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押入  作者: 空束 縋
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 八月十日。

 駅を出た真理は、Y市を睨み付けた。

 自分一人で、決着をつける。そのつもりだ。


 芳邦の話に寄れば、八日の午後に純司と神社へ行き、先に境内へ入ったが純司が追って来ず、怖がっているのだろうと戻ったものの姿が無くなっていて、周りを探している内に神社の社の中から悲鳴が上がったのだそうだ。

 社は朽ちて歪み、戸は簡単に開かなかったし、大きな音を立てた。純司がどうやって入ったのかも不思議だったが、問題はそれだけではない。

 社の中には、男性の遺体があったのだ。

 腐り溶けた肉が乾燥し、こびりついた骨。そんな見た目であったと云う。それが、純司の肩を掴んでいて、純司自身は錯乱状態にあった。

 何とか社を抜け出して公衆電話から通報し、二人は街のインターネットカフェで籠城している。

 芳邦を危険なY市に帰せないと錯乱した純司が号泣し、そんな純司を放置出来ないと言う芳邦と相談して出した案だ。後から真理も合流することになっている。が、先にY市に向かうことは、芳邦にも言っていない。

 まさか、二人だけで行動するとは思っていなかった。せめて忠告だけでもしておけば良かったと後悔している。

 純司から掛かってきた電話。出る前から嫌な予感がしていたが、想像以上に危険であった。純司が居たと言う神社の様子は、芳邦も知らない場所だそうだ。

 長い石畳、赤い燈籠、大きな鳥居、立派な社、そして─夜の闇。真理が推測するには、そこはきっと、境なのだ。この世とあの世の、境。

 そんな場所へ純司を連れ込まれてしまったら、どうすることも出来ない。今回は少女に救われた。次が無いよう、こちらから出向いて、潰す。


 黄昏時。人気の無い住宅街を、真理は真っ直ぐ神社へと向かった。

 生い茂る木々、その中に隠れるように建つ社。

 周りには、二人が通報したからだろう、黄色いテープが巻かれており、捜査の痕跡はあった。警察が引き上げた後なので、誰も居ない。

 テープをくぐり、鳥居を抜けた。木が多い割に、蝉の声すら聞こえない。

 懐から鈴を取り出し、左手の中指に掛け、手の平を地面へ向けて腕を伸ばした。

 ちりん。

 そっと揺らして、一度鳴らす。視界が揺らいだ。

 ちりん。

 揺らぐ視界に、石畳が現れる。

 ちりん。

 辺りは闇に包まれる。

 ちりん。

 揺れがおさまり、景色が変わる。夜の闇に延びる石畳が、赤い燈籠に照らされて長く先まで続いていた。

 眼鏡を外した真理は、大きく息を吸い込んで、駆け出した。



 とあるインターネットカフェの一室に、男子高校生が二人、詰まっていた。

 部屋は二つ取ってある。だが、離れるわけにもいかなかった。

「大丈夫か、純。飲み物取ってくるか」

「……いや、いい」

 放心した純司が、狭い個室の隅で膝を抱えている。返事は返ってくるものの、目は虚ろだった。

 芳邦はうつむき、唇を噛んだ。

 軽率だった。甘く見ていた。通報の後、真理に連絡を入れると、叱られた。どんなこともふわふわと返してくる真理が、本気で怒り、呆れていた。

 「僕達はゲームの主人公でも、漫画のヒーローでもないんだ」と真理は言った。そう、少し、期待してしまったのだ。自分達三人なら、漫画のようなことが出来るのではと。ヒーローに、なれるのでは、と。

