本当の死
死ねば楽になれるという話はどうやら僕には当てはまらなかったようだ。下宿のアパートから引き揚げてきたとおぼしい僕の遺品の詰まった段ボールを前に、父と母が黙々と手を動かしていた。それを僕は部屋の角が天井と交わるあたりから見下ろしている。ちょうど身体の右側にある壁掛け時計のカチカチという音が妙に生々しい。僕が中学生のとき、「静音時計」という触れ込みで買ってもらったものだった。勉強の邪魔にならないようにと母が選んだものだが、死人相手に売ったら詐欺だと言って訴えられるだろう。それぐら、このカチカチという音は耳障りだ。
その時計以上に僕を苛立たせ、どぎまぎさせるのは父と母がしていることだ。あの箱この箱と、手際よく「残す」、「捨てる」、「保留」と書いた裏紙に物品を仕分けしていく。
「あら、こんなものまで」
と、母が手にしたのは、僕が中学生の頃に両親に隠れて山の写生をしていたときのスケッチブックだ。
「ああ、なんだか一時、絵描いてたな」
父も手を止めてスケッチブックを覗きこんだ。
「賎機山かしら」
「そうだね、そう見えるね」
僕は死んでいるのに涙が出そうで思わず上を向いた。天井の小さいひび割れが目に入った。
「どうする?」
父が聞いた。
「取っとく?」
「うーむ」
父はなんとも判断に迷ったようだった。それもそうだろう。「残す」の山にあるのは、僕の小中高・大学の時の卒業アルバムや無理やり取らされた資格の証明書等、僕の“功績”によるところが大きいのだから。僕の両親は昔からそうだった。子どもは大人の所有物だという思想が色濃くて、僕はそれ故に苦しんできたのだ。絵を描くことも、運動することも、楽器を弾くことも、テレビを見ることも、友達と遊ぶことも、自分の気持ちを現すことも、全て否定されて育ったのだ。
「まあ、捨てるか」
とそっけなく言ったのは父だった。
「そうね」
母の手付きもそっけなかった。黄色と黒の表紙のスケッチブックは「捨てる」のカテゴリーに分類された。それはすなわち、僕個人の否定・殺人に他ならない。
今度ばかりは、残してくれると思っていた。そう、僕のスケッチブックが捨てられるのは今回が初めてではない。四度目だ。どんなにどんなに隠しても見つけられ、捨てられてしまった。そうしておいて、捨てたという一言の説明もなかった。
「勉強しなさい」
父と母が口癖のように言った決まり文句は僕の精神をずたぼろにし、殺した。僕という個人を殺した。遠山明男という僕を、人間を殺した。僕はこうして、大人になった。
もう両親の声も耳に入らない。ただ上を向いて、目を瞑るだけである。何度も死ぬ人生だった、と僕は思った。両親からは手ひどい仕打ちを受け、社会になじめず僕は死んだ。最後の肉声が「もういいや、もういいんだよ。楽になれるよ」だったのを覚えている。
でも、実際は違った。楽になんかなれなかった。一番、つらかった時期、一番つらかった過去に引き戻される虚しさ。僕の人生は一体何だったんだろう。そう思った時、一筋涙が頬を伝った。
やがて滝のように涙は次から次へと溢れだし、気づいたときには僕は消えていた。
この作品は、僕が自分の人生を立て直そうともがいていた2021年7月に書いた作品です。
この頃は、仕事を失い、でも一歩が踏み出せず、数か月間無職で、
精神的に自分を責めてばかりの時期でした。
作中に描かれる“スケッチブック”に関するエピソードは
僕の実体験を元にしています。
現実の僕は家族から全否定されてきた人生でしたが、
この作品には、せめてもの救いに...魂の救済を描いています。
(不安定な時期を過ごしていた僕は、この作品を書いた後、
自然に涙が溢れだしたことを、1年半が経った今、思い出しました)