第161話:とあるオタクの不満【三人称】
「クソ! クソ! 畜生!」
鬼喪イゾウはパソコンの画面を見ながら爪を噛んでいた。何故かと言われると、自分の策略が上手くいかなかったことによるストレスだ。せっかく五千万円を支払ってロシアンマフィアにエンタメプロを潰すように依頼したというのに、そのエンタメプロは佐倉コーポレーションの傘下に入って、企業そのものが強化されてしまった。なお、報告によると銃での脅しもきかないようで、佐倉コーポレーション本社から出向してきたエンタメプロ社員は肝が据わっているらしい。
「このままでは……で、ディーヴァラージャをオメガターカイトより人気に出来ない」
そのためにこそイゾウはエンタメプロを潰すことに決めたのだ。
「こ、こうなったら、し、死人の一人くらい出てもしょうがないよなぁ」
完全にいってる目でパソコンの画面を見つめ、覚悟したような暗い表情になるイゾウ。
「ま、待っててね。ヲヒメちゃん……。せ、拙者が君の王子様だぞ」
カタカタとキーボードを打って、自分の策謀に没入する。
「と、ところで、ヲヒメちゃんは、拙者のどこが好きなんだろう?」
ヲヒメちゃん人形を愛でながら、その舌で人形のおっぱいを舐めながら、そんなことを考える。桃野ヲヒメはイゾウのことが大好き。少なくともイゾウはそう思って疑うことをしていない。
「せ、拙者はヲヒメちゃんが全部好きだよ……。を、ヲヒメちゃんの可愛い顔も、おっぱいも、何でもかんでも好きだよ……。ヲヒメちゃんも拙者が好きだよね……? そうじゃなきゃあんな恋する乙女の顔をしないよね……?」
ペロペロと桃野ヲヒメの人形を舐めながらフヒヒ、と気持ち悪く笑う。そのキモさこそ彼の真骨頂ではあったのだが。
「フヒヒ。そうだ。を、ヲヒメちゃんに会いたいな。こ、今度のバレンタインライブ。拙者に本命チョコを渡すんだよね?」
そのためならディーヴァラージャのバレンタインライブのチケットくらいはあっさりととれる。そもそも株長者であるイゾウにしてみればアイドルのライブチケットははした金だ。
「を、ヲヒメちゃん……拙者のこと好きだよね? 拙者も好きだよ……」
そして、その桃野ヲヒメがオメガターカイトより人気になりたいと言ったのだ。イゾウとしてはその願いを叶える義務がある。ヲヒメの王子様として彼女の願いを叶えるのは男の甲斐性だとすら思っている。
「ヲヒメちゃん……ヲヒメちゃん……ヲヒメちゃん……」
そして、その乙女の名を呼んで、息を荒らげる。
「とにかくエンタメプロを潰さないと。」
そのためには、もっと金が要る。ヲヒメとの結婚資金は確保するとして、けれど他の自由になる金でエンタメプロを潰すことに使う。もちろん株式市場は常に見張らねばならない。動きがあればすぐさま対応できるように。
「あー。腹減った。カップラーメンは……もう無いか……」
そういえば最近同じ味のラーメンしか食っていないような気がする。というか事実、備蓄カップラーメンの同じ種類しかイゾウは食べていなかった。彼が外に出るのは食糧調達かディーヴァラージャのライブくらいだ。あとは常に部屋で株式市場を睨んでいる。
「まぁたまには外に出るかー」
シャツは寝巻のまま、ジーンズを履いて、コートを着て外に出る。そういえば外に出るのも久しぶりな気が彼にはする。どうせ金はあるんだ。カップラーメンの備蓄を溜めるついでに、今日は外食をしよう。と意気込んでみたものの、そもそもどこの店が美味しいのかも知らない。都心に住んでいる程度には稼いでいるが、それでもそう言えば東京を歩き回るということをしていなかったような。
「エンタメプロをどうやって潰してしまおう」
今のイゾウの治世はそこに集約している。適当に近場の人気店を、とネット検索してその店に入る。入った瞬間感じたのは、学校でのことだった。おしゃれな空気。静謐とした空間。絶え間ない笑顔。それらが混在としてパスタ専門店をかたどっていた。たまにはパスタもいいか、と安易に店に踏み込んだ自分を呪う。こんなおしゃれな店に履き古したジーンズ姿のキモオタが入り込んでいいわけがない。出よう、と思っていると。
