第75話・夜這い?
帰りのリムジンの中は微妙な空気であった。短い間とはいえ、一つ屋根の下で暮らす者同士、春樹どのの良いところが二人にも伝われば良いのだが…
それに、春樹どのが無理して笑顔を作っておるのも気になった。
ふう…思わず深いため息をついた。
屋敷に戻り、風呂から上がり廊下へ出たところで、義兄上が壁に寄りかかって私を待っておった。
「かぐやどの、今日は雅がすみませんでした。」
「いいえ、柳本どのは心配されただけかと思います。私が喉が渇いたと言わなければ、ナンパという輩に絡まれる事も無かったのですが…」
「春樹どのは、かぐやどのの飲み物を買いに行っておったのですか?」
「はい。」
「だが、飲み物は四本持っておった筈…」
「恐らく皆の分も用意したのかと思います。」
義兄上は、ふっと笑った。
「かぐやどの、良い殿方を選びましたな。」
その一言を残し、部屋へと戻られた。
じわっと、温かい気持ちになれた。義兄上には春樹どのの良いところが伝わったのだ!
嬉しくなり、春樹どのの部屋の前まで行き、入り口の障子に向かって声を掛けた。
「春樹どの。」
「…」
「春樹どの?起きておられるか?」
「…」
寝てしまったか…
仕方なく自分の部屋へ戻ってみたものの、無性に春樹どのに逢いたくなってしまった。
「よし!」
もう一度春樹どのの部屋へ行った。
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『春樹どの。』
「…」
『春樹どの?起きておられるか?』
「…」
部屋の障子の前で、かぐやさんが声を掛けてくれた事は分かった。だけど、何となく寝た振りをしてしまった。
今逢えば、情けない姿しか見せられないと思ったからだ。横になりながら、かぐやさんの足音が遠くなるのを聞いた。
また、強制的に連れ去られる可能性を考えたら、私がかぐやさんを護れる事を納得して貰うのが先決だろう。でも取りつく島も無い状態で、どうしたらいいのか…
考えれば考える程、落ち込んでしまった。
「ふう…」
タオルケットを身体に掛けて大きくため息をついた時、もう一度かぐやさんの声が聞こえた。
『春樹どの。』
あれ?部屋に戻った筈…でもさっき寝たふりをしたし、ここで返答する訳にもいかないよな。そう思い、再び寝たふりをした。
すー。
障子が開く音がした。
パタン。
え?
かぐやさんが部屋に入ってきた!急いで目を閉じた。足音は私のすぐ傍で止まり、枕元に座る気配がした。
「寝ておったか…お疲れであったな。」
優しい声で囁きながら、私の頭を軽く撫でてくれた。それだけで落ち込んだ気持ちが収まってくるのが分かる。
ふふ。やっぱりかぐやさんが傍に居てくれると落ち着くな。
少し幸せな気分になってきたところで、意外な事が起こった!
「よいしょ…」
え?もしかして、自分の枕を持ってきた?
かと思ったら、タオルケットを少しまくり上げて横になる気配がした!そして、私の胸に顔を埋めるように、ピタッと寄り添ってきた!
うわっ!寝たふりをした事を後悔だ!かと言って、今更起きる訳にもいかない!
内心焦っていたら、そのうち規則的な寝息が聞こえてきた。
寝てしまったか…おやすみなさい。
寝返りをうつ振りをして、かぐやさんを軽く抱き締めるよう腕の中に閉じ込めた。久しぶりにかぐやさんの温もりを感じながら、穏やかな気持ちで眠りについた。
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…ん。
外が明るいな…朝になったか。今のうちにこっそりと自分の部屋へ戻るとするか。
静かに起き上ろうとすると、身体に重みを感じた。って、春樹どのの腕ではないか!
そっと抜け出そうとしたが、春樹どのが起きてしまった。
「…かぐやさん?」
「お、おはよう…起こしてしまったか。」
春樹どのは、ギュッ!と私を抱き締めてきた。
「久しぶりにかぐやさんと一緒に迎えた朝ですね。」
「そ、そうだな…」
「ふふ。かぐやさんに夜這いして頂けるとは、嬉しい限りです。」
「よ、夜這いって?!」
「あれ?違いましたか?」
ち、違う~!
だが、自分の枕まで持ってきておいて違うとも否定できず、あたふたとしてしまった。
春樹どのはそんな私の額にチュッ!と軽く口付け、目を合わせた。
「かぐやさん、私、頑張りますね。」
「ん?何をだ?」
「色々です。みんなに祝福されて一緒に幸せになりたいですから。」
「私も春樹どのと一緒に幸せになりたい故、何でも一人で抱え込まないでくれ。」
「…ありがとうございます。」
嬉しそうに微笑んだ顔は、いつもの春樹どのの笑顔であった。私まで嬉しくなって春樹どのの胸に再び顔を埋め、暫くの時間を過ごした。
だが、そろそろ朝食を食べねばなるまい。名残惜しいが自分の部屋に戻る為、枕を抱えて春樹どのの部屋の障子を開けた。
え?
バッチリ義兄上と鉢合わせしてしまった。
「ほう、かぐやどの。夜這いとは中々やりますな。」
一瞬で顔がかぁ~っとしてきた!
「ち、違う!からかわないで下さい!」
すると、春樹どのが私の肩に手を回してきた。
「義兄さん、赤くなった可愛い顔が見れるのは、私だけの特権ですよ。」
な、なっ!
「はは。それはすまなかったな。朝食は先に頂いて来た故、二人で仲良く連れ立って行くと良い。」
義兄上は笑いながらその場を去っていった。
赤くなった顔を枕に埋め、部屋を訪れた事をちょっとだけ後悔した朝であった。