なれそめ
緩い上り坂。
春の陽気な日が窓から射し込み低いバスのエンジン音がゆらゆらとゆりかごのように体を揺らす。
うつらうつらと、夢を見た。
真っ白でつばのない三角の帽子をかぶり、向こうずねまでの全身白づくめの詰め襟ね服をを着た5、6人の男等に囲まれる夢を。
そこは天井が高く、曇天の白けた灰色の日差しが射し込む温室で、白い枠組みと鮮やかで作り物じみた緑、湿気た土の匂いがした。
ざらつき湿気た土の上には、白墨で円陣が描かれ、細かく乾いた白い粉は手や制服の濃紺のカーディガンにくっきりとついて
そこでようやく、夢が、夢で無いことに気がついた。
*
じめっとして、暗くて、かび臭くて、せまい。ザ貧乏長屋!みたいな牢屋だった。
石造りの部屋は四隅がカビたように苔むし、狭い箱に詰め込まれたような気分になる。
そしてどうやらここは地下に作られたらしく、唯一明かりといえば天井すれすれに作られた、なんとか手が出せるくらいのタテ10cmもない、白線みたいに横長の窓だった。
たぶん、この窓は横の牢屋とも繋がってはいるのだろうが、壁が分厚いのか人が居ないのか呼び掛けても届かないようである。
正直この窓がなけりゃ、今よりもっと悲惨だったかもしれない。
雨の日はナイアガラの滝よろしく室内は水浸しになるし、Gもどきに虫やらトカゲに小石が降って来たりもするが。
そう考えて身じろぎすれば、鎖がそして重石のような貴金属がじゃらじゃら耳障りな音をたてた。
眉間にしわがよると思わず、手首に数十は巻き付くブレスレットを視界に入れてしまい、首にも足首にも過剰に貴金属がはめられているのを思い出してしまった。
まず、この嫌がらせを1からわかりやすく説明すると
私は悪魔で魔法の元になるから、それを貴金属に吸わせ、電池の充電のような事をさせているらしかった。
始めの内は、訳がわからず泣きわめいて引きちぎったりもしていたが、その内慣れるしかない事に気づく。
それにそれをすると、ヒュンヒュン音をたてる細い警棒のようなもので血が滲むまで打たれ、2、3日から1週間も餌をもらえなくなるからしない。
『ちゃんとすれば』アチラは何も手を出しては来ないのだ。ムカつくけれど、それが無難だった。
鼻息荒く、もはや手枷や足枷の貴金属から目をそらす。空腹を思い出して、地べたに体育座りをして膝をかかえお腹を押さえた。
ちょっと目を閉じると、外からピチピチ鳥が飛び立つ音がして、目を開けば窓からの光が陰っている事に気づいた。
お客さまである!
勢いよくふり仰げば、窓からは膝を曲げヤンキー座りの下半身だけが見えた。すこし待たせてしまっていたようで、急いで寝床にしている木箱の上に立ち、精一杯手をのばす。つま先立ちが、つッらい。ほんとにぷるぷるする。
すると、伸ばした指先に人の手が触った。とんとん とととん、と指先をタップする。
嬉しくなって、私も相手の指先にふれてタップする。
すこし乾燥して、ごつい手で、きっと男のひとなのであろう。
それしか 知らない。
けれど、優しい人なのは知っていた。何回か助けてもらったことがある。食べ物を、…恵んでもらったのだ。
ただ、それは…普通の、私の世界では口にはしないものなのだが
そうしてちょっと遊んでもらうと、彼も忙しいのだろう。手を引っ込めて去っていった。
去り際に、一度だけ指先をタップして
そうして、本日のメインイベントが過ぎると、あとは餌の時間くらいで憂鬱な獄中暮らしに逆戻りしたような気分になる。いや、現実に戻されただけである。
木箱の上でまた、膝をかかえて体育座りになる。背中をまるめて、目を閉じれば自分の体温でちょっと暖かかった。
そうして、うとうととあと少しで意識がとびそうになった時、カツーンと、どこか遠くの廊下の先から複数の足音がした。
早い、餌の時間にしては早すぎる。
いつもとは何か違う雰囲気を感じた。餌ならば看守一人で事足りる。
膝をかかえたまま耳をすませば、どうやら足音もそんなに多くはなく話し声もしなかった。
もしかしたら、
正直こんな事ははじめてて戸惑っていた。
目を凝らし待ち構えていれば、檻の向こうから看守を伴って現れたのは、見知らぬ青年だった。
***
某国の王国領の敷地内にある湿原。
そこは生き物の宝庫であり王族専用の狩り場や騎士の鍛練場でもあった。
その灰色の平原の片隅に、王国立の悪魔研究室はあった。いや、研究室というよりは、もはや監獄。
小さい王子、王女は近づくことを諌められ、貴婦人ならば見向きもしない研究室。
しかし魔法使いに騎士に、男の貴族は違った。
そこには魔力を持った悪魔が、封じられ繋がれているからである。
魔力は魔法の源。
血や肉、鉱石に輝石や命に魂などを糧に生きる悪魔。
だが、使役すればこれほど役に立つものは無い
だが、悪魔を呼ぶのは一苦労である。人間にはもって生まれた魔力がちょびっとはあるが、圧倒的に足りないのである。
何人かで徒党をくんで、ようやく悪魔をこちらの世界に引きずり出せるのであった。
しかし人間はひとつ気がついた、魔力を貯めておける方法を。物を使うのである。
杖や剣、はては貴金属からケダモノや自分自身の体に。
そうして、百余年あまりは 引きずり出せる悪魔の質も数も、喜ばしい事にさらに向上し、今や貴族にとって悪魔を侍らすのはステータス。
社交場に連れ出したり、お茶会に連れ出したり、お飾りとしての悪魔は身近になり、裕福な商人や地主まで手を出せるようになったのでした。
*
アーテアの北方、雪深い湿原、悪魔研究室。
事務所奥の応接間には、青年が居た。
青みがかった緑の目に暖かな茶色の髪は日に透かせばオレンジになり、前髪を右眉の真ん中の上くらいから流し後頭部の髪を半分くくっていた。
服装は、青緑がかった足首まである控えめだが上等の上着に、それよりすこし暗い色の足首を絞ったズボン、一流の職人がこしらえた髪の色に近い革靴。
いいとこの貴族の子息のようである。
彼は緊張した、いや切羽詰まったような、覚悟を決めたような表情で待っていた。
四角いはめ殺しの格子窓から、夏らしい穏やかな青空と平原のむこうに黒々した森が遠目に見える。
使い込まれた、黒く艶やかなデスクや壁一面を埋め尽くす本棚にローテーブル、黄緑がかった枯れ草のような色褪せた敷物にカーテン、数々の見目うるわしい調度品も目に入らないようでただ、待っていた。
そうして、しばらく
ガチャリと空気を打ち破るように案内の者が到着した。悪魔を担当する看守である。
青年の顔が険しくなる、彼がここに来たのは直接魔力を帯びた貴金属を仕入れに来たのではなく
悪魔を求めに来ていた。
三ヶ月ほどの短い夏
けれど、地下にもぐると肌寒い。
悪魔研究室の事務室から歩くこと30分、青年は看守について長い道のりを歩いていた。洞窟のような四角い石造りの長い長い廊下は空気がしっとりとして、四隅は苔むしていた。
ほの暗い通路の唯一の明かりは、左手の牢屋と牢屋を繋ぐ、一本の筋のように細長い窓からの自然光だった。
いくつもの空の牢屋は、かび臭く ほんとにこんなところに悪魔がいるのか疑わしくなる。
むしろ亡霊でも出てきた方がお似合いだ。
静かな牢獄は足音を空間いっぱいに響かせ、ふと、白いものにぶつかりそうになる、看守が立ち止まったのだ。
向こう脛までの上着をさばきながら、つとコチラを振り返る。
青白い顔、白い前髪の間からのぞく濃紺の瞳は痛いほど緊迫していた。
「…つきました、」
地下に降りてから、一言も口を開かなかった看守が横目で青年と牢を伺いながら切り出した。
「失礼ですが、本当によろしいのですか」
尋ねた声色はやや低くどこか固かった。青年は、ぐっと空気を飲み込みうなずく。
そうして、看守が牢に視線を投げると、ジャラリ ジャラリと中から生き物の気配がした。音の方に視線をやれば逆光でわかりづらいが、小柄な悪魔が見えた。看守が、黙り込んだままガチャガチャと鍵を開く。
予防の呪いや、お守りを出さない事から何か牢に仕掛けでもあるのだろう
「どうぞ、中へ」
扉を開きながら、静かに看守が牢の中へと誘導する。
「…ああ」
地下に降りてから、ようやく口にした声は 何だか喉に張り付いて、掠れているような気がした。
格子戸をくぐり一歩牢にはいると、ムワッとかび臭い。部屋の隅でカサカサと虫かなにかが逃げていくのがわかった。
悪魔は口を開かない、ただサイコロのように真四角の箱に腰かけて、こちらをみている。近くに居るだけで背筋がしびれてくるような気がする、だが逃げるわけにはいかない。
「…わたしと、契約してくれ」
意を決して伝えた言葉は、なんだか頼りなく、
「…っは、」
悪魔は嘲るように、鼻で笑った。
ようやく目がなれてきた薄暗がり、廊下より明るい牢の中。逆光から壁ぎわに軽く身をひいた悪魔は、年頃の少女の姿をしていた。
あまり日に当たらない廊の中よく目をこらせば、白い肌に鉛のように鈍く光る瞳。
黒くうねる髪は肩のあたりで切り揃えられ、窓からの日に透けると青みががって、気の強そうな猫目はひどく不機嫌そうに、こちらをじろじろと見ていた。
*
それは妙な光景だった。16才から7年、看守をやってはいるが聞いたこともない事がだった。
その日の朝、妙な命令を上司から受け、さる貴族のお坊っちゃまを悪魔の目と鼻の先までご案内するように言われたのだ。
そう廊の中に。
いままでそんなことは無かったのだが、いくら悪魔が魔具で力を吸われ弱り鎖で繋がれているとは言え、悪魔なのである。下手したら死ぬ。八つ裂きである
なんでもいいが断りたかったが、そんなことは出来るはずもなく。上司から首から下げるだけでいいという結界の守りをもらい渋々、その貴族のお坊っちゃまをご案内しにいく事になったのだった。
上司いわく、その貴族のお坊っちゃまの要望らしい。
お坊っちゃまは自前で、護りのお守りを持っているらしく、貴族のお遊びに付き合う庶民の気持ちも考えろと泣き叫びたかった。その上、その坊っちゃんの会いたい悪魔とやらが
契約者つまりご主人様を殺したことがある、あの曰くつきだったからもう正直、逃げたい。つか、ほんと嫌
。
まあ、なんしか。この結界のお守りほんとに効くのだろうか、とビクビクしながら地下の牢に案内しに、今まで入ったこともない応接間とやらにむかったのである
そうして、小綺麗で見たことないくらい立派な応接間から、坊っちゃんを案内する。貴族の坊っちゃんというよりかは若様と言ったような兄ちゃんである
「…つきました、」
地下に降りてから、一言も口を開かなかったが。横目でお坊っちゃまと牢を伺いながら、「失礼ですが、本当によろしいのですか」と念を押しながら扉を開き、なるべく丁寧に
「どうぞ、中へ」
と、静かに牢の中へと誘導するが、ちょいまってコイツ死んだら俺の所為に…ならないよな?と思い当たる
「…ああ」
地下に降りてから、はじめて喋ったお坊っちゃまの声は、なんだか掠れているような気がした。
格子戸をくぐり一歩牢に入られると空気が動いて、ムワッとかび臭い。部屋からカサカサと虫が逃げていく。あ、トカゲか?
とにかく、俺は速やかに戸を閉めたいのだが、お坊っちゃまを閉じ込めるわけにもいかず、服の上からお守りを握る。
悪魔は黙ったまま、こちらをみている。近くに居るだけで、ゾクゾクしてきた、だが逃げるわけにはいかない。
「…わたしと、契約してくれ」
そうして1分が一秒も進まず、空気が煮こごりになったような雰囲気の中で、正直、もうチビりそうになったとき
「…っは、」
「お断りじゃ。こんッ、ダぁホが。」
悪魔が、悪魔らしからぬ、可愛らしい声で追い剥ぎや山賊のようにドスを聞かせて 吐き捨てた。
死んだ。もうこれ死んだ。
頭の中で警報がカンカン鳴り響き、ちっこい妹やら役に立たん両親やら弟やらがわらわら思い出された。
ごめん、にいちゃん先、逝くかも。
上司からもらったお守りを力一杯握りしめ、思わず走馬灯やらなんやらが頭の中で駆け巡る。しかしその時
、貴族の坊っちゃんが、いや若様がゆっくりと膝を折り、いずまいを正して土下座なすった。
*
悪魔は、土下座されたことに眉間にシワを寄せ、「お断りだね」と不機嫌に吐き捨てた。
「その顔と体で面食いな魔女でも捕まえろよ。」
その言葉に視線を会わせないまま青年は口をひらく
「…足りない。そんなもんじゃ、足りないんだッ、」
切羽詰まった声。アクマはその発言に目を細めて見下すように呟いた。
「死にたいのか?」
「っ、!」
緊迫感。ぎしりと、青年は体を固くした。それを承知しながらアクマは、さらに語りかける
「前の主人は、死んだ。お前みたく力を欲しがりすぎて。」
青年が一言も口をきけないまま聞いているのを良いことに、ただ事実をかいつまんで
「風船みたく膨らんで破裂したいのか?」と、優しげに微笑んだ。
「はらわた弾け飛ぶんだぞ。」
「あたりはぐちゃぐちゃの肉と血塗れになる」
青年が視線を寄越したのに気付き、その様を教えてやりながら畳み掛ける。
「…、そ れでも、」
まるでなにかに耐えるよな顔をして青年は食い下がった。空気を震わせ、真摯にアクマに向かい合う。
「助けたいんだ、」
絞り出した声は苦しげで
「、誰を」
「…妹を、」
ひたむきだった。
「…、ふぅん?」
アクマはだだ先を促すように口を挟まない、
「このままでは、只、死ぬだけと…まだ …七つにも」
かすれ ささやくような声なのに静かな牢内に響いて、耳についた。地面を睨み付ける青年の顔は見れはしないが、彼の肩が…少し震えていた。
アクマはそんなふうに泣く男を、初めて微かに哀れんだ目で見た
*
七つ、か
目の前で黙りこくった青年をまじまじと(腹のそこを探るように)観察しながら、嘘はついていなかなと考えていた。
それだけに後味と言うか、今現在すんごい胸の内はもやもやと渦巻いて、息が詰まりそうだ。
綺麗な服も、同じ空間にいるだけで香るいい匂いも、場違いで、服が汚れるだろうに這いつくばって、土下座までして、前の、主人とはエライ違いだった。
いや、あいつも良いとこはあった。
もう二度と、主人と呼べるものは欲しくはないけれど、かつて人間として扱われた世界でのちんけな良心が金切り声を上げてグズグズ言い出して、そしてそれを、この世界での悪魔としての自分が、冷ややかに冷ややかに…目を細めて見ている。
もちろん それを、するつもりは無いだろう?とでも言うかのように
内心うんざりしながら身をよじれば、ジャラジャラ ジャリジャリ首飾りや指輪に腕輪が耳障りな音をたてて眉間にシワが寄る。これらが食い込むせいで横になることすらできないのだ。
そうして今現在、のこのこ牢屋にまで入ってきた人間の相手をしなければならない上に、また良いように使われようとしているのだ、物として。
うんざりにうんざりを重ねながら、はっきりと言えばめんどくさくなっていたし、八つ当たりでこの青年をメチャクチャにしても、サーカスの虎みたく殺処分されそうで、アクマに拒否権は無いんだろーなァと、ひどくうんざりとした気分になった。
か細く長いため息を吐く。かび臭くて、ほの暗く湿気た牢屋内。ここは夏でも、底冷えがする。ひざまずく青年を見ながら内心、心は決め(つい)てしまった。
「わかりました…、主人どの。妹ぎみの病がいえるまで、」
「ほ、本当かッ!」
お供いたします、は言えなかった。おそらく、妹の病が治るまでという話すら聞いてねぇな。
すぐさま彼は立ち上がり、ためらいなくワッシとこちらの手を掴み握る。面食らって顔を見ようと目を凝らせば、ズンズン出口に向かう半身しか見えない。
しっかし、肝が座ってるのか考えが足らんのか、いまいち図りかねる人だった。
だが正直こういう人間で無ければ、テコでも鞭打たれてもその気にはならなかっただろう。
手を引かれながら、その時ふと看守に目がいった。
違和感を感じながら鉄格子をくぐれば、今にも泡くってぶっ倒れそうであるが、視線が合った。どうやら、呪いや護りを持っていないようだった。
ただ、力のあるネックレスか何かは服の下に持っているようで、
「…それ、」
と指させば、こわばった看守は服ごと握りしめた首飾りを さらにぎゅう、と握りしめていた。
らしくない親切心で口にしようとしたが、意味がないようだ
はやく行こう、と青年が声を掛けた事で我にかえったのか、看守は慌てて 私たちを先導しようと、小走りに前に出た。
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