「いらっしゃいませ! お客様!」
ニコニコ笑顔で店員が接客してくる。もちろんイゾウにとってはハテナだ。こんなみすぼらしい姿のネオニートが立ち入っていい場所じゃない。
「あ、すんません」
反射的に謝ってしまった。こんなキモい人間が敷居をまたいですみません。
「いえいえ、こちらこそ接客が遅くなり申し訳ございません。本日お客様が多くて。席は何処になさいますか?」
正直な話、「正気かお前?」と聞きたくなった。こんなおしゃれな店にキモオタを入れても違和感しかない。学校の時と同じように周囲から笑われて過ごす羽目になる。
「あ、じゃ、じゃあ、す、隅っこの席で……」
「ご案内します」
もちろん、そんな意見を真正面から言えたら今更キモオタであるはずもない。曇りなき眼で接客してくれるウェイターの仕事ぶりにも尊敬を表するが、まさかこんなキモオタを店に入れて店長に怒られたりしないのか。
「こちらメニュー表になっております。ご注文お決まりでしたらそちらのボタンでお呼びください」
「あ、ども」
イゾウは他に何も言えなかった。とりあえずメニュー表を見て、何を書いているのか分からなかったので適当に選ぶ。海産物の入ったパスタがあればな、とかそんなことを願っていた。で、注文を言うイゾウ。
「海産物……ですか? でしたら地中海式ボンゴレとかどうでしょう?」
地中海ってどこだっけ? と聞くのも躊躇われるので「あ、それでいいです」と唯々諾々。ついでにアイスコーヒーを頼んで、おしゃれな店の隅っこで自分が何をしているのか考える。既にエンタメプロは佐倉コーポレーションの子会社になっている。正確には佐倉コーポレーションが大株主になっているのだが、そこはツッコまないとして。彼にとっては佐倉コーポレーションがエンタメプロに二億出資したということが既にどうにも正気を疑う。アイドルなんて水商売に金を出したら、株主に説明しづらいように思うのだが。だが事実として佐倉コーポレーションがエンタメプロを買収したのも現実で。となると、だ。経済的にエンタメプロを潰すことはできない。ついでに言えば、社員を脅しても同じだろう。単純にエンタメプロの社員程度なら、すでに実績があるように辞めさせることもできるが、佐倉コーポレーションから業務委託された社員が、マフィアの脅しに屈するかというと、既に決着がついている。
「となると……ファンを引かせる……とかか?」
単純な思考をすればそういうことになる。例えばライブの最中に銃撃事件があって、ファンが数人負傷する……とか。そうなるとオメガターカイトそのものが活動休止になって、今よりディーヴァラージャの人気は上がる。もちろん桃野ヲヒメも喜んでくれるだろう、とイゾウは計算した。
「じゃあそうすると、銃撃事件を起こす人員の手配を……」
まさか自分がやるわけにはいかない。とすれば犯罪をおかしても問題ない人物。もちろんそんな人間がそんなにいるわけもなく。だが裏サイトを捜せば、社会に不満を持っている人間は揺蕩っている。そいつらに金と銃を渡して、事件を起こさせればいい。そうすればオメガターカイトの社会信用は下落して、ディーヴァラージャの方が人気になる。
「……これだな」
となると近場のオメガターカイトのライブはバレンタイン。イゾウにとってはディーヴァラージャのバレンタインライブと被るので、物事を見届けるわけにはいかないのが悲しいところ。とはいえ桃野ヲヒメから本命チョコを貰う権利があるのは自分だけだと自負している。他のファンに上げる義理チョコは、イゾウ的にはもやもやするが止めろと言ってもアイドルとしてはしょうがない部分もある。アイドルなんだから誰にでも笑顔というのは商売上しょうがない。桃野ヲヒメが鬼喪イゾウにガチ恋しているのはイゾウから見ては自明の理だが、ファンサービスは必要だろう。
「パスタ。お待ちしました」
「ああ、す、すみません。デュフ……」
どこまでもキモいオタクスマイルを見せて、それから久方ぶりにカップラーメンじゃない食事をする鬼喪イゾウだった。




