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君を教えて  作者: のんかろりー
異世界
1/22

1コマ目 塾講師と暗闇

「ゆーちゃん先生、また来週ー!」

「おー、気をつけてな」


 今日も最後のコマが終わり、テキストと筆箱を鞄にしまった高校生が帰っていく。

他の教室も終わったのか、廊下の方は階段を下りる音でバタバタと騒がしい。

その音を背景にしながら、有はボードクリーナーを片手にホワイトボードと向き合った。

有の背より少し高い場所に書かれた右肩上がりの黒い文字。

普段は気遣っている事だが、週の最終コマという事で少し気が抜けていたのだろうか。


「気をつけないとなぁ」、有は苦笑しながらホワイトボードの上にクリーナーを滑らせた。

切り返す度にキュッ、キュッと鳴る小さな音が、一人だけとなった部屋を満たしていく。

有が塾講師になって、まだ二年。それでもこの仕事が自分の天職であると、有は誇りを持って言えた。


 有が塾講師を目指したきっかけは、中学生時代に通っていた一つの学習塾だ。

昔から興味がないものには全く力が入らない有は、授業中も寝ているか遊んでいるかのどちらかで、部活の為に学校に行くようなものだった。

その結果、返ってくるテストは当然の悉く悲惨なもので。ついにはそれを見かねた母親に塾に入れと怒鳴られ、仕方なく友人の通っている塾に通うことにした。

不真面目な子供が親に半ば強制的に塾に押し込められる、よくある光景だろう。

しかし有にとってはそれが運命の分岐点だった。


 渋々通い始めた塾の講師陣はどの人も面白く、その上で分かりやすく授業を進めていくのだ。

ただ教科書を書き写しているような面白みのない授業ではなく、難しくなっていく内容が初めて面白いと思えるものだった。

面白ければ興味が持てる、興味を持てれば理解しようと思える。

そして理解すればより面白く解けるのだ。


 その循環を繰り返しているうちに、有の成績はめきめきと上昇していった。

興味のない事には集中できないが、一旦興味を持てば周りが見えない程にそこにのめり込む性格が幸いしたと言えるだろう。

そしてついには結んだ蕾が花開き、無事地元の中堅高に合格した。

正門のすぐ先に張り出された紙に自分の番号があった時はどれほど嬉しかったか。

興奮も冷めやらぬうちに有が真っ先に飛び込んだ先は実家、ではなく塾だった。

何よりも先に報告したいと頭に浮かんだのがそこだったのだ。

そして温かく迎えてくれた講師たちに有は泣きながら飛び着いた。

今では赤面したくなる思い出だが、その時はただただ嬉しさと安心で一杯だったのだ。


 その時から、いや塾に通うのが楽しくなった時からか。

有にとって、塾講師は憧れの職業となった。

高校2年の春、当時一番お世話になっていた先生に、「塾講師になりたいので弟子入りさせてください!」、と頭を下げたのは有にとってはもはや懐かしい思い出だ。


 そして時は流れ、有は地元から離れた大学に通い、下宿しながら近場の塾で働き始めた。

この塾は生徒からの評判も高く、その界隈では高い人気を博している塾であった。

そのため、採用の倍率も高かったのだが、弟子入り中に積み上げてきた経験とノウハウで見事にその椅子を勝ちとった。

見事、とはいっても優秀な講師陣の前での模擬授業では、緊張のあまり手に持ったマーカーを二度ほど落とすという失態を犯しはしたが。若さゆえのご愛敬だ。



「よっし、片付け終わりっ」


 有はパンパンッと手を払うと、荷物を抱えて教室を出た。

15年前から開校しているこの塾は少々ボロく、壁のところどころに穴があいているのだが、その穴は上から張りつけられたポスターによって巧みに隠されている。

有は『羽ばたけ、未来へ!』とペンを掲げた少年が描かれているポスターを横目に、ガチャリと職員室の扉を開け、自分の席へと向かった。


「お、春邊お疲れ~」

「あ、お疲れ様です」


 隣の席で赤ペンを持って丸付けをしている先輩講師は有をちらと見て、そのまま作業を続行した。

頭の中にすべての答えを暗記しているのだろう、一問一問の丸付けにかかる時間は非常に短い。

どんなテストなのだろうと気になって、有はその手元を覗き見た。

どんどん捲られていくテストは復習問題から発展問題までと、それなりに難易度が高い。


「それ、2のSのですか?」

「ああ、春期講習前に実力見てやろうと思ってな」


 話しながらもシャッ、シャッと軽快にペンを走らせる音が鳴り続ける。


「どんな感じですか?」

「ま、上々ってところか。ところどころ基礎が甘いやつがいるな。で、そっちはなんか問題はあったか?」

「いえ、いつも通りです」


 現在有が持っているクラスは1年Aクラスの化学、2年Bクラスの数学と化学だ。

どちらのクラスも良い子ばかりで、教えやすい。

そんなクラスで早々問題なんて起こるはずはない。


「またストーカーされていたりは・・・」

「しませんから!」

「ちっ」


 そう、起こるはずはないのだが、ただ一度だけ、それも任期一年目にして教え子の女の子にストーカー紛いの事をされたことがあった。

今まで恋愛ごとに縁の無かった有は、慌てふためきながらその事をこの先輩講師に相談した。

その時の有は挙動不審で、もの凄く面白い顔をしていた、と先輩講師が後に語っている。

結局そのストーカー問題に関しては、大問題になる前にその子と直接話し合い、どうにか落ち着いた。

だがそれ以来、何かとその事をネタにからかわれ続けることになった。


「お前、どこにでもいそうな顔なのにな~」

「ほっといてください!」


 クスクスと笑いながらからかわれると、腹が立つやら恥ずかしいやら。

もういい加減過去の事は水に流して欲しいと有は切に願った。


「あのときの必死な顔、ぷっ」

「仕事してください!」


 先輩講師とそんな軽口を繰り広げながら、予習に必要なテキストを鞄に詰め込んでいく。

「・・・財布、携帯、よし!」、有はよしの掛け声と共に再び席から立ち上がり、ハンガーに掛けていたコートを掴むと勢いよく羽織った。


「それじゃあ、お先に失礼しまーす」

「お?お疲れー、また明後日な」

「はい、御疲れさまです」


 他の講師とも挨拶を交わしながら、出口へと向かう。

透明なガラスでできた扉を開けると、まだ冷たい夜風が有の身を打った。

受験シーズンも終わり、次の生徒へと切り替わっていくこの時期。

有にとってはここからが1年の始まりと言える。

「がんばるぞ!おー!」、と一人決意も新たに有は帰路に着いた。

振り上げた腕の先、澄んだ闇のその中で星がキラキラと瞬いた。



 家と塾の半ばまで歩いて来た頃、有は自販機の前に立っていた。

迷いなく伸ばした指がピッとボタンを押すと、一拍空けてガチャン、と静かな夜に少し重い音が響いた。

有は腰を曲げ、取り出し口まで落ちてきた缶コーヒーを手に取った。

かじかんだ指先にじんわりと熱が広がっていく。

缶にプリントされているダンディーなおじさんを眺めながら、しばらく両手の中で缶を転がした後、カシュッ、という音と共にプルタブを引いた。

手に熱を奪われて少し冷めてしまったコーヒーに口をつけ、有はふぅ、と白い息を吐いた。


 塾が終わった後のこの一時は、有にとって日課のようなものだった。

今日一日を振り返りながら見上げる空。

その黒の中に白い吐息がそっと解けていった。


 と、その時。

ガクン、と有の視点が突然下がった。


「うわっ・・・・!?」、驚きと共に手にしていた飲みかけの缶コーヒーが手を離れ、ガッ、ガラ、ゴロン、と地面に落ちる。


「は?」


 有は自分の身に何が起こったのか把握できなかった。

しかし、ただ一つ言える事は足が動かない、という事だった。

有は恐る恐る下を見た。

コンクリートがいつもより近い。

そして膝から下がない。


 そう。埋まっているのだ、コンクリートに。


「は!?な、なんだこれ!」


 もがいても、もがいても、埋まっている部分はピクリとも動かない。

それどころかズッ・・・と音を立て、さらに身体が下に沈んでいく。


「っ!?・・・・っ!誰か、助けてくれっ!誰か・・・っ!」


 闇の中に声が反響するも、周りには誰もいない。

なんとか抜け出そうと支点にした腕すらも地面に埋まっていく。


「はっ、はっ、何だよっ!くそ、くそっ!」


 地面との格闘も虚しく、ついには動かせる部分が肩と頭だけになった。

ズッ・・・、という嫌な音と耳との距離がどんどん近づいていく。

その勢いは止まるどころかどんどん早くなっていった。

そしてついに、首までコンクリートに埋まった。

目の前まで迫る地面と恐怖と絶望。

泣きそうに顔を歪めた有は、それでも精一杯声を張った。


「何なんだよっ!誰か!誰かぁっ!!助、」


 しかし、次のズッ・・・、という音と共に、辺りは静寂に包まれた。

少しひしゃげた缶から零れたコーヒーが、道路の上に黒い染みを作っていた。


邊春(ナベハル) (ユウ) 20歳 一年で受け持ち生徒が倍に成る、ちょっとしたカリスマ講師。



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