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遺産

掲載日:2026/10/04

 上田早代子は、高校1年生だ。早代子は、入学式の翌日から授業が終わると意を決して武道場の前まで足を運んだが中に入る勇気がなかった。誰か、気づいてくれないかなと、思っているのにあきらめて帰ろうとそこから離れると何故かホッとしている自分がいた。

 ところがこの日は、見つかってしまった。逃げるように、帰ろうと歩き出そうとして吉野友哉先生にぶつかりそうになった。吉野は、細身だが筋肉質で長身だ。そして、鋭い目で、早代子を見下ろしていた。早代子は、息が止まりそうになり鼓動が速くなるのを感じた。

「ここに、なんの用事だ?」

「剣道部に、入部しようかなと思ったりして」

「それなら、中に入れ」

「まだはっきりとは、決めてないんですが」

 早代子は、吉野に背中を押され、ついに武道場に、足を踏み入れた。剣道場の扉が、吉島によって開けられると熱気に混じって、独特の匂いを感じた。やっぱり、期待していた、高校生活の1ページにここは、入れたくないと思っていると吉島と、2人の女性が早代子の前に、きた。

「とりあえず、座って」

 早代子はその場に、正座した。ほかの3人も、無言で座った。早代子は、鋭い視線を浴び緊張が高まったタイミングで吉野が、口を開いた。

「俺は、男子剣道部の顧問の吉野友哉だ」

「私は、女子剣道部の顧問の西島みゆ子です」

「私は、女子剣道部キャプテンの高泉貴理子です」

「1年5組の上田早代子です。よろしくお願いします」

 早代子が、頭を上げると貴理子が、聞いた。

「剣道経験はあるの?」

「はい。小学生から最近まで、途中で休んでいた時期もありますが道場に通っていました」

「それなのに、剣道場への入り方を、知らないの?やり直しなさい」

「すみませんでした」

 早代子は、立ち上がって、扉を開けるところからやり直した。しかし、1回では終わらず何度かやった。その上竹刀で足やお尻を、叩かれた。再び、元の場所に正座すると貴理子は、早代子に、入部届を差し出した。早代子は驚いてそれを、返そうとした。

「まだ、入部するかどうか、迷っています」

「そうなの?それでもこれは、渡しておく。親の署名も、必要だから」

 早代子は、あらためてそれを、受け取った。

「早めに、提出してね。もう、4月も、半分が過ぎたから、同級生の2人とも大分差がついてるよ」

「私以外にも、1年生がいるんですね?」

「ええ。向井樹音と、中戸景子。それに、マネージャー候補の北原さく子だ」

 マネージャーと言われて、制服姿の女子を、見ると目があった。そして、睨まれた。おそらく、さく子ではないことはわかった。右手に、竹刀を、左手にはストップウォッチを、持っていた。これは、3年生に、違いない。さく子は、休んでいるかもしれないなどと、想像しながら別の疑問を、口にした。

「えっ、景子もこの学校だったんですか?景子はもっと、強豪校に行くと思っていた」

「あなた、失礼ね。うちの学校の女子剣道部は、全国大会には、縁がないけど大体ベスト4には、入っている。だから、近年は学校としても、積極的に強化してくれて、昨年は僅差で、優勝を逃してしまったけど、吉島先生と西島先生まで、引き抜いてもらったのよ」

「すみません」

「とりあえず、体験入部してみたら?その方が、入部するかどうか決めやすいでしょ。今からやってみよう」

「今日は、困ります。父のために、夕食の支度をしないといけません」

「それなら、明日にしよう。もちろん、先に入部届を提出してもいいわよ」

 早代子は、曖昧な返事をして、剣道場を出た。


 早代子は、家に帰ってからも迷っていた。自分の体力で、全国大会を目指すような部の練習についていけるだろうか。

 しかも、同じ道場にほとんど同じ時期に入門した景子とは実力差は開いていく一方だった。それでも、小学3年生の時に、母が自分の命が長くないことを悟り恩師の伊木智太郎と妻の幸子がやっている道場に預けた。

「お父さんは、仕事で家を空けることが多い。何か、困った時や悩んだ時には伊木先生に相談しなさい。きっと、良い方向に、導いてもらえる。剣道は、辛いことも、多いけどそれを乗り越えたら強い早代子になっている」

 伊木先生は、本当に早代子のことを、親身になって、考えてくれた。時には、厳しく叱責されることもあったがそれでも、愛情が、感じられた。だから、尊敬しているし、感謝していた。

 しかし、小学生の時に、何度か道場に行った後でクラスの男女数人で遊んだことがあった。その際に、心無い男子から言われたことがある。

「お前、なんか臭い」

 それも、1度や2度ではない。数えたら、キリがない。早代子は、ショックを受けるが景子は違った。

「私は、剣道をやっている。大好きな、剣道を、一生懸命やると、汗かいてこんな、匂いになるんだ。みんなにとっては、臭いかもしれないけど、私たちには、頑張った証なんだから、我慢して。ね、早代子」

 他にもこんなことを、言われた。

「剣道なんて、野蛮」

 これにも、景子は、言い返した。

「私は、剣道をやっているからそれ以外の時に、他人を叩こうとは思わない。その痛さをわかっているから。あなたたちもやってみたらいいよ。何故痛くて、臭くなっても、楽しいかわかるから。ね、早代子」

 景子はその都度早代子に、同意を、求めたが、剣道を好きじゃない、自分に気づくだけだった。しかしそれは、普通の感覚だったようで、何人かは、剣道を始めたが、大半は長続きしなかった。早代子はそれを、安堵したように、見ていた。

 早代子は、思い切って、伊木先生に相談した。

「私は、剣道が、好きになれません。辞めさせてください」

 早代子は、叱られることを、覚悟していた。しかし、予想外のことを、言われた。

「今までよく、頑張ったね。でも、小学校を卒業するまで、続けてみよう。一緒に頑張ってきた、景子ちゃんや後から、入ってきた、同級生も寂しがる。それからまたやってみたくなったらいつでも、きなさい」

 卒業まで、9カ月だった。残りの期間はそれまでより、充実していたし少しだけ景子の気持ちも、理解できた。


 本来ならこれで、無事に剣道を、辞めれるはずだったがそうはならなかった。美術部に、入部して順調に中学生活を、送っていた。

 そして、1年生の3学期には、宮鳥智明という早代子にとって初めての彼氏ができた。ある日、2人で映画を観て、喫茶店に、入ると上星裕也がいた。早代子は、心臓が止まりそうなほど驚き声が出なかった。すると、上星は早代子の束ねた、後ろ髪を引っ張った。

「お前は、俺を見かけても、あいさつもしないのか?」

 そんなことを、言いながら、ショッピングモールのベンチまで、連れて行かれた。そして、ベンチに座る上星の前に、正座させられた。

 早代子が、上星と最初に、出会ったのは2年くらい前の剣道の道場の大会だった。狭いところで、練習をしているところに、上星が自分の門下生を、怒っていた。すると、ほかの人を避けるため早代子が、面を打つところに、現れた。

 咄嗟に、早代子は止めようとしたが上星の頭に面がヒットした。その時は、謝罪して許して貰えたが試合中にも引き技を、打って下がった時とバランスを崩して倒れた時に下敷きになったのが、上星だった。試合が、終わって面を、外した時に、早代子は後ろ髪を引っ張られ外に連れて行かれた。朝まで、降っていた、雨でできた、大きな水溜まりに、正座させられ、土下座させられ顔もその中につけさせられた。

 それ以来、上星は早代子を、見かけるたびに同じようなことをするようになった。

「最近、戦績はどうだ?」

「私、剣道は、やめました」

「それなら、俺の道場に、入れ。お前は、俺の指導を受けないとろくな人間にならない」

「お断りします。もう、剣道をやることはありません」

「そうか」

 上星は、諦めたと、思っていた。しかし、デートを終えて家に帰ると上星が家にいた。どうやら、父は上星の後輩で、家に、来たことがあったようだ。

「早代子。上星さんが、お前の才能を買って、道場に入ってほしいそうだ」

「嫌です」

 上星は、早代子と2人で話したいと父を部屋から出した。

「残念だが、本人の意思などどうでもいい。お父さんが、署名したから入門することが決まった。これから、道場に行くぞ。早く準備しろ」

「お願いします。許してください」

 上星は、早代子の部屋を、探し出し、防具など一式を持って来た。

「自分の道具くらい、持て」

 早代子はまた、後ろ髪を引っ張られた。上星の力は、強いので髪の毛が抜けるんじゃないかと心配になる。

「わかりました。行きますので、髪を引っ張るのはやめてください」

 早代子は、仕方なく、上星の車に、乗った。早代子は、車のトラブルで、道場に着かないことを願ったがすぐに到着した。

 後日父に、問いただすと上星はこう言ったらしい。

「早代子さんが、自分の道場で剣道をやりたい。辞めたのはうちの道場でやるためだ。不思議な、気はしたが入門届は、書いてくれと言われたんだ」

 道場に、着くと上星は早代子の携帯番号を聞いた。そして、早代子は特別な門下生だから毎日迎えに行くからと位置情報を、入れられた。稽古は、毎日遅くまでで早代子だけ、上星の特訓を受けさせられた。そのため、智明とも、自然消滅になった。

 子供の門下生は、男子は、坊主で、女子も短髪だったが、早代子の後ろ髪は切らなくて、よかったが度々引っ張られた。門下生は、非常に、多い。おそらく、強引に入らせて辞めることは許さないからだろう。こうして、早代子は意志に反して、剣道を再開することになった。そして、中学卒業後まで続けた。しかし、上星はこれで許してはくれない。

 毎日電話がかかって来た。今日もやっぱり、着信音がなった。

「はい」

「お前、今日こそ入部したんだろうな」

「入部届は、貰いました」

「それならさっさと、入部しろ。それとも、高校生になってからも道場に通うか?」

「とりあえず、体験入部してみます」

「そんなのは、必要ない。早く、決めろ」

 今まで、散々道場で、下手と、言われてきたから、辞めさせてくれてもいいのに。


 翌日の昼休みに、早代子のクラスに、貴理子が訪ねて、来た。

「上田さん、入門届は、書いた?」

 早代子は、すでに父に、記名してもらっていたので、すぐに出せる状態だったがまだ迷っていたのでとりあえずこう答えた。

「すみません。まだです。今日でも、体験入部をしようと思いましたが何も準備していません」

「道具は、一式貸してあげるから、来てみて」

「わかりました。ありがとうございます。よろしくお願いします」

「じゃあ、待ってるわ」

 放課後になり、剣道場へ、向かった。すでにほとんどの部員は、来ているようだった。貴理子は、早代子を部室に、入らせて棚から、道着や、防具を出した。

「多分、このサイズで、大丈夫だよね?もし、合わなかったら教えて」

 早代子は、クリーニングの袋から、道着を、取り出してきてみた。サイズは、ピッタリだ。貸し出し用が、こんなに、綺麗なら、自分のは持って来なくて、良いかもしれないと思っていた。

 防具も、新品に、近い状態だった。早代子は、テンションが上がっていたが、バレないように平静を装った。貴理子が、みんなの前で、早代子を紹介した。そして、稽古が始まった。強豪校だから、厳しいだろうと緊張していたがそうではなく、開始から、2時間ぐらいで、終了になった。

 これなら、入部してもいいかと、思いながら久しぶりに、景子と、下校する。

「どうして、剣道をまたやろうと思ったの?」

「内緒にしてたけど、中学生の時もやっていた。上星先生の道場で」

「早代子は、上星先生に、気に入られていたね。でも、体験入部したからには、早急に入部しないと酷い目に遭うよ」

「どういうこと?」

「マネージャーの山田あゆ子さんが、明日には早代子を訪ねてくるはず。そうなったら、必ず入部させられる。樹音や、さく子も同じように入部させられたから」

「何をされたの?」

「それは、知らない。私は、入学式の日に入部したから」

 早代子はもっと、聞きたいことがあったが、上星の車が、2人の近くで止まって降りてきた。

「上田。今日は、体験入部じゃなかったのか?」

「しました」

 上星は、早代子の体を、嗅いだ。

「やめてください。恥ずかしいです」

「全然汗臭くなっていない。そんなんじゃお前が、満足しているわけない。今から、俺が稽古をさせてやる」

 早代子は、上星に髪を引っ張られながら、景子に、別れを告げた。


 翌日の昼休みに、貴理子と景子の予告通り、あゆ子が、訪ねて来た。

「あんた、入部届はどこ?」

「まだ、書いていません」

「それでもいいから、出して」

 早代子は、あゆ子の圧に、押されていると、早代子の鞄をひっくり返して中身をその場にぶちまけた。あゆ子はクリアケースに、入っていた、入部届を見つけて、拾い上げると確認した。

「あんたの名前を、書くだけじゃない。今すぐ、書いて」

 早代子は、鞄の中身を、拾っていた。

「そんなことよりこっちが先」

 あゆ子は、怒ったように言った。早代子は、渋々記入しているとあゆ子たちは持ち物検査と言って制汗剤やボディーシートなどを、剣道部員には必要ないと、取り上げた。

 早代子は、記入して、再び鞄の中身を拾い始めた。あゆ子は、入部届を眺めて言った。

「じゃあ、今日から、出てきて」

「今日も、道具を持ってきていません。明日からではいけませんか?」

「一式貸してやる。だから、今日から必ず来い」

 そう、言って2人は、出ていった。早代子の心臓は、しばらく早く動いていた。昨日、景子からあゆ子のことを少し、聞いていたからまだ、よかった。

 放課後、急いで剣道部室に、向かうとまだ、誰もきていなかった。すると、次々と部員が入ってくるので早代子は、あいさつした。しかし、みんなの反応は、薄くて先輩は着替えて、道場に行く。しかし、同級生は着替えず早代子の横に、自分の道具を、置いて正座した。

 しばらくして、あゆ子が部室に、入ってきた。みんなの緊張感が、高まり空気が一変したように感じた。

「中戸と、北原は、着替えろ。向井の道着や、防具は、今日から上田が、使え。向井のは、今から準備してやる」

 樹音は、自分の前に、置いてあった、道具を、早代子の前に、置いた。早代子は、驚いた。道着は、透けそうなほど、薄く、元は白かったと、思われるが、全体的に、黄ばんでいた。

 防具も、相当使い込まれた、古いものだった。これを、私が使うの?と、声に出して聞きたかったがあゆ子に対しては出来なかった。あゆ子は、棚から樹音の道具を、取り出していたが、早代子に渡されたものより少しマシ程度のものだった。

