4コマ目 時間経過と新居
時は流れ。
有が老夫婦、メーヤとアナシャの住むタール村に来てから既に五年近くが経過していた。
親身になって献身的に教えてくれる二人のおかげで、文字と物の名前が判るようになった半年後。
片言ながらも話す事が出来るようになった一年後。
そして三年も経てば、有も流暢に言葉を話せるようになっていた。
その三年の期間、有はいわゆる「本の虫」というものになっていた。
二人の仕事や村の仕事を手伝う以外の時間は、ただひたすらに寝る時間も惜しんで本を読み続けていた。
元々、本を読むのが好きだったというわけではない。
異世界に来てしまったという寂しさと整理のつかない気持ちを誤魔化す為に、没頭出来る“媒体”として、たまたま本に手を出しただけだった。
もしかしたら自分でも気づかぬうちに元の世界へと帰れる方法を模索していたのかもしれない。
有が読んだ本の内容は、絵本から政治、歴史、図鑑や薬草学にその他勉学の本と多種多様であった。
初めはこの村にある本から始まったが、ついには村の本という本を読みつくし、更に他の村から本を買ったり、貰ったりしては読みだした有は、いつの間にか村で一番の博識になっていた。
メーヤ達曰く、「読み耽っている時のユウの集中力はおかしい」ものだったらしい。
三年が経った時点で一人暮らしを始めた有は、その知識を生かして、小さな塾のようなものを自宅で開くことにした。
初めは知識豊富な有に少しでいいから子供に勉強を教えてやって欲しい、というところから始まったが、いつの間にかその人数が増えて、今の形態となったのだった。
また、隣町にも週二で出張して教えているのが現状である。
「ユウ先生~、今日は何するの~?」
「私歴史がいいな」
「えー、俺違うのがいい」
今日は七人の生徒たちが、有宅の机を囲むように座っている。
この家はお世辞にも広いとは言えず、台所とトイレとリビングしかない。
そんな唯一の空きスペースであるリビングを占める大きな机の上に、有は一冊の本を置いた。
「さぁ、今日は薬草学だよ。薬草の種類と効能。これは聞くより見て触りながら知識を頭に入れていく方がいいからね、実際に採りに行こうか」
その言葉にワッと声が上がる。
「やった!何処に行くの!?」
楽しそうな元気な声に、有は笑みを零した。
「フラウ川の上流の方だよ。皆ちゃんと“聖水”は持ってる?」
その言葉に、生徒たちは首からぶら下げている小さな瓶を有に掲げて見せた。
この“聖水”とは有が森で彷徨っていた時に見つけた泉の水の事だ。
その泉は、地の神サフィアの祝福が宿っており、サフィアの泉と呼ばれ、聖なる力を宿している。
その聖なる力には魔獣と呼ばれる凶暴な怪物を浄化させる力があり、その為、“聖水”を携帯していると魔獣が恐れて近寄ってこないのだ。
この泉は世界各国にいくつか点々と存在している。
しかし、泉から掬った“聖水”にも制限があって、一月と少ししか効果を持たない。
その為一ヵ月に一度、代表者数人がその水を必要な分だけ掬いに行くのだった。
有はその話を初めて聴いたとき、迷った末に辿り着いたのがあの泉で本当に良かったと思った。
しかし、その話の続きを聞いて肝を冷やしたのも確かだった。
なんでも、泉の水は長く人が近くに居続けると穢れて変色してしまうらしく、だからこそ代表者のみが水を掬いに行くことになっているのだ。
数日間泉の近くにいた有は、もし穢してしまっていたとしたらと動揺していたが、泉の水は透明なままだったとのメーヤの言葉があり、心底胸を撫で下ろした。
そんな聖水であるが、いつ魔物が現れるかも分からないこの国では、常備するのが当たり前になっている。
有は生徒が皆聖水を持っているのを確認すると、椅子から立ち上った。
「よし、皆持ってるね。それじゃいこうか」
ハーイと声を揃えて立ち上る生徒たちを連れ、有は村の近くを流れるフラウ川に沿って、上流へと向かっていった。
夕方になり、薬草採集から帰ってきた有達は、そのまま今日の授業を終えて解散した。
張り切って探索したせいか、有は足に少しの疲労を感じていた。
今日は早く寝よう、と有は自宅へと戻っていった。
家に戻り、ほうじ茶のような、それよりも香ばしいルハ茶というお茶を飲みながら一息ついている有の耳に、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
「はーい?」
こんな時間に誰だろう、と有はガチャリと扉を開けた。
すると目の前には騎士の格好をした二人組が立っていた。
「失礼致します。こちらはユウ様の御自宅でよろしいでしょうか?」
ユウ様、と呼ばれることに違和感を覚えながらも、確かにそれは自分の名前だと有は返事をした。
「確かに私の名前はユウですが・・・どちら様でしょう?」
すると二人は綺麗にお辞儀をする。
「これは申し遅れました。私、ルスファーナ王国王宮騎士団副団長のシュヴァイと申します。此方に居ますのは同騎士団所属のウェルヅです。どうぞ以後お見知りおきを」
ルスファーナ王国とは、此処ら一体を統治している王国の事である。
歴史ある王国であり、国民からも大きな支持を集めている大国。
特に先々代、先代、今代は優秀な王が就いており、繁栄を極めている。
しかし、有自身に王宮との繋がりは一切ない。
何か悪い事をしただろうかと有は不安になった。
「これはどうもご丁寧に。あの、王宮付きの騎士様が一体私にどういった御用なのでしょう?」
「実はユウ様に折り入ってお願いしたい事がございまして。少しお時間を頂けませんでしょうか」
「ええ、構いませんが・・・?」
王宮騎士団という明らかに自身より身分の高い人からお願いされるとは、一体何事なのかと有は戸惑った。
しかしこのまま立ち話をする訳にも行かず、有は二人を室内へと招き入れた。
「粗茶ですが、一服どうぞ」
目の前にルハ茶を差し出されると、二人は軽く頭を下げた。
「わざわざ有難うございます」
二人がお茶に手を伸ばすのを見て、有もまた向かい合うように席に座った。
「それで、あの、私に頼みたい事というのは?」
その言葉にシュヴァイは懐から封筒を取りだした。
その中に指を入れ、すっと半分に折りたたまれた一枚の羊皮紙を取り出すと、それを開き有の前に差し出した。
「こちらは国王様からユウ様に宛てた書状になります」
開かれた羊皮紙の下の方には、国王のサインと王家の印が押されている。
「内容を説明させて頂いても宜しいでしょうか?」
「あ、お願いします」
窓の外では日も沈み始め、橙色から、紫、黒とその様相を変えていくところだった。
「ユウ様は神子という存在をご存知ですか?」
「天の神ガルナに愛された神の遣いで、世界の流れを詠む力を持った方のことですよね」
絵本や歴史書にも出てくるほど有名な話だ。
それは空想などではなく、近い話では先々代の国王の元に神子が降臨している。
「はい!神子様は先詠みだけではなく、魔の物の浄化や災害の回避といった様々な奇跡の力をお持ちの素晴らしいお方なのです」
ウェルヅが興奮したように頬を上気させ、力説する。
よほどその伝説の人物に思い入れがあるのだろう。
「それで・・・ここからのお話はどうぞ他言無用でお願いします」
興奮したウェルヅとは対照的に、冷静に、少し声を落としてシュヴァイが話を紡いだ。
「実は二月程前にルスファーナ王宮に神子様がおいでになられたのです」
「神子様が!?」
思わず大きくなった声に、有はハッと口を押さえた。
「・・・すみません」
「いえ、驚かれるのも無理はないのです。ですが、次からは声を押さえてお願いします」
有は申し訳なく思い、少し視線を下げた。
「それで、そのおいでになられた神子様が実は異流者の方でして、この世界の言葉を話す事が出来ないのです」
「異流者の方・・・?」
それは有と同じく、異世界から来た人間。
「はい、今までの歴史書に異流者の神子様という記述は存在せず、神殿の方でも少なからず困惑を生んでいるようです。そのため、せめて神子様が此方の世界の言葉をご理解されるまでは、国民には神子様の存在を伏せておこうというのが国王様のお言葉です」
会話が成り立たないという事は、先詠みの力も有って無い様なものという事なのだろう。
神子がいるのに先詠みができないという状況で国民に不安を掛けるよりは、神子に言葉を学んでもらってからというのは妥当だろう、と有は思った。
「そこで、ユウ様にお願いがあるのです。ユウ様は異流者でありながら、博識で非常に優秀な講師であると伺っております」
「いえ、そんなことは・・・」
生業にしているとはいえ、そんな凄いものではない。
村の人よりほんの少し知識が多いぐらいだ、と有は口にしようとしが、その後に続く言葉に驚くほうが勝った。
「離れた城下にまで噂が流れているのですから、間違いありませんよ」
「ええ!?」
あまりの驚きに顎が外れるほど口を開ける有。
しかし城下にまで噂が流れるというのは、それほど驚くべきことなのだ。
そんな有の驚きも余所に、シュヴァイは話を続けた。
「それで、話が逸れましたが、ユウ様にお願いしたい事というのが、神子様の教師になっては頂けないかという事です」
その言葉に有はさらに目が点になった。
「神子様の教師・・・ですか?」
「はい。この申し出は、同じ異流者であるユウ様なら、より分かりやすく神子様に言葉を教えていただけるのではないかと国王様がお考えになられた結果です。この仕事はユウ様にしか御頼み出来ないのです」
「そういうことですか・・・」
確かに、辞書もなく、そもそも言語が統一されているこの世界では言語の違う人間に一から言語を教えるのは大変なことである。
有に関しても老夫婦の献身的なサポートがなければ、今頃こんな流暢に話す事は出来ていなかったはずだ。
「あの、教師を受けたとして、この村から都までは余りに遠いと思うのですが・・・」
「その点に関しましては、王宮の方にユウ様のお部屋をご用意させていただきますので、住み込みという形になります」
それはつまり村を離れなければならなくなり、また、神子が言葉を覚えるまで塾の運営ができなくなるということである。
しかし、一国の主の申し出を断るのは、不敬に当たるのではないか。
有は頭を抱えた。
しかし一向に答えが出そうにない。
「少し、考える時間を頂いても宜しいでしょうか?」
そう言われることを予想していたのだろう、シュヴァイは苦笑しながら頷いた。
「はい、構いません。私たちは返事を頂けるまで、一週間はこの村に居りますので。ただし、神子様に関してはくれぐれもご内密にお願い致します」
「分りました」
「それでは、私たちはこれで失礼致します。フラウ川横の宿屋の方に部屋を取っておりますので、ご決断頂いたらそちらの方にお願い致します」
「はい」
その時、ふと有の頭を疑問が掠めた。
「あ、もう一つ尋ねたいことが」
「何でしょう?」
「神子様は今、どのくらい言葉を解されるのですか・・・?」
そう、二ヶ月も経っているという事は、既にある程度言葉を覚えている可能性が高い。
つまり、それほど教える期間は長くないのではないかと有は考えたのだ。
しかしその言葉に、目の前の二人は顔を俯けた。
「それが・・・」
「おそらく、まだ少しもご理解なさっていないのではないかと思われます・・・」
有はついポカンと口を開いた、間抜けな顔を晒した。
「あの、失礼ですが・・・二ヶ月の間、言葉を教えられていないのですか?」
有の問いにシュヴァイは小さく首を振った。
「いいえ、お教えしようと努力はしているのですが、我々の力不足で・・・」
二ヶ月もあれば、単語や挨拶のいくらかは理解できるものではないだろうか。
「そう、ですか」
有は思わず苦笑した。
これは難航しそうだと容易に想像できてしまったためだ。
騎士二人が有の家を発つ頃には、外は完全に闇に包まれていた。
「では、良いお返事をお待ちしております」
そう頭を下げた二人に、有も慌てて頭を下げる。
その後、「では、失礼致します」、と言って二人は宿屋へ向けて歩き出した。
すっかり暗くなった道の先、二人の背がどんどんと小さくなっていく。
その背が見えなくなるまで見届けた後、有は一人家へと戻った。
緊張していたのだろう、有はふぅと大きく息を吐いて席に凭れた。
「王宮で住み込み家庭教師・・・か・・・」
ギィ・・・と、椅子が軋む音が静かな部屋に響いた。
メーヤ 聖水汲みの際、有を見つけた男性。息子が一人いる
アナシャ メーヤの妻
シュヴァイ 王宮騎士団副団長
ウェルヅ 王宮騎士団団員
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