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第59話:オーケーマアジ


「…………」


 平日のとある朝。夢見も悪くなく、ついでにルイとタマモに朝食を作ってやって。サヤカは別の学校があるので早めに出て。俺も都合があって早めに出た。施錠はルイとタマモに任せたが、まぁエントランスのセキュリティが異常なほど高いので鍵を忘れても泥棒の心配はほぼない。


 で、俺は校門の前に立って一人ホケーッとしていた。周囲を通り過ぎる生徒は俺を見て汚物でも見るような目を向けてくるが、案外これが心地いい。いや蔑まれることに快感を覚えているわけではなく。なんというか。相手に期待されないということが俺にとってはリラックス効果を誘発するのだ。


「佐倉くん」


 一応校門に立って生徒を一人一人見聞していたが、相手が見つけたら声をかけるだろうなとも思った。角夢杏子が、そこにいた。


「よ」


 で、俺は気さくに声をかけて、ちょっと苦笑する。何か大勢に勘違いさせているのかもしれない。俺のような下着ドロボーがオメガターカイトの角夢杏子に声をかけるのは、底辺が殿上人に声をかけるようなものだろう。我が校でも杏子がオメガターカイトに所属しているのは知れ渡っている。一部反感はあるだろうが、学校全体の意見としては肯定されている。まぁ仮に杏子がアイドルじゃなかったとしても学内で異常に突出している美少女であることには変わらない。それこそアイドルじゃなくても学校のアイドルとして持て囃されていただろう。


 その杏子は周囲を見て、その空気を鋭敏に察しながら俺を見る。


「スマホ持ってるよな?」


「まぁ。です」


 アイドルなのだから連絡手段は必須だ。そうじゃなくてもPTAがうるさいので、今時の校風であるウチは、学生のスマホ使用を許可していた。ただしゲームとSNSは禁止。


 その校則にちょっとだけ異変があるのだが、それはそれとして。


「ほい」


 俺はスマホをタップして、メッセージを杏子に送る。


「?」


 書かれたのはデータボックスのURL。


「別にウイルスとかじゃないから開いてくれ」


「いいけど……何?」


「ちょっとしたアプリ」


 俺もダウンロードしているのだが、これを片手間に作ってしまうエンジニアの腕が凄い。佐倉コーポレーションの雇われエンジニアらしいのだが。


「……オーケー……マアジ?」


「名前は何でもよかったが、分かりやすいアプリ名でいいだろってことで」


「何のアプリ?」


 特に画面展開するようなアプリでもない。恒常的に無限ループして起動条件を待っているタイプのアプリなのだから。


「そのままスマホにオーケーマアジって言ってみ?」


「オーケーマアジ」


 素直に言う杏子がちょっと可愛い。


「――――緊急です」


 俺のスマホから電子音声がそう呟いた。


「どうせスマホは手放さないだろ」


「そりゃね」


 仕事の都合上、どうしても。


「で、今入れたアプリは、お前が学内ローカルネットワークの範囲内でスマホにオーケーマアジって呟くと、俺のスマホに座標を送ってくるシステムになってる」


「どういうこと?」


「もしイジメられたらスマホに向かってオーケーマアジって呟け。俺が必ず助けに行く」


「そのためにこのアプリを開発したの?」


「開発したのは俺じゃないが……まぁそうだな」


「なんでそこまで」


「お前が心配だから」


「――――ッッッ」


 何か驚いたように杏子は目を見開いた。俺は何かマズいことを言ったか?


「本気……なのですか?」


「そりゃ意味もなく呼び出されても困るが。俺の顔を見たいときは絶対呟け。必ず身命賭して駆けつける」


「……ッ……ッ……ッ」


 前髪をおろして、その金髪で目元を隠し、杏子は俺の肩を三回叩いた。まるで憤懣やるかたない……みたいな。


「ただし意味もなく呼ぶなよ。俺にだって都合はあるんだから」


「授業中とか?」


「それくらいは許容範囲内だ」


「でも授業中ですよ?」


「学校にも許可は取ってる。だから遠慮なく呼べ。移動教室とか体育とかで問題が発生しないとも限らんし、それこそ身内が不幸にあったとかじゃない限りはお前を優先する」


 あっさりと俺が言うと、そのオーケーマアジをインストールしたスマホを大事に抱きしめて、杏子は言う。


「ありがと……」


 ッッッ。


 やっぱり角夢杏子は可愛い。こんな照れ切って「ありがとう」は反則だ。過去の俺が角夢杏子の追っかけをしていたのも頷ける。


「じゃ、そんなわけで。要件はそれだけだ」


「佐倉くんは……素敵だね」


「誰が聞いてるともしれんから、迂闊なことは言ってくれるな」


「オーケーマアジ」


「――――緊急です」


 あっさりと俺のスマホが電子音声で知らせてくる。


「ふふ。なにか私たちだけの絆ですね」


「まぁ否定も難しいんだが。実際その通りだしな」


 で、俺は用事が終わって教室へと。というか早めに登校したのは、杏子と校門でこうするためで、それ以外の用事はない。昇降口で上履きに履き替え、教室へ。侮蔑の視線を受けながら教壇前の席に座ると、


「おいーっす。佐倉さんいますかー」


 女生徒が俺を呼んだ。ネクタイの色で三年生と分かる。たしか織部先輩……だったか。手芸部の部長で俺のメイド服の創作者。


「なんでしょうか?」


「放課後家庭科室集合ね。仮縫いがあるから。ちょっと後輩の指導で遅れるけど帰っちゃダメよ? 家庭科室で待機ね」


「さっさーい」


 別に断る理由もない。今の俺にとって課題というのは第一にオメガターカイト内の不和で、二番目が杏子のイジメ。三番目に文化祭の準備だ。


 ただルイとタマモの思うことも分からないじゃないから、そこが厄介なんだよなー。水に流せるほど巨大な排泄物ではないというか。大きすぎて胃と腸がもたれるというか。でも杏子だって反省しているし、俺の思想的には性悪説だが、それは悪を克服できるという前提で論じるべきものだ。


「キスすりゃよかったかな?」


 まぁ登校時間に生徒が二人キスしていたら風紀上の問題だろうけども。何かと問題は発生するものの、杏子は確かにアイドルで、この学校では一番可愛い。


「角夢さんに告られたらどうする?」


「付き合う」

「推しを変える」

「全力で握手会に行く」


 と男子がバカな話をするくらいには注目されているわけで。


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