「何してんだ。早く、着替えろ」

 あゆ子が、持っていた、竹刀で、早代子と樹音の背中を叩いた。早代子は、仕方なく着替え始めた。しかし、樹音は、着替えようとしない。

「先輩。これは、私の道着と防具じゃありません。私のを、返してください」

「それらは、我が校の女子剣道部を、強豪にされた、歴代の先輩方が、使われたありがたいものだ。だから、嫌がるな。上田もわかったな。あっ、下着は、禁止だ」

「すみませんでした。知りませんでした」

 早代子は、慌てて下着を、とった。それを、みてあゆ子は再び樹音に向き直り竹刀で床を叩いた。

「お前もいい加減、着替えろ」

「景子は、自分のを、使っているじゃないですか。私だって、今朝まで我慢してそれを使っていたんです」

 早代子は、着替えながら、少し湿っているのは樹音の汗だったんだと、納得していた。樹音が、何回も叩かれている、状況でこんなことを、考えている自分が不思議だった。

「中戸は、お前と違って何一つ、文句を言わないし稽古も真面目にやっている」

「それでもこの防具は、ひどすぎます。カビだらけじゃないですか。私の防具はどこですか?私のも、使わないと同じように、カビが生えてしまいます」

「ちゃんと、授業で使ってもらっているよ。どうやら、人気あるらしいぞ。昨日も、上田の体験入部でも使ったから、心配するな」

 早代子は、初めて樹音のものだったことを、知って申し訳ない気がした。

「どうして、私の防具を私以外の人だけが使うんですか?せっかく、買ってもらったのに」

 樹音は、泣いていた。それでも、あゆ子は全く動じない。

「試合の時には、使わせてやるし、今後の練習態度が良ければ、返してやる。お前はすでに、4回朝練に遅刻したし、1回は朝も放課後も、出て来なかったよな。おい、上田。準備できたら、稽古に参加しろ」

 早代子は、部室から逃げるように、剣道場に行った。


 早代子の剣道部の初日が、終わった。1年生の4人で、一緒に帰る。樹音が、申し訳なさそうに言った。

「ごめん。私のせいで、みんなにも、迷惑かけてしまった」

 樹音は、今日から1年生全員が、居残り練習と、朝練を命じられた、責任を感じているようだった。

「居残りはずっとやってきたじゃない。だから、樹音だけが、責任感じなくていいよ」

「でも、朝練だよ。あんなに、臭い防具を、つけて、稽古した後で、教室に入りたくない。みんなからどう、思われるだろう。景子は、いいな。自分の防具が、使えて」

「ごめんね。私、樹音のだったなんて、知らなかったから」

「剣道部員なら、別にいい。授業なんかで、使われると雑に、扱われる。男子だって、使うし」

「樹音もだけど、さく子も可愛そう。マネージャーとして、入部したのにね」

「私多分正式な、マネージャーにはなれないんじゃないかな。もう、半分諦めている」

「マネージャーの仕事も、やっているのに?」

「私は、山田さんみたいに、部員を叩いたりできない。よく、高泉さんたち同級生にもできると感心する。先生が求めているのは、私なんかじゃないと、感じている」

「早代子は、後悔しているよね」

「そうでもないよ。どっちにしろ、剣道を続けなきゃいけなかったから同級生がいるこっちで正解だったかな」

「昨日の体験入部は、騙されたと思ったでしょ?」

「それは、思ったけど、覚悟していたから」

「それでも、初日からよくついて、来れたね」

「道場で、鍛えられたからね」

「どこの道場に、通っていたの?」

「上星先生のところ」

「えっ。私も、小学生の時にあそこに、通っていたけどいた?」

「私は、中学生になってからだから」

「あそこは、中学生いないよね?どんな、練習していたの」

「小学生とやったり、一般の人とだったり、誰も来ない日は、先生方とだった」

「毎日だったの?」

「スマホの位置情報と、持たされてたGPSで迎えに来られるから休みなんかなかった。体調が悪くても、休ませてくれないし」

「最悪。それなら、今も居所が知られている?」

「そうだね。もしかしたら、今ここに現れるかも」

 もちろん、冗談だったが4人の前に、上星の車が、止まった。上星は、車を降りて早代子に近づいた。樹音は、景子と、さく子に、隠れた。

「おい、上田。吉野先生が、お前と稽古したいそうだ。すぐに、来い。それにしても、今日のお前は臭いな。激臭ってやつだな」

 吉野先生とは、吉野真子で上星の道場の指導者の1人だ。そして、男子剣道部の顧問の娘さんだ。上星に、負けずとも劣らず厳しくて子供たちから恐れられている。

「女子高生にそんなことを、言うなんて失礼です。今日は、部活で居残りもあって疲れてますので行きません」

「どうせ、連れて行かれる事はわかっているだろう。ついでにそこに、隠れている向井も連れて行こう」

「私も、嫌です」

「まあ、道場の特別門下生の上田を、鍛えてくれるありがたい人たちだから家まで送ろう」

 いろんなやりとりがあって、4人は、上星の車に乗った。まず、さく子が降ろされ次は景子が、降ろされた。

「先生。私の家は景子の近くです」

「知っているに、決まっているだろう。今まで、何回も送ってやっただろう」

「お願いします。今日は、道場は行きません」

「やかましい。お前は、黙っていろ。まず、向井だ。お前はどうする」

「勘弁してください」

「じゃあ、今日は許してやる。ただ、今度恩師の俺から隠れたりしてみろ。吉野先生に、鍛え直してもらうぞ」

「すみませんでした。ありがとうございます」

 樹音は、家に着くと、上星に丁寧に挨拶して、車を降りた。早代子は、羨ましそうな顔で見送った。そして、上星の車は、道場に到着した。

「早く、降りろ」

 上星は、早代子の髪を、引っ張る。

「吉野先生との稽古やらせていただきますので、乱暴しないでください」

 道場に、入ると真子が仁王立ちしていた。

「お待たせ致しました」

 早代子は、着替えのため、更衣室に向かう。そこに、入ると真子もすぐに入ってきた。

「おい。悪臭の原因は、お前か?」

 早代子は、今日から剣道部に、入部し、古くて臭い防具を渡されそれで居残り練習もしたらこんな匂いになったと、説明した。

「そりゃいい。お前にはその匂いが似合う。じゃあ、全裸になって待ってろ」

 真子は、大笑いして、棚をガサゴソして、古そうな、道着と防具を取り出した。

「ここにも、お前向けのがあるんだよ。私が、高校の時に、先輩から譲ってもらったんだ。そのあとここで、時々ふらっとここに、剣道をやりにきた人に、使ってもらっていたんだが、ものすごい匂いがするようになった。処分しようと、思っていたんだが、今日からお前専用にしてやる」

 ふらっとここに、剣道をやりにくる、人などいない。ここの指導者が、強引に連れてきて無理矢理やらせているだけだ。

「私はここにまだ、自分のがあります」

「お前のは、早く学校に、持っていけ。私の道着と、防具を使わせてやるんだぞ。ありがとうと言ってさっさとつけろ」

「この道着はいつから、洗ってないですか?」

「洗ったのは、覚えてないが、今月は何人も使っているから、安心しろ。あまり、待たせるとその体にアザや傷跡が、増えるぞ」

 早代子は、真子に、出された道着をきて防具をつけた。どうやったらこんな、匂いになるか疑問に思う。早代子は、その匂いで、何度か、吐きそうになったら。全てが、元は綺麗な白だったはずが、面影もなくなっていた。


 翌日には、朝練が始まった。早代子は、昨日の筋肉痛と叩かれた痛みとの戦いだった。そして、終わると匂いとの戦いが、待っていた。

 どうか、誰も気づかないで。そう、思いながら俯き加減で教室に入った。あちこちで、みんなが談笑している。私は、いないものと、思って誰も、話しかけないで。と、思っていたら話しかけられた。隣の席の高坂朋子だ。

「早代子。朝練だったの?匂うよ」

「やっぱり、バレた?」

「すごい、匂いだもん。これ、使って」

 朋子は、デオドラントシートと、制汗剤を、早代子の机に置いた。

「そのくらい、準備しておきなよ」

「それが、剣道部には、必要ないって、マネージャーに取り上げられるの」

「実は、私も、剣道をやっていたことあるけどそれ以外の人には、公害ぐらいにしか、思われない。他の部活だと朝から、頑張っているって、思われるのにね。じゃあこれらは、私のロッカーに、入れておくから、使って」

「ありがとう。また、お金は、払うから買っておいて」

 朋子の優しさで、早代子は、救われた気がした。これで、朝練も怖くない。でも、朋子はヤンキーっぽくて今までまともに、話したこともなかった。

 どうして、私にこんなに親切にしてくれるのか、不思議だった。いつか、朋子とゆっくり話したい。きちんと、お礼を、言いたい。と、思っていたがなかなか実現しなかった。早代子は、朝と夕方は部活だし朋子は、短い休憩時間でも、教室内にはいなくて、ヤンキー仲間たちと一緒にいた。

 この時期にもなると、休憩時間には、集まるグループが決まってきていた。早代子は、対策はしていてもやっぱり、自分の匂いが気になるので、1人になっていた。誰も、話しかけてもこない。早代子が、話しかけないでオーラを、出しているせいもある。だから、男子剣道部員の唯一のクラスメートの高本光司が、話しかけてきたがこれが、嫌だった。

「上田。お前が、今頃になって入部したせいで俺たち男子までまた居残り練習になったじゃないか」

「ごめんなさい。でも、男子は朝練ないからまだマシでしょ」

「俺は、上田が酷い目に遭うのは、別にいい。でも、俺の中学のマドンナだった、さく子があんなに古い防具をつけて、すごい匂いをさせているのは、かわいそうで」

 たしかに、さく子は可愛いしモテそうだ。

「それは、私がそうさせたわけじゃないしどうしようもない」

「さく子は、マネージャーとして入部したはずだったんだ。どうして、練習した上に部室やトイレの掃除までやっているんだ」

「だからそれについては、私たちも一緒にやることにしたよ。さく子のことを、思っているなら男子部室や男子トイレはあなたたちがやれば、良いでしょ」

「そうだ。さく子以外の3人でやればいい」

 光司はいつもこんな、感じだ。さく子以外には、全く興味がない。さく子が、酷い目に遭わないようにしたいなら、私たちじゃなく西島先生や、山田先輩に言えばいい。


 ゴールデンウィークになり、女子剣道部の1年生は合宿をしていた。とはいえ、学校は暦通りなので普通に登校日もある。今日も、月曜日なので、普通に授業がある。剣道場の固い床に、布団を、敷いて寝るのであまり疲れが取れないし、起きても、体が痛い。

「合宿は、良いだろ。時間を、気にせず、剣道に打ち込める」

 あゆ子は、嬉しそうに、言った。先生や、先輩も交代で泊まっているが、学校の合宿所に寝泊まりしているのでホテル並みの設備があるので、快適なはずだ。

 昼休みに、弁当を広げようとすると、朋子が、一緒に食べようと誘われた。早代子は、ヤンキーグループと食べるのは、気が、引けたが朋子が早代子の弁当を、持って行くので行かざるを得なかった。行き先は、女子卓球部の部室だった。

 そこは、剣道部の部室より、広くて綺麗だった。大きな、テーブルが真ん中に置かれ周りには椅子が並べてあった。すでに、10人ぐらいが椅子に、座っていた。早代子は、絡まれないように誰とも目を合わせないようにしていた。みんな、同級生らしいが早代子と、同じクラスの子は、朋子だけだった。朋子は、自分の隣に早代子を座らせた。

「どうして、早代子は今日初めて来たのに朋子の隣なの?羨ましい」

 この子は、山利和佳子だそうだ。どうやら、朋子を一番慕っているようだ。早代子の朋子とは、反対側の隣に座っていた。

「早代子は、私が剣道をしていた頃から憧れていて目標にしてきたの」

 早代子は、驚いて朋子を見た。朋子は、真顔だったので冗談ではなさそうだ。でも、早代子は朋子が剣道をしていた頃を、思い出そうとしても、思い出せなかった。

「えっ。早代子って、剣道部なの?」

「そうだけど、何が悪い」

「だって、私のクラスに、剣道部の子がいるんだけど」

「景子か?早代子の親友だ」

「そうなんだ」

「景子がどうしたの?」

「景子って、臭いの。最近毎日朝から、すごい匂いを漂わせてる」

「和佳子。景子も、剣道部で、今は合宿して、頑張っているんだ」

 そういうと、立ち上がって、大きな声で言った。

「みんなのクラスに、女子剣道部員がいたら、デオドラントシートと、制汗剤を準備してやってくれ。本人達も、汗臭さを、気にしているはずだから。悪口を、言っているやつがいたら、嗜めるようにしてくれ」

 早代子は、改めて朋子に驚いた表情を、見せた。朋子は、私に憧れて目標にしていたとか、言ったけど、本当だろうか。朋子は、私よりずっと立派だ。

「朋子が、憧れていたのって、私じゃないと、思う。人違いじゃないかなぁ」

「どうして?間違いなく、上田早代子よ」

 この日の昼休みは、終わってしまったので、話も途中になった。


 翌日の昼休みも、同じメンバーが同じ場所に集まっていた。今日の和佳子は、口数が少なく俯き加減だった。早代子はそれに、気づいて、声をかけた。

「どうしたの?元気ないみたい」

「実は、昨日朋子に言われたものを、景子に渡したんだ。そうしたら、景子は頑なに使わないっていうから景子に臭いとか、酷いことを言ってしまった。それで、景子が泣いちゃって、謝りながら使ってくれたけど」

「景子が、泣くなんて和佳子よっぽど酷いこと、言ったんだ」

「ごめんなさい」

「たしかに、景子が、泣くなんて珍しい。私から、景子に話しておくから和佳子は気にしないで」

「ありがとう」

 今日はこの問題で、朋子に聞くことは出来なかった。しかし、今日の合宿の僅かな自由時間に朋子が早代子に憧れているのが、間違いないことが、判明した。

 樹音が、嬉しそうに、デオドラントシートと、制汗剤のことを話したのだ。

「今日ね、朝練が終わって、教室に行ったらヤンキーだから、話したこともなかった、三木和月って子が使ってくれって、デオドラントシートと制汗剤をくれたんだ。これで、朝練しても少し安心だ」

「私も」

 さく子も、嬉しそうに返すが景子は俯いてる。

「実は、私のクラスの高坂朋子が、自分の仲間たちに、命じたの」

「朋子って、ヤンキーのボスじゃん。私たち、ヤバくない」

「朋子は、見た目はあんなだけど、悪い子じゃないよ。私の小学生時代のライバルでその頃から、時々連絡している。朋子って、早代子と仲良くなれたんだ。喜んでいるでしょ?」

「うーむ。昼休みに、一緒に弁当を食べたりするようになったけど、何か勘違いしている気がする」

「どうして?」

「私に、憧れていたとか、言っているけど人違いだと思う」

「早代子で、間違いないよ。私も、何があったかは教えてもらえない」

「何で、朋子は、剣道を辞めたんだろう。あんなに、強かったのに」

「上星先生の道場で、続けているはずだよ。会ったことないの?」

「会ったことない。私なんて、毎日稽古させられてたのに」

「まあ、朋子は卓球でもあれだけの成績を、残しているんだから、仕方ないでしょ」

「そんなに、強いの?」

「知らないの?中学生の時に、全国大会にも何回も出ていてオリンピック選手にも勝ったりしているよ」

「すごい。どうして、朋子は私なんかを」

「朋子は、何をやっても、才能があるよね。もちろん、陰では相当な努力をしていると思う。私は、朋子がライバルって、思ってくれたことを、誇りに思っている。だから、私は剣道を頑張りたい」