 何度目か知れない、大きなため息が漏れる。

「そろそろ、真、来るかな。あいつなら解決してくれるよな、純。…純?」

 ずっと膝を抱えていた純司が、立ち上がった。それまでの塞ぎようが嘘だったかのように、すたすたと扉へ向かう。

「ど、どこ行くんだよ?」

「トイレ、行くだけだから。すぐ戻る」

 何の感情も感じられない声音で言うと、純司は部屋を出ていった。

 芳邦はただ、閉まる扉を見ていることしか出来なかった。



 石畳を駆ける真理の前に、大鳥居が現れた。

 歩を緩め、警戒しながらそっと近付く。真っ赤なだけで何もなく、上部は灯りが届かず闇に馴染んでいた。

 触れてみると木の感触がしたが、仕掛けは何も無いようだ。

 くぐると一斉に灯りが灯り、大きな社を照らし出す。

「…居た」

 社の前の後ろ姿を見付け、ゆっくりと歩み寄る。

 鳥居からはどんなに進んでも、燈籠の灯りは消えなかった。後ろ姿は社を見上げ、振り向く様子は全く無い。

「こんばんは、と言えばいいのか。いや、挨拶は要らないな」

 声に反応した後ろ姿は、少しずつ振り返る。

 美しい顔の巫女は真理を見ると、不思議そうに首を傾げた。

「誰も招いてはいない筈。何の御用でございましょう」

「“何の用だ”はこっちの台詞だ。僕の友人に付き纏って、何を企んでる」

 「あら」と言った紫の巫女は、興味深そうに真理を見回した。

 真理も改めて巫女を見る。純司は巫女の顔半分が恐ろしく歪んでいたと言っていたが、そのようには見えない。むしろ人を追い回すような悪いものにさえ感じられなかった。

「私は何も企んでなどおりません。ただ、進みたいだけ」

「…そうか」

 数珠と共に、祖母から受け取った祝詞の冊子を取り出した。勢い良く開いて唱える。

 思ったより簡単に済みそうで安心した。

 段々と体を薄めながら、巫女は嬉しそうに微笑む。

「あの方の言った通り…。こんなに簡単に、進むことが出来るなんて」

 巫女の言葉を理解すると、真理は詠唱を止め、彼女を見た。

 悪寒が背中を這い上がっていく。

「あの、方…?」

 薄らいだ巫女は邪悪とは掛け離れた微笑みを浮かべた。

「何処へも行けない私に、この社を与えてくださった。少し手伝えば先へ進めると教えてくださった優しい方でございます」

 目を見開く。違った。巫女では無い。

 純司を狙っているのは─。

「そうか」

 巫女へ頷き、祝詞の最後の章を読み上げる。

 紫の巫女は嬉しそうに、光の粒となって消えていった。だがそれを、見送っている暇は無い。

 携帯電話を取り出し、すぐさま電話を掛けた。

「芳っ、無事か?純は近くに居るな!」

 芳邦も居るのだ。そう簡単に出し抜かれるはずはない。そう思った真理だが、芳邦の返事に青褪めていく。

「部屋を…出て行った…?」

 芳邦の困惑した声が聞こえているが、会話をしている場合ではなかった。

「探せ!すぐに純を見付けてくれ!僕もすぐ行く!」

 叫んで通話を切ると、真理は石畳を駆け出した。



 気が付くと、純司は廊下を歩いていた。

 なぜ歩いているのか考えて、トイレに行くのだと思い出した。

 用を済ませ、つまらない店内BGMが流れる廊下を部屋へと戻る。

 しかし何処かから、呼ばれているような気がした。

 行かなければ。そう思い、足はどんどん向かって行く。明かりはどんどん、減っていく。

 ぼうっとした頭が、世界を歪に組み立てた。廊下はこんなに、薄暗かっただろうか。床は木で出来ていただろうか。こんなに見知った扉が、あっただろうか…。

 辿り着いたのは和室だった。いやに既視感のある、和室。

 この店に来たことがあったのかと考えながら、入口に立って中を見渡した。

 こんこん。

 押入から、音がした。誰かがノックをしたような。

 こんこん。

 「早く来て」そう言われているような気がした。

「待って。すぐ行くから」

 返事をして、和室へ入る。背後から聞き慣れた声がしたが、振り向く気にならなかった。

 押入にそっと近付き、手を伸ばす。

 ポケットで携帯電話が震えた。

「純!どこにいる?芳のところに戻れ!女の子には近付くなよ!」

 耳に当てた途端、真理の焦った声が捲し立てた。

 「でも」息をつくように言いながら、純司は押入の中を見る。

「女の子、目の前に居るんだ」

 大きな赤い目をした少女が、押入から純司を見詰めている。

 にたりと邪悪な笑みを浮かべて、純司の腕を掴んだ。

 “つかまえた”

 そして純司は、姿を消した。







 ─十年後。八月十日。

 深夜のとある路地で、二人の男が向かい合っていた。

「─そう云う訳で、天津川さん。この世からお引き取り願いたい」

 そう言った男の手には、数珠が巻かれ、札が握られている。

 後ずさる相手の男は、夏にも関わらず真っ黒なスーツで身を固め、山高帽で顔が隠れていた。

「何を言っているのか理解出来ませんな。私はまだ、やらねばならぬ事があるのです」

「やらねばならん事など何も無い。あるとすれば、彼女を解放する事だ…!」

 数珠を持った男は、山高帽の男の横に置いてある大きな箱を蹴りつけた。路地にどうやって運び込んだかわからない、大きな木製の箱だ。正面には金色の文字で「覗き餌」と書かれ、真ん中辺りには、レンズが街灯の光を反射している。

 男が蹴る度、箱はミシミシと壊れそうな音をたてた。

「ああ!烏百合に何てことを!」

 山高帽の男がわなわなと体を震わせ、悲痛な叫びをあげる。それでも数珠の男は蹴る足を止めない。

「“何てことを”はこっちの台詞だ!死んで何年、連れ回したら気が済むんだよ!」

 怒号と共に放った蹴りが、箱に大きな穴を開けた。

 箱の中は空洞になっていて、その中には、白い着物を纏った人の骨が、身を縮めて収まっていた。

 駆け寄ろうとする山高帽の男を遮り、数珠の男が睨み付ける。

「彼女はこちらで預かる。安心して地獄に落ちろ」

 手にした札を山高帽の男の額に貼り付け、経文を唱え始めた。

 山高帽の男は苦しそうな雄叫びをあげ、膝から崩れ落ちる。額の札は燃え上がり、男の体はずるりずるりと地面へ飲まれていった。

 全て地面へ消えてしまうと札も燃え尽き、数珠の男は灰を踏み、息をついて眼鏡を掛けた。服装を整え、穴の開いた箱を見る。

「確かこの先…寺、あったよな」

 触れてみると、箱は簡単に動いた。ずるずると引きずって、寺を目指して進みだした。


 箱を寺の前に運んだ男は、駅前のファミリーレストランへ入った。店員に声を掛けると、隅の席へ案内された。

 そこでは、別の男がテーブルにパソコンを広げて座っている。画面から目を上げると、安心した様子で笑った。

「お帰り、真。生きて戻れたんだ」

「あんなのに負けるかよ」

 数珠の男、真理は座りながら相手の男のコーヒーを取った。

 一気に飲み干すと「自分で取ってこいよ」と怒られたが、いつものことだ。

(ため)サーって言ったっけ。報告は明日でいいよな。っつか、芳がこんなサイトの作り方するから余分な犠牲が増えてんじゃねーの」

 無理矢理パソコンをのぞき込み、真理は相手の男、芳邦を睨む。暗い画面には、赤い文字で“警告─本当に危険な怨霊情報─”と書かれていた。

 真理が見掛けた悪い霊の情報を書き込み、危険を呼び掛けることを目的としているが、面白がった若者が不用意に近付き、事故に遭うことも多い。今回は、大学のオカルト研究会メンバーが三人、餌食になってしまった。

「オレに七色レインボーなページ作れってのかよ。逆に胡散臭くて誰も見ねぇって」

 爪楊枝を噛みながら芳邦が唸る。

 二人は、祓い屋として活動していた。芳邦が広告や接客などの事務関係を担い、真理が霊を相手にしている。

 それぞれ、十年前の後悔を背負って。

「…なぁ、オレも連れてけよ。現場」

「嫌だって何回言わせんだ。危ねーだろ」

「あのな、オレももう二十七だぞ。アラサーのオッサンだ。守ってもらうような歳でもねーわ」

 眉間に深いしわを刻んだ真理は折れない。長い付き合いで理解している。真理は真理なりに、色々と考えはあるのだ。

 日付が替わって二時間程。外は闇に染まっている。

 説得を諦めた芳邦は頬杖をつき、窓の外を眺めた。

「もう、十年経つんだな」

 芳邦につられて、真理も窓の外を見る。

「ああ。まだ見付けられてないけど、諦めるには早い。絶対、見付けて、連れ戻す」

 十年前、純司は姿を消した。

 普通、霊は人間を殺め、魂を取り込むものだ。だが純司は、体ごと連れ去られた。真理はきっと、純司はどこかで生きていると考えている。闇の中で。この世とあの世の、境で。

 Y市の神社にも行った。あの世へ通じると噂があれば、どこであろうと行ってみた。しかし、純司の話に出てきた少女は現れない。

 有名な霊能者に習い、修業をして祓う力を得た。今では同業者から“闇狩り”と呼ばれるほど活躍している。

 それでも未だに、手掛かりはない。

「まあ、今日は宿でもとって休もうぜ。最近働きづめだろ。あのオッサンみたいな依頼主、務って言ったっけ。報告終わったらさ、十年の節目だし、滝行とかしてさ」

「…そーだな」

 二人は席を立ち、レストランを出る。

 夜の闇の中を歩き出すその脇では、黒い山高帽がくるくると、路地の暗がりへ滑って行った。

 その帽子を拾い上げたのは、小さな少女だ。

 頭に帽子をのせた少女は路地からそっと体をのぞかせ、邪悪な笑みを浮かべた。

 くすり。

 その笑い声は、誰にも気付かれないまま、闇へと消えた。







(終)

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