東へ
ドイツは混乱している。
なんで、破壊活動家を追っていてソ連軍に死者が出たのだ。それも複数だと。 自演に決まっている。そう言う声は多い。
しかし、ソ連は「ドイツから発砲を受け死傷者多数」と、発表した。
奴等、ポーランドを取る気だ。
単独か?それとも、英仏と手を握ったのか?
奴等はポーランドだけで止まるだろうか。欲しいのは大西洋への出口であるハンブルクやキールだろう。我がドイツの技術も欲しいはずだ。
フランスは代々ロシアと仲が良い。イギリスは・・何でも有りだな。
どうするか。
「白旗揚げて政府使節として行って貰いたい」
「フランスへですか。条件は何でしょうか。休戦、停戦、講和。いろいろ有りますな」
「ソ連の出方が、はっきりしない。休戦を第一に考えて欲しい」
「英仏はそれで認めるでしょうか」
「私としては、ソ連よりも英仏を取りたい。ソ連では国が無くなってしまう」
「散々やっておいて、虫が良すぎると言われるでしょうな」
「なに、最高責任者の総統閣下は亡くなられた。我々は残務整理をしているだけとでも言っておいてくれないか」
「通用しないでしょう。それなら、何故総統閣下が亡くなられてすぐに停戦を申し入れなかったのか、という話になります」
「あの時、国内の混乱を収めるのに精一杯だったのは、君も承知のはずだ」
「確かに」
白旗揚げて行った男は、帰ってこない。しかし、空襲がやんだのも事実だった。交渉は成功したのだろう。
空襲はルール地方に10回。ハンブルグに4回。キールに2回。産業施設にかなりの被害が出た。流れ弾で被害に遭った民間人も多い。初期の4回を除いては、優秀な護衛戦闘機が着いており迎撃成績も良くない。無くなってホッとしている。
「同志書記長、大変です」
「どうしたのかね」
「ポーランドです。予定を越えて西へ入りました」
「何だと?」
「せいぜい20キロと予定していましたが…」
「どの位行った」
「100キロです。ほとんど抵抗は無く、快調に進軍したと言うことです」
「・・何をやっとるか!!!!」
「更に…」
「まだ、有るのか」
「ダンチヒと東プロイセンを包囲してしまったようです」
「・・・・・・・!!!!!」
同志書記長が暴れたのは、結構長い時間だった。
「それで、どうした」
「は?」
「どうしたと聞いている。対策は取ったのかと聞いている」
「進軍停止と現状維持は命じてあります」
「止まったのだな」
「止まっているはずです」
「後退だ。中間点まで戻させろ。急げ」
「はい」
同志書記長がソ連軍の後退を命じたのは少し遅かった。
英仏からの強い抗議があった。ポーランドから退けと。ドイツもポーランドから退く。早くしろと。
ドイツが英仏ポーランドに対して、ポーランドに謝罪して補償するという条件を呑んだのだ。その上でポーランド全土の回復を行うために対ソ戦を行うことも条件に盛り込まれた。ただ、補償は長期に渡って行いドイツの財政が破綻するような規模にはしないと言うことも確認された。チェコスロバキアに対しても、同じ条件を履行することも呑まされた。
オーストリアに関しては併合であり、ドイツ国内問題だとされた。
対ソ戦で主戦力となるドイツにも若干の配慮はしており、東プロイセンは正式にドイツ領となることをポーランドも認めた。ダンチヒはグダニスクとしてポーランドに戻った。
ポーランドでソ連軍が西へ快調に進んだのは、英仏が戦略的後退をドイツ軍に命じたからだった。ポーランドは我慢していた。