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優先順位

「ご苦労様。どうもありがとう」


 痰を絡ませながらやや聞き取りにくい声で言われる。この瞬間がたまらなく嬉しい。


「いえいえ、また来週もよろしくお願いします」


「んー」


 話相手は脳梗塞後の元教授だ。いつも無表情で機嫌の悪い時には家政婦さんを怒鳴りつけることもある。

 そんな人にお礼の言葉を言われるというのは訪問看護の醍醐味なのかもしれない。


 元教授の豪邸を後にして次の訪問先へ向かおうとすると電話が鳴る。関さんからの着信だ。


「はい、築島です」


『築島くん?今どこらへんにいるかな?』


「今は佐藤先生の訪問が終って星野さんの家に向かおうとしているところです」


『お願いがあるんだけど、星野さんは別の人に行ってもらうから、築島くんに田村さんお願いできないかな?近くにいそうなのが築島くんしかいなくて……』


 田村さんはアパートで一人暮らしをしているおばあちゃんだ。主に白癬による皮膚疾患の観察を行なっている。独居なため思うように薬も塗れず悪化傾向にある。今日は予定になはなったはずだけど、どうかしたのだろうか?


「緊急ですか?」


『緊急じゃないんだけど、風邪気味で抗生剤を飲んでて、先生からは風邪の治療が終わってから白癬の治療について考えるって言われてるのに、ケアマネやらヘルパーから足の状態を診て欲しいってしつこく電話があってね……。今、家にいるらしいからちょっと説明してきてくれないかな?』


 またか……。田村さんの白癬については何度も呼び出しがあり、何度も説明しているはずなのだが、周りの人達が一向に理解してくれないのだ。


「わかりました。いってきます」


『ゴメンね。助かるわ』


 自転車を漕ぎ田村さんの家へと向かう。田村さんのお宅は西新宿なのだが、今いる中野坂上からは数分で行ける場所にある。

 神田川を渡ると高級そうなマンションが建ち並んでいるが、細い路地に入ると古い家やアパートひしめき合っている。

 古びたアパートの前に自転車を停めて田村さんの部屋へ向かう。一人暮らしの場合、戸締りはどうしているのかというと暗証番号つきのボックスの中に鍵を入れている。出入りする人が戸締りをして鍵を箱の中へと戻す事になっている。僕は暗証番号を合わせ中から鍵を取り出して部屋の中へと入った。すでにヘルパーとケアマネの姿はなく田村さんがニコニコしながら昼食を摂っている。


「あら、お兄さん。今日はどうしたの?」


「こんにちは。今日は予定の日じゃないけど、足の具合を見に来ましたよ」


「あらあら、こんなおばあちゃんの足でよかったらいくらでも見ていってちょうだい」


 痰が絡みヒューヒューというの狭窄音を出しながらも笑顔で話す。

 食事中だったのだが、食事の手を止めテーブルを奥へ押しやり靴下を脱ぐ。90歳を越えていて認知症なのだが人付き合いはしっかりしている。

 出された足を観察する。白癬菌によって爪は変形しており、指の間も真っ赤になっているが以前に見たときと変化は見られない。


「痒みとかありますか?」


「全然痒くないわよ?どうかしたの?」


「いえ、特に変わりないようですね。大丈夫ですよ」


 今度はバイタルを測定するが特に異常値は検出されない。しかし、痰がらみと狭窄音は聴かれているため気管支炎か肺炎の疑いが強い。


「息苦しくないですか?」


「大丈夫よ!明日はデイサービスに来なさいって言われてるから頑張ってるのよ」


 笑顔でデイサービスに行くと話す田村さんだが、この状態では辞めたほうがいいのではないかと思う。

 僕は部屋にあった往診医師の診療レポートを読む。


【気管支炎と思われますが肺炎を併発する恐れがあり、抗生剤を5日間投与します。白癬の治療についてはハッキリと肺炎が否定された後に考えます】


 こう書いてある。


 そして、抗生剤は今日でなくなる予定となっている。どうやらケアマネは「抗生剤がなくなったから次は白癬の治療をしてもらおう」と思ったのだろう。以前から「足が良くならない」とデイサービス、ケアマネ、ヘルパーから頻回に連絡があるのだが、何もしていないわけではなくちゃんと抗真菌薬は処方されているのだ。爪白癬は薬を塗ったからすぐ良くなるということはないのが普通なのだが、何度説明しても一向に理解してくれないのだ。

 今日の状態では抗生剤も続けたほうがいいだろうし一度レントゲンも撮ったほうがいいだろう。デイサービスも利用者が減ったら収入が減るだろうが、それよりも大事な事を考えていないようだ。


 僕はスマホを取り出し主治医の病院へ電話をかける。事務からまわされるとすぐに主治医に代わる。診察で忙しいだろうが良く対応してくれる若い女性医師だ。


「お世話になっております。トータルケア訪看の築島です」


『こちらこそ、いつもどうも。田村さんの件ですね?』


「はい、足の状態を見て欲しいとケアマネさんから連絡があり訪問しました」


『はぁ……、どうでしたか……?』


「足は変わりなく悪化はしてません。ただ、湿性咳嗽(痰がらみの咳)が続いているのと呼吸に狭窄音があります。本人からは訴えありませんが今日で抗生剤がなくなるためご報告したほうがいいかと思いまして」


『やはりそうですか。一度受診してもらってレントゲンを撮ったほうがいいですね。抗生剤も続ける必要がありそうです』


「ですよね……」


『そうなんです……』


「こちらでケアマネさんに連絡して受診の日取りを調整しますか?」


『いろんな人から問い合わせがあって、私も誰に言ったらいいのかわからなくて……。窓口は誰なんですかね?』


 恐らくはデイサービス、ヘルパー、ケアマネから問い合わせ攻撃を受けたのだろう。丁寧な診察をしていても関わる業種が理解していないとこうなってしまう。


「ケアマネが窓口でいいと思いますよ」


『そうですか。では、私から連絡して明日にでも受診していただくようにします。報告ありがとうございました』


「こちらこそありがとうございます。よろしくお願いします」


 電話を切り、田村さんに結果を伝える。


「田村さん。明日は病院に行って先生に診てもらわなくちゃいけなくなりました。残念だけどデイサービスはお休みになります……」


「病院?私どこかわるいの?」


 田村さんが咳をしながら純粋な目で聞き返してくる。申し訳ない気持ちでいっぱいになるが、高齢者が肺炎になって数日の間動けなくなると、肺炎が完治しても寝たきりになってしまうことが多い。1日寝たままだと失った筋力を取り戻すのに1週間はかかると言われているのだ。


「ちょっと咳が出ているでしょ?痰もいっぱい出ててレントゲンとか撮って検査してもらったほうがいいから。良くなったらまたデイサービスに行けるから念のために先生に診てもらいましょ」


「そうなの……。残念ね……」


 本当に残念そうにシュンとしてしまったが、テーブルを元の位置に戻すと途中だった食事を再開する。残念な気持ちは忘れてしまったのか、ヘルパーさんが用意してくれた食事を美味しい美味しいと笑顔で食べ始める。それでも一瞬見せた残念な顔は僕の目に焼き付いて離れない。

 軽く別れの挨拶をして、独りで昼食を摂る田村さんを残し外から鍵をかけてキーボックスへ戻す。


 関さんへ結果をメールで報告して自転車に乗る。街路樹が並ぶ広い歩道をランチを楽しんだ後の主婦達やワイワイと騒ぎながら歩く人々を横目に次の訪問先へ向かい自転車を走らせる。




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