第43話・初めての恐怖
小さな子供は、路地裏を縦横無尽に走り抜けて逃げ走った。私にはかなり狭くキツい道であったが、何とか追い付き、捕まえた。
「はぁ、はぁ…何故こんなことをする!」
子供はビクッ!としておったが、掴んだ腕を離さなかった。
よく見るとかなり細い腕であった。まるで天界の貧困層の子供達のようだ。
そのうち他の子供が寄ってきてバッグを私に返し、小さな子を背に庇った。その子供も驚くくらい細かった。
そうか。この子達は生きる為に盗人をしたのだな…
私はにっこり笑って、バッグから喉の乾燥防止用に入れてあった飴玉を取り出した。
「ほら、甘いぞ。これをあげるから、二度と盗人の真似などするでないぞ。」
子供達は飴玉を受け取ると、私ににっこり笑いかけて去っていった。
「さて、戻るか。って、ここは何処だ?」
看板があれば読めるが、そんなものはまったく見当たらぬ。舗装がされておらぬ道であった。通りすがりの人に道を聞こうにも、まったく会話が出来ぬ。スマホもコテージに置きっぱなしだ。
マズい…かなりマズい状況だ!
路地裏を縦横無尽に走った為、方向が一切分からなかった。とりあえず来たであろう道へ行ってみたが、子供を追いかけるのに必死で、まったく覚えておらぬ。
春樹どのと一緒にいた時にはまったく感じなかった心細さで、いっぱいになってしまった。
「こんな事になるのであれば、自ら手を繋げば良かった…」
今になって後悔しても後の祭りだ。
「“お嬢ちゃん!お散歩かい?”」
「“ここは観光客が来るところじゃぁないよ!”」
現地の人が離し掛けて来るが、まったく分からぬ。中には怒っておるような雰囲気の輩もおるが、まったく理解できず、話しかけられる度に走って逃げた。
当てどなく彷徨い歩いた。腕にはペアウォッチが寂しく時を刻んでおった。
「…ここは一体どこであろうか。」
まったく見覚えがない道だ。建物も少なくなってきた。
キョロキョロしておったら、現地の人が私の目の前に立ち塞がった。
「“どうしたんだい?観光客の子供が来るところじゃぁないよ。”」
へ?何と言っておるのだ?
「“ここでうろついていたら、客引きと間違われるから、ホテルに帰った方がいいよ。もしかして道が分からないのかい?”」
うわっ!どうしよう!
この程度の輩なら、日本であれば簡単に蹴散らす事が出来るが、言葉も分からず、春樹どのと離れた今の私が怖がるには、充分であった。
「“大使館に連絡してあげるよ。こっちへおいで。”」
手を伸ばされ、生まれて初めて恐怖を感じた。
こ、怖い!
掴まれそうになった腕を咄嗟に払いのけ、全速力でその場を去った!
「“おい!大丈夫か~?”」
何か叫んでおるようだが、その声を振り切るよう必死に走った。
「痛っ!」
足に痛みを感じて、立ち止まった。サンダルで走り回ったので、靴ずれをおこしたようだ。痛みに耐えきれず、その場にしゃがみ込んでしまった。
「春樹どの…」
春樹どのに、二度と会えなかったらどうしよう…
グスッ…
「春樹どのに逢いたい…」
----------
現地の人に尋ねながら、かぐやさんを探した。長い黒髪の東洋人は珍しいから、すぐに分かるだろうと思ったけど、ほとんど目撃情報は掴めなかった。
「“すみません。長い黒髪の女性を見ませんでしたか?”」
「“さあ。見てないね。”」
気付けばもう夕方に近い時間帯だ。コテージのフロントにも聞いたが、まだ帰ってないと言われた。帰り道も分からず、迷子になっているのだろう。
かぐやさんは会話が出来ない。きっと心細い思いをしているに違いない。絶対に見つけないと!
気合いを入れ直して、再び道すがら尋ね探していた時だった。
「“長い黒髪の女性を見ませんでしたか?”」
「“ああ。東洋人の子供かい?迷子になってたようだけど、大使館に行こうと言ったら逃げていったよ。”」
「“その人はどこへ?”」
「“向こう側かな。あっちはあまり治安が良くないよ。”」
「“ありがとうございます!”」
すぐにおじさんが教えてくれた方向へ走った!
道を暫く走ったところで、蹲っているかぐやさんを見つけた!
「かぐやさん!」
よろよろと立ち上がり、振り向いたかぐやさんは涙ぐんでいるようだった。
「春樹どの~!」
足をひょこひょこさせて、必死に私へ向かって来ている姿に、胸が締め付けられそうだった。
「かぐやさん!」
抱き止めるように、腕の中へ閉じ込めた。
「うっ、うっ…」
抱き止めたと同時に、かぐやさんは泣きだしてしまった。相当心細かったのだろう。迷子の子供のように泣きじゃくっていた。
「手を離してすみませんでした。もう二度と離しません。」
安心して貰えるよう、優しく抱き締めながら何度も頭を撫でた。
----------
足の痛みに耐えきれず、道の真ん中で蹲っておったところ、私を呼ぶ声が聞こえた。
「かぐやさん!」
春樹どのだ!春樹どのに逢えた!
嬉しさと安堵から抱き締められた時、涙を堪えきることが出来ず、泣いてしまった。
「グスッ…春樹どのに…二度と逢えぬかと…怖かった…」
必死に話そうとしたが、まったく言葉にならなかった。春樹どのはずっと頭を撫でて、優しく抱き締めてくれた。
涙も落ち着いた頃、春樹どのは私の足を見た。
「やっぱり、足を痛めてしまったのですね。」
そう言って私を抱えてタクシーに乗り込み、コテージへ帰った。
コテージへ入ってすぐ、フロントから借りた救急箱の中から絆創膏を取り出し、シャワールームで傷口を洗って手当してくれた。
「観光も出来ずに申し訳なかった。」
「かぐやさんが無事でいてくれれば、それだけでいいです。私にはかぐやさんがすべてですから…」
その晩は、リビングの大きなベッドで一緒に横になった。何もせず、私を安心させるよう、ずっと抱き締めてくれた。
「もう何も怖くないですよ。ゆっくり休んで下さい。」
「…ありがとう。」
春樹どのの鼓動を聞きながら、ゆっくりと眠りの世界へ入っていった。