第76話・ベビーラッシュ!
義兄上と柳本どのの二人が、稽古を始めて一カ月が経とうとした頃である。
冬馬どの、義兄上の二人で何やら意気投合しておる姿をよく見掛けるようになった。見学に来た春樹どのは、相槌を打ちながら二人の話を聞いておるようだ。
「赤子は可愛いぞ。日一日と表情が変わる故、しっかりと毎日見ておくように。」
「分かりました。」
「生まれて三ヶ月程は、朝晩関係なく生活をする。二~三時間ごとに起きる故、乳母を頼むのが良いであろう。」
「乳母?!ベビーシッターの事ですか?ウチにそんなお金は無いです!でも、三ヶ月だったら小梅の教育実習に掛ってしまうな…」
「ならば、冬馬どのが夜中の授乳を担当すれば良い。人口粉乳という物があるであろう。一度だけでも授乳を交代すれば、妻はその分ゆっくりと眠れるようだ。」
「そうなんですね。」
「小梅さんの教育実習の為だ。冬馬も頑張れ。」
「まぁ、俺は大学の後期は卒論くらいしか残ってないしな。何とか頑張ってみるよ。」
「大変な事も多いが、赤子の笑顔を見るだけで癒されるからな。」
「早く私もかぐやさんとの間に子供が欲しくなりました。」
「はは。姪っ子か甥っ子の誕生を心待ちにしておるぞ。」
「なるべく早めに頑張ります。」
休憩になり三人の所へ行ってみたら、何やら頑張ると声が聞こえた。
「ん?春樹どの、何を頑張るのだ?」
「うわっ!かぐやさん、いつの間に!」
「何をそんなに驚いておるのだ?」
「い、いえ、冬馬の赤ちゃんもそろそろだと話をしていたのです。」
「そういえば冬馬どの、予定日はあと五日くらいであったな。」
「ああ。初産は遅れる事もあるそうだから、もう少し後になるかもな。来週と再来週は空手の稽古も休むから、よろしくな。」
「分かった。産まれたらすぐに知らせてくれ。」
その時、春樹どののスマホに着信があった。
「あれ?秋人からだ。すみません、席を外します。」
そう言って春樹どのは道場の外へ出たが、すぐに駆け戻ってきた。
「冬馬!スマホは!」
「ん?ロッカーに入れてあるぞ。」
「小梅さんが病院へ運ばれたそうだ!何度も連絡したらしい。すぐに病院へ!」
「わ、分かった!」
冬馬どのは師範へ一言告げ、すぐに病院へ向かった。
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まだだと思って油断してた!
急いでバイクにまたがって病院へ行き、すぐに産婦人科へ走った。
「すみません!金城です!」
「お父さん、立ち会いでしたよね?もう分娩室に入っていますから、急いで下さい!」
「は、はい!」
分娩室の隣で看護師さんから手術着のような緑色の服を着るように言われ、袖を通して後ろ側の紐を結んで貰っている時だった。
『おぎゃ~!おぎゃ~!』
「え?」
「おめでとうございます。出産には間に合わなかったけど、すぐに頑張ったお母さんのところへ行ってあげて下さい。」
「はい!」
分娩室に入って小梅を見ると、汗ダクでぐったりして、疲れきった顔をしていた。その姿を見ただけで、かなり出産が大変な事だったと伝わってくる。
「小梅…」
声を掛けると、小梅は俺の顔を見て力無く微笑んだ。
「…冬馬くん、遅いよ。もう産まれちゃったよ。」
「ごめん。稽古中はロッカーにスマホを入れてるから…」
小梅の顔についた髪の毛をそっと払っていたら、看護師さんが綺麗に身体を拭いた赤ちゃんを連れてきた。
「元気な男の子ですよ。」
まだへその緒が付いている小さい赤ちゃんが、小梅の傍へ寝かされた。小梅は愛おしそうに赤ちゃんを見ている。
「俺の子供…」
「お父さんも抱っこしてみますか?」
そう言われて頷くと、看護師さんがそっと俺の腕の中へ赤ちゃんを置いてくれた。
か、軽い…
軽くて小さいけど、温かい。懸命に泣いて息をしている。生きようとしている。じわっと視界が歪んできた。
「小梅…ありがとう…」
人前で泣くなんてカッコ悪いかもしれないけど、感動で涙が止まらなかった。
この子と小梅を守って生きて行こう!
