第118話:届かない声【三人称】
「お願い。別れて」
「えーと……だぞ」
「…………えーと」
何のこと、と誤魔化したルイとタマモに、縋るようにリンゴは言う。
「佐倉マアジと別れて」
「えー? 誰それ?」
「この部屋の隣に住んでる男子高校生。かなりのイケメンで、ついでにルイとタマモとサヤカと付き合ってる」
今のところイユリとアワセについてはリンゴも知らない。
「もしかして全部知ってる感じ?」
「全部は知らないけど……ルイとタマモが知らないことは知ってる」
悲痛と言うほど悲しみはないが、痛みについては青天井だ。
「アレはルイたちが思ってるようなイケメンじゃない。もっとドス黒くて、残酷な何か」
「…………そう言えるだけの根拠をリンゴはマアジに聞いたんですか?」
「まぁな」
だから、と繰り返し言う。
「別れて」
「嫌だぞ」
「…………嫌です」
「そもそもウチの事務所、恋愛禁止……」
「もちろん」
「…………知ってます」
「ルイとタマモが恋愛スキャンダル流せばウチの事務所終わるぜ?」
「だから隠しているんだぞ」
「…………リンゴも秘密でお願いね」
「だから……」
そう言う問題ですらない。リンゴにとってマアジの酷薄さは、ある意味で空恐ろしいほどだ。どうやったらオメガターカイトを利用して日本を混沌に貶めようとか思えるだろうか。その騙されているルイたちはあまりに恋愛脳で、あのイケメンを心から心酔している。
「ルイもタマモも弄ばれているだけ。マアジはお前らのことを何とも思っていない」
それだけはリンゴにとって確かな情報。彼はオメガターカイトを骨抜きにすることで絶黒のミッションを達成しようとしているだけ。
「愛を囁いてくれたぞ」
「…………大好きだと言われました」
「ソレを疑わなかったのか?」
「マアジはボクの星の王子様だから」
「…………ヤリ捨てくらいしてくれると嬉しいんですけど」
言葉も無いとはまさにこのことで。アイドルとして男と付き合うのがタブーだというのはすでに周回遅れの忠告。そんな正論で聴くほどルイもタマモも正気じゃない。だが弄ばれて、それが本望となると搦手も通じない可能性がある。それだけはマズい。
「ガチでオメガターカイトの運営を破滅させるって。そうじゃなくてもアレは俺から見ても怪物だ」
「怪物って言い方はよくないぞ」
「…………まぁ人の域は超えていますけど」
「ちなみにリンゴは、そう言うだけの何かを知っているの?」
湯呑で、ズズーと茶を飲みながらルイが問う。今いるのはルイの部屋で、そこにタマモがお邪魔して、好機とばかりにリンゴがお邪魔していた。その隣ではマアジがイユリとベルサイユの百合を視聴している。
「……っ……っ」
リンゴの口がパクパク開くが、それは言葉にならなかった。言っていいものか悩んでいるというか。まさか自分の中二病が日本国家を双肩に乗せていると、さてどう言えばいいものか。
「論拠も持たずに別れなさいは通じないぞ」
「…………まぁそんなこと言えばアイドルに恋愛御法度も論拠ですけどね」
ニコッと微笑むルイと、それにツッコみつつブーメランなタマモ。二人とも出来得ることならば正論よりも、マアジとのイチャイチャを望んでいる。今、隣室にイユリがいるだけでも二人にとっては我慢のならない状況なのだ。
「その……マアジは……」
激しい葛藤の末に、ついにリンゴは言った。
「暗黒結社の組員で……」
「暗黒……」
「…………結社」
予想外の表現に、何と申すべきかルイもタマモも困っていた。
「暗黒結社……絶黒。そこの影救世躯体なんだ。マアジは」
「絶黒」
「…………エグゼクター」
しばらく沈黙の妖精が周囲を飛び交い。
「ッッッ!」
「…………ッップ!」
堰を切ったように、ルイとタマモは爆笑した。
「ちょ! 暗黒結社って! 絶黒って!」
「…………エグゼクター……ですかッッ」
ルイはお腹を抱えて大笑いし、タマモも笑いを抑えることが不可能なので、リンゴから顔を逸らしていた。だが二人とも笑いのツボに入っているのは事実で。呼吸困難を心配する程度には爆笑していた。
「絶黒……絶黒って……ひー!」
「…………エグゼクター……ですかぁ……ひ……」
心の底からの忠告を笑われたリンゴの心情たるや察するに余りあり。
「本当だもん! 本当にマアジがそう言ってたんだもん!」
普段の中二病をかなぐり捨てて、二人に抗議する。
「アイツは絶黒の影救世躯体なの! 謀略があるから二人に近づいたの!」
「ち、ち、ちなみに、その謀略って?」
腹を抑えながら、涙ながらに聞くルイに。
「仮想通貨を流通させてオメガターカイトの市場を全部かっさらうつもりなんだ!」
「…………仮想通貨?」
「本人は推しっコインって言ってた」
「「推 し っ コ イ ン」」
さらなる爆笑。そもそもリンゴが言っていることが、どれも空想的すぎて笑うより他にないというのが二人の意見だ。仮想通貨、推しっコインを流通させて市場を握って日本経済を破綻させる。あるいは、その可能性はアルバトロスよりも現実味がない。
「本当だって。マジでそう言ってたって。だからルイとタマモに近づいたのも推しっコインを事務所に認めさせるための手段であってだな!」
「大丈夫だって! そんな空想で日本は負けないから」
「じゃあ俺が騙されたってのか!」
「…………騙されたというよりからかわれているんです」
「お前らはマアジの正体を知らないからそんなことが言えるんだよ! 男と恋愛だけでも問題なのに、それが愛してもいない男の甘言に惑わされやがって!」
「だって! 絶黒って! エグゼクターって!」
「…………もうちょっと人を疑うことを覚えた方がいいですよ?」
「お前らがそれを言うかぁ!?」
リンゴにしてみればナンセンスな話だ。
「わかった! じゃあマアジがお前らを騙してるって証明してやる!」
「どうやって?」
面白そうにルイが問うと、リンゴは服を脱ぎだした。何を、と思うルイとタマモだが、それを気にせずリンゴは下着姿になった。ブラジャーとパンツだけ。そして言う。
「今からマアジの部屋に突撃する」
そのまま訪問して、マアジを性的に篭絡する。それがルイ達への愛の虚偽に他ならず。