 早代子も、景子のようにかっこよく、宣言できればよかったが、何も思いつかなかった。


 ゴールデンウィークが、終わると合宿も終わった。そして、まもなく1学期の中間テストがある。部活は、休みになると、思っていたが貴理子から、非情な宣告をされた。

「明日から、試験休みになる。しかし、今年の1年の女子は、レベルが低すぎる。そこで、4人には毎日朝と夕方1時間ずつ、練習をすることを、先生から、許可していただいた。ただし、勉強も一生懸命頑張るように」

 たしかに、部活がないからと言ってその分を、勉強だけに使うわけではない。でも、朝練は合宿中だけのはずだったのにずっと、続いている。

 帰り道では、4人で、不満を、言いあった。翌日の朝練を、終えて教室に行くと朋子から声をかけられた。

「早代子。今日は、一緒に帰ろ」

「それが、夕方も1時間だけ、部活なんだ」

「そうなんだ。じゃあ、待ってる」

「それは、悪いよ。それに、朋子は、一緒に帰る人がたくさんいるんじゃない?」

「いないよ。全部断ったから」

 部活が、終わって、朋子を迎えに、図書室に行くと勉強していた。

「あれ?もうそんな時間なんだ」

「ところで、剣道部の子が一緒でもいい?」

「私は、構わないよ」

 ということで、5人で、帰る。

「みんな、お疲れ様。しっかり、練習したみたいだね」

「1日1人30分ずつ、2人の先生に、扱かれる。そして、1時間はマネージャーに叩かれる」

「いいな。私も、久しぶりに、竹刀振りたい」

「どこがいいの?」

 その時に、見慣れた、車が5人の前で止まった。上星は、車を降りると早代子の後ろ髪を掴んだ。

「部活は、試験休みらしいな。その割に、臭いが」

「部活はありました」

「この時間に、帰るという事は、体力が余ってるはずだ。道場に、行くぞ」

「いいな。私も、行きます」

「高坂もいたのか」

 とりあえず、上星が、みんなを順番に送ってくれることになったがどんな順かはわからない。早代子は、ワンボックスの3列目に、乗せられたので、最後まで降ろしてもらえないのは予想通りだ。

 もう1人残ったのは、朋子だ。朋子は、道場に行くと言いはっている。

「高坂は、上田がいる時に、道場には、きたくないんじゃなかったか?」

「そうでした。でも、私の無様な姿を、早代子に見てもらったら成長できるかと、思ったんです」

 上星の車は、早代子が、最も望んでいない、道場に到着した。


 更衣室では、吉野が準備万端で、待っていた。早代子は、着替えて、防具を棚から出した。

「早代子。それって、私が使う防具じゃない?どこに、行ったか、探してた」

「そうなの?吉野先生からこれを、使うように、言われたけど」

「やだ。私の匂いを、早代子にかがれてしまった。恥ずかしい」

 吉野が、慌てた。

「そうだったな。それは、上田が使え」

「私はこれじゃないと、調子が、出ない。それなら、早代子は私の試合用を使って」

「私のもここにあるから」

「上田のは、邪魔だから学校に、持って行ってやった。聞いてないのか?」

 朋子は、自分のを、サッと出して、早代子に使うように、促した。

「私はもう、剣道の試合に、出ることはないから、早代子が、使って」

「どっちでもいいから、早くしろ」

 早代子は、朋子と打ち合うと、思っていたが、違った。早代子の前には、上星が立っている。いつも通り、何回も、倒される。

 一方、吉野と、打ち合っている朋子は倒されず時には一本取ったように思える場面もあった。もちろん、早代子は、自分のことが、精一杯でじっくり見たわけではないが。そしてついに、朋子が倒され動かなくなった。早代子は、居ても立っても居られず、朋子に駆け寄った。

「そんなやつはほっとけ」

 上星は、ノーガードの早代子にどんどん、打ち込む。それに、耐えながら朋子に近づくと泣いていた。早代子は朋子を、端の方へ、連れて行って面を外した。

「どこか、痛い?」

「違う」

 朋子は、早代子に抱きついて号泣した。しばらくして、落ち着くと言った。

「早代子に、優しくされたら余計に泣いちゃうよ」

「大丈夫?」

「大丈夫だよ。どこも、痛くない。私の実力で、先生に勝てるわけないんだけど悔しいんだ。早代子のように、何回も、立ち上がる、根性がないのも」

「元気になったか?今度は、俺が泣かせてやる」

 朋子は、面を付け直して、上星に向かっていった。


 中間テストが、終わった。次々と、テストが返ってくる。早代子はその度に、険しい顔をしている朋子に声をかける。

「どうしたの?」

 するといつも、落ち込むのは早代子の方だった。

「こんな、問題を、間違えてしまった」

 とか、正解なのに、

「これはこう、回答するのが、よかったな」

 そして、気がついた。朋子は、天才だ。ほとんどの教科で、間違いがない。早代子にあって、朋子にないものって、何だろうと、考えても、思いつかない。

 中間テストの順位は、朋子が、1位だった。早代子は、40位代なので悪い方じゃないとは思う。

「早代子は、部活もやって、1日おきに、道場に、行っていたんだから、実質私より上だね」

 道場には、朋子も行っていたからそんなことを、言われても嬉しくない。その昼休みに、朋子に、聞いた。

「朋子は、私のどこに、憧れてたの?」

「どうして、過去形なの?今でも、変わらず、憧れているよ」

「私が、朋子より、優れているところなんてない」

「そういう、謙遜するところなんかも」

「私は、小学生の頃なんて、朋子と接点なかったよね?何があったの」

「私が、恥ずかしいから避けてたからね」

「景子には、近づいたのに」

「景子は、試合でしょっちゅう、当たったから。これが、ライバルっていうんだと意識した。景子もそう、思っていたみたい。だから、早代子が景子と、親友だと、知って、早代子のことは色々聞いたけど私が、憧れている事は内緒にしてもらってた。理由は、景子にも、言ってない」

「それを、教えて」

「恥ずかしいから、嫌だ。2人きりになることがあったら、話すかも」

 結局今日も、聞き出せなかった。


 中間テストが、終わると剣道部の練習は、インターハイに向けて部内での試合が組み込まれた。その結果次第では、1年生にもチャンスを、与えてもらえるし、朝練と居残りからも解放される。

 早代子は、今までそれほど、勝敗は気にしたことがない。とはいえ、負けることの方が、多い。しかし、今度ばかりは、勝ちたい。私は、選手になれるような、実力はないがせめて、1年生の中で最も強い、景子は、選ばれてほしい。

 試合は、各学年対抗の団体戦で勝てば1ポイントで個人としても勝っていればさらに1ポイントが入る。最終的に、ポイントが、多い者が団体戦の選手に近づく。抽選の結果と、言っても誰が抽選したのかわからないが、初日の1年女子の相手は、3年生の男子だった。早代子たちは、絶望したような、顔になった。それでも、景子は、みんなを、鼓舞した。

「みんな。とりあえず、1ポイントを取りに行くよ。誰か、1人だけでもいい。1年生から、選手を出そう」

「それなら、樹音とさく子には、申し訳ないけど景子しかいない。一番頑張っているし、実力もある」

「私は、早代子にしようと、提案したんだよ。一番頑張っているのは、早代子でしょ?部活をやってから、道場にも、行って」

「でも、私は、実力がない。景子が、一番わかっているでしょ?」

 景子は、早代子の質問には、答えずに、樹音とさく子に聞いた。すると、意外にも2人とも早代子を推した。景子は、嬉しそうに、言った。

「はい、決まり。じゃあ、早代子に、一番弱そうな人を当てるよ」

 作戦通り、早代子は、3年生の男子で、一番弱そうな荘野大治と、当たったが負けてしまった。そして、ほかの3人も、善戦したが、負けてしまった。

 居残り練習の後の帰り道で、早代子は、謝った。

「ごめんなさい。やっぱり、私じゃなく、景子にポイントを、とらせよう」

「私は、早代子が、負けたとは、思ってない。西島先生や、高泉先輩は、審判してて、私たちに旗をあげるつもりはないじゃない。こんなんじゃ、勝てるわけない」

 みんなが、不満を、言っている時に、早代子は電話をしていた。

『もしもし』

「あっ、朋子。遅い時間にごめんなさい。今から、道場で私に稽古をつけてください。どんなに、荒っぽくされても、構わないし、ボコボコにされてもいい。お願いします」

『私が、早代子にそんなこと、できるわけない。だからずっと、早代子との稽古は、避けてたんだから』

「それなら、私はどうやったら、強くなれるかな?」

『私はこの前初めて、早代子と道場に、行ったんだよ。私にはわからない。でも、早代子は上星先生の稽古に耐えてきたんだから、普通の人よりは、強いはずだから、自信を、持って』

「自信なんか、持てない。今日も、期待を裏切って負けてしまったし」

 早代子は、今日の部活のことを、細かく説明した。

『明日。とは、約束できないけど近いうちに、何とかなるように、お願いしてみるから』

 そういうと、電話は切れた。


 翌日の昼休みに、朋子が言った。

「今日は、何とかなりそうだよ。でも、早代子が不甲斐ない試合したら本当にボコボコにされるからね」

「誰から?」

「誰だろ。早代子も、おそらくよく知っているんじゃないかな」

 放課後に、部活に出ても、誰もいなかった。基本練習が、終わって、部内試合の時間になった。今日の相手は、3年生の女子だ。

 4人で、作戦を、練っているとあゆ子が口を挟んだ。

「1年生はどういう、順番で出したいいかわからないだろうから、私が決めてやる」

 あゆ子は、竹刀で4人を、叩いて怒鳴った。

「ありがとうございますだろう」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 4人で、正座して頭を下げた。するとあろうことか、あゆ子は貴理子のところへ行って話している。これでは、対戦相手も、3年生によって決められてしまう。

 そして、試合が、始まった。まずは、さく子で、次が樹音だ。そして、2人とも負けてしまった。景子の出番になった時に、早代子の隣に、誰かが、座った。そっちを、見ようとした時に、後ろ髪を引っ張られた。

「おい、上田。つまらない、試合をしたら、後から、ボコボコにしてやるからな」

「吉野先生。どうしてここに?」

「お前の試合を、観に来てやったんだ」

 そう言ったかと思ったら、立ち上がり、怒鳴り声を上げた。

「おい、西島。お前は、何を、見てるんだ。今のは、一本だろう」

「吉野先輩。部外者は、出て行ってください」

「私もこの学校の剣道部だったのは、知らないはずないよな。お前の先輩だったんだから。OBや、OGは自由に出入りしていいはずだったよな」

 西島は、借りてきた猫のように、大人しくなった。そればかりか、足が震えている。よほど、高校時代に酷い目に、あったんだろう。

「お前には、審判なんて、無理だ。代われ」

 吉野は、特に、誰かを贔屓することなどない。だから、審判には最適だった。お陰で、景子と早代子は勝った。特に、早代子は、貴理子に勝利する大金星だった。大喜びする、1年生にあゆ子は、言った。

「1年は、4人しかいないから、団体戦は負けだからな」

 さらに、吉野は早代子のところへ、きた。

「上田。お前は、私たちがあれだけ指導してやったんだ。校内で、勝ったぐらいで喜ぶな」

 校内試合が、終わって、居残り練習かと思っていると吉野が、西島に、言った。

「今日は、1年生はうちの道場で、反省会だから連れて帰るぞ」

「わかりました」

 西島は、力無く、返した。1年生は、言われた通り制服に着替えて吉野の車に乗った。上星の時と、同じで早代子は、サードシートに、乗せられた。

 どうせ、道場に連れて、行かれると、覚悟していたが意外な場所で車が停まった。そこは、ホルモン焼きの店だった。吉野は、早代子の後ろ髪を、引っ張る。

「早くしろ。入るぞ」

 店は、多くの人で、賑わっていた。店員さんが、奥の個室を案内した。予約席の札が、置かれていた。

「吉野先生。予約していたんですか?」

「お前みたいに、臭いやつがいると迷惑だからな」

「ありがとうございます」

「お前のためじゃない。お前が、迷惑をかけている人にご馳走しないと。本当は、焼肉にしたかったんだがうちの道場には、無料で来ている、厄介者が、2人もいるから経営を圧迫しているんだ」

「私も、特別門下生ですからね」

「お前は、自分が厄介者じゃないと、思っているのか?」

「私のどこが、厄介者ですか?」

「毎回送迎までさせるだろう」

「頼んだわけじゃないです。もう、1人は誰ですか?」

「お前と、同じ学校にいるヤンキーだ」

「朋子か」

 早代子は、思い出したようにスマホを取り出して朋子にLINEを送った。

『ありがとう』

 お腹が、満たされたところで、吉野がみんなを送った。早代子もこの日は、道場に連れて行かれなかった。吉野は、母校の剣道部が、心配だからちょくちょく、顔を出すと、言った。


 吉野は、毎日のように、剣道部にきた。そして、校内試合では、審判をした。すると、1年の女子は4人ながらも、団体戦で、勝つようにもなった。ポイント争いでも、景子と早代子は、レギュラー圏内に、入ってきた。ついに、吉野は2、3年生の不甲斐なさに、切れた。

「お前らは、本気で、練習してきたのか?うちの道場の落ちこぼれの上田にも、勝てないじゃないか」

 こんな、時にも、私の事はいじるんだ。

「西島。お前は、高校時代もそうだった。中学生の時に、実績を残したやつだけ可愛がりそうでない者は徹底的に痛めつける。自分は、優勝したことがあるとか、言って威張っていたが、聞いたこともない小さな大会だ。上田はうちの道場で、愛情を、持って育てた。苦労したがようやく、部に貢献できる、程度にはなったので自信を持って母校に、送り込んでやったんだ。たしかに、上田は中学生の時の実績などない。大会なんかに、出させていないからな。その上田がやってきた、稽古に、耐えられる、部員がどれだけいるか確認させてくれ。そして、上田のレベルが、低過ぎると判断したら鍛え直す」

 まずは、基準と言うことだろう。早代子が、吉野と稽古を始めた。いつものように、吉野の重くて早い技が早代子に、打ち込まれる。そして、何度も、倒され、壁にぶつけられる。それでも、早代子も吉野に打ち込んで行く。

あまりの激しさに、目を伏せている、部員もいた。時間の関係で、10分くらいだったが、部員に衝撃を与えた。

「次は、誰だ」

「私がやります。お願いします」

 立ち上がったのは、景子だった。景子は、積極的に打ち込もうとするがなかなか当たらない。何回も、倒されるが、早代子の時と違って、吉野は決して、防具のないところを、叩いたり足を払ったりはしない。

