5コマ目 暖かい場所とお付二人
王宮騎士の二人が来てから二晩悩んだが、有はどうしても結論を出す事が出来なかった。
疲れを癒す為に早く寝るはずが、その眼もとには隈を湛えていた。
「だめだ・・・メーヤさん達、今家にいるかな・・・」
いつの間にか日が登り、外は明るくなっている。
有はのそりと立ち上ると、家から出、老夫婦の家へと向けて歩み出した。
コンコン
木造の扉が有の気持ちとは反対に軽快な音を鳴らす。
少しするとガチャリと扉が開いた。
「あら、ユウ。お帰りなさい」
「ただいま、アナシャさん」
この挨拶は有が一人暮らしを始める時に老夫婦が取り決めたことだった。
この世界に身寄りのいない有に、見返りも求めず帰る居場所を与えてくれる二人。
老夫婦の家に来るたび、有は心が温かくなるのを感じた。
アナシャは初めて有がこの家を訪れた時と同じように背中を押して、リビングの椅子へと導いてくれる。
そして少しその場を離れた後、コトンと机の上に二つのカップを置くと、有の向かい側に座った。
「それで、どうしたの?何か相談事かしら」
初めて会った頃よりも少し濃くなった法令線。
それをより濃くさせながら、アナシャは優しく微笑んだ。
「・・・なんで」
「あら、あなた眼の下が隈で一杯よ」
クスクス笑うアナシャに、有は少し気恥ずかしくなるも、ずしりと鉛を抱えていた心が軽くなるのを感じた。
「やっぱりバレてる・・・。うん、相談があるんだけど、今日メーヤさんは?」
「あの人ならそろそろ起きてくる頃だと思うわよ?」
その言葉に有はハッと時計に目を向けた。
時刻はまだ午前六時前を指していた。
「ごめん、こんな朝早くに」
「いいのよ。たとえ深夜でもユウが来るなら喜んで迎えるわ」
あの人もそうだと思うわよ、と優しい眼で見られると、気恥ずかしさが頂点に達しそうになった有は、軽く俯くと、「・・・ありがと」、と照れ隠しに小さく呟いた。
そんな有の様子に「ふふ」、とアナシャが笑うと同時にリビングのドアが開いた。
「おはよう。おや、おかえり、ユウ」
メーヤもまた有を見ると眼を優しくして、おかえりと言うのだ。
先ほど気恥ずかしさに火が付いた有は、下を向きながら小さく「ただいま」と言った。
その様子をメーヤは疑問に思いながら見ているが、横のアナシャはクスクスと笑いながらもう一人分のお茶を注ぎに行った。
「どうしたんだい、ユウ。相談事か?」
本当に、この人たちは。
「うん。二人に意見を聞きたいんだ」
有は頷くと、アナシャが戻ってくるのを待って、昨日の話を神子の部分を削りながら話した。
「まぁ、王宮からの招待なんてすごいじゃない!」
その話にアナシャは手放しで喜んでくれ、メーヤもまた凄いな、と驚いた。
「でも、俺今塾を開いてるし・・・」
「そうね、親御さん方にも御話しをしてみたらどうかしら?王宮にお呼ばれするなんて名誉なこと、きっとみんな祝いながら送り出してくれるに違いないわ」
「ああ、それにユウはこの村と隣村以外には世界を見ていないのだから。きっといい経験になる」
二人が此処まで言うのなら行ってみようかなと、有の気持ちはどんどん王宮の方へと傾いていた。
「いいのかな」
「ああ、お前の意思で動いていいんだ。それに私も何度か城下に行ったが、本当に綺麗な街並で、それを見るだけでも十分に価値があるほどだったよ」
メーヤのその言葉に、アナシャが更に、「それに」、と言葉を続けた。
「もしかしたら、ユウの運命の人になんて出会えるかもしれないわよ」
いたずらな笑みを湛えてアナシャは有を見た。
そのセリフに有はボッと真っ赤になった。
「な、何を言ってるの」
相変わらず恋愛ごとには耐性がない有は、そう言う事でからかわれるのが苦手だった。
「あーら、私がメーヤと恋に落ちたのも実は城下なのよ。ね、あなた」
そう言ってメーヤの方を見たアナシャに、メーヤはにっこりほほ笑んだ。
「そうだったな。懐かしい」
二人は、その時を思いだす様に一様に目を細めた。
「突然目の前に花束が現れたと思ったら、その後ろから結婚して下さいって声が聞こえたんですもの。花に求愛されたのかと思いましたわ」
クスクスと笑うアナシャに、メーヤはぽりぽりと人指し指で頭を掻いた。
「あの頃はまだまだ若かったからな」
「あら、まだまだあなたは御若いですわ」
「ふふ、お前もな」
ついにはお互い身体ごと向き合い、見つめ合い始める。
有はこの年になってもまだ溺愛の二人を邪魔しまいと、「お幸せに~」とこっそり家から出た。
まあ、邪魔をしない為というより、あの雰囲気になると、全身を掻き毟りたくなって堪え切れなくなるというのが実情である。
逃げ出す様に家から出てきた有だが、家を出た時には先ほどの重苦しい気持ちは綺麗さっぱりと消えていた。
思い立ったが吉日とばかり、有は朝食を取った後、各生徒の家の親御さんに意見を聞いて回った。
結果、満場一致で王宮に行く気があるのなら行くべきだという回答が帰ってきた。
しかし、幼い生徒の数人には行っちゃ嫌だと泣き付かれ、途方に暮れてしまうこともあった。
「ユウくんはもう知識はいっぱいある。あとは何事も経験だ。いってらっしゃい」
と、泣き疲れて眠る子供を抱えながら、微笑まれ送り出された時、有はついに決心した。
お誘いがあってから、三日後の事だった。
コンコンコン、と宿の一室の扉を控えめに叩く音が響く。
するとすぐに、ガチャリと扉が開き、金色の髪を持った目的の人物が有を室内へと招き入れた。
「こんばんは、ユウ様。お待ちしておりました」
シュヴァイは部屋のテーブルで有と向き合い、微笑んだ。
「こんばんは」
有も同じように、微笑み返した。
「それでは、お返事をお聞かせ願えますでしょうか」
「はい。これから神子様が言葉を覚えるまでの間、どうぞお願い致します」
その言葉に、少し離れた所から此方を見守っていたウェルヅの顔がパァッと明るくなった。
なんか犬のような人だと有はこっそり思った。
「そのお言葉をお待ちしておりました。では、こちらの書状にご署名をお願い致します」
前回見せてもらった羊皮紙の空いたスペースに有は此方の言葉でユウ=クラストと名前を書いた。
クラストはメーヤ夫妻の苗字に当たるもので、この世界で生きるにあたり、養子として有が貰った苗字だった。
「ユウ=クラスト様。確かにご署名を頂戴しました」
シュヴァイはそれを封筒に仕舞い直し胸に入れると、起立し手を前に突き出した。
それに合わせて有も立ち上り、その手を握った。
「この村から王宮まで、私たち二人が付き添わせていただきます。どうぞなんなりとお申し付けください」
「いえ、こちらこそお願い致します、シュヴァイ副団長様、ウェルヅ様」
ニッコリと愛想良く見えるよう有が笑うと、シュヴァイはよりギュッと有の手を握り返した。
「どうぞ畏まらずに、シュヴァイとお呼びください」
「私もウェルヅとお呼びください」
その言葉に有は苦笑する。
「では、シュヴァイさんとウェルヅさんと呼ばせて頂きます」
それを聞いた途端、シュヴァイは何故か少し残念そうな顔をした。
何があったのであろう。
ちなみに有は様付を止めてもらえないかと聞いたが、無理ですの一言が返ってくるのみであった。
「では出発は明後日でよろしいでしょうか?」
ようやく離してもらえたジンジンする手を、こっそり机の下でさする有。
さすがは騎士、鍛えている分握力も凄いのだろう。
「それで構いませんが、あの、私は一体どういったものを持っていけば?」
有はあちらの世界のカッターシャツとネクタイとズボンなら持っているが、この国の正装なんて持っていない。
その心配をぶつけると、至極簡単な答えが返ってきた。
「必要なものは全てこちらで用意させて頂きますので、ユウ様はなにも御持ち頂かなくて結構です」
「ただ、此方の空けたお住いで盗み等が発生しても責任を取れませんので、申し訳ありませんが大切なものはお持ち頂くか、信頼できる方に預けて頂くようお願い致します」
「分りました」
そうはいっても、有の大事なものなどほとんどないのだ。
持っていく大切なものと言えば、父親から貰ったネクタイピンとアナシャ特製のレシピ本ぐらいであった。
その後、少し込み入ったことを話して、有は宿屋を後にした。
晩くに伺った為、空はすっかり黒く染まっている。
キラキラと輝く二つの月と無数の星を眺めながら、有は家までゆっくりと歩いた。