第19話・記憶
前回と同じ事をしたいと春樹どのにリクエストしておった故、飛行機を乗り継いで約9時間、フィジーに降り立った。
「おお!暑いところであるな!」
「そうですね。明日はダイビングを予定していますので、早目に寝ましょうね。」
タクシーに乗り込んで着いたのは、水上に浮かぶような美しいコテージであった。
「おお!これは凄いな!まるで海の上にいるようだ!」
「ふふ。朝には美しい海が見られますので、楽しみにしていて下さいね。」
ふとリビングを見渡してみると、大きなベッドが備え付けられておるのが目に入った。
っていうか、ここで一緒に寝るのか?
「は、春樹どの…その…」
「真っ赤になってどうしましたか?」
「赤くなどなっておらぬわ!」
「ふふ。失礼しました。それで何かありましたか?」
「…寝所は一つなのか?」
「そうですね。ですが広いですし、二人でもゆっくり眠れますよ。」
「そ、そうは言っても…」
まだ戸惑う私を見て、春樹どのは楽しそうにしておった。
絶対遊ばれておるな…
「今回は急に決めましたので三泊しか取れませんでしたが、楽しみましょうね。」
「わ、分かった…」
暴れておる心臓をなだめるよう、シャワー室に飛び込んだ。
ベッドで背中を向けて横になったものの、ドキドキし過ぎて中々寝付けなかった。
翌日はダイビングというものを体験した。海の中は綺麗で、おとぎ話の乙姫になった気分であった。
レストランで夕食を頂き、コテージに戻ってきた。
「明日は市場を散策しましょう。迷子にならないよう、手を繋いでもいいですか?」
「私は幼子ではないぞ。」
「ですが、前回は迷子になって大変でしたよ。」
「そ、そうなのか?」
「はい。」
うわっ!大人であるのに迷子とは恥ずかしい…
「わ、分かった…」
「ふふ。市場の散策の後は、免税店でお買い物を楽しみましょう。」
そして、その晩も同じベッドで横になった。寝不足とダイビングの疲れもあってか、すぐに寝付く事が出来た。
翌朝、市場の散策へ出掛けた。しかも指を絡めて手を繋いでおる状態だ。
「は、春樹どの…ここまでがっちりと繋がなくても…」
「このくらいしっかりと繋いでおかないと、すぐにはぐれてしまいますからね。」
にっこりと有無も言わさぬ笑顔だ。かなり恥ずかしいが諦めよう…
屋敷にあった見覚えの無い日避けの帽子を被って歩いておる時であった。
「“よう!お二人さん!覚えてるかい?その帽子、気に入ってくれたみたいで嬉しいよ!”」
「“その節はありがとうございます。”」
ん?何やら露天の店主は私達の事を覚えておるようだ。
「春樹どの、今の店主は…」
「その帽子を買ったお店なのです。」
「そうなのだな…」
やはり覚えてはおらぬようだ…
その後は免税店へ行って買い物をし、夕食は現地文化のショーを見ながら頂いた。
コテージに戻ってシャワーを浴び、ベランダでジュースを飲みながら寛いでおる時、春樹どのが恐る恐る私に尋ねてきた。
「…かぐやさん。何か思い出す事はありましたか?」
「いいや…」
「そうですか。焦らなくても大丈夫ですよ。明日は早朝に帰国となりますので、早目に寝ましょうね。」
「分かった…」
やはり無理であったか…
ほとんど諦めたようにため息をついて、海の音に耳を傾けた。
「海の音はいいな。ずっと聞いておっても飽きないぞ。」
「…そうですね。」
「痛っ!」
突然また激しい頭痛に襲われた。
「かぐやさん!」
春樹どのに支えられ、椅子に座った。
「うっ…」
「大丈夫ですか!お医者さんを呼びましょうか?」
あまりの痛みに返事ができなかったが、何とか手で制した。そのうち頭痛も収まってきた。
「ふう…何回あってもこの痛みは慣れぬな…」
「慣れる必要も無いでしょう。少しでもかぐやさんに苦痛を味あわせたくありません。もう無理に思い出そうとしないで下さい。」
婚約者である私が存在を忘れてしまったというのに、私の事を一番に気遣ってくれる…これが春樹どのの優しさなのであろう。
「もう横になりましょうか。」
そう促されて、早々にベッドへ潜り込んだ。
「おやすみなさい…」
部屋の電気を消され、波の音に耳を傾けながら眠りについた。
その夜、また夢を見た。
真っ暗な海の中のようだ。泳いでも泳いでも、光が届く水面へ辿り着けぬ。下を見れば地の底まで続くような暗闇が何処までも続いておる。
吸い込まれそうな暗闇から逃れようと、暗く冷たい水の中を必死になってもがいた。
だ、誰か…怖い…
かぐやさん…
私を呼ぶ声が聞こえたかと思うと、ふんわり優しい温もりに包まれた。
このすべてを包み込む優しい温もりは…
何も怖くありませんよ…
この温もりは、確か…
…
ザザ…
…ん。
波の音で目が覚めた。夢から覚めてもまだ、居心地の良い温もりに包まれておるようで、穏やかな気持ちになった。この優しい温もり、覚えておる…
って、ええ~?!
目を開けてびっくりだ!春樹どのが、私をすっぽりと包みこむように抱き締めておるではないか!
「こ、これは?!」
「…あ、かぐやさん、おはようございます。昨夜も夢にうな…」
「痛っ!」
またしても激しい頭痛が襲ってきた。
「かぐやさん!大丈夫ですか!」
「…うっ…」
その時、激しい頭痛と共に私の頭の中で、沢山の思い出が溢れ出してきた。
走って逃げた私を捕まえて、初めての口付けを交わした事…
フィジー旅行で、愛される幸せを初めて知った事…
遊園地の観覧車で正式にプロポーズをしてくれた事…
「かぐやさん!かぐやさん!」
頭痛が収まると同時に、目の前が急に開けたような気がした。
「春樹どの…」
「かぐやさん!しっかりして下さい。」
「…大丈夫だ。」
ベッドで横になりながら春樹どのの顔をじっと見つめ、頬に手を添えた。
「…え?かぐやさん?」
「何故こんなにも愛しい人を忘れておったのであろうか…」
「ま、まさか…」
「すべて思い出したぞ。」
にこっと微笑むと、春樹どのは感極まったように私をギュッ!と抱き締めてきた。
「かぐやさん!良かった…本当に心配しました。」
「心配を掛けて、すまなかったな。」
「いいえ、思い出して頂けただけで充分です。」
暫くじっと抱きあった後、そっと身体を離された。春樹どのは少し涙ぐんでおるようだ。
「キスしてもいいですか?」
黙って頷いて目を閉じた。久しぶりの口付けだ。
そっと離されると、もう一度触れるだけの優しい口付けが落とされた。
「かぐやさん、愛しています…」