第169話:暗闇の中の光【イゾウ視点】
「今日ヲヒメちゃんデートするらしいよ」
最近ディーヴァラージャのファンSNSで知り合った友人が、そんな爆弾発言を拙者に投下した。
ヲヒメちゃんのデート!? そんなことがあり得るのか!?
「どこ情報だ! ソース出せ!」
拙者が狂ったようにコメントすると、ポンッとGPS情報が送られてくる。
「これは?」
「ちょっとイリーガルで手に入れたヲヒメちゃんのスマホ位置情報。それ追っかければ真実がわかるんじゃない?」
SNSの友人はそうやって拙者のファン心を突いてくる。ヲヒメちゃんがデート。男とか? そんなことが許されて……。そもそもヲヒメちゃんは拙者にガチ恋しているはず!
ヲヒメちゃんのスマホGPSを手に入れて歓喜している場合ではない。その情報が真実か確認しないと。最低限の衣服をまとって、寒さ対策にコートを着て、GPS頼りに拙者はその位置へと出向く。そして見たのは駅周辺で誰かを待っているヲヒメちゃん。拙者が飛び出して行って抱きしめたいが、それは自重する。もし誰かとのデートが本当なら、その証拠を掴んで、彼女を分からせなければならない。ヘアカラースプレーで変色しているけど拙者には分かり申す。あれはヲヒメちゃんだ。
ていうかGPS情報手に入れたってことは拙者はこれからヲヒメちゃんの位置を常に知れることになるんじゃあ……。ちょっと離れたところで見ていると、そのままヲヒメちゃんは男と合流した。どこにでもいるようなつまらない男だ。拙者と違ってヲヒメちゃんの隣にいるには相応しくない。ちょっとイケメンだからって調子に乗りやがって。ヲヒメちゃんは拙者のだぞ!
そうして眠そうなヲヒメちゃんを気遣う不適格男。二人はそのまま映画館へ向かった。どの映画を見るのかはわからなかったので、拙者は劇場の外で三時間待った。そうして二人が出てきたところを見て、そのヲヒメちゃんが楽しそうに笑うところに目が焼かれた。その笑顔はライブでトレンドになった乙女顔だ。ヲヒメちゃんが拙者にだけ見せるべき笑顔。そして二人は何かを会話して、嬉しそうに頷いたヲヒメちゃんが不適格男の腕に抱き着く。彼女の決して小さくないおっぱいが男の二の腕に押し付けられる。
「あ! ああああぁぁぁぁ! あああああああああああああああああ!」
脳が破壊されそうだ。そのおっぱいは拙者のだ! 拙者だけが揉んでいいおっぱいを、不適格男が味わっている。ヲヒメちゃんのおっぱいを独占していいのは拙者だけなのに。
「絶対許さない……マフィアに頼んでアイツを殺す……」
それしかない。ヲヒメちゃんも嬉しそうに不適格男におっぱいを押し付けている。ギルティだ。拙者にガチ恋している乙女がやっていい領域を超えている。そのおっぱいは拙者だけのものなのに!
「殺す! 殺す! 殺す!」
そうして二人は喫茶店に赴き、二人でお茶を始めた。拙者はそれを監視できる席で見届けている。仲良さそうにお茶をしているが、そもそも前提が間違っている。その立ち位置は拙者のモノだろう。ヲヒメちゃんがお茶をするならまず拙者に確認を取るべきだろう。
ヲヒメちゃんもヲヒメちゃんだ。
そんな不適格男に嬉しそうな笑顔を見せるんじゃないよ。拙者であればお金持ちだから、お茶くらいいくらでも奢ってあげるのに。
店員が淹れてくれたお茶は脳破壊のせいで渋みしか感じない。ヲヒメちゃんは終始照れているように恥じらって、不適格男に対して遠慮気味だ。その不適格男は爽やかな笑顔でヲヒメちゃんを案じている。
クソ! クソ! クソ!
そこに座るべきは拙者だ。この鬼喪イゾウだ。ヲヒメちゃんを口説いていいのは拙者だけなのに。なんであんな不適格男にヲヒメちゃんは心を許しているんだ。
飛び出していきたい感情を押さえつけて、そのまま観察する。お茶をしながら二人は楽しそうだ。ヲヒメちゃんアイドルだからファンにも笑顔を見せないといけない。きっとそういうことだ。ヲヒメちゃんはプロとしてあそこに座っている。そもそもヲヒメちゃん自身、拙者へのガチ恋勢だから、心配する必用なんてないはずで。
「を、ヲヒメちゃん……。せ、拙者はここにいるでござる」
談笑してクスクスと笑うヲヒメちゃんが遠い。このままではヲヒメちゃんは真実の愛を見失う。拙者だけがヲヒメちゃんを幸せに出来るのに、今のヲヒメちゃんはその幸せを投げ捨てようとしている。それでは駄目だ。ヲヒメちゃんは幸せにならなければならない。そのためには拙者が必要だ。そのためならヲヒメちゃんからあの不適格男を離さなければならない。パシャリと写真を撮る。男の顔を。その写真を大事に保護して、それから覚悟を決める。これから犯罪組織にこの男の顔を売って、殺すように頼むのだ。とはいえそれは帰ってからでいい。今はヲヒメちゃんを妄念から覚めさせないと。
「マアジさん♡」
そうして対面同士で座っていたヲヒメちゃんがあからさまに距離を縮める。不適格男の隣に座り直して、その顔を恍惚として見る。そして喫茶店を何だと思っているのか。不適格男の頬に手を添えて、うっとりとした顔で頬を赤らめる。
ダメだ。それ以上は。そう思って、懇願するように拙者が祈ると。
「ッッッ」
もはや言葉も失うほどの衝撃が起こった。ヲヒメちゃんがキスをしたのだ。不適格男に。それも唾液と唾液を交換するディープキス。息を交換して、互いの口内を舐め合うキス。そうして愛を確かめ合う二人のごとく拙者の前でディープキスをした二人。
「あ、ああああ、ああああああああああ……」
自分が何を見たのか。何を見せられているのか。それがわからないようになると同時に、視界が一気に暗くなった。瞼を閉じたわけではない。だがあまりに唐突に拙者の視界は暗くなった。まるで目玉がいきなり消えてしまったかのような。そして耳元にボソリと聞こえてくる。
「桃野ヲヒメはこれからあの男に股を開くんですよ?」
丁寧な口調で信じられないようなことを囁く声。愛らしい声だが、その言葉の意味を理解するのは時間がかかる。
ヲヒメちゃんがあの男に股を開く?
つまりセクロスするってことか?
ありえないだろう。そんなこと。ヲヒメちゃんは拙者と相思相愛なのだから。けれど真っ暗になった視界で、その映像が焼き付いて離れない。ヲヒメちゃんが男とディープキスをしたという映像が。同時に血の匂い。それから痛み。痛覚が刺激されて、絶叫を上げようとして、だが声が出ない。まるで声帯を除去されたように声が出ない。いや、あるいは聞こえないのか。最後の声を聴いてから、不自然なまでに世界が静かだ。双眸が痛いのに見えず。耳の奥が痛いのに音が聞こえない。
いきなり不調をきたした目と耳。真っ暗で無音の世界の中で、無限にループする最悪の映像。衝撃的なまでに鮮烈に脳に焼き付いている……ヲヒメちゃんが不適格男にディープキスをした映像が、視界を失った世界の中で無限にループする。さらに無音になる前に最後に聞いた声。
『桃野ヲヒメはこれからあの男に股を開くんですよ?』
その囁きが耳から離れない。不適格男にディープキスをして、その映像が脳から離れないのに、追い打ちをかけるように囁かれたセクロス宣言。もう拙者の世界はそれだけを繰り返し思い出していた。
視覚と聴覚がいきなり消え失せて、何も感じられなくなった世界で、ヲヒメちゃんのディープキスとセクロス宣言だけが印象に残って、他のことが考えられない。ヲヒメちゃんは拙者のモノだ。誰にも渡さない。けれど、すでに拙者は目が見えず、音が聞こえず。ただ不適格男にディープキスしたヲヒメちゃんだけを思い出して、苦しむしかない。
そのまま目と耳に起こった痛覚は、つまり視覚と聴覚を失った証拠で、拙者は時間を数えることも出来ず。そもそも今どこで何をしているのかもしれず。病院に運ばれたのか。それともまだ喫茶店にいるのか。あるいはこれまでが夢だったのか。全部わからないまま、脳だけが健全に作用して、暗闇で無音の世界の中をただヲヒメちゃんの不適格男との浮気だけに悩まされて、その記憶だけをループして破滅へと直行した。
あれからどれだけ経ったのか。もはや嗅覚と味覚と触覚だけで状況を察するしかなく、けれどそんなことはどうでもよかった。拙者の……拙者だけのヲヒメちゃんが男とキスをしてセクロスをするという最悪の印象を拭うことが難しく。その繰り返し思い出す悪夢に苛まれながら拙者は衰弱していった。
「――――」
自分が何を言っているのかもわからない。視覚と聴覚は感覚の八割超を占めている。その二つを失って、まるで何も感じない世界で、ヲヒメちゃんの不適格男に向けたメス顔だけを思いだす。拙者の……拙者のヲヒメちゃんが寝取られた。拙者が抱くはずだったヲヒメちゃんが別の男に股を開いてアンアンと鳴いている。そのことに沸騰するような悪寒を覚える。拙者だけのヲヒメちゃんが……別の男と……。




