第26話・逢いたい…
春樹どのに促されるままソファーへ座った時、唐突に切り出された。
「何故、最近天界へ帰っていないのですか?」
「え?」
な、何故バレてしまったのだ?
「そ、そんな事はないぞ…」
「顔を背けて言っても、信憑性ありませんよ。それに運転手からもここ一カ月程屋敷へ帰っていないと聞いています。」
「い、いや…最近所用が無いのでな…」
「道場はどうしたのですか?」
「…」
ふう、と一つ息を吐き出して、春樹どのは一冊のノートを取り出した。
「そ、それは!」
「枕元の下に落ちていました。基礎体温表ですね。最近様子がおかしいことが多かったし、もしかしてとは思いましたが…」
「返してくれ!」
サッ!と春樹どのの手から奪い取った。
「以前、かぐやは私に、何でも一人で抱え込まないでくれと言ってくれましたよね。」
「あぁ…確かに言ったぞ。」
「それは同じ事をお返しします。もし私が早く子供が欲しいと言った事や親族からプレッシャーを与えられた事が原因なら、謝ります。ですが夢だった道場を辞めさせてまで、義務的に子供を作りたいとは思いません。」
その一言に、カチンと来てしまった。
「義務的だと?そんな事を思っておったのか!」
「義務的に感じていたのは、かぐやではありませんか。以前にも言った筈です。どちらかに無理を強いたり我慢するのは違うと。」
「無理や我慢などでは無いわ!」
「では、かぐやを頼って道場へ通うみんなはどうするのですか?無責任に放り出すのですか?」
「無責任とはどういう事だ!」
「あんなに通う人が増えたと、喜んでいたではないですか。子供の事は二人の問題ですが、道場を投げ出してまで叶えて貰おうとは思いません。」
春樹どのも早くと言っておったのに、嘘であったのか!赤子が欲しいと本気で思っておったのは私だけなのか!
カッ!と頭に血が上り、勢いよくソファーから立ちあがった。
「そこまで言うのであれば、天界へ戻る!永遠にな!」
「分かって頂けないのであれば残念です。」
何故私が責められなければならぬのだ!
腹立たしさそのままで邸宅から飛び出し、暗い夜道を走って屋敷へ行った。
屋敷では、まだ婆やが掃除をしておる最中であった。
「あれ?かぐや様、何かお忘れ物でございますか?」
「何も忘れてはおらぬ!永遠に天界へ帰る事となったのだ!もう二度と春樹どのの所へは戻らぬ!」
「え?か、かぐや様!それは一体…」
婆やが何か言いかけておったが、すぐに能力で天界へ帰った。
「まぁ、夫婦喧嘩は犬も食わぬと申しますしな。」
婆やの呟きなど私には聞こえなかった。
翌日になって家族の皆と顔を合わせた。だが婆やから何か聞いておったのか、誰も何も聞いて来なかった。
天界ではほぼ毎日、読み書きや空手の道場を開いておる故、退屈せずに済んだ。
「そこ!腕の角度が違う!」
「そなたは、もっと緩急をつけてと先日も申した筈だ!」
『足利様…かぐや様は何故あのように気が立っておられるのですか?』
『どうも春樹どのと喧嘩をしたようだ。触らぬ神に祟りなしであるぞ。雅も逆鱗に触れぬよう気を付けろ。』
『はい…』
「そこ!無駄口をたたいておる暇があれば、稽古せぬか!」
「は、はい!」
義兄上と柳本どのが勢いよく立ち上がり、稽古を始めた。
そんな日々を過ごしながら二週間が経った頃、やよい姉様に呼ばれた。
「かぐや、そろそろ詳しい話を聞かせてはくれませんか。」
「別に何もございません。春樹どのが一方的に責め立てた故、永遠に帰らぬと言ったまでです。」
「まぁ、そんな事を言ったのですか?して、どのような事を責め立てられたのですか?」
やよい姉様に、子作りが義務的に感じておると言われた事や、天界の道場へ行かぬ事を無責任だと言われたと説明した。やよい姉様は暫く思案された後、私に尋ねられた。
「かぐや、そなたは何故赤子が欲しいのですか?」
「それは…」
「親族の皆が言うからですか?それとも春樹どのが欲しいと言ったからですか?」
「それもありますが…」
「…が?」
「私も望んでおるからです。」
「では、赤子ができぬのは能力が原因かもと伝えましたか?」
「…いいえ。」
やよい姉様は、ふう、と一息吐き出して言った。
「今回の喧嘩の原因はすべてそなたですよ。」
「わ、私ですか?」
「はい、そうです。何故春樹どのに自分の考えを伝えないのですか?何故能力が原因かもと言わなかったのですか?一カ月程時間がありましたよね。」
「…」
「春樹どのとかぐやは夫婦なのですよ。夫婦であってもすべてを曝け出す必要はありませんが、今回に関しては二人の問題ですからちゃんと伝えるべきでしたね。」
やよい姉様の部屋を出て、自分の部屋へ戻った。
はぁ…ため息しか出ぬな…
春樹どのはいつも私の気持ちを察してくれておった。そういえば私から気持ちを伝えることは、あまりしてはおらぬな…
やよい姉様に言われた事は、ごもっともな話である。机にうつ伏せになり、一人反省会を行った。
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冬馬から、かぐやさんが道場へ来ないと連絡が入った。仕方なく喧嘩した事を伝えると、秋人も呼んで三人で飲む事になった。
「春樹が悪い!」
ビールが運ばれるや否や、二人揃って言われてしまった。
「いい?子供が出来ないって事で真っ先に責められるのは、女の子の方なんだよ!純粋に子供が欲しいって思っていても、プレッシャーがかかると義務感に変わってしまうなんて普通のことだって!」
「…秋人の言う通りだな。言い過ぎたと絶賛反省中だよ。」
「かぐやの国は、まるで一昔前の日本みたいな感じだろ?子供が出来なくて離縁されるなんて当たり前だと思ってるんじゃぁないのか?夢だった道場を辞めてまで子作りしようとしたかぐやの焦りも考えてやれよ。」
「かもしれないな。そうだとすれば冬馬の言うとおり、もう少し配慮するべきだったよ…」
はぁ…ため息しか出ないな…
反省しても、かぐやさんを迎えに行く事は出来ない。永遠に帰らないって言ってたし…
かぐやさんが居ない寂しさも手伝って、益々気分が落ち込んだ。
満月の夜、もしかしてという淡い期待を持って、屋敷へ行ってみた。だけど、庭に降り立った牛車から出て来たのは、婆やさん一人だった。
「春樹どのではないか。」
「お久しぶりです。かぐやさんは元気にしていますか?」
「毎日憑りつかれたように、道場へ通っておるぞ。」
「…そうですか。」
やっぱり帰って来てくれないのかな…伝言だけでも頼もう。
紙とペンを取り出して、かぐやさんに手紙を書き、婆やさんに託した。
「すみませんが、かぐやさんにお渡し下さい。」
「承知したが、かぐや様が戻って来られたとしても、責め立てぬよう願うぞ。」
「もちろんです。」
婆やさんの掃除を手伝って、テンカイへ昇るまで見送った。何となく邸宅へ帰る気がしなかったので、そのまま私が使っていた部屋で寝転びながらかぐやさんを想った。
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やよい姉様から諭されて暫く経った頃、満月になり婆やから一緒に下界へ行くかと誘われた。だが、何となく春樹どのと顔を合わせ辛かった故、断ってしまった。
はぁ…縁側でため息をつきながら過しておったら、屋敷の掃除を終えた婆やが戻ってきた。
「かぐや様、春樹どのより文を預かって来ました。」
「え?春樹どのからか?」
「はい。屋敷に来られておりました。」
「…そうか。」
渡された手紙を開いてみた。そこには一言だけが書いてあった。
『逢いたい…』
思わず込み上げるものを抑えきれず、涙がこぼれそうになった。
「…かぐや様。いかがされましたか?」
「婆や、すまぬが下界へ戻る。皆にそう伝えてくれるか。」
「かしこまりました。」
婆やはにこっと笑って、引き受けてくれた。
屋敷の部屋へ…
すぐにその場で念じて、下界へ戻った。
下界の部屋へ着くと、開いた襖つづきの部屋で、春樹どのが寝転んでおった。
「え?かぐや?」
春樹どのは、ガバッ!と飛び起きて、私に近づいてきた。
「春樹…」
反省の弁を述べようとしたところで、春樹どのにギュッ!と抱き締められた。
「…すみませんでした。私の配慮が足りなかったです。」
「私こそすまなかった。逢いたかった…」
抱き締めた腕に少し力を込められ、温かい腕の中でそっと目を閉じた。
邸宅に帰り、その晩は遅くまで二人で語り合った。自分の気持ちや能力の事も伝え、春樹どのからは私の夢を諦めて欲しくないと聞かされた。
前回の満月の日とは違い、肩を抱かれ甘い雰囲気も漂いながら、時々口付けを交わしながら話し合いは続き、天界へ帰らぬ期間に期限を付ける事を決めた。
やはり、春樹どのの傍は落ち着くな…
気付けば、二人ともソファーで寄り添って寝ており、そのまま朝を迎えた。久しぶりに幸せな目覚めであった。