 次は、樹音とさく子が同時に、立候補した。そしてまず、樹音がかかって行き、さく子の順番になった。さく子も、同じように、倒されそうになり、足を捻りそうになった。その時に、早代子が、助けに入った。

「上田。どけ」

 早代子は、何回も、叩かれるが気にせずさく子を庇う。

「吉野先生。もう、無理です。やめてください」

 早代子は、さく子を、道場の隅に、連れて行った。

「さく子。大丈夫?」

「ありがとう。何があったのかよくわかってないけど」

「足は、痛くない?」

「大丈夫みたい」

 早代子は、念のため、さく子に肩を貸すようにして元の場所に移った。

「次は、誰だ?この部には、1年しかいないのか。おい、高泉。キャプテンならかかってこい」

「吉野先輩。やめてください。大事な、時期に怪我させるわけにはいきません」

「大丈夫だ。さっきみたいに、危なかったら、上田が止めに入る」

「私がやります」

 弱々しい声で、西島が言った。

「お前が?上田。お前は、信用されていないみたいだな。こんな、部はやめて道場だけにしたらどうだ」

 早代子は、念のためさく子の足をさすっていたが、手を止めてきっぱり、言った。

「私はこの部にいたいです」

 そして、再びさく子の足をさすろうとすると、さく子が小声で言った。

「ごめん。早代子。もう、大丈夫だよ。気持ちいいから、止められなかった。ありがとう」

 その時、早代子が、飛び出して行った。すると、早代子の上に、西島が倒れてきた。吉野は、早代子を叩く。

「お前はこんなやつでも、助けるのか?こいつは、高校の時にさっきみたいにして、気に入らない後輩を、怪我させていたんだぞ」

「それでも、西島先生は、私たちの大事な顧問です」

 早代子は、西島の下敷きになっているので、吉野からの攻撃から逃げられない。

「吉野先生。ごめんなさい。もう、許してください」

 吉野は、叩くのをやめた。そして、西島を力づくで、立たせる。

「吉野先生。もうやめてください」

「勘違いするな。こいつが、立たないと、お前が潰れてしまうだろ」

 早代子は、立ち上がり、西島に、近づく。すると、西島は泣いていた。早代子は、西島を女子更衣室まで連れて行った。


 その日の帰り、早代子は吉野に道場に連れて行かれようとしていた。おそらく、吉野は今日ぐらいでは暴れたりないのだろう。早代子はなんとなくそんな、気がしていた。だから、素直に、車に乗ろうとしているのに、後ろ髪は、引っ張られた。

 そこへ、西島がやってきた。もう、泣いてはいないが目に涙は溜まっていた。

「吉野先輩と、上田さん。先程はすみませんでした。2人と、少し話したいですがよろしいでしょうか?」

「今から、道場で、稽古なんだ。こいつがまだまだ、足りないって言うから」

「まだそんなに、元気なの?」

「私じゃなく、吉野先生です」

「まあ、お前が、飯を奢るというなら、聞いてやってもいい」

「わかりました。お願いします」

「どこでもいいが、個室があるところにしてくれ。上田みたいな、臭いのと一緒にいると恥ずかしい」

 西島は、早速どこかへ、電話した。そして、吉野に、店を教えた。

「おっ、焼肉か。でも、上田には、贅沢すぎる。お前は、カスと焦げだけにしろよ」

 吉野は、早代子を、車に、乗せた。2人しか、乗らない時まで、早代子はサードシートだ。どうせ、不満を言ったところで、聞こえないと、言われるだけなので、黙っていた。

 店に、入ると、西島は好きなものを、注文していいと、言った。

「そうか?なんだか、悪いな」

 そう、言いながら、吉野は高いものを、次々と注文する。

「上田さんも、何か頼んだら」

「こいつは、焼肉の匂いだけで、ご飯がいくらでも食べれるらしい」

「そんなこと、言ったことないです。そもそも、吉野先生と焼肉なんてしたことないです」

 どうせ、ホルモンの時のように、早代子の皿には、焼き過ぎたものや焦げたものを吉野が、入れるだろうからご飯だけ、注文した。

 案の定、早代子は、硬くなったり焦げたものをたくさん食べた。少し、落ち着くと西島が話し始めた。

「私は、剣道部の顧問には、向いてないですね。上田さんがこんなに、強いなんて、思わなかった」

「それは、仕方がない。私も、道場の上星先生が、逸材を入門させたと、喜んでいたから、期待していた。それがこいつ。上星先生がおかしくなったかと、思った。上田。お前も、聞いたことないだろうけど、絶対に調子に、乗るなよ。最初は、普通以下。簡単にやられて、すぐ倒れる。でも、必ず立ち上がった。それから、嫌だと言いながらも、たとえばぶっ倒れるまで、素振りをしろと、命じると、本当に、倒れるまで続ける。素直さと、根性は群を抜いていた。それと、ドMだ」

「違います。でも、私は、小学生の頃は、上星先生を怒らせるまで接点がなかったですし大会でもほとんど勝ったことがなかったですよ」

「上星先生は、お前を興味深く、みておられたよ。上星先生が、大事に育てた高坂の憧れだったからな。実は、お前が、怒らせたと、思っているあの時のことは、全部上星先生がわざとそうなるようにされた」

「そうだったんですね」

「そんなのはいいとして、正式に入門させて徹底的に鍛えた。まだ、全然足りないけどな」

「だけどいつも、私が相手した時に、全く攻撃してこなかったじゃない。やられっぱなしだったから、誰だって下手な子だと思うでしょ」

「いいだろ。これも、私たちが、鍛えた成果だ。先生と、呼ばれるような人がこいつをボコボコにしたいと思っている時は、大人しくやられるものだと、教え込んだ。楽しいだろ。こいつ、本当に無抵抗で打たせてくれる。そうか。西島にもそうしたんだな。合格だ」

「じゃあ、今度からは、抵抗します」

「そんなことしたらどうなるかわかるか?西島もこいつが、反抗するようなら、言ってくれ。鍛え直すから」

「でも、試合でそれが出たりしない?」

「わかりません。私はしばらく、試合から、遠ざかっています」

「それから、部活も、朝と放課後やって、道場にも、行って怪我とかは、大丈夫?」

「わかりません」

「怪我しないように、トレーニングさせている。だから、朝から晩までやっても怪我したことなんてないよな」

「どこか、痛めても大体のアスリートはそうだと、我慢してやらせるじゃないですか?」

「オリンピックで、メダルを獲った選手が実は骨折していましたとか、言っているのはかっこいいぞ」

「そうかもしれませんが、部活だけで勘弁してやってもらえませんか?」

「それは、私だけでは決められない」

 西島は、道場に行って上星と話したいと、言った。


 西島は、道場に来た。早代子はどんな、話になるか、知りたかったが吉野が稽古をするというので従うしかなかった。

 しかし、吉野は食べ過ぎて動けないと言って休憩していた。そこで、鈴田翔太とすることになった。鈴田は、優しく、丁寧に、教えるので子供たちには人気だが早代子に対してはまるで、恨みでもあるかのように厳しい。おそらく、上星や吉野に、言われていると思うが2人とは違い精神的に屈辱を与えられたりする。

 部活で、疲れているが、気合いを入れ直して鈴田にかかっていく。すると、意外にも早代子の技が、面白いように、決まった。そこで、安心したのが、悪かった。鈴田の反撃に、あう。押し倒され、鈴田が馬乗りになった。

「おい、立ってみろ」

 そう、言いながらパンチまで、繰り出す。これでは、立てるわけない。早代子は、目で助けてくださいと訴えると、強引に、立たされた。

「気持ち悪い、目をするな」

 と、蹴りも飛んで来た。一体なんの競技だ。なんて、思っている余裕はない。再び、鈴田に打ち込んで行くと後ろから、胴紐をつかまれた。足を、払われ倒された。今度は、うつ伏せ状態で鈴田が、乗ってきた。頭へのパンチが、終わったかと、思ったら、鈴田は、向きを変えて、籠手を、外して早代子のお尻を、叩き始めた。

「痛いです。やめてください」

 何回か、叫んでいると、吉野がやってきた。

「どうした。おっ、邪魔な、袴を脱がしてやろうか?女子高生の生尻だぞ。一応な」

「お願いします。許してください」

「こいつは、俺との時は、必ず抵抗する。大人しく、ボコボコにされたらいいのに」

 それは、事実だ。以前は、鈴田にも無抵抗でやられていたこともあるが、本当に身の危険を、感じた。もちろん最初は、本気でかかって、行っても、鈴田には全く敵わなかった。

 ところが、早代子の実力が、上がったのか、鈴田よりも技が当たるようになった。そうなると、鈴田の早代子に対する、態度が、変わった。本当に、生尻を曝け出されて、叩かれたこともある。真っ暗な、道場の倉庫に、閉じ込められたこともある。

 こんな時に、上星は流石にやりすぎだと、助けてくれる。だから、怖くても信頼している。一方で、本当は同じ女性として、吉野に、性的な行為は止めてほしいのだが、早代子が、ドMだから喜んでいると、信じている。でも早代子は、部に、乗り込んでくれたように、吉野の優しさは、知っている。だが、鈴田だけは怖さしか、感じたことがない。

「おい、上田。今日はどんな罰がいい?特別に、お前に決めさせてやる」

「鈴田先生。今から、私が稽古をつけてやるから、今日はこの程度にしてくれ」

 早代子は、喜んだ。もちろん、顔には出さない。

「よろしくお願いします」

 できるだけ、クールに言った。そして、吉野と向かい合うとわかっているよな。たくさん、叩かせろという圧を感じた。

 早代子は、吉野からの攻撃を受け続けた。しばらくして、上星が立っているのに気づいた。そして、少し離れて西島もいた。おそらく、話し合いが終わったのだろう。上星が、後ろから早代子を引っ張って、稽古を、止めた。いつもそうだけど、止めるのは、私じゃなく打ち込んでくる、吉野の方だろう。

「おい。お前はしばらく、西島先生に、預かってもらう。きちんとあいさつしろ」

 上星は、早代子を西島の前に、正座させた。あいさつとか、今でも剣道部の一員なのに。

「よろしくお願いします」

「それだけか?お前は、失礼なやつだな。西島先生に、忠誠を誓うんだ」

 早代子は、上星が、言ったことを、言わされた。要するに、西島に言われたことには、素直に従わなければならないってことだ。

 そして、全部言い終わって、上星を見た。道場には、西島の許可がないと来れなくなるためだ。

「しばらく、お前と顔を合わせることもなくなる。でも、お前のことだから西島先生の手を焼かせて、俺のところへ、返されるだろうけどな」

 早代子は、道場には辛くて、苦しい思い出しかないのに涙が溢れてきた。

「上星先生」

 早代子は、上星に抱きつこうとしたがこんな時にも冷たい。

「臭いから、近寄るな」

 と、言って、突き飛ばされた。それならと、吉野に相手を変えたがビンタを食らった。

「私は、OGだからいつでも、部活に、行けるんだ。気持ち悪い事をしようとするな」

 早代子は、西島を見送ると上星に、稽古を、お願いした。早代子は、今日はぶっ倒れるまで、続けたかったが上星から、叩かれたり、貶されたりすると、涙が出るため、1時間もしないうちに、上星がやめてしまった。


 翌朝の朝練は、西島に、言われたとおりいつもより、早く行った。景子に、LINEで、伝えたところ一緒に行くと言った。部室に、2人で入ると、西島はもう来ていた。

「私は、外に出ていましょうか?」

「いてもいいわ。上田さんは、早く着替えて」

 そう、言って早代子の道着と、防具を出した。

「樹音や、さく子も返してもらえるんですか?」

「あの子たちはまだ。山田さんが、認めてないの」

「じゃあ、私もこれは、使えません」

「そう。それなら、早く着替えて。私が、稽古の相手をしてあげる」

「はい。よろしくお願いします」

 早代子は、急いで準備をして剣道場に、出た。西島は、すでに準備万端だった。そして、早代子が構えるとすぐに、罵声を浴びせながら、攻めてきた。

 みんなが、来るまでそれは、続いた。そして、朝練が始まるがその前にあゆ子が話があると早代子は部室に連れて、行かれた。

「おい。お前は、せっかく私が防具を返してやると言ったのに断ったらしいな。それなら、私がこの学校にいる間はその臭い、防具でやることになるが、文句ないな」

「はい」

「それから、お前は自分が強いから選手になれると思っているようだがそう簡単にはいかないのはわかっているのか?」

「私は、大会で何も実績がありません。選手に、選んでいただければ光栄ですがそうならなかったとしてもそれが今の私の実力だから、仕方ないと思います」

「本当にそうなのか?じゃあ、選ばれなくても、恨んだり部活を怠けたりするなよ」

「そんなことはしません。実力がないなら、一層稽古に、励まないといけません。でも、景子は私が知っている限り、練習を怠けたことなんてありません。それに、実績もあります。景子だけは、出してもらえませんか?」

「選手を、私だけで選べるわけないだろ」

 あゆ子は、早く朝練に参加しろと竹刀で、叩いた。道場に、戻ると西島にも叩かれた。

「みんなが、待っているのに何をやっていたの。早くしなさい」

 西島は、早代子には、今までより厳しくなった。上星に、言わされたんだろうと、思うと胸が熱くなった。


 昼休みに、朋子に昨日からのことを、話した。朋子は、笑った。

「上星先生が、早代子を見捨てたりするわけない。悔しいけど、先生は、早代子が大好きなんだよ」

「そんなわけないよ。私は、上星先生に貶されてばかりだよ」

「誰だってそうでしょ。私ははっきり、言われた。早代子が、入門するまではお前が一番自慢の弟子だったって。悔しいけど、早代子と比べられると、仕方ない」

「本当にそうなら、今まで通り道場に、行ってもいいはずだよ」

「上星先生は、早代子が、迷わないようにそうしたんじゃないかな。西島先生だけに、従いなさいと言うことじゃないかな」

「でも、不安なんだよね。今まで、上星先生に指導してもらっていたのに。それに、私は勝ったことなんてほとんどない」

「その辺も、上星先生はある程度の自信があるんじゃないかな」

 早代子は、納得できないが朋子は喜んでいた。早代子の成長と、道場に好きな時間に行けることを。そして、タイミングが、合えば朋子の家に泊まりに行くことになった。

 その時に、以前から早代子が聞きたがっていたことも話すかもしれないと、言った。その日程を、調整してみるが、2人の都合が、合わずインターハイ予選の予選が近づいていた。早代子は、団体戦の選手に、選ばれた。しかし、景子は補欠だった。

 早代子は、複雑な気持ちだったが、西島が強く推したようなので期待に応えなければならない。不安で、上星に電話したが、甘ったれるなと一蹴された。先輩からは、足を引っ張ったら承知しないと言われるし、同級生からは期待された。救いは、仮に今回の大会の結果が、悪くても、次の予選には進めることだった。そして、団体戦に集中できるように、個人戦は、外してもらえたことだ。

 大会当日は、早代子だけでなく、樹音とさく子も久しぶりに、自分の道着と防具で挑む。樹音は、すごく喜んでいたが、実際に、防具をつけると不機嫌になった。

「なにこれ。気持ちが、悪い。だから、授業なんかで、使って欲しくないのに」

 早代子も、つけてみて、湿っているのを、感じた。そういえば、早代子のクラスも、昨日の授業で剣道をやっていた。

 早代子は、自分のクラスでは樹音とさく子のは使わせないようにしていたがほかのクラスの場合にはどうしようもない。さく子も、文句を言い出した。

「すごい、匂いになっている。いくらなんでも、酷すぎる」

「私はもうどうなっても、構わない。みんなで、西島先生に抗議しようよ」

 さく子は、樹音に同意した。早代子は、景子と、止めた。

「今日は、試合なんだよ。お願いだからやめようよ」

「試合で、結果を出そう。そうすれば、先生や先輩も、少しは考えてくれるよ」

「景子はそうできるからいいけど、私たちには、難しい。それに、朝練と居残りだって、今日まで続いたんだよ。早代子なんて、一番の被害者でしょ?毎日西島先生や、先輩にも、憂さ晴らしに使われて。その上に、校内大会で一番ポイントを、挙げたのに個人戦は、出さないなんて」

「私は、団体戦に、出させてもらえるだけで、光栄だし嬉しい。だから、今はやめようよ」

 その時に、あゆ子が、4人の前に現れた。

「おい、北原。お前は、マネージャーの仕事があるのに、何をチンタラやっているんだ」

 あゆ子は、さく子を4、5発叩いた。そしてなぜか、早代子も、2発叩かれた。

「上田は、今日は、出番がないから、先輩の練習台だろ。それと、北原のサポートだ」

 この日は、個人戦だけが、行われた。そして、貴理子が、優勝したが、決勝戦で腕を、負傷した。しかし、貴理子はそれを、隠していたが早代子は、気づいた。

 ちなみに、1年生では景子がベスト4に、入った。樹音と、さく子は3回戦で敗れたが検討したと思う。


 翌日は、団体戦だった。その朝に、西島は今まで明かしていなかった団体戦の順番を発表した。一番勝敗を、左右する、場面で、回ってくる、大将に、早代子を指名した。

「西島先生。私が、大将なんていけません。やっぱり、高泉先輩にするべきです」

「うちは、強豪校よ。小細工はせずに、一番強い者を、大将に据える。それに、安心しなさい。先鋒の高泉から、4人の3年生が、3勝するわ。だから、上田さんの出番はないかもね」

「それなら、尚更大将は、高泉先輩にしてください」

「あのね。私は、随分前から、決めていたの。誰が、何を言っても変えません」

 早代子は、貴理子が、怪我をしていると、言いたかった。しかし、本人が隠している。何も、影響がない事を祈るしかなかった。

 先輩達は、早代子に、聞こえるように陰口を言っていた。一方で、同級生は早代子が認められたことを喜んでいた。早代子はどうすべきか、考えていると貴理子と目が合った。すると、不機嫌そうに早代子に近づいてきた。

「あなた、私を憐れんでいるの?それとも、私より強いと思って、自惚れているの。今回はたまたま、先生からの評価がそうだったかもしれないけど、次の大会では、絶対に奪ってみせる。あなたなんて、必要ないことを、証明してみせる」

「私は、先輩が、心配なんです」

 早代子の視界から、貴理子が、一瞬で消えた。頬が、痛いのでビンタをされたとわかった。先輩達が、喜んでいるのが、見えた。

「私はあなたなんかに、心配されることなんてない」

 早代子は、困ってしまった。誰かに、教えないと大変なことになるかも。ただ、伝える相手は間違えるわけにいかない。

 早代子は、あゆ子に伝えることにした。もちろん、信じてもらえないだろう。何発か、叩かれるだろう。それでも、同級生で、マネージャーなら知っていてほしい。早代子は、勇気を出してあゆ子に言った。あゆ子は、当然機嫌が、悪くなって、早代子を竹刀で叩いた。

「高泉先輩は、多分怪我しています。左腕です。見てあげていただけませんか?」

「貴理子は、何も言っていないぞ。お前は、貴理子が、怪我していたら中戸も団体戦に、出れると思っているんだな。そうは、行くか」

 案の定、信じてもらえず、嘘つきと言われて何度も叩かれた。試合会場でも、早代子は常に貴理子を観察していた。着替えの時も、防具をつけるにも、痛みを堪えているのがわかった。しかし、貴理子は口にも表情にも出さなかった。

 ついに、試合が始まった。早代子たちの学校は、初戦から苦戦を強いられた。貴理子が、負けたため他の3年生に、プレッシャーがかかり、大将勝負になった。先輩達は、絶望したような顔をしていた。早代子が、勝利を収めると、奇跡のように言っていた。奇しくも、2回戦も、同じ展開だった。この時に、昼食を済ませることになり、早代子は、あゆ子に貴理子の防具を、外したりするのも、手伝ってほしいと、頼んだ。

 あゆ子は、2回連続で負けたことで、貴理子が普通の状態じゃないことを、信じたようだった。2人で、みんなから、少し離れたところに、座っていた。そして、昼食を食べ終えると左肘あたりを、治療した。それを、眺めていた、早代子の目の前に上星が、飛び込んできた。

「あれが、アスリートだ。お前みたいに、痛いから、休むとか言わない」

「私だって、休むとか言いませんでした。どうせ、休ませてもらえなかったから」

「毎試合美味しいところを、持って行けて、よかったな」

「嫌ですよ。私まで、回ってくることはないと、思っていたのに」

「西島先生に、恥をかかせるなよ。じゃあな」

「もう、帰るんですか?」

「お前が、俺がいたら必ず、勝つと言うなら残ってやってもいい」

「保証できません」

 それを、聞くと上星はどこかへ、行った。どうするかはわからなかった。みんなが、食事を終えて次の試合になるが、貴理子から、怪我をしているとの報告はなかった。

 それからの試合も、早代子が勝ちを決めた。そして、優勝した。みんなで、喜べればよかったが流石に全敗した貴理子の異変で、複雑だった。学校に、戻ってから、西島は、みんなの前で、呆れたように言った。

「高泉さん。あなたも、選手選考には、関わっていたよね?どうして、信頼して、交代を申し出るとか、できなかったの。それに、誰も異変に、気づかなかった」

「すみません。私は、昨日の段階で、怪我をされたと、気付きましたが黙っていました」

 早代子が、俯きながら、話した。すると、あゆ子が口を、開いた。

「上田は、悪くないです。私は、今朝それを、聞いた。でも、嘘つきだと、叩いた。おそらく、相当な勇気を持って、私に言ったと、思う。私は、貴理子が連敗するまで、疑っていた。それに、昨日貴理子が、倒れる前に上田が立ち上がった。私は、座って、観ていろと、怒鳴ってしまった」

「2人とも、正直に、言ってくれてありがとう。私も、気づいた時に、今朝上田さんが言ったことをよく考えるべきだった。同級生しか、味方がいないからあんな、言い方しか、出来なかったんだよね?」

 早代子は、黙って唇を、噛んでいた。

「うちの部は、伝統的に上下関係に、厳しい。でも、今日の試合での2、3年生の態度はそれとは違う。1年生の大将が、チームの勝利のため、先輩の取りこぼしを、埋めようとしているのに、負けが決まったような顔して、応援もしない。気持ちはわからなくもない。でももし、上田さんが負けてたら嬉しかった?」

「先生。今日は、私が悪いんです。ご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。それで、今後の部の方針などでお話ししたいので、みんなは帰していただけませんか?」

 西島は、みんなに、帰るように言った。そして、3年生から、順番に帰っていく。2年生に、続いて帰ろうとすると、あゆ子が、言った。

「1年は、居残り練習の時間だろ」

 4人は、再び並んで正座した。


 2年生全員が、帰るまで道場には、沈黙が流れた。時間にしたら、5分ぐらいだろうか。それでも、何倍も長く感じた。

 4人は、着替えるというとそれも止められた。これは、何か説教されると思った。何も、悪いことをした覚えはない。隣にいる、さく子の表情も怯えていた。ようやく、貴理子が話し出した。

「先生。うちの部は、伝統的に1年生は奴隷みたいな、扱いを、受けてきました。私だってそうでした。そして、4月に、1年生が入部してきた。私も、自分がされたようにやらせてもらった。もしかしたらそれ以上のことをしたかもしれない。今回の団体戦で、上田さんを、大将に推したのもその一貫のつもりでした。私も、新チームになってからとはいえ、1年生で大将にされました。負ければ、責任を1人で背負わされるのに勝っても、当たり前で済まされました。その苦しみを、上田さんに味わってほしかった。でも、上田さんは完璧でした。同時に、同じ3年生の不甲斐なさに、腹が立ちました。負けても、笑っている。それは、チームが負けても最後は、大将だけが、責められるのを、知っているから」

 そこまで、話すと、貴理子は涙が出て、話せなくなった。あゆ子は、続きは自分が話すと言った。

「実は、今の3年生は、貴理子以外は全員が、同じ中学校の出身だったんです。だから、何かあれば、結託して貴理子だけに、責任を押し付けていました。実際に、貴理子だけ先輩から罰を受けていたこともあります。ちなみに私が、マネージャーになったのにはあいつらのやり方に、愛想を尽かしたからです。それで、長くなりましたが、3年生に、今1年生がやっている朝練や居残りをやらせてやってください」

 4人が、顔を見合わせた。

「1年生はどうするの?」

 貴理子が、あゆ子を制して、言った。

「今年の1年生は、逸材です。真面目で、強い。そして、結束力もあります。防具も、返してやって朝練と居残りもやめさせます。おそらく、大事に、育てればこの代がいる時に、夢の全国大会出場もできます」

「向井と、北原はそんな、レベルじゃないし、上田と中戸も怠けたらただじゃおかない」

「たしかに、私も3年生の今日の結果と、態度には、腹が立っている。でも、あなたたちは、同級生に対してそんなに、厳しくできるの?」

「やります。そうでもしないと、おそらく私は次の大会には出場できません。だから、全国大会に出られるとすれば、団体戦しかありません。そのためには、上田と中戸ともう1人は勝ちを計算できる人が、必要です。もちろん向井や、北原でも良いですが、時間が足りません」

「私も、ビシバシやってやります」

「わかった。じゃあその方針でやろう」

 その後に、貴理子とあゆ子は1年生に、謝罪とお礼を言った。


 翌日の部室には、西島と貴理子とあゆ子が、椅子に座っていた。その前には、昨日の朝まで1年生が使っていた防具が、並んでいた。

「1年生は、早く来て感心だ。それにしても、3年は遅いな」

 早代子は、恐る恐る聞いた。

「本当に、自分の道着と、防具を、使ってもいいですか?」

「これに、愛着が湧いてきたかもしれないけど、今日から3年が、使う。それに、残念ながら伝統の防具はこれ以上はない」

 4人は、急いで着替え道場に行こうとすると入れ替わりで2年生が入ってきた。それまで、楽しそうに話していたのに、部室の異様な、雰囲気に一瞬で静かになった。早代子たちの防具も、不思議そうに、眺めるだけだった。早代子たちは、今日の練習の開始は、遅くなりそうだったので、先に少しずつ、始めていた。

 2年生は、声をかけたが、暑いからそんなに、早く始めたくないと、雑談をしていた。部室から、時々大きな声や、音が聞こえた。そして、全員が道場に姿を見せたのは、1年生が基本練習を、一通り終えたところだった。早代子たちは、慌てて、西島の前に、整列した。

「今日から、学年は関係ない。真面目に、練習していなければ、容赦しない。2年生は、今まで何をしていた」

 誰も、何も、答えない。

「一つ、付け加えると、高泉さんは、次の大会に出られません。これは、本当に危機的状況です。みんなが、真剣に、練習しないと、全国大会なんて、無理です」

 早代子は、貴理子を、全国大会につれていかなければと、決意を新たにした。3年生も、今までと違って気合いが、入っている。もちろん、少しでも手を抜こうとすれば竹刀で、叩かれるせいもある。それまでも、見かける光景だったが、強さと、回数がそれまでとは、比べ物にならなかった。

 3年生からは、日に日に、不満の声が大きくなったが、西島たちが、一蹴した。そのため、貴理子とあゆ子とほかの3年生の間に、溝ができていった。そしてその矛先が、向けられたのは、早代子だった。毎日のように、3年生が、早代子に試合を、挑む。勝てれば、今の苦しい状況を、抜け出し次の大会の選手の座も、近づくが全く、勝てないのだ。

 もちろん、早代子も、負けたら酷い目に遭う。しかし、最近は2年生から嫌がらせを受けるようになった。おそらく、3年生からの指示だと思う。早代子はこのところ、下着が毎日なくなりついに普段からノーパンノーブラで過ごす、羽目になった。こんなことを、警察官の父に話したら、大ごとになりかねない。早代子は、西島たちにお願いした。

「私はどんな、罰でも受けます。だから、負けさせてください」

 西島たちが、早代子に理由を問い詰めた。そして、3年生から、1人ずつ部室に呼ばれた。それは、持ち物検査も、兼ねていた。

 最後に、早代子が、呼び出され下着やスカートを返された。そして、西島たちは香水などが入った袋を持っていた。そこには、2年生の福山祐美と、上藤愛美が正座していた。2人は、副キャプテンの三田すずかたちの中学校の出身だ。

「上田さん。この人達のロッカーから見つかった。どうする?あなたが、望む罰を受けてもらおうと思う」

「私はこれらが、返って来ればそれで良いです。それに、先輩達の気持ちもわかります」

「あなたたち、よかったね。上田さんが、優しくて。でも、私たちは許さない」

 貴理子と、あゆ子が、古くて、汚れた防具を、持ってきた。

「あなたたちのために、男子から、借りてあげた。今日からこれを、使わせてあげるから感謝しなさい。それから3年生と、一緒に朝練と、居残りもやらせてあげる」

 2人は、拒否していたが、3人から無理矢理その防具を、付けさせられた。さらに、2、3年生のロッカーの鍵は、外されて、1年生に渡された。早代子は、安心して稽古に、挑んだ。そして、3年生との対戦でも、全勝を続けた。


 そんなある日、高本が久しぶりに早代子に絡んできた。

「おい、上田。お前ヤバくない?自分が、使っていた防具を、先輩に使わせて。男子の先輩も、怒っているぞ」

「私がそうさせたんじゃない」

「まあ、さく子が自分の防具を、使えるようになったのはよかった。それと、男子部室からあの汚ない防具が消えたのも。でもあれは、君が使うべきだ。一番後から、入部してしかも、中学校では、部に入っていない初心者なんだろ」

「たしかに、部活ではやっていない。でも、道場に通っていた」

「道場なんて、趣味の領域じゃないか」

 どこに、いたのか、朋子がやって来て、言った。

「そんな、道場もあるかもしれないけど、私たちが、行っているところはそんな生やさしいところじゃない。あんたも、知っているでしょ?男子部の顧問の吉野先生の娘さん」

「もちろん、知っている。部活に、来て上田をボコボコにした人だ」

「あんた、バカじゃない?早代子が、本気ならそんなにやられるわけない。あんたは、本気でかかって行ってもボコボコになるだろうけど」

「それじゃまるで、俺が上田より、弱いみたいじゃないか?」

「当たり前でしょ」

「そんなわけないだろう。女が、男に勝てるわけないだろう」

「早代子。男子には、勝ってないの?」

「何回か」

「そんなの本気なわけないだろう。ちょっと、油断したんだろう」

「それなら、私とやってみようよ。今日の部活が、終わったらうちの道場で、待ってる」

「おいおい。剣道は、喧嘩じゃない。ルールも、知らない、ヤンキーなんかとできるか」

「朋子は、強いよ。景子のライバルだったから」

「俺は、今日も、部活がある」

「私も、卓球部の練習があるから、条件的には同じでしょ」

「卓球部なんかと、一緒にするな。剣道部は、インターハイを、目指して毎日遅くまで練習しているんだ」

「男子もそうなの?いつも、女子より、早く帰っているのに」

「卓球部が、帰るよりも、男子剣道部は、早いよね」

「短時間で、充実した稽古をするからだよ。それに、終わってからも部室の片付けとかあるんだ」

「それは、私たちがやっているでしょ?その辺に、道着や、袴を脱ぎ散らかしてあるのを誰がハンガーに、かけているかわかっている」

「さく子がやってくれてる。上田と、違ってあいつは優しいからな」

「男子剣道部って、最低だね。そんなことを、女子にやらせているの?卓球部の男子は、自分たちで綺麗にしているよ」

「卓球部みたいな、ヤンキーの集まった部室が綺麗なわけないだろう」

「見た目だけで、判断しないで。みんな、怒らせなかったらいい人ばかりだよ。そんなことより、今日の部活が終わる頃に、武道場まで、迎えに行ってあげる」

 高本は、文句を言っていたが、結局朋子に押し切られた。そして、早代子にも部活終了後に道場に来るように言った。早代子は、西島に道場に行く、許可を得た。


 その日の夕方、武道場にヤンキーが、集まっていた。それをみて、剣道部だけでなく柔道部までざわざわしていた。しかし、女子剣道部は、練習中の私語は、厳禁なので、気づいていない者もいたはずだ。しかし、貴理子とあゆ子が、1人ずつ、聞いたので、何かあったことはわかったと、思う。

「お前が、何かやったのか?」

 2人から、尋ねられたら早代子以外は、相当怖かったと想像できる。早代子も、朋子の姿を確認していなければ安心出来なかった。

 それにしても、2人は、女子剣道部員が関わっていたとしたらどうするつもりだったのだろう。そんなことを、考えながらも、稽古に、集中していた。そして、1年生の練習が終わると早代子は急いで道場に向かった。久しぶりに、訪れた道場は、懐かしいように、思った。

 しかし、今日は明らかに、雰囲気が違う。道場からは、笑い声が聞こえた。しかも、軽いコンコンという音が聞こえた。剣道場の扉を、開けると、朋子と高本だけでなく、上星と吉野も加わって、卓球をしていた。しかも、剣道着で。

「おっ。やっと、来たか。お前もやるか?」

「ダメ。今日は、卓球しに、来たんじゃない。早代子。あと、4点で勝てるから少し待って」

「こっちもあと、5点で勝てるぞ」

「どういう、計算しているの?5点差が、付いているでしょ。ここからは、本気出すから」

 朋子は、言葉通り、スマッシュを4本連続で、決めた。それは、見たことない、速さだった。

「やった。全勝だ」

 朋子は、早代子に、ヴィサインをしてすぐに卓球台を片付け始めた。早代子もそれを、手伝う。

「あのね、朋子。今日のは、何だったの?ちょっとした、騒ぎになってた」

「ごめん。私が、剣道部に用事があるって、言ったら1人じゃ、心配だと言って、大勢がついてくるから」

「俺なんて、心臓が、止まるかと、思った。しかもここまでずっと、ついてくるし」

「よかったじゃない。安全にここまで、たどり着けた」

「明日以降が、心配だ。お前が、デートだなんて、言うから」

「そうでも、言わないとずっと、ついてくるから。大丈夫だよ。明日には、私のタイプじゃなかったって伝えとくから。あんたが、私を好きじゃないなら」

「俺が、お前なんか、好きになるわけないだろう」

「もったいない。朋子は、可愛いし優しいし頭も良くて、スポーツも出来るよ」

「そもそも、俺が、好きだと、言ったら付き合うのかよ」

「付き合ってもいいけど、忙しいからなかなか、デートの時間は、取れないからやめた方がいい」

「それなら、言うな」

 卓球台などは、倉庫にしまった。ここにそんなものがあるのを、早代子は初めて知った。そして、朋子は嬉しそうに、言った。

「さて。始めよう」

 朋子は、防具をつけた。高本もそれを見て、渋々防具をつけ始めた。

「上田。お前も、着替えてこい」

 上星の言葉に、朋子が反応した。

「今日は、早代子は、見届けるだけです」

 たしかに、制服姿でここにいるのは、居心地悪いが、隅に正座した。2人は、基本打ちを少しした。朋子の剣道をじっくり観るのは、小学生の時以来だろうか。

 いよいよ、2人の試合が、始まった。朋子は、相変わらず速くて鋭い攻めで高本を寄せ付けなかった。高本は、何回も、挑戦した。しかし、何本か取るものの、勝てなかった。

「私に、1回も勝てないようじゃ、早代子には1本も、取れないよ。でもありがとう。久しぶりに、試合して楽しかった」

「本当に、上田はそんなに強いのか?」

 早代子の聞きたいことを、高本が言った。私は、朋子と試合どころか打ち合ったこともない。その朋子の返事をドキドキしながら、待っていた。

「当たり前でしょ。あんたは、さく子だけを、見ていただろうけど早代子に目を向けたらどれだけ強いかわかるはずだよ。私たちは、中学校で剣道部には、入っていなかったけど、それ以上にここで練習してきたんだ」

 高本は、何も言わずに、聞いていた。早代子は、朋子がどうしてそんなことを、知っているのか不思議だった。朋子はさらに、続けた。

「あんたは、私に剣道も卓球も、負けたんだ。だから、今後私の憧れの早代子を、虐めたりバカにしたら許さないから」

「それは、仕方ないよな。こいつは、いじめて欲しそうな顔してるからな。俺だって、本当は優しく教えてやろうと、思っていたんだがつい、厳しくなってしまった」

 上星が、笑いながら言った。絶対に、嘘だと思った。高本は、聞いていたか知らないが重い口を開いた。

「ごめん。まさか、君たちがそんなに、強いとは思わなかった。それに、男子剣道部では女子はどんなに頑張っても、男子に、勝てるわけないという、雰囲気だったから」

「わかったならいいよ。じゃあ、帰ろうか?」

 朋子はそう、言って更衣室に、向かおうとした時に、上星が言った。

「よし。俺が、送ってやろう。ただし、上田はまだだ。まさかここに、来ておきながら稽古もせずに帰るつもりじゃないよな」

 もちろん、早代子に断ることは許されなかった。仕方なく、更衣室で着替え朋子に別れを言った。翌日から、高本は、早代子に、話す時の口調が柔らかくなった。それと、部活後の男子部室に、ハンガーにかけられた、剣道着が、1組あった。


 早代子のクラスに、祝インターハイ出場との紙が貼られた。その下には、早代子と朋子の名前があった。クラスのほとんどが、祝福と激励の言葉をくれた。高本も、照れ臭そうに、言った。

「2人ともおめでとう。まさかここまでやるとは、思わなかった」

「私は、大会当日に言ってもらったから、朋子に言ってよ。それに、私は団体戦だからみんなのおかげだし」

「でも、男子が初戦で負けて女子の応援することになったんだけど、俺はさく子が出てないのにどうしてそんなことしなくちゃいけないのかと、思っていたんだ。それなのに、上田が、負けそうなピンチを何回も救ったのにはマジで、感動した」

「あんた、私が言ったことを信じていなかったんだ」

「上田は、個人戦に出させてもらえないのにあんなに、活躍するなんておかしいだろ」

「それには、理由があるんだよね。ね、早代子」

「そうなの?私は、知らない。団体戦に、集中できるように、配慮してもらったと思っていた」

「ごめん。知らなかったんだ。じゃあそう言う事だね」

「それより、朋子の方がすごいよ。シングルスだもん」

「そうだな。俺も、卓球やろうかな。インターハイ出場選手を、あと一歩まで追い詰めたし」

「私は、スマッシュもサーブのカットも、封印していたでしょ。それでも、圧勝したんだから、変なこと言わないで」

「でも、ダブルスではいい勝負だっただろ」

「上星先生と、吉野先生が上手いからでしょ」

「高坂と、組んで、2人にも勝ったじゃないか。もし、ミックスダブルスのペアがいなかったら俺がなろうか?」

「お断りよ。そんなのやる機会は、今のところないし」

「そんなに、即答して大丈夫か?後悔しても、知らないぞ。まさか、俺が振ったのを怒っているのか」

「そうだよ」

 授業開始のチャイムが、鳴ったので話は打ち切った。早代子は、最後のところの2人のやりとりが妙に引っかかった。

 まさか、2人は付き合っているんじゃないか?この前、朋子は告白っぽいことを言った。高本は、断ったがそのあとの卓球とか、楽しそうだった。その後も、2人で話しているところも、何度も見た。そしてさっきの会話。もしかしたら、2人にとって、私は邪魔者じゃないかと、考えた。

 朋子は、私の事を、高く評価しているが、実際はどこを、比べても、私の方が劣っている。朋子は、学校からも期待されているし、同級生だけでなく、先輩からもそれも、男女問わず、人望がある。特に、聞いたことはないがモテると思う。そして、自分からもあんなに、簡単に告白もできる。まあ、女子剣道部は、恋愛禁止になっているのでそんなことをしたらどうなるかわからないが。

 昼休みに朋子が聞いてきたことで解決した。

「ねえ、早代子。最近私を、微妙に避けてない?特に、高本と話している時に」

 すると、和佳子が、素早く、反応した。

「朋子って、告白して、フラれたって、言っていたよね?でも、噂では相当仲良さそうだし付き合っているんじゃないかって、聞いたよ」

「やだ。フラれて、傷ついたんだから、思い出させないでよ。それでも、恨んだり憎んだりするのは違うでしょ。だから、普通に話すよ」

「はっきり言って、高本なんかのどこが、よかったの?それに、朋子の場合は自分から告白しなくても男の方からたくさん、告白されるでしょ」

「そんなのされたことない。高本はなんとなく、気になったから。まあ、私みたいな女じゃ誰も選んでくれないってことだよ」

「高本がおかしいだけだって。朋子に、告白されて断るやつなんてそうはいない」

「私もそう、思う」

「やった。早代子に、言ってもらったら自信が持てる」

 どうやら、高本と朋子は、付き合ってはなさそうだと、確信した。


 女子剣道部は、インターハイ出場が、決定してからは全員が、朝練をするようになった。そして、全員が自分の防具などを、使うことを、許された。

 貴理子の怪我も、完治して、ベストメンバーで、挑めそうだ。しかし、全国のレベルは高く組まれた近県との練習試合ではなかなか、勝てなかった。早代子はそれでも、一番勝っていたが、逆に早代子が負けを決めてしまった試合もあった。

 しかし、以前のように、1人だけに敗戦の責任を負わされることもなくみんなが声援をくれた。それでも、責任は、感じるので、謝罪はする。

「上田さんで、負けたら、仕方ない。ここまで、これたのは上田さんのお陰だから」

 と、吉野や貴理子も、寛容だった。そして、1学期の終業式を、迎えた。夏休みに、入ると女子剣道部は合宿になって、インターハイまで、剣道漬けの生活になるため、今日だけ、完全休養となった。

 朋子は、以前から約束していた、早代子が泊まりに行く日を、この日に設定した。卓球部は、朋子を優遇しているため、朋子が、休みたいといえばそうなる。ただし、朋子は滅多にそんなことを、言わないため久しぶりの休みで、みんなが、喜んでいた。

 しかし、人気者の朋子には、取り巻きが多すぎる。学校から、歩いて帰るのにもどんどん人が増えていく。この状況をどうするかと、思っていたら、道場の方へ向かった。

「今日は、早代子と道場に、行くことになっていたからここで、お別れしよう」

 ほかの人が、口々に不満を、言った。早代子は、今日はそんなはずじゃなかったので、焦った。西島の許可も、もらっていない。

 しかしそれは、嘘だった。道場の前で、みんなに手を振って集団の最後が通り過ぎるのを見届けると上星が車で現れた。そして、朋子はそれに、乗った。早代子はどこに、連れて行かれるか不安だったので躊躇っていたが朋子に、車内に、引っ張られた。

「念の為に、少し隠れていて」

 早代子は、朋子に言われたように、顔を膝の前あたりにした。朋子も、同じ姿勢になると上星が言った。

「上田は、稽古したいんじゃないか?」

「上星先生。今日はごめんなさい。車を、出してください」

 朋子が、早代子に、代わって答えた。すると、車が発車しいくつか、右左折したあたりで上星が言った。

「もう、大丈夫だろ」

 それを、聞くと朋子は、顔を上げたので早代子もそうした。どうして、隠れる必要があるのかわからなかった。

それから、みんなが無言で、車は早代子の見慣れない場所を走った。

 車に、乗ってから、1時間近く、たった頃壁に囲まれたところで降ろされた。上星に、お礼を言って別れると朋子が、扉を、開けた。中に、入って、1メートルくらい歩くと木々に隠れていた、建物が、見えた。どうやら、家のようだ。

「すごい。豪邸ってやつだね」

「ありがとう。両親が、聞いたら、喜ぶよ」

 朋子が、玄関を、開けると、1人の女性がいた。平原真子という、家政婦らしい。早代子が、挨拶すると真子は機嫌悪そうに、朋子に、言った。

「お嬢様。家には、誰も連れてきてはいけません」

「ちゃんと、両親には、言ってある」

 朋子は、上がって、早代子にも、上がるように、勧めた。2階に、行って好きに使っていいと言われた部屋に荷物を、置いた。

 言われたようにそこで、寛ごうとするが広すぎて落ち着かない。ソファに、座って部屋をキョロキョロ見回していると、朋子がドアを開けた。お茶にしようと、キッチンに連れて、行かれた。そこもとても、広くてテーブルも大きい。

 そこに、沢山のお菓子やケーキが並んでいた。早代子は、朋子に聞きたいことが増えすぎて口数が減っていた。

とりあえず、座ると真子が入ってきた。

「お嬢様。それは、私たちのおやつです」

「うるさいな。あんたたち、私のおやつ代も、使っているでしょ?知ってるんだから。何年も、私のを買ってきたことないよね」

「申し訳ありません。お嬢様は、お召し上がりになりませんので。お父様や、お母様にはどうか内密にしてください」

「言わないよ。だから、今日くらい黙っていて」

 真子は、黙って、部屋を、出た。すると、朋子は、気を取り直したように笑顔になった。

「早代子も、気にせず、食べて。何個でも」

「そんなには、食べられない」

 お菓子を、少しだけ、食べて、飲み物を飲むと朋子は使ったグラスや皿などを食洗機に入れた。


 朋子は、何度も、恥ずかしいと、言いながら自分の部屋に早代子を通した。そこはまるで、映画に出てくるお姫様のようだった。

 ソファに、座って、置いてあるものをいろいろ見ていると朋子は最初は照れ笑いをしていたが急に真顔で語り始めた。

「私の両親は、俳優でお父さんは山木雅也。お母さんは、水谷ちさ子なの。絶対に、内緒にして。もちろん、SNSも、禁止ね」

 早代子は、衝撃を、受けた。2人とも、映画やテレビにもたくさん出ている有名人だ。

「私は、SNSは、見るだけで、発信はしていない。誰か、知ってる人はいるの?」

「学校と、道場の先生くらいかな。両親とも、世間では、好感度高いのに、子供を見捨てていることが、バレたら仕事もなくなるかもしれない」

「朋子は、捨てられたってこと?」

「正式には、違うけど同じようなこと。父は、子供は田舎で育てたいと言ってここに家を建てた。でも、仕事が忙しくなって、両親ともだんだん帰る頻度が、減っていった。それで、弟が小学校に上がるタイミングで、東京にマンションを買った。私はここが、気に入っていたから、行かないと、言った。そうしたら、私だけこの家に、置いていった。小学3年生の時だった。もちろん、両親とも捨てたとは、思っていない。できるだけ、帰っていると、言うでしょう。だけど、入学式や卒業式さえ、私の時にはきてくれなかった」

「そうなんだ。辛かったね」

 朋子は、早代子をまじまじと、見てからいった。

「早代子は、私より辛かったでしょ?もう、お母さんに、会えないんだから」

「朋子に、言ったことあったっけ?」

「直接聞いてはないかも。でも、早代子のことはいろんな、ツテを使って情報を入れてたから」

「景子?」

「それも、大いにある。私は、景子を知らなければ早代子の存在に気づかなかったかも」

「私はそんなに、目立たないからね」

「というか、私はずっと、悪ガキだった。悪戯したりして、道場の子たちをたくさん泣かせた。剣道も、遊びの延長程度にしか、思っていなかった。それでも、親を知ってる、上星先生は私には絶対に怒らなかった。でも、景子と、初めて試合した時に、強いって、思った。私は、負けず嫌いだから、先生に強くしてってお願いしたら、誰よりも、怒られて叩かれて練習した。それでも、景子にはなかなか、勝てなかった。よく、負けたあとで先生に、外に、引っ張り出されて、説教された。その時に、他人の靴を乱したはずなのにいつも、戻ってくるときちんと、揃えられてた。早代子だったんだよね?」

「なんだ。そんなことか」

「それを、知ってから景子だけじゃなく、早代子も観察するようになった。そうしたら、落ちてるゴミをしょっちゅう、拾っていた。それから、一番驚いたのが、私は当時お腹が緩むことがあって袴だと、時間がかかるでしょ。それで、間に合わず便器を、汚したことが、2回ある。その時に、何故か早代子が現れるんだ。恥ずかしいから、私がやってないって、言ったら、誰がやったかはどうでもいい。誰かが、掃除しなくちゃみんなが、困るからって掃除を、始めたの。まずはごめんなさい。ありがとうございました」

「どういたしまして。それだったんだ」

「どうしてそこまで、出来るんだろうと思って景子に聞いたら早代子はお母さんを亡くしたから家でも普通にやっているからだって。あっ、トイレ掃除のことは言ってないけど。私より、辛いはずなのに他人のことも考えられるんだと、感心した。それから、私はなるべく自分でできることはやろうと、決めた。料理もするんだよ。だから、夕食は、私の手料理を、食べてよ」

「私はそこまで、完璧にはやってないよ。惣菜や、冷食に頼ることもある」

「私だってそうだよ。部活を、遅くまでやっているとそうなるよね。早代子も、同じでよかった」

「私も、夕食の準備を手伝う」

 ハンバーグと、野菜炒めを作った。それらはとても、美味しかった。

「朋子って、料理も、上手だから家政婦さんはやることないね?」

 朋子の顔から、笑顔が消えた。

「だからいらない。この家に、3人も、住んでいるんだよ。ほとんど、シェアハウス」

「えっ。3人もいるの?」

「もったいないよね。たしかに、私が何もしない時はそのぐらい必要だったと思う。でも、今は運転手みたいなものだから。私はあの人たち、嫌いなの。私が、剣道着を洗って欲しいとお願いすると、罰ゲームみたいに、譲り合って、最終的にそれをやることになったら、鼻摘みながらやってた。両親にもいらないと、言ったけどあの人たちの住むところがなくなるから、ダメだって」

「汗が、乾いていない他人の剣道着は、嫌だよね。私も、男子部室の剣道着を触るの嫌だな」

「たしかに、臭いよ。それだけなら、許せるけど、剣道はやめてくれって、何回も言われた。それで、道場から家に、帰るのも、上星先生に、お願いするようになった」

「上星先生って、厳しくて、怖いけど優しいよね」

「さすが、早代子。他人の良いところはちゃんと、見てる。私が、部活で剣道を選ばなかったのは道場に通い続けたかったから。卓球を、選んだのは道場で遊んでいたことがあったから」

「それで、インターハイに、行くまでになるなんて」

「私ね、本当に、負けず嫌いだからとことんやるの。剣道も、卓球も勉強もヤンキーも。それでも、学校が私なんかを、特別扱いするのは、違うと思う。私にも、怒ればいいのに」

「怒られるようなことしていないからでしょ?」

「和佳子なんて、私の真似しているだけなのにしょっちゅう、怒られてる」

「ただの噂だと、思うけど飲酒や喫煙してるって」

「それは、事実。それで、停学になったりしていた。私はもちろんやってないしやるなって、言っている」

「やっぱり、朋子は、優等生だ」

「和佳子も、何か部活でもやれば、良いと思う。剣道部に、入れてやってよ。根性はあるから、大丈夫だと思うけど」

「卓球部の方が、よくない?」

「卓球部の先輩に、和佳子と仲が、悪い人がいるんだ。2人が、一緒になるといつ殴り合いになるかわからない」

「そうなんだ」

「私は、早代子を、知ったから早代子のような人を増やさなきゃと思ったの。そうすれば、過ごしやすい世の中になる」

 早代子は、自分ではそこまで大したことをしたように思っていない。朋子にそう、言っても立派だと返される。結局早代子が、妥協した。


 夜になると、朋子が竹刀を、2本持ってきた。

「少し、素振りでもしようよ。全く、何もしないのも、落ち着かない」

「運動するような、服は準備していないよ」

「わかった。準備する」

 朋子はどこかへ、行ってすぐに、戻ってきた。手に、新品の体操服を持っていた。

「学校ので、悪いけど」

「それなら、新品じゃなくていいのに」

「いいから、着替えて」

 早代子が、着替えると、朋子も着替えた。そして、朋子が来て欲しいというところへついていくとちょっとしたジムのような、部屋があった。

「ちょっと、気が、変わった。まずは、筋トレしようよ」

 そこは、道場の筋トレルームに、似ていた。置いてあるものもほとんど、同じだ。

「道場の筋トレルームは、私の両親が、作ったんだ。だから、設備も大体同じ」

 早代子は、道場でやった、筋トレを思い出した。最近はあまりやっていなかったが、中学生の頃はしょっちゅうやらされた。

「どうしたの?無理のない、重さでやれば良いんだよ」

「うん。上星先生によく、すごく、重い鉄アレイを持たされて、扱かれたのを思い出しちゃった」

「私たちよく、耐えたね。でもそれがあったから、ご褒美にインターハイに、出られるようになったかも」

「私はまだ、部内の争いに、勝たなきゃでれないけどね」

「早代子なら、大丈夫だよ」

 2人は、軽く、汗をかいた。すると、今度は卓球を軽くやろうと朋子が言った。

「私なんかを、相手にしても、調子悪くならない?」

「体育の時に、観察してたら割とうまいと、思っていたけど」

「そんなに、私の事を、見ないでよ。恥ずかしい」

 朋子は、卓球台が、置かれた、隣の部屋を、案内した。そして、少しだけ卓球をやったが早代子が楽しめる程度に、朋子は、レベルを、落としてくれた。

「じゃあ、メインの素振りをしよう」

 朋子は、竹刀と剣道着を持ってきた。

「これも、新品だよ。こんなの使っていいの?」

「いいよ。私の両親って、バカだよね。そんなにしょっちゅう、新しくするようなものじゃないのにすぐ買うの。それあげるから、インターハイで、使ってよ」

「ありがとう」

 着替えると、朋子はエントランスにつれてきた。天井が、高くて広いので素振りをしても大丈夫そうだ。早代子が、始めようとすると、朋子が止めた。

「どうせなら、防具もつけようよ」

 朋子は、防具を、2組持ってきた。

「これは、新品じゃないけどそんなに、臭くないはず」

「素振りだよね?全部つけるの」

「その方がいいに、決まっている」

 意味不明だったが、2人とも防具をつけて、素振りをした。せっかくなので、少しでも打とうと提案したが朋子に、却下された。

 素振りを、終えて、風呂に入ることになった。朋子は、一緒に入ろうと言った。その風呂はとても、広く2人で入っても、問題なかった。しかし、朋子は何故か、機嫌が、悪い。聞けば、家政婦さんたちが、入ったらしい。なんでもここに、入るのは禁止しているためだ。

 風呂から、上がると、勉強もした。早代子はもう、寝たい気分だったが朋子は毎日の日課だと言う。眠い目を、擦りながら、教科書をひろげた。早代子は、朋子はただの天才ではなく、人一倍努力しているのを知った。そうじゃなくおもちゃとか、買ってもらえなかったから、暇潰しでやっているうち、習慣になってしまったと笑っていたが、自分ならそうならなかったに、違いない。


 翌朝目覚め、朋子の部屋をそっと、覗くと既にそこにはいなかった。すると、朋子が慌ててやってきた。

「なんだ、早代子か。どうしたの?」

「ごめん。目覚めたから、朋子がどうしているか、覗いてしまった」

「今朝食の準備をしていたんだ。私の部屋に、誰か、入ったらわかるようになっているんだ。あいつらが、入らないように」

「こんなに、早起きしているんだ」

「早代子だってそうじゃない」

「私は、朝練の癖で目が覚めてしまう」

「じゃあ、キッチンに来てよ。まだ、途中だけど」

 そこには、豪華な食事が並んでいた。

「これほど、有れば充分だよ。まだ、作るの?」

「今日は、早代子も、1日中部活でしょ?弁当も、持って行ってよ」

「私は、今日から、合宿なんだ」

「じゃあたくさん、持って行ってよ。みんなで、食べて」

 早代子は、遠慮していたが、朋子は、大きな使い捨てのケースに、詰めていった。

「早代子には、インターハイで、頑張ってもらわないと。たくさんの人が、期待しているから」

「それは、朋子も、同じでしょ?」

「そうかな?まあ、お互いにがんばろう。日程によっては、応援に行くからね」

 早代子と、朋子は、真子に送られて学校に、いった。今日から、女子剣道部は、毎日何時間もの稽古がある。練習試合もたくさん、組まれていた。

 今回は、悲願のインターハイ出場ということで、男子部員をはじめ、OB、OGなどが次々に練習相手として来訪されるため、休憩時間もほとんどない状態だった。その度に、着替えたりするのも、時間がもったいないとのことで、剣道着と、胴と垂は風呂と睡眠時以外に外すことを、禁止された。

 ただでさえ、暑くて、エアコンもない剣道場で稽古しているので、汗でびしょ濡れなので、途中で取られている1時間の休憩と、称した、勉強時間は最悪だった。早代子は、朋子からもらった、道着を本番用にしようと、決めていたのでそれまでの試合用のも、使うことができた。しかしそういう、予備がない、部員はまだマシだと罰に、使用される、道着や防具を使っている、者もいた。


 そしていよいよ、インターハイに出発する、日を迎えた。校長をはじめ、多くの先生や生徒が見送りに来ていたが、西島はすこぶる、機嫌が悪かった。合宿中の練習試合の成績が、悪かったからだ。勝ち頭の早代子も、激しく叱責された。あゆ子が、部員を叩く竹刀の回数も、強さも増した。練習時間も、長くなり、睡眠時間は削られた。

明らかに、疲労の色が、隠せない部員を見て大丈夫かと、心配する、声が聞こえてくる。今朝もいつもより、早く起こされさっきまで、練習があったので、仕方ないが部外者にはわからないだろう。

 電車に乗って、新幹線に乗り換えるとほとんどの部員は、眠っていた。早代子は、景子の隣だった。合宿中になかなか、話も出来なかったので、話したいことは山ほどあったが、何から、話せば良いかわからず、流れてゆく、景色をなんとなく、眺めていた。すると、貴理子が早代子たちの席を、覗いた。

「2人とも、起きてるなら、座席を、回転させて、話そうよ」

 早代子と、景子はそれに従った。貴理子の隣は、あゆ子だった。それを、見て一瞬座席を回転させる手を止めたがここで、止めるわけにはいかず、4人が向かい合わせになった。

「2人には、合宿中に特に厳しくなってごめんなさい。今年は、出場が、目標だったけど来年以降は初勝利を目指してね」

「私もちょっと、叩きすぎた。それだけ、お前たちには期待しているんだ」

「私こそすみませんでした。私がもっと、確実に勝てればみんなが安心して、戦えるのに」

「私は、早代子を信頼しているよ。それでも、実力がないからしょっちゅう負けてしまう」

「あなたたちの責任じゃないわ。気づいていると、思うけどあの怪我で休んでからどうも調子が、上がらない。3年生でもっと、頼りになる人がいれば、よかったけどあの短期間ではどうにもならなかった。だから、2人には、来年に、繋がる、試合をして欲しい」

「私たちまだ、試合に、出させてもらえるかわかりません」

「ここだけの話だけど、2人は既に決定している。いくら、練習試合の結果が悪かったとはいえ勝ちが多かったのも、2人だし」

「でも、私なんて、勝負どころで負けてしまいました。そのせいで、みんなを不安にさせて」

「みんなを、インターハイに、行かせてくれたのは上田さんでしょ?私たちは、みんなの奮起を、促したくて上田さんに、キツく、言ったけど中戸さんにしか、響かなかったみたい」

「そうだった。景子ありがとう。いつも、私が、負けても励ましてくれて」

「私だって、早代子に、励ましてもらったからね」

「どころで、来年に向けて、マネージャーをどうしようかと、思っている。北原にはあのダラけた、2年生に喝を入れるのは、無理だ」

「さく子はとても、頑張っています。本人がまだなりたいと、思っているならやらせてあげてください」

「とりあえず、本人に、聞いてみるか。それまで、保留だ」

 その後も、話をしていると、目的の駅に、到着した。そこは、高校生と思われる制服姿の人たちでごった返していた。


 試合会場には、朋子も来ていた。上星と、吉島と一緒に談笑していた。早代子は、近づいて声をかけた。

「私の試合は、明日だから、来ちゃった」

「言っておくが、俺たちはお前の試合を、観に来たわけじゃない。ましてや、応援なんてしない」

「嘘ばっかり。ここに、来るまでも早代子の心配ばかりしてた」

「ありがとうございます」

「俺は、予選リーグの同じ組に、優勝候補がいるから情け無い試合をするんだろうと言っただけだ」

「はい。おそらくそうなると、思っていましたが、先生が観ている前でそんな試合はできませんので、恥をかかせないよう、がんばります」

「だから、お前の試合なんて、興味ないんだよ。高坂。観光にでも、行かないか?」

「上星先生も、早代子の応援に、来たんでしょう?先生が、最も時間をかけて、育てた、門下生ですよ。きっと、期待に、応えてくれます」

「やめてよ、朋子。変な、プレッシャーかけないで」

 早代子は、みんなが、着替えるというのでこの場を、離れた。そして、更衣室で朋子からもらった道着に着替えた。

 みんなで、試合会場まで歩くとだんだん緊張感が増した。すると、途中で景子が手を振って大きな声で言った。

「伊木先生」

 早代子はその名前を、複雑な気持ちで聞いた。早代子は、思わず足を止めたが景子に手を引っ張られた。伊木の前に、2人で並ぶ格好になった。

 早代子の頭の中にたくさんの言葉が、渦巻くがどれも口に出来なかった。

「伊木先生。遠いところ、駆けつけていただきありがとうございます」

「どうしても、2人の活躍を、観たくてね」

「伊木先生。すみません」

 やっと、出てきた、言葉だった。深々と、頭を下げる早代子の肩を伊木は掴んで言った。

「私の方も、悪かった。上田さんに、剣道の楽しさを、教えることが出来なかった。それに、才能があるってことを、気づかせてあげられなかった」

「先生だけが、悪くありません。私が、道場が休みの日まで早代子を練習に誘ったから」

「私が、甘かったんです。道場に、休まず、行って普通に稽古していれば強くなれると思っていたのに、試合では勝てなかった。そのうち、臭いとか、野蛮とか、言われるのにやたらと敏感になって」

 早代子は、涙が、溢れてしまった。伊木は、黙って、早代子を抱きしめた。しばらくして、景子が申し訳なさそうに、早代子の腕を、引っ張った。

「そろそろ、行かなきゃ」

 早代子は、頷いて景子と、試合会場に入った。そこは、既に熱気が溢れていた。同じ、リーグの対戦は始まっていて、優勝候補と、言われる、学校が予想通りの圧勝だった。

 早代子たちの初戦は、敗れた、方だ。ここには、大将の早代子が、勝ったことにより勝利を納めた。しかし、優勝候補には、早代子が一矢報いたが、完敗した。よって、予選敗退が、決まった。早代子は、部員に囲まれて、労われていた。

 会場を、出るとさらにその輪は、広がった。応援に、来ていた同じ学校の生徒たちが早代子を中心に周りを囲んだ。しかし、早代子は全く喜んでいなかった。すると、貴理子が笑顔で言った。

「上田さん。ありがとう」

「先輩。すみませんでした」

「何を、言っているの?上田さんには、全国大会に連れてきてもらった上に勝たせてもらった。そして、優勝候補から、奪った勝利。いくら、感謝してもしきれない」

「私が、練習試合でもきっちり、勝っていればみんなも、安心して戦えたはずです」

「もしそうだったとしたら、予選突破できたと思う?私は、実力以上の成績だったと、思っている。本当にいい、思い出になった」

 その時に、早代子を、囲っていた輪が大きく動いて騒然となった。その方向を、見ると先程の試合で早代子に敗れた、柏村まりかが、監督の仁田翔茂に、引きずられるように外に連れ出されるところだった。すると、上星が早代子を、外に引っ張っていった。

 人気の少ない、会場裏で仁田の怒鳴り声が、聞こえた。明らかに、上星はその方向に進んでいく。

「先生。どこに、行くつもりですか?そっちには、行かない方が良いです」

 早代子の訴えが、聞こえていないのか、仁田の声がどんどん、大きく聞こえる、距離になった。仁田は、気づいていないのか、怒鳴り続ける。

「やる気がないなら、今すぐ帰れ。あんな、無名校の1年生なんかにやられて」

 まりかはまだ、面を、つけたままだ。その奥の大きな、瞳から涙が溢れているのがわかった。

「やっぱり、翔茂が、怒っている、原因はこいつか?おい、上田。早くここで、正座して謝れ」

 早代子はどうしてそんなことをしないといけないかと、思っていたが、上星に、強引に正座させられ、頭を押された。

 納得出来なかったが、謝罪しなければ上星は早代子の頭を押し続ける気がしたので言うしかなかった。

「先程は、申し訳ありませんでした」

 2人は、驚いていた。上星は、満足そうに、言った。

「翔茂。冷静になれ。その子を、帰らせたりすれば、決勝トーナメントは、勝ち上がれない。勝敗が、決まった後だったし、多少の油断があっても、仕方ないだろ。そうでないと、上田が勝てるわけない。そうだよな?」

 まりかは、突然現れた上星から話を、振られて戸惑いながらも、仁田の顔を伺ってから小さな声で、言った。

「たしかに、油断したかもしれませんが、上田さんは強かったです」

「それは、違うな。上田はまだまだ、下手だから、帰ったらまた俺が、鍛え直してやろうと思っていた」

「上星さん。この子は、一体何者ですか?どこの中学でどんな、実績が」

「こいつは、中学生の頃に、俺の道場に強くして欲しいとやってきた。試合には、一切出させてない」

「あの。私はそんなこと、言ったことないです」

 早代子は、恐る恐る言ったが、2人とも無視した。

「上星さんが、1人でここまで育てたんですか?」

「残念ながら、小学生の頃に、通っていた、道場で基礎はできていた。それとうちの道場には、真子もいる」

「この子はよく、耐えましたね。俺は、今でも、大学時代に上星さんや、吉島さんに扱かれる夢を、見ます」

「そんな、大学時代のような、教え方をするわけないだろう。優しく、根気よく、指導したんだ」

 早代子は、反論したかったが、上星に睨まれたので黙っていた。そして、上星はまた、嘘を続けた。

「幸いこいつは、剣道が大好きで、毎日2時間の練習を1日も休まなかったから、時々勝てるようになった」

 早代子が、呆れて、聞いていると、上星はまた睨んだ。そして、言った。

「お前はどうして、ボーっと、突っ立っているんだ。早く、泊村さんを、中に、連れて行ってあげろ」

 早代子は、本当にそんなことをしていいのか、仁田の顔を、伺いながら、まりかの腕を、引っ張った。まりかも仁田の反応を、確認してから歩き出した。

「すみませんでした」

 早代子は、ほかの言葉を、言いたかったがそれ以外に思いつかなかった。

「ありがとう。私は、決してあなたを、舐めてかかったりしていない。初戦を、観てこれは強敵だと思った。先生もちゃんと、前の試合も、観ればよかったのに。全国大会にはあなたのように、才能がある人がたくさんいるんだから、予選リーグは、全勝しないといけないなんて、勝手に決めないで欲しかった」

「私は、才能なんてありません」

「私たちは、毎日3時間ぐらいは、練習した。あなたは、半分しかしてないでしょ?」

「あれは、嘘です。2時間で、終わらせてくれたことなんてありません。下手だから、毎日何回も怒られて叩かれてあざだらけになっていました」

「よかった。強い、人って才能だけで、勝てるのかと思った」

 2人で、話しながら、会場の入り口に、戻ると景子と朋子が、仁田やまりかが乱した靴をきちんと並べ直していた。

「何をやってもいるの?」

「いつも、早代子がやってることでしょ」

「そうだけどさすがに、量が多すぎない?」

 早代子は、返事を待たずに、手伝い始めた。すると、まりかもやり出した。

「柏村さんはまだ、試合がありますので、チームに、戻ってください」

 早代子に、言われて、少し考えるような、顔をして、まりかはどこかへ、行った。しばらくして、まりかは同じ学校の後輩の大田恵梨香を、連れてきた。

「恵梨香も、一緒にやろう」

「私は、予選リーグで、負けていません。どうしてそんな、罰ゲームに付き合わなきゃいけないんですか?」

「これは、罰ゲームじゃない。上田さんたちは、自主的にやってる。私は、試合の勝利もだけどこれからはこういうことも、大事にするチームになって、欲しい」

 恵梨香はしばらくその様子を、眺めていたがやがて、靴を揃え始めた。それを、終えると外から戻っていた仁田が、まりかに言った。

「上田さんたちは、立派だな。対戦できてよかったな」

「はい」

 まりかは、迷わず笑顔で答えた。


 翌日は、西島の提案で、観光をすることになっていたが、早代子たち1年生はそれを断って朋子の試合を観に行くことにした。

「帰ったら、練習漬けだからこんな、チャンスはないよ」

 西島に、言われても、早代子は即答した。

「私は、朋子の応援に、行きます」

 早代子は、1人でもそうしようと、思っていたが景子たちも賛同した。4人で、電車とバスを乗り継いで会場まで、向かうとすぐにそこへ、着いた。

 卓球会場は、オリンピックに、出場してその可愛さから、人気の橋道容子が出ているとあって注目されていた。テレビ局の車も、何台か停まっていた。中に、入ると流れに、沿って歩くしかない。観客席は、点々としか空いていないため、後ろの方で、立ち見をすることにした。

「そんなところじゃ、卓球の球は、見えないでしょ?」

 朋子はそう言って、4人を観客席に、座らせた。しかも、最前列だ。そこには、怖そうな卓球部の先輩達が陣取っていた。

 朋子はそこにいた、先輩達に後ろにずれてもらうようお願いすると渋々席を譲ってもらえた。早代子たちが、お礼を、言ってそこに座ると、隣にいた上星が声をかけてきた。

「おい、上田。お前はさっさと、帰って稽古じゃないのか?あれだけ、言ってきただろう。お前みたいな下手は、1日怠けると、取り戻すのに何時間も、必要だ」

「今帰っても、部員もいませんし先生もおられないじゃないですか?今日は、朋子の応援に集中したいので剣道の話は、帰ってからにしてください」

「ダメだ。まさか、お前は昨日のまぐれ勝ちで、強いと勘違いしてないか?高坂はここに、来てからも素振りをしているぞ。しかも、誰かに言われたわけじゃなくて、自らだ」

「私は、一昨日は、練習してからこっちに来ましたし、昨日は、試合でした」

「試合なんて、数分だけだ。そのあとでどれだけ、練習したかと、聞いているんだ」

「すみません。何もしていません」

「お前は、怠けるとますます、下手になるんだ。せっかく、柏村さんが帰るまでにお前と稽古したいと言っておられるが、断った方が良いな」

「えっ。やります。ぜひやらせてください」

「それなら、高坂の試合が、終わったら行くところがあるから、一緒に来い」

「行きます。柏村さんからいろいろ、学びます」

「それは、今日のお前の稽古次第だ。柏村さんに、失礼があってはならないからな」

「私は、明日には、帰ります」

「わかっている。とりあえず、お前が昨日怠けた分を取り戻させてやる」

 もう、朋子の試合が、始まるので、早代子はそれ以上は何も言わなかった。吉島が、会話中に何度か嬉しそうに早代子を、見たのが気にかかる。

 とりあえず、今は朋子の応援に、集中することにした。朋子は、落ち着いて3回戦まで勝ち進んだがそこで容子と、対戦した。大接戦だったが、フルセットで、敗れた。早代子はこの試合で、容子の強力な攻めと体育館に集まった、ファンの声援に、負けずに、必死で返す朋子の姿を、涙を流しながら観ていた。

「早代子。何で、泣いてるのよ」

 試合後に、観客席に、笑顔でやってきた、朋子は言った。この時には、早代子はもう泣いていなかったし涙もタオルが、吸収していた。

「泣いてないよ。惜しかったね」

「私は、何回も早代子を、見ていた。そうしたらなぜか、泣いているじゃない。ちゃんと、応援しろって言いにきたかった。また、早代子に、勝てなかった」

「何が?」

「インターハイの成績。早代子は、2勝負けなしで私は2勝1敗」

 その時に、後ろ髪を引っ張られた。

「おい。約束通り、行くぞ」

「行きますから、髪を、引っ張らないでください」

「どこに、行くの?」

「上田を、鍛え直してくれるところだ」

「私も、行きます。先生の車がないと、素振りもできないし」

 上星が、連れて行ってくれるところだからろくな、場所じゃないのに朋子は嬉々として言う。

「高坂は、試合が終わったばかりだろう。やめておけ」

 朋子はすぐに、顧問の山川慶哉に許可をもらった。そして、剣道部員と朋子は上星の車に乗り込んだ。景子たちも、行きたいと言ったが、宿で降ろされた。


 4人になると、吉島が運転して、助手席には、朋子が座った。早代子は、3列目で上星の隣に座らせられずっと説教をされた。景色を、眺めることはできないがずいぶん、山奥に、来ているのはなんとなくわかった。やがて、小さな、建物の前で、車が、停められた。

 そこは、日没にはまだ、早いのに、薄暗かった。そしてかなり、涼しかった。建物の中から、子供達の元気な声や、竹刀で、打ち込む音が、聴こえるのでそこが、剣道場であることがわかった。早代子は、上星に、引っ張られて、中に入った。すると、入り口に、泣いている女の子がいた。やがて、別の女の子が、出てきた。そして、早代子たちを、発見して、あいさつした。その子に、上星は声をかけた。

「吉本先生はいるかな?」

「はい。呼んできます」

 そう、言って女の子は、引っ込んだ。まもなく、大きな男が現れた。

「久しぶりだな、上星。そいつが、例の子か?」

「そうです。どうしても、吉本さんに、鍛えて欲しくて。おい、上田。自己紹介と、あいさつだろう」

「上田早代子と、申します。今日はよろしくお願いします」

「立ったままじゃなく、正座して、言え」

 早代子が、正座して言い直すと、隣に朋子も、正座して