そう新たに決意をした。
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冬馬どのから無事に産まれたと連絡を貰ったが、すぐには赤子と対面できぬと言われ、後日、春樹どの、秋人どの、松乃どのと一緒にお見舞いへ行くことにした。
まずはショッピングモールで待ち合わせをし、プレゼントを買うこととなった。
「かぐやちゃん、久しぶり♪同棲生活はどう?」
「秋人どの、皆がおるのだ。同棲ではなく同居であるぞ。」
「そうなんだ!春樹もよく我慢してるね♪」
「まぁ、かぐやさんの可愛い声は他人には聞かせたくないからな。」
な、何の声だ…
そして、四人で赤ちゃんの服やおもちゃを購入し、カフェでお昼御飯を頂いた。
「そういえば、松乃どのと秋人どのは、卒業したらすぐに婚姻となるのか?」
「ううん。すぐには結婚しないよ。」
「そうなのか?」
「やっぱり就職したり家元を継いだり、地に足をつけた後っていうか、しっかり大人になった後かな♪」
「ふふ。松乃どのは意外と堅実な考えを持っておるな。」
「これでも会員数万人を抱える、流派の家元になるつもりだからね~♪」
そんな話をしながらお昼御飯を食べ終え、四人で病院へ向かい、病室の前に着いて、ガラッ!と部屋のドアを開けた。
「小梅どの、おめでとう!」
「わっ!みんな来てくれたんだ!びっくりした!」
「小梅どの、元気そうだな!」
「お陰様で!」
チラッとワゴンの中に大人しく寝ておる赤子が見えた。
「この赤子が、冬馬どのと小梅どのの子か!小さいな!」
「これでも赤ちゃんの中では大きめみたいだよ。」
「名前はもう決めたのか?」
「もう決めてるよ!」
冬馬どのが引き出しから紙を引っ張りだして広げた。
「じゃ~ん!『友馬』だ!」
「へぇ~!いいじゃん♪冬馬のセンスじゃぁなさそうだな♪」
「秋人、俺と小梅で考えたんだ!俺のセンスも入ってるぞ!」
「しかし、冬馬と小梅さんの子供か…何だか感慨深いものがあるな。」
「春樹たちの子供が産まれたら、俺もそう思うのかもな。」
「ふえっ、ふえっ、おぎゃ~!」
その時、寝ておった赤子が泣きだしてしまった。
「おっと!おむつを替える時間かな。」
冬馬どのが慣れた手つきでおむつを替えておる。器用なものだ。
「ふふ。その姿を写真に撮っても良いか。」
「かぐや、止めてくれ!恥ずかしいだろ!」
「いいパパしてんじゃん♪」
冬馬どのを皆でからかいながら、久しぶりに楽しい時間を過ごした。
週末は、義兄上もお祝いを買いたいということで、春樹どのも一緒に三人でデパートへやって来た。
「ほう!下界の赤子の服はこのようになっておるのですね。しかし、サイズとやらが色々とあって大変そうだ。」
「着物は長く着回しが利きますが、こちらの服も動きやすくて中々便利かと思いますよ。」
義兄上は冬馬どのの赤子の服を選んだ後、何故か妊婦服まで見始めた。
「これはお腹が楽そうであるな。いや、こちらの方が良いか…」
「あの…義兄上、そちらは赤子の服ではありませんが。」
「そうなのだが…」
ここで春樹どのが何かに気付いたようだ。
「義兄さん、もしかして…」
「うむ。まだ公にはしておらぬがな。」
「ん?何がですか?」
「かぐやさんにもう一人、親戚が増えるということですよ。」
「…え~!!義兄上、本当ですか?」
「そうなのだが、無事に産まれるまであまり知らせぬのが慣例なのでな。」
「そうだったのですね!おめでとうございます!いつ頃の予定でしょうか?」
「あと三ヶ月くらいですね。知らせてしまった事は、やよいどのにはご内密に。」
「分かりました。産まれたらすぐにお知らせ下さいね!」
「勿論です。」
義兄上は嬉しそうに頷いた。お腹がゆったりした妊婦用のジャンパースカートを一枚購入し、他には雪美どののお土産として、妊婦服とお揃いのジャンパースカートを購入された。
デパートを出たところで、義兄上は急に一人で帰ると言い出した。
「最近、そなた達はゆっくりと逢瀬も重ねてはおらぬであろう。何なら外泊すると伝えておくが。」
「えっ!」
思わず春樹どのと顔を見合わせた。
「かぐやさんが恥ずかしがるので、外泊は遠慮しておきます。ですが、夕食は外で頂いて帰っても宜しいですか。」
「分かった。春樹どのは我慢強いな。」
「好きな食べ物は後でじっくりと味わいたいもので。」
た、食べ物の話には聞こえぬが…
買い物には爺やのリムジンで来ておったので、一旦屋敷へ戻り、春樹どのの車で再度外出した。
夕食までにはまだ早いということで、久しぶりに高台の公園へ寄ることとなった。
「ここへ来るのも久しぶりであるな。」
車から降りてベンチに座ろうと思ったら、すぐに春樹どのに抱き締められた。
「は、春樹どの…」
「やっと二人きりになれましたね。」
春樹どのはすぐに荒々しい深い口付けを落としてきた。
「ん…」
久しぶりの口付けに、それだけで心臓がドキドキと暴れ始めた。そっと唇を離され、顔が近いまま囁いてきた。
「かぐやさん、やっぱり今日は何処かへ泊まりませんか?」
「だが皆がおるし外泊は…」
「分かっていますが、今のキスで火がついてしまいました。もう理性よりも欲望が勝ってしまいそうで…」
よ、欲望って…
「駄目ですか?」
「今日は戻ると言っておるし、無理だ!」
「そうですか…」
あからさまにがっかりしたな。だが、春樹どのと二人の時間が欲しいのは、私も感じておったよな…
「そ、そうだ!義兄上が天界へ帰る前に何処か観光へ行きたいと言っておったぞ!皆で旅行でも行かないか?」
その言葉を聞いた春樹どのに、急に笑顔が戻ってきた。
「分かりました。それでは何処か宿をキープしておきます。夜を楽しみにしていますね。」
にっこり意味深に微笑まれた。私の心臓が持つであろうか…