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84.クレムリン

 ソビエト社会主義共和国連邦の国土は、日本の60倍の総面積を持つ。

 その大きさから計り知れない国家政治システムの中心部であり、ソ連最高会議(国会)とソ連閣僚会議(政府)といった最高指導部のあるモスクワの最中枢部クレムリン。

 90年代初頭、既に崩壊しつつあったロシアの中心地の、更に立ち入りが極端に制限されている場所にその執務室はあった。

 ソビエト最高指導者、連邦最高会議議長であり後にソビエト連邦大統領を勤める、イゴール・アレクサンドロフは、自身がこの国の政治家となって初めて極めて深刻な事態に直面していた。

 その地位と責任から、常に警護という監視体制に置かれている彼の立場からすれば、ソビエトという巨大組織の保護と監視の眼から逃れることは不可能なはずだった。

 しかし今、世界最大の国家の最高権力者は完全に孤立していた。

 そして、現実ではほぼ不可能な状態をしれっと実現して目の前立っているのは、二名の奇妙な格好をしたアジア人の少年達だった。

 一人は、グリーンのジャケットと黄色いネクタイ、細身の黒いパンツ、胸のフォルスターに大きめの拳銃を吊ってはいるが、それ以上に奇妙なのは、右肩の一部が割れてそこから炎と共に巨大な眼球がこちらをギョロリと覗いていた。

 もう一人の少年は日本で見たことのある着物を纏い長い細身のサーベルを左手に持っている。こちらは頭の割れ目から水のような液体が瀧のように溢れ、中から巨大な女性の眼球が辺りを睥睨していた。

 先ほどから緊急時にとるべき複数のシステムを起動してみてはいるが、年に数回行われる訓練時のように、国内でもトップクラスの精鋭部隊が彼の執務室に突入、侵入者をそれこそ瞬きをする間に制圧して、状況を改善する気配は一切なかった。

 あり得ぬ自体に、夢を見ているのかとの思いもあった。しかし、突然現れた少年の一人が机上に投げてよこした封筒の中身は、リアルと言うよりはグロテスクな部類のものだった。

 遠近双方で撮られた、イゴールの妻や幼い娘、家族や親戚の複数の写真。

「俺たちが合図を送ると、眼球のついた徹甲弾が、確実にそのうちの一人の手足を破壊する。最後は胃だ。可能な限り苦しませて殺す。女子供関係なしだ。どこにいようが、何に守られていようとな」

 沖田の下手くそなロシア語ではあったが、それでも内容は十分伝わったはずだ。しかし、当のイゴールは眉一つ動かさなかった。

「君たちはこれが人間として最も恥ずべき行為の一つであることは自覚にしているのか?」

 巨大な国家の全権を握り、東西冷戦の終結、核軍縮、連邦内の政治経済の改革を進め、それ故に国家を落日へと導いた指導者は、それでもその国土と同じように強靱な意思をもっているようだった。もしくはとっくの昔に麻痺して壊れているのか。

 沖田はイゴールの問いを無視した。もしかしたら、昨年の訓練時、ロシア語の座学をさぼりまくっていたので、何を言っているのか良くわかなかったのかもしれない。

「俺たちの要求は一つだ。ソビエト軍とエメトリア革命軍の即時停戦と撤退。ソビエト本土への引き上げだ。それが一時間遅れる毎に、一人ずつ手足を撃ち抜いた後殺す」

 エメトリアと聞いて、イゴールの目が一瞬だけ曇った。

 彼らが出現する直前に受け取った報告書。ニコラエヴィチ将軍指揮下でウラジーミル・スホムリノフ大佐が進めている、エメトリア解放作戦という近隣国の占領作戦について、その詳細と発生している重大なリスクに関する報告を別のKGB部隊から受けたところだった。

「エメトリアか…」

 そう呻くように言うと、机の上に置いてあったリモコンを、沖田達に見える様にして取り上げる。

 彼らは、イゴールが何をしようと、一向にかまわない様子だ。

 普段なら少しでも不審な点があれば、精鋭兵達がかけつけ、ものの数秒で状況を改善するはずだ。少年達はそれが実行不可能なことを知っているかのようだった。

 リモコンのスイッチを押すと執務室の壁に埋め込まれたモニターが灯り、三人を影にする。

 モニターにはエメトリアの一般市民がBC兵器の攻撃を受けて次々と倒れ、露出した肌が見るも無惨にただれて死んでいく様子が映し出されていた。

 その映像の脇にイギリスの放送局であるCBTのマークが入っている。

 別のチャンネルに回すと、今度は日本語の字幕と共に民間放送のニュースで、革命に反対するデモ隊に突入する革命軍の姿と、連行される多くの市民達の姿が映し出された。

「中央委員会の許可なく、戦術核の使用が進められているという情報を得て、我々もエメトリア方面軍に対して調査を開始していたところだ」

 イゴールがチャンネルを変えると今度は、アメリカCBAの放送が映し出され、街中に置かれた戦術核と思われる機材群の映像検証が行われていた。

「これも君たちの仕業かね?」

 今度は言っていることがわかったのか、沖田が両手を腰の辺りに挙げてニヤリと笑って見せた。

「こうなってしまっては、我々としては早急にニコラエヴィチにスホムリノフの部隊を引かせねばなるまい。現在の中央委の影響力と組織状況では骨の折れる作業にはなるが…」

 イゴールの顔に一瞬だけ陰りがみえたが、それもすぐに巨大な意思によって覆われた。

「我々の祖国は巨大でそして脆い。今は、周辺国を侵略している余裕など、まして、西側の援助なしに国を立ち直らせることなど不可能だ」

 沖田が右手でベレッタ93Rを抜くと、イゴールにポイントした。

「知らねーよ。戦争バカの飼い主が。飼い犬にはしっかり首輪を付けておくんだな」

 沖田が93Rのハンマーを上げる。

 青い眼をした小坂がチラリと沖田を見た。

「条件は提示した。家族と親族を殺したら最後はおまえだ。必ず殺しに来るからな」

 沖田の言葉にさしたる感慨を受けた様子もなく、イゴールは淡々としたものだった。

「君たちはなんのために、こんなことを?君たちの祖国はこの戦争とは関係ないはずだが」

 椅子に深くこしかけ、衰えぬ眼力でこちらを見つめ返すイゴール。

「エリサに今度手をだしたら、国ごと滅ぼす。俺たちは普通の学生生活を送りたいだけなんだよ。もうすぐ学祭もあるしな」

「学祭・・・そんなことのために?」

 ベレッタの銃声が轟き、イゴールの後の壁に9ミリ弾の穴を空ける。

「拷問やら虐殺やら、BC兵器やら核兵器やらのあんたらのお祭と違ってね。俺らの学祭はもっとスマートなの。人も死なないし」

 言い終わると、くるりと沖田が背を向けて、執務室の唯一の出口である、両開きのドアへと歩き出す。

「さっさと兵を引かせろ。わかったか」

 小坂が凄みをきかせて念を押し、こちらも出口へと向かう。

 侵入者がその出口から出ることは、通常なら死を意味することになる。

「わかった。善処しよう」

 哀れみと共に言うイゴールに、

 振り返った沖田が、

「全力でやれ、クソが」

 バタンと扉を閉じて二人が出て行った。

 外で待機する精鋭の警備兵による怒号と銃撃音が聞こえるかと思ったが、辺りは静かなものだった。

 暫くして、ようやく指揮所の一つと連絡がとれたイゴールが知ることとなるのは、たった三人の、それも日本の高校生にソビエト最高の警備、防備体制を誇るクレムリンが完全制圧されていた状況だった。

 クレムリンにその甚大な被害もたらした、現世では考えられない異質な状況を重く見たイゴールは、三人の徹底した調査と追撃、可能な限りの捕縛を命じた。

 しかし、エメトリアでの惨状を知った世界中からの激しい避難と制裁、既に崩壊しつつあるソビエト連邦の状況によって、その命令は暫くの間、運用されることはなかった。


To be continued.

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