第44話・愛される幸せ
翌日、予定ではダイビングというものをするつもりであったが、足の怪我を考えて、一日後に変更してくれた。
「今日はテーブルから魚に餌やりでもしながら、ゆっくりしましょう。」
春樹どのはそう言って、フロントへ餌を買いに行ってくれた。
テーブルに付いておる小さな扉を開け、餌をまくと、すぐに可愛らしい魚が寄ってきた。
「おお!小さくて可愛らしいな!」
「よく餌付けされていますね。沢山寄ってきますよ。」
可愛らしい魚が一生懸命に餌を食べる姿を、二人で楽しんだ。
お昼御飯は部屋へ持ってきてもらった。食後、ソファーで寛いでおったら、気持の良い潮風に、つい、うとうとしてしまった。
…ん。
寝てしまった。目が覚めると、春樹どのの姿が見えなかった。
「春樹どの?」
ベランダにもおらぬ。私の荷物が置いてあるベッドルームにもおらぬ。バスルームにもお手洗いにも…
「春樹どの、何処へ行ったのだ…」
急に不安が押し寄せ、昨日の心細さが蘇ってきた。
「春樹どの!」
玄関を飛び出したところで春樹どのの姿が見え、思わず抱きついた。
「おっと!かぐやさん、どうしたのですか?」
「起きたら春樹どのがいなくて…急に…」
「すみません。昨日の今日で、怖い思いをさせてしまいましたね。」
コテージの中へ促され、ソファーに座って私が落ち着くまで優しく抱き締めてくれた。
「気持良く寝ていたので、起さないで出掛けてしまいました。すみませんでした。」
テーブルに置かれた荷物を見ると、昨日の帽子、そしてストラップが柔らかい布で出来たサンダルがあった。
「もしかして、これを買いに行ってくれたのか?」
「はい。ですが起きるまで待っていた方が良かったですね。迂闊でした。」
私の日避けと、痛めた足を考えてくれたサンダル、春樹どのの優しさに胸がいっぱいになった。
「…ありがとう。」
温かい腕の中でそっと目を閉じた。
夕食も部屋で頂き、それぞれシャワーを浴びて部屋着に着替えた。涼しい潮風に当たりながら、ベランダで冷たいジュースを飲んで寛いだ。
「海の音はいいな。ずっと聞いておっても飽きないぞ。」
「そうですね。おじいさんとおばあさんになったら、海の近くに家を建てますか?」
「それも良いかもな。」
「でも、秋人の別荘の近くはやめましょうね。毎日襲撃されそうですし。」
「ふふ。可能性はあるな。」
暫く波の音を聞いておったが、そろそろ寝ようと言われた。私のベッドルームの前まで来て、額に軽く口付けられた。
「これ以上は我慢できなくなりそうなので、ここまでにしておきますね。」
今日は別々の寝所なのか…
「おやすみなさい…」
春樹どのの手が離れた時、急に切なくなった。
“離れたくない…もっと傍にいたい…”
胸が締め付けられ、思わず踵を返す春樹どのの服の裾を掴んでしまった。
「どうしました?」
「…」
「かぐやさん?」
「…ない。」
「え?」
「離れたくない…」
「…かぐやさん、自分で言っている意味が分かりますか?」
無言で頷いた。
春樹どのは一瞬驚いた顔をしておったが、黙って私の手を引き、リビングのベッドへ座らせた。
肩を抱き寄せられ、思わずビクッ!としてしまった。
「怖いですか?」
「少し…」
未知のものへの怖さはある。でもそれ以上に腕の中に居たい、もっと抱き締められたいと思ったのだ。
春樹どのは、肩を抱いた手に力を入れ、もう一つの手で私の顎を掴んで上を向かせた。
「私の一生をかけて大事にします。だからかぐやさんのすべてを私に下さい。」
返事の代わりに目を閉じると、すぐに優しい口付けが下りてきた。そっと離され、今度は深くかき乱すような荒々しさに変わった。
「ん…」
深い口付けだけで甘い声が漏れる。
そっとベッドに寝かされると、春樹どのは私の上に馬乗りになり、乱暴にシャツを脱ぎ棄てた。
海水浴で何度も見慣れておる筈の春樹どのの身体が、月明かりだけの部屋で妖しい色気を放つように感じた。
「かぐや…」
春樹どのは私の名を呼び続け、口付けながらも身に纏うものを暴いていった。素肌に触れる指はとても優しく、妖しく、私を翻弄させた。
あ…
私が春樹どのを必要とするように、春樹どのも私を求めてくれる。
優しく、時に激しく、海の波にも似た鼓動が押し寄せ、うっすら汗ばんだ身体さえも愛おしく感じ、春樹どのの背中を抱き締めるよう手を回した。
「春樹…」
初めて愛する人から愛される幸せを感じた夜であった。
…ん。
眩しい。朝か…
何だか温かい。これは春樹どのの温かさであるな…無意識にすりすりと顔を寄せた。
「ふふ。かぐやさん、くすぐったいですよ。」
…へ?パチッと目を開けた。
すると、目の前には何も纏っておらぬ春樹どのの身体!そして見下ろせば同じく何も纏っておらぬ自分の身体!
「うわっ!」
一気に目が覚め、どうすれば良いのか分からず、あたふたしてしまった。
「ふふ。そんなに驚かないで下さい。」
「い、いや…」
春樹どのはチュッ!と軽い口付けをして私を抱き締めてきた。素肌と素肌が触れあい、それだけで煩いほど心臓がドキドキして暴れ出した。
「こんな幸せな朝は初めてです…」
こんな心臓に悪い朝は、初めてです…
足腰が立たないかもしれないと言われ、春樹どのはベッドまで朝食を持ってきてくれた。恥ずかしいので早く着替えたかったのだが、薄いシーツだけを身に纏って食事をする羽目になった。
「あと二晩…ギリギリセーフか。」
「ん?何が二晩なのだ?」
「いえ、この旅行も残り二泊だなぁと思いまして。」
「そうだな。今日はかなり足の怪我も良くなってきた故、色々と楽しもう。」
「ふふ。色々と楽しみです。」
意味深な笑い方だなぁと思いつつ、昼からのダイビングに向けて、水着に着替えた。