第10話・丁寧な誘拐
秋に入り、紅葉坂ホテルのカフェのオープンの日を迎えた。松乃どのと小梅どのを誘って散歩がてら行ってみることとした。
「小梅どの、ベビーカーは大丈夫であるか?」
「大丈夫だよ!思った以上に坂がきつくないしね!」
紅葉はまだ色付いてはおらぬが、カフェは思った以上に盛況であった。春樹どのや美咲どの、プロジェクトメンバーも忙しそうに動いておる。私達に気付いた春樹どのが、駆け寄ってきた。
「かぐやさん!みんなも来て下さったのですね。」
「春樹どの、仕事の邪魔をして悪いな。」
「大丈夫です。もう少ししたらテレビの取材が入りますが、それまでは時間がありますよ。」
「テレビの取材も入るのか?」
「冬馬が話題のイケメン講師として取材を受けた時に、ここを売り込んでくれたみたいです。」
「では、録画をしておかねばなるまい。」
「止めてください。恥ずかしいですから…」
「ふふ。末代まで取っておくぞ。」
早速ジュースを頂こうと思ったが、席はすべて埋まっておるようだ。
「テイクアウト出来れば、芝に座って飲めるのにね。残念だったな…」
「小梅どの!それだ!」
美咲どのは忙しそうにしておったが、強引に捉まえて、テイクアウトの話をした。
「それはいいわね!紅葉の季節になったらもっとお客様増えるだろうし、散歩しながら飲む事も出来るわね!」
早速何処かへ電話を掛けて、何やら手配をしておる。春樹どのの話では、次の日からテイクアウト出来るようになったそうだ。
私達が帰る時にも坂道を上って来る者が絶えることは無く、嬉しく思いながらその光景を眺めた。
だが、苦虫を潰すような顔をして見ておった人物もおったようだ。
『盛況だな…このままではジェニーと並んでしまう。手を打たないと…』
数日後、一人の殿方が私を訪ねて屋敷へ来た。
「春樹様のお父様より伝言を預かってきました。これで春樹様から手を引いて欲しいとのことです。」
そう言われ、殿方から封筒を差し出された。
「これは何だ?」
「…確かにお渡しいたしましたよ。」
「え?おい!」
殿方はそのまま帰って行った。渡された封筒の中身を見ると、小切手と書いてある紙切れが一枚入っておる。
小切手…って何だ?
夜になり、勤めから帰宅した春樹どのに事情を話しながら見せると、すぐにお父様に電話を掛けた。
「やはり、そんな事はしていないそうです。すぐに出処が分かると思いますので、小切手を預かっても宜しいですか?」
「構わぬ。」
「一千万円か…」
「ところで、小切手とは何だ?」
「銀行に持って行けば、お金に替えて貰えるものです。二人の絆も安く見られたものですね。」
「…?」
何だかよく分からぬが、春樹どのには金額が不満だったのであろうか…
「かぐやさん、次の親族会議まで一人で行動するのは控えて頂けますか?」
「何かあったのか?」
「念のためです。後で爺やさんと婆やさんにも伝えておきます。」
「春樹どのが言うのなら、そうしよう。」
春樹どのは何やら私のスマホをいじり、GPSとやらのアプリを設定した。そしてスマホを肌身離さず持っておくように指示された。
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小切手の出処はすぐに調べがついた。ジェニーの父親の名前で作られた口座だった。だけど、日本に馴染みが無いジェニー家が簡単に口座の手続きや小切手発行なんか出来ない筈だ。
恐らく昭三さんがバレた時に言い逃れ出来るように、ジェニーの父親の名前を使ったんだろう。
小切手の換金をしなければ、別の手を打って来るかもしれない。
ジェニーさえ手を引いてくれれば穏便に済ませるつもりだったが、そうも行かない事態を想定しておいた方が良さそうだ…
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紅葉の美しい季節となり、ホテルのカフェは益々賑わっておるそうだ。そして次の親族会議は十一月最後の週末と決まったらしい。
「かぐやさん、親族会議の日ですが、何かテンカイの予定は入っていますか?」
「今のところは何もないぞ。前日に下界の道場へ行くくらいだ。」
「分かりました。念のため、冬馬にも連絡を入れておきます。」
「…?分かった。」
親族会議の前日、下界の道場にて稽古に励んでおったら、冬馬どのから心配そうに尋ねられた。
「かぐや、何かあったのか?春樹から目を離さないでくれって頼まれたけど…」
「私にもよく分からぬが、何かあったようだ。」
「はは!本人にも分かってないんじゃぁ、どうしようも無いな!」
「まぁな。明日は親族会議がある故、春樹どのが早めに迎えに来ると言っておった。悪いが先に着替えさせて貰うぞ。」
「ああ。分かった。」
何だか身体を動かすのが物足りぬ気もするが、明日は決戦故、早めに就寝して備えておくとするか…
そう思いながら更衣室へ入り、電気を付けようとした。
っ!人の気配!
「何奴!」
「チッ!気付かれたぞ!」
急いで更衣室を出ようとしたが、複数の者に抑え込まれ、手足を縛られ声が出せぬ状態になってしまった!
「よし!裏口から運べ!」
「入口の鍵は締めておけ!」
春樹どのが警戒しておったのは、これか…
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「冬馬。」
「おう、春樹。もう迎えに来たのか。かぐやなら今、着替えてるぞ。」
「更衣室は何処だ?」
「奥だが、覗くなよ。」
「普段その中身を見ているのだから、わざわざ覗く必要無いだろう。声を掛けるだけだ。」
そんな冗談を言いながら、教えてもらった更衣室の前でドアをノックした。
コンコン…
「かぐやさん、春樹です。」
あれ?反応が無い。
コンコン…
「冬馬!かぐやさんが更衣室に入ってどのくらい経った?」
「五分前くらいかな?ってもしかして…」
「ああ、鍵を開けてくれるか?」
「分かった!」
すぐに冬馬が鍵を開けてくれたけど、中はもぬけの殻だった。
やられた…すぐに父に電話を掛けた。
「父さん!かぐやさんが居なくなりました!道場の更衣室から拉致された可能性があります!」
「分かった。事件性が確定しなければ警察は無理だろう。すぐに家の者を寄こすとしよう。」
「お願いします!私はGPSで辿って居場所を探します!」
「…春樹、お前は明日の準備をしなさい。」
「ですが、こんな時に!」
「こんな時だからこそだ。明日は一人でも出席するんだ。その為に頑張って来たんだろう。」
「そうですが…」
「かぐやさんが心配なのは分かる。だが、かぐやさんが無事に戻ってきた時に、会議がうまく行かなかったと言えるか?」
「…分かりました。」
電話を切った後、冬馬が心配そうに声を掛けてきた。
「春樹…明日が親族会議なんだろ?もしかしてその関係か?」
「恐らくな。かぐやさんを探せないのは残念だけど、絶対に見つかると信じて、明日に備えておくよ。」
「俺も探すよ!GPSの追跡は春樹のスマホ以外無理なのか?」
「爺やさんのスマホからも出来るようにしてある。」
「じゃぁ、それを借りるよ!」
「頼む。」
暫く道場の前で待っていると、父のプライベートボディガードがやって来た。冬馬と一緒に捜索に当たってくれるそうだ。
「…かぐやさんをよろしくお願いします。」
震えそうな声を押し殺して深々と頭を下げ、思わず拳を握りしめた。それが分かったのか、冬馬はポン、と私の腕を軽く叩いてバイクに乗った。
絶対に許さない…
明日は色々な意味で重要な日となりそうだ。
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道場の更衣室から連れ出され、車に乗せられた。
「危害を加えるつもりはありません。申し訳ありませんが、明日の夕方まで大人しくしていて下さい。」
手足を縛られ、目隠しをされ、声を出せぬよう口を塞がれておるが、車に乗せられた後は丁寧に話し掛けられた。
明日の夕方って事は、親族会議が終わった後って事だな…
って私が出席しなければ、春樹どのの婚姻相手は、ジェニーに決まってしまうのか?それはマズイ!非常にマズイ!
だが、この状態では何とも出来ぬし、まずは抜け出せるかどうかの状況把握をせねばなるまい。
しかし、私はよく誘拐されるな…
「降りて下さい。」
車は三十分くらい走り、何処かへ停まったようだ。
足のみ縛ってあったものを解かれ、促されるまま車を降りた。そのまま手を引かれ歩いておる状態だ。
「そこに段差があります。気を付けて。」
ふふ!何だか誘拐とは思えぬ丁寧さに、心の中で笑ってしまった。
建物の中を少しだけ歩くと、エレベーターの音がした。何処かのビルのようだ。エレベーターに乗り込み暫くすると、何処かのフロアに着いた。
「こちらです。」
少し廊下を歩くと、ドアを開けられる音がした。
「こちらで、明日の夕方まで過して頂きます。」
そう言いながら手、口を塞いでおるものを順番に解かれた。
「ここから出ることは出来ません。我々が外の入口にて待機しております。申し訳ありませんが、スマホは預からせて頂きました。お帰りの際にお返しいたします。では、私達が出た後に目隠しをお取り頂き、ご自由にお過ごし下さい。」
ガチャッ、とドアが閉まる音がした。目隠しを取って部屋を見渡してみると、何処かのホテルのようである。しかもスイートルームかもしれぬ広さであった。
窓は全部塞がれて、内線電話も外されておるようだ。
テーブルに食事まで置いてあり、至れり尽くせりの待遇だ。丁寧な扱い過ぎて、誘拐らしからぬ誘拐であるな。だが、脱出や連絡は難しそうである。どうしたものか…
ソファーに座り、考え込んでしまった。
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