第16話・好きになった理由
春樹どのが屋敷におる事にも慣れてきた頃、やっと天界の道場を再開することとした。
下界の道場へも通う為、冬馬どのに連絡をしようとしたが、どうやっても唯一の連絡先であるK.netを開くことが出来なかった。
「う~ん…どの番号であったか…」
4桁の番号を入力せねば画面が開かぬようになっておるが、何度試しても解除出来ぬのだ。
「自分の誕生日も違う、生まれ年も違う、家族皆の誕生日でもない、電話番号の下4桁とも違う、リムジンのナンバーでも無い…」
頭を抱えておったら、勤めから帰宅してきた春樹どのに話し掛けられた。
「かぐやさん、どうかしました?凄く難しそうな顔をしていますが…」
「あ、春樹どの。それがK.netの画面が開かぬのだ。」
「あれ?みんなに連絡していませんでしたか?」
「小梅どのと松乃どのはメールで連絡が取れるのだが、冬馬どのと秋人どのとの連絡はK.netのみなので、向こうから連絡があった時にしか話が出来ぬのだ。」
「そうでしたか。」
春樹どのは私の隣に座り、スマホを覗き込んだ。
「4桁の番号ですね。もしかして忘れてしまいましたか?」
「それが自分の誕生日や家族の誕生日、思いつく限りの番号を入れてみたのだが、どれも開かなくてな…」
「もしかして…」
そう言って、春樹どのは私のスマホをいじりだした。
「はい、どうぞ。」
「おお!開いたぞ!何番であったのか?」
「0418でした。」
「そうか、助かったぞ。っていうか、何故春樹どのが番号を知っておるのだ?」
「さぁ、何故でしょうね。」
何やら良い事でもあったのであろうか。春樹どのは満面の笑みを浮かべて嬉しそうであった。
しかし、何故そんな縁もゆかりも無い番号にしたのであろうか…
「道場に通われる事になったのですか?」
「ああ。そろそろ再開しようかと思ってな。天界もこちらも行く事にしたのだ。」
「それでしたら、また帰りはお迎えに行きますね。」
「へ?またって事は…」
「はい。道場辺りの道はリムジンが入れませんので、私がいつもお迎えに行っていました。」
「そうであったか…いつも世話になってすまないな。」
「いいえ。かぐやさんの傍に居れるのですから、喜んで行きますよ。」
「…そ、そうか。」
春樹どのは返答に困る事を良く言うな…
「そうだ!何か世話になりっ放しも申し訳無い。何か恩を返せるものは無いか?」
「ふふ。かぐやさんのそういう所が大好きです。」
「す、好きって…」
返答に困るというか、非常に困惑してしまうのだが…
「失礼しました。それでしたらデートをして下さい。」
「デート?それは恋人が一緒に何処かへ出掛ける事であるよな?」
「はい。ですが、今回は食事にお付き合いして頂けるだけで大丈夫です。」
「そんなもので恩が返せるのか?」
「充分です。」
「分かった。予定を空けておく。」
食事に付き合うだけで良いとは、春樹どのは無欲なのだな…
そして、3月14日、指定された食事の日となった。
「今日は、スペイン料理です。ニンニクがたっぷり使ってありますが、明日は休みですし、美味しく頂きましょう。」
「ほう、この国の料理は初めて食べるな。」
「中々美味しいですよ。」
珍しい食事を頂いておる時、店内の空きスペースにて、フラメンコという踊りとギターの演奏が披露されておった。
「この踊りはまた珍しいな。音楽もギター一本でこのような演奏が出来るとは、素晴らしいものだ。」
「そうですね。スペインの伝統的な音楽と踊りです。とても情熱的な感じがしますね。」
踊り子は情熱的にワンピースの裾を振り乱しながら、薔薇を差しだして春樹どのにアピールを始めた。
「ふふ。何やら気に入られたようであるぞ。」
「…かぐやさん、一緒に居るのですから、楽しんでいないで助けて下さい。」
「すまぬ、すまぬ。困った顔をする春樹どのも珍しいのでな。」
「か、かぐやさん!」
料理も美味であるし、春樹どのと話しをしながら食事をするのは、とても楽しかった。
帰りは寄り道をしましょうと言われ、高台の公園へやって来た。
「おお!とても夜景が綺麗なのだな!」
「今、見えている夜景は、私達が住んでいる街なのですよ。」
「こんなにも綺麗だったのだな!」
「ふふ。」
「ん?何か可笑しなことを言ったか?」
「いえ、初めてここへお連れした時と同じ反応でしたので、つい…」
「え?以前にも来た事があるのか?」
まったく覚えておらぬ…
何となく黙って俯いてしまった。
「…かぐやさん、座りましょうか。」
春樹どのに促されて、ベンチに座った。
「かぐやさん。何か不安に思っている事があれば、私に言って頂けませんか?」
「だが、私はそなたの事も覚えてはおらぬ…」
「そんな事は関係ありません。ただ人に話すだけでも気持ちは楽になりますよ。」
優しく諭すように言われ、つい本音を零してしまった。
「何をどれだけ忘れておるのか、怖いのだ…」
「そうでしたか。」
「普段どおりの生活をすればするほど、忘れておる事が多いと気付かされてな…」
「例えばどんな事ですか?」
「4桁の番号も覚えておらなかったし、ここも来た覚えが無い。他にも買った覚えの無い紅玉のアクセサリー類やバッグ、クローゼットには着る機会も無いであろう初めて見るドレス…沢山あるのだ。」
暫く沈黙が続いた後、春樹どのは私の手をそっと握ってきた。
「え…?」
「人の温かさを感じると、悲しみが半減するらしいですよ。」
そう言いながら私に微笑みかけた。
「そうか…」
この春樹という殿方を何故婚約者に選んだのか、何処を好きになったのかが不思議であったが、何となく分かった気がした。春樹どのは、いつも私の心に寄り添ってくれるのだ。
そのまま手の温もりを感じながら、黙って夜景を眺めた。