26 第15話:閻魔と交渉
eNM@さんが莉亜の隣に座った。俺たちはテーブルを挟んで向かい合った。
俺たちの間に流れる気まずい空気を一人だけ莉亜がニヤニヤしながら楽しんでいる。
俺は心の中でこの畜生め!と叫ぶ。本当なら声をあげてそうしたかったが、これまでの人生の中で培われた自制心がそれを止めた。
「エンマ君はなにか注文しないの?」
「……別にいいよ。今そんな気分じゃないし」
「普段はコーヒーばっか飲んでるくせにー」
莉亜とeNM@さんが仲良さそうに喋っている。俺はそんな2人の関係性が気になった。
「あの、莉亜とeNM@さんってもしかして付き合ってたりするの?」
それを聞くと莉亜は一瞬驚いた顔を見せた後、どっと笑った。
反対にeNM@さんは、俺の言ったことに言葉を失っているようだ。
「私とこいつが恋人関係?ないないw」
「そういう冗談よくないですよ……」
俺は眉をひそめる。どうも思っていたような反応と違う。
「じゃあどういう関係なの?」
「関係もなにも………こいつは私の弟だよ?」
「え………うそ」
俺はあんぐりと口を開ける。
本当に意外だ。正直信じられねぇ。
2人の間に姉弟と関係を思わせる要素はひとつもない。これほど似ていない血筋関係というのもあるものなのだと感心する。いや、よく見れば長いまつ毛が似ている気もしないこともない。
「変に勘違いしてごめんね?」
「大丈夫です。血が繋がっているようには見えないと、よく言われますから」
そしてまた沈黙が訪れる。……なんだこの気まずい空気は。
eNM@さんが口を開いて、沈黙を破った。
「あの、今日は話があるって聞いたんですけど」
やっと本題に入れそうだと思い、俺は彼と目を合わせる。
「実はeNM@さんに次のAR大会に参加して欲しいんです」
「AR大会に………?でも知っての通りおれは顔出ししていないから、お断りしたいって言うか……」
「歌を歌ってくれるだけでいいんです。なので、どうかお願いします」
俺は頭を下げるが、やはりeNM@さんは渋っている。
本人が気乗りしないなら、仕方ないなと立ち上がろうとしたら、莉亜が俺の手を掴んだ。
「ネオちゃん、もう帰るつもり?もう少し粘ってもいいんじゃない?」
「でも、eNM@さん本人がこう言ってるわけだから………」
「優しいんだねぇ。でもすぐに諦めるんじゃなくて、お互いにメリットのある条件を提示した方が、私はいいと思うよ」
「それって具体的には……?」
莉亜はにっこりと笑ってeNM@さんの方に目線をやる。
「桜浜46の『春咲桃』って子のサイン、もらってきてあげようか?」
「……それ、マジ?」
「もちろん。なんならリアルで合わせてあげてもいいけど」
eNM@さんが長い時間考え込む。どうやらこの提案は彼にとってだいぶ魅力的なようだ。
さすが姉だと感心する。弟の好きなものをバッチリ把握している。
「分かった……その前にNeoさんに個人的に頼みたいことがあるんですけど、いいかな?」
「Neoちゃんがいいならいいんじゃない?」
「わたしにできることなら何でもします」
「実はおれの作った曲をNeoさんに歌ってもらいたいんです」
「わたしが、ですか?」
「はい。随分前ですけど、NeoさんのVITチャンネルでカバー曲の投稿してましたよね。あれを聞いて、あなたの歌声が今作っている新曲のイメージにぴったりだったんです」
「わかりました………それぐらいでいいのなら、いくらでも歌いましょう」
「ありがとうございます」
正直歌の依頼なんてすごく嫌だが、断ることも申し訳ない。
主にさまざまな仕事を一身に引き受けている羽山に。ここでeNM@さんの協力を取り付けれたら、羽山の負担も少しは軽くなる。
俺は内心しぶしぶながらも、その頼みを了承した。
「おれがAR大会に向けて、特別に準備しなければならないことってありますか?」
「いえ、特にそういうものはないです。また詳細が決まり次第ご連絡いたします」
eNM@さんが席を立つ。どうやら一刻も早く帰りたいようだ。
「それじゃあおれはそろそろ帰りますね」
俺たちはそう言って店から出る彼を見送った。
店から出るまで体を縮めてできるだけ目立たないようにしていた。それほど周りからの女性の視線が痛いのだろう。かわいそうに。
デーブルには莉亜と2人きりで取り残された。
「あれでよかったの?うちの弟の要求をほとんどのんでたけど」
「別に問題ないよ。羽山さんも頑張ってくれてるし、わたしだけが嫌々っていうわけにも行かないしね」
「確かにあのマネージャーさんからは、仕事人というか苦労人って雰囲気が出てるもんねー」
3時ごろにピークを迎えた店内のお客さんの数も、今は徐々に減りはじめている。
窓からは咲きはじめそうな桜が見える。もうそんな時期なのかと季節の移り変わりの早さを感じる。
「ところでさ、聞きたいことがあるんだけど」
「どうしたの?」
「最近ブラジャーを買い替えたりした?」
俺は彼女の不可解な質問に首を傾げる。
当たり前だが、ネオの姿になってからもブラジャーどころか女性用の下着を自分で買ったことはない。
「いや、いつもと同じだと思うけど……それがどうかした?」
「いんや、ちょっと気になっただけ」
「なにそれー」
「本当にちょっと気になっただけだから。あんまり気にしないで」
莉亜の言葉に少し引っかかりを覚えるが、彼女が席を立ったためその違和感もすぐに忘れた。
「それじゃあ私たちも店を出ようか」
2人で一緒にレジに行く。
「今日はわたしが奢るよ」
「えー悪いよ。私がここに連れてきたんだから、自分の分ぐらい払うよ」
「これはこの前のお礼でもあるから、わたしに払わせて欲しい」
「この前のお礼?」
「……たこ焼きパーティーの時のお礼だよ。ゲームも楽しかったから、その分だと思って」
本当は田辺浩一の時に奢ってもらったあの高級レストランの分だが、もちろん口には出さない。
あの時の値段とは比べ物にはならないが、ここで借りを返しておかないと俺の気分が悪い。
このご時世、男が奢るべきという文化は廃れているが、やはり女性に奢られっぱなしというのも違う気がする。
「そういうことなら素直に奢られることにしようかな」
「うん、これで貸し借りゼロね」
そうして俺たちはカフェから出た。




