークルサイトに突撃してやる。
「その……お姉様のお名前は……」
「佐倉マアジと申します」
「マアジお姉様……」
そんなキラキラした瞳で見ないで。俺の汚物めいた立ち位置が浮き彫りにされる。
「その……拙は……デスね」
「知ってますよ」
「へ?」
「八百イユリ……でしょ?」
八百イユリ。オメガターカイトのアイドルメンバーの一人だ。百合営業をネットで良くする擬似的な百合乙女を演じているアイドル。そういう意味ではビッチアイドルをやっているサヤカとは対を為す女子だ。別に百合営業を否定するわけでもないし、俺的にはどうでもいいんだが。
「知って……らっしゃるので?」
「オメガターカイトは大好きですので」
伊達眼鏡をかけてモブ乙女を演じていようと八百イユリの可憐さまでは隠せない。




