第14話・もう一度
クリスマスイブ、婚姻の儀の日となった。
式場に行く前に二人で婚姻届けというものを、役所に提出しに行く事となった。
「今日からやっとかぐやさんと夫婦になりますね。」
「そ、そうだな…」
何だか夫婦という響きに、照れくささを感じてしまうな…
年末ということもあり役所の駐車場は一杯であった故、近くのコインパーキングに車を停めた。
交差点で信号待ちをしておった時、ふと春樹どの後ろを見ると、何やら蛇行しておる車が…そのまま私達の方へ突っ込んできた!
「危ないっ!」
「え?」
咄嗟に春樹どのを突き飛ばした!
バーン!
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かぐやさんの顔を見ながら、やっと結婚できる喜びを噛みしめていた時だった。
「危ないっ!」
「え?」
かぐやさんに急に押され、歩道に倒れ込んだ!
「痛っ!急にどうしま…」
振り向いて茫然とした。歩道に乗り上げた車の前には、頭から血を流して倒れたかぐやさんの姿があった。
「か、かぐやさん…」
かぐやさんはピクリとも動かない。
「…かぐやさん?………かぐやさん!!」
「動かさない方がいいぞ!」
「救急車は?」
「さっき呼んだ!」
私達の周りを、沢山の野次馬が囲んでいる。
「かぐやさん!!かぐやさん!!」
なすすべも無く、触れることもできず、ただ、かぐやさんの名前を叫び続けた。
…
近くの救急病院へ運ばれ、かぐやさんはすぐに手術室へ入った。
「あなたも怪我をされていますよね。こちらへどうぞ。」
看護師さんに言われるまま、診察を受けた。手に擦り傷を負っただけで、特に異常はなかった。
手術室の前のベンチで項垂れていると、連絡を受けた私の両親とかぐやさんのご家族が来られた。
「かぐやは!かぐやはどこじゃ!」
かぐやさんのお母様が取り乱しながら私に問い詰めてきたが、お父様がそれを抑えていた。
「すみません…私がついていたのに、こんな事になってしまって…」
「何故じゃ!何故このような事に!」
そこへ警察が事情聴取にやって来た。
歩道に突っ込んできた車は、足元に落ちた物を拾おうとしてハンドル操作を誤ったそうだ。
「信号待ちをしていたら急に、かぐやさんに押されたのです。歩道に倒れ込んで振り向いたら、もう…」
「かぐやさんは春樹を庇ったのか…」
父さんの声に、黙って頷いた。
その後は、手術室のランプが消えるまで、みんな黙っていた。
ランプが消え、手術着を着た医者が出てきた。すぐに立ち上がって詰め寄った。
「先生!かぐやさんの容態は!」
「命に別条はありませんよ。」
「良かった…」
その声で、みんな安心した顔になった。
「体に打撲の後が見られますが骨折も見当たりませんし、頭を強く打ったようですが今のところ脳波に異常もありません。目が覚めたらもう一度検査をしましょう。」
「分かりました。」
今夜は病室ではなく集中治療室へ入るとのことで、みんな帰宅することになった。
「…すみませんでした。」
病院から出て車に乗り込む前、かぐやさんのご家族に深々と頭を下げた。私を庇ったばかりに、かぐやさんがあんな目にあってしまった事に、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「春樹どのが悪い訳では無い。かぐやが勝手にしたこと故、罪悪感を感じる必要はないぞ。」
かぐやさんのお父様からはそう声を掛けて頂いたが、気分は晴れなかった。
何事も無ければ、今頃は幸せな結婚式を挙げている頃だ。頭を下げたまま涙を堪える事が出来なくなった。
両親に付き添われ、その日は邸宅へ帰ることになった。
眠れない夜を過ごした翌日、病院からかぐやさんの意識が戻ったと連絡があった。すでに集中治療室から病室へ移ったそうだ。急いで病院へと車を走らせた。
VIP専門の特別室に行くと、かぐやさんのご家族が既に揃っていた。
「あ、春樹どの!かぐやどのが目を覚ましたぞ!」
義兄さんに手招きされ、恐る恐るかぐやさんに近づいて声を掛けた。
「…かぐやさん。心配しました。無事で良かった…」
「誰?」
「…え?」
「そなたは誰だ?」
「私です。春樹です。」
「春樹?何処かでお会いしたか?」
そんな…馬鹿な…
雷が落ちて来たような衝撃が私の中に走った。冗談を言っている顔ではない。
かぐやさんが…私を覚えていないなんて…
お義姉さんが心配そうにかぐやさんに話しかけた。
「かぐやよ、そなたの婚約者ですよ。」
「私に婚約者?いつの間に?」
「覚えておりませんか?」
「覚えておらぬも何も、まったく身に覚えがございません!何の冗談ですか?」
「…私達の事は分かりますか?」
「もちろんです、やよい姉様。先程から何を可笑しな事を言っておられるのですか?」
こんな事が…ある筈がない…
目の前で繰り広げられる会話を、まったく受け入れる事が出来なかった。
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…ん。
眠りから覚め、気付けば病院のベッドであった。
「痛っ!」
目覚めてすぐに頭に激痛が襲ってきた。
「竹野塚さんが目を覚ましました!」
さっと看護師さん達が寄ってきて、病院の先生らしき殿方を呼んできた。先生に簡単な診察をして貰い、頭の激痛を訴えると、痛み止めを点滴すると言われた。
「先生、一体私は…」
「覚えていませんか?事故に遭って運ばれてきたのですよ。」
「そういえば車が突っ込んできて…」
「覚えているのなら大丈夫そうですね。他に気になる事や痛む所があれば、いつでも言って下さい。」
「…分かりました。」
それから沢山の者がおる病室に移されたが、私の家族が来てすぐに大きな個室へ移った。
「かぐやよ。心配しましたよ。」
「やよい姉様、父上や母上までお揃いの時で良かったです。それで、皆が揃って何か下界の所用があったのですか?」
「ふふ、何を言っているの。かぐやったら可笑しな事を言いますね。」
…へ?何かあったであろうか?
後で誰かに聞いてみるか…
そして暫くした後、一人の見覚えの無い殿方が病室へ入ってきた。
「私です。春樹です。」
「…春樹?何処かでお会いしたか?」
見覚えの無い殿方は、信じられぬ者を見るような目で私を見ておる。すぐ傍でやよい姉様が恐る恐る私に言った。
「かぐやよ、そなたの婚約者ですよ。」
へ?私の婚約者?この見覚えの無い殿方が?
「覚えておらぬも何も、まったく身に覚えがございません!何の冗談ですか?」
だが、皆が一斉に心配そうな顔となったので、それ以上は何も尋ねる事が出来なかった。
その後、すぐに診察を受ける事となり色々と検査をされたが、特に異常は無かったようだ。診察室には春樹という殿方が私の車椅子を押して入り、一緒に話しを聞く事となった。
「頭を強く打った事による記憶喪失ですね。ある特定の人や物だけを忘れるというのは、よくあります。」
「それで、いつ戻りますか?」
「明日かもしれないし、ずっとそのままかもしれません。」
「そんな…」
「何かのきっかけに思い出す事もありますので、今までどおりの生活を送るようにして下さい。」
「…分かりました。」
私の代わりに、春樹という殿方がすべて受け答えをしておる。それを私は何処か他人事のように聞いておった。
一人だけを忘れるなんて、ありえぬであろう…
診察室から病室に戻る間、車椅子を押す春樹という殿方に聞いてみた。
「あの…そなたは本当に私の婚約者なのか?何かの冗談では無いのか?」
「…冗談では無いです。早く思い出せるといいですね。
それから毎日、春樹どのという殿方は見舞いに訪れた。
「春樹という者、毎日のように来て頂き感謝する。」
「…いえ。このくらい大したことありませんよ。」
何故だか悲しそうに微笑む殿方であるな…そんな印象であった。
年が明けて、早々に退院となった。定期的に病院へ行かなければならぬようであるが、入院は退屈であった故、早目の退院を希望したのだ。
爺やのリムジンにて屋敷へ戻ると、まだ天界へ帰っておらぬ家族が出迎えてくれた。
「かぐや、退院おめでとう。」
「ありがとうございます。母上。」
「頭の傷はどうだ?」
「父上、薬も頂いております故、心配は御無用です。」
皆と話していたかったが、まだ安静を言い渡されておる故、仕方なく部屋へ戻って横になることにした。
だが、自分の部屋に入ってびっくりだ!
「な、な、何で春樹どのがここへおるのだ!」
襖で仕切られておるだけの隣の部屋で、春樹どのが寛いでおるではないか!
「かぐやさん、おかえりなさい。お疲れでしたね。」
「大した事は無い…って違うぞ!何故そなたがここにおるのだ!」
「ふふ。それはノリ突っ込みですか?」
「い、いや…って、そうではなくて!」
「ここが私の部屋だからです。あっ、お着替えをされるのでしたら外へ出てきますよ。」
当然のように言われても、非常に戸惑うのだが…
「しかし、いきなり婚約者と言われて、隣の部屋で寛がれても…」
「これが普段どおりなので、大丈夫です。医師からもいつも通りと言われていますよね。」
「だが、私にはまったく身に覚えが無いのだ。」
「そんな複雑そうな顔をしないで下さい。無理に思い出さなくても大丈夫ですよ。」
「…へ?良いのか?」
ほっ!と、少し安堵した。だがそれは束の間であった。
「色々考えて決めました。かぐやさんには、もう一度私を好きになって貰いますので、覚悟して下さいね。」
以前のような悲しそうな微笑みでは無いが、有無も言わさぬ笑顔だ。
何やら波乱の予感がした…