第108話:御法度リリン
「冬だなぁ」
そうして期末テストも終わって、俺の成績もそこそこ良好。授業を受けながら冬休みを指折り数えるだけ。家に帰ると騒がしい毎日だが、それが嫌いじゃないあたり、俺も結構終わっている。とはいえ、だから反省しようとも思わないわけで。
今日は鍋をして恋人たちと語らった。今のところ正式に付き合っているのはルイとタマモだが、サヤカとイユリとアワセも思い思いに俺を想っているのは察せられて。食事が終わった後、俺は近くのコンビニまで歩いていた。まさか一緒に行くとか提案されるわけないと思ったが、思ったよりルイはアホだった。デート代わりに一緒に行こうと言い出して、俺が差し止めた。時間的に忙しいのでルイとタマモとのデートも頻度は多くない。そもそも一般的なカップルのデート頻度がどれくらいかも俺は知らないわけで。それでも二人が時間さえ作れば一緒にいるようにはしていて、そのたびに俺はドキドキしている。
「相手もそう思ってくれているといいが……」
恋仲になっても心中が読めないのは生物の欠陥ではないか。
「こんばんは。お兄さん」
そうして冬の身を切る温度の中コンビニに歩いていると、声が降ってきた。マジで。上から。俺の聴覚がどうかしていないと、声は上から降ってきて、しかも距離的に離れている。マンションからかと思ったがそれも違って。
「は?」
そして俺が顔を上げて夜空を向くと、そこに女の子が立っていた。何もない空中に。夜の星を背負いながら。夜の空に立っている少女……というか少女なのか? 声は高いが、俺のダメ絶対音感は高度ではない。相手はフード付きのコートを着ており、顔には悪趣味な仮面をつけている。夜空に立っていることを加味しなくても、通報案件と言うか逃げるが勝ちと言うか。
「はいもう一度。こんばんは」
「こ、こんばんは」
仮面の女子に声をかけられて、そのままどもる俺。まさに童貞乙。
「ルイと仲いいんだな」
「何のことでしょう?」
相手が確信を持っているとしても、他に言い様は無かった。
「タマモとも。サヤカとも」
「えーと。バレている感じで?」
息が白くなる季節。俺の諦観も白く染まる。
「手を引け」
「何故と聞いても?」
「オメガターカイトは既に国民的なアイドルグループ。そのメンバーに恋愛は許されていない」
言っていることはわかるんだが。それで「はいそうですか」と頷けるなら、俺はここまでこじれなかった。
「そういうお前は誰だ?」
「よくぞ聞いた!」
そこで某宇宙刑事の蒸着のように腕を盛大に振って、腰ごと身体を動かして、最後にビシッと俺を指差した。
「俺の名前はリリン!」
リリン。
「アイドル恋愛粛清仮面! その名も御法度リリン!」
たしかにアイドルにとって恋愛は御法度だが。
「粛清するのか?」
「推しに代わってお仕置きよ!」
交差した左腕と右腕。その右腕の先にある右手の指が、俺を差す。
「一応聞くが、版権元に許可は取ってるか?」
「同人だから、そこはグレーでいいだろうが!」
ああ、同人のつもりだったのか。
「で、どうなのだ。手を引くのか。引かないのか」
「引きたい気持ちは山々ですが……」
「それ引かない奴の言い訳!」
「せめてルイとタマモを粛清してくれない?」
「出来るわけないだろうが。ドル箱だぞ」
うーん。身も蓋もない。
「ちなみに引かないと言ったら?」
「殺す」
たった三文字が、ここでは説得力を持った。パシュッと空気の切れる音がする。
「痛ッ?」
唐突に指先に痛みを感じて、そちらを見る。右手の人差し指。そこに切り傷が出来ていた。
「それは警告だ。俺の手にかかれば、お前はここで切り刻まれる……という」
夜空を踏んで、俺より高位の度合いにいる御法度リリンは、それこそ何かの手段によって惨殺できるらしい。というか、よく考えなくてもオーバリズムだよな。しかも俺を攻撃するということは、佐倉財閥に所属していない。
「うーん……」
「悩む余地があるか?」
「いや、俺自身が人質かなと」
「?」
「多分今俺を殺せば、ルイとタマモのパフォーマンスがガタガタになるぞ?」
「……………………」
そう言う理論展開は想定していなかったらしい。だが、ルイにしろタマモにしろ、ここで俺を失って、「残念だったね」で済むのなら話はもうちょっと簡潔だ。
「御法度リリン的にはそれでもいいのか?」
「良くはないが……」
悩んでいるのか。あるいは躊躇っているのか。だが結局俺を殺すことはせず。
「忠告はしたぞ」
そう言って、踏んでいる夜空の空間を蹴る。その跳躍がどれほどなのか。道路を挟んでいるマンションの片方の屋上まで消えていった。単純なフィジカルでそれを為したのなら、アイドル恋愛粛清仮面よりもオリンピック選手を目指す方を勧めたい。
「というか。オーバリストが干渉してくるってのが想定外なんだが」
とりあえずは切れた指先に薬草の成分を擦りつける。再生そのものは既に人外だが、痛いというクオリアが目減りするわけでもないのだ。さっきの御法度リリンがガチで俺を殺しに来たら止める術はあまりない。
「というかどうやってバレたんだ?」
空中を歩けて、一足飛びでマンションの屋上まで上がれるなら、俺の部屋のベランダに身を置くのも難しくはないだろうが。そもそもそこまでしてルイの部屋ではなく俺の部屋を監視する意味もよく分からず。
既にルイとタマモ、ついでにサヤカとの恋仲がバレている……という意味でいいのか。マスコミになればいい金額になるだろうに、それを為し得ないということは、相手も穏便にこれを収めたくて、少なくともSNSで呟くような真似をしない。俺自身が人質だと言った時も困惑していたし、無暗にアイドルの恋愛を差し止めたいわけでもない。理想的な展開を言えば、俺がルイとタマモを振ればいいのだろうが。そうまでしてオメガターカイトを守ろうとする意思を持って、ファンでありながら関係者となると……。
「御法度リリン……ねぇ」
推しに代わってお仕置きよ、はちょっと心惹かれた。実際にそれをやってしまえる実現性も含めて。仮面をかぶっていたのは、つまり顔を晒すのが怖いという意思表示。それが殺人罪の忌避とかそう言う話なら、今俺はかなり最悪な溶鉱炉に腕を突っ込んでいる気もしないではない。恋が火傷とは言うが、さすがに我が身を犠牲にしてまで…………とか言える立場でもないな。既にちょっと前にサヤカのために腕を落としたのは記憶に新しい。あの時の日本刀より、御法度リリンの斬撃の方が切れ味は鋭そうだ。おそらく腕くらいは容易く落とすだろう。場合によっては首も。その上で、俺を殺すという刑法に思案しないで殺害を彼女(彼?)が実行できるや否や。証拠を残さないまま殺される可能性はゼロではないが……オメガターカイトを破滅させる原因となるに一兆ジンバブエドル。