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小さき抵抗が起こしたバタフライ効果

小型で持ち運びと運用が安易な兵器がもたらす波紋。

 ポーランドは、ドイツとソ連に分割支配された。

 ただ、初期抵抗が大きく両軍とも損害は大きい。


 装甲車両が予想を遙かに上回る損害を受けたドイツ軍は、ポーランド以降の進出を進めることが出来なくなってしまった。ポーランドを秘密協定に従い分割支配した後はフランスをやる予定だった。機材は作ればいいが(それでも痛い)、それ以上に訓練された将兵の損害が大きかった。

 航空戦力で勝っても、地上制圧が出来ないのでは占領は出来ない。フランス侵攻計画は頓挫する。ヒトラーが激怒したという噂もある。


 ソ連軍も、装甲車両の損害の多さにドクトリンの変更を考えなくてはいけなかった。これまでの戦車では容易に撃破されてしまう。開発中であるA-32の重装甲化を指示する。その気になればいくらでも徴兵出来るソ連でも、良く訓練された戦車兵と高価な兵器である戦車は貴重な存在だった。


 

 装甲兵力の不足に陥ったドイツ陸軍は、自らの限界を知った。参謀本部の描いた戦争計画はポーランド・ポールによって絵に描いた餅になり、数で圧倒するか航空機の傘の下でないと装甲車両の活動が危険と知る。

 

 そんな中、現地を視察に訪れたグデーリアンとヒトラーが爆殺される事件が起きた。ポーランド軍の残党によるテロルが考えられた。しかし、使われたのはポーランド・ポール。撃ったのは12歳の少年だった。

 少年は捕らえられた。始めの尋問は国防軍と親衛隊だったが、途中からゲシュタポに引き渡され、拷問に掛けられた。その中で分かったのが「偉そうな将軍だったら誰でも良かった」という証言だった。ヒトラーとグデーリアンを知らなかったのだ。厳重な警備態勢は敷いていたが、まさか12歳の少年がという心理的盲点が成功させてしまった。

 また、その後の調査で行方不明のポーランド・ポールの何基かは抵抗勢力に流れた事も分かった。戦争で破壊された物も有るが、何基使用可能状態で隠れているのか、弾頭も何発残っているのか見当も付かない。

 国外に持ち出されたと言う情報も得た。

 ドイツ軍の近くを通りがかったポーランド人が射殺される事件が相次ぐ。怪しいというだけでゲシュタポに連れ去られ帰ってこない人たちも多かった。ユダヤ人も連れ去られ帰ってこない。

 激烈な反独闘争が始まり、ドイツ将兵は少数行動が危険なレベルになった。



 同じ頃、ソ連支配地域でも爆破事件が多数起こる。狙撃事件も多数起こった。ただ、ドイツ支配地域と違い、ソ連を歓迎する住民も多かったことから、住民の通報で犯人が捕られえられることも多かった。

 こちらもNKVDが無差別に近い連行を行い、帰ってきた者は少なかった。

 さすがに歓迎ムードは下火になっていく。発生した住民同士での疑心暗鬼は、地域騒乱まで膨らんだ事さえも有った。



 ポーランド国内の抵抗運動や、ゲシュタポとNKVDの蛮行が海外に知られるようになると、英仏は困った。

 ポーランド分割を認めているのは独ソと親独ソの少数国家で、国際的には何の効力も無かった。亡命ポーランド政権が正統政府を名乗っている。

 そして、見ているだけだった英仏には。


 ドイツに宣戦布告しておきながらポーランド国民を見捨てるのか。腰抜け。


 多くはこう言う評価だった。

 英仏両国の国際的な威信が低下する。



 日本国内では、日独伊防共協定を軽視した独ソ不可侵条約と、ポーランド侵攻に於ける両国の協力が問題になっていた。「わが闘争」完全日本語訳版が出回ったことも原因だった。人種差別される側が人種差別する方を持ち上げる訳も無い。

 日本国内で動いていた日独伊三国同盟に向けた動きは、下火になっていく。ドイツ(ヒットラー)もソ連も信用出来ないという世論が湧き上がってきていた。

 ドイツ贔屓の軍人・知識人やコミンテルンが動くが、信用出来ない相手を褒めても相手にされなくなっていく。

 日本共産党穏健派と、ソ連直属とも言えるコミンテルンや共産党強硬派との対立も深くなっていく。

 特高もどちらかというとコミンテルンを標的に変えていく。共産党でも穏健派がコミンテルンや武闘強硬派の情報を流し、共産党の存続を図っていく。


 日本国内の情報戦でしのぎを削る英独ソ諜報従事者の中では、如何に有力者や言論機関に働きかけるかの争いが激化していく。密告も多数されるが、日本の国益を犯して行動する独ソ諜報員は追い詰められていく。

 遂に日独伊防共協定の破棄が決定される。情報戦は英国の勝利に終わった。ドイツの仲間は減り、東南アジアでイギリスに対する日本の脅威度が下がったと見るべきだろう。

 だが、日本の基本方針がどう変わるのかは予断を許さない。


 

 遂に英仏が動く日が来た。Dデイである。ドイツに最後通牒を突きつけた。




DデイのDはドイツ(ドイッチュランド)です。

英国は東南アジアに於ける脅威度を下げるのと、ドイツの仲間を減らすことに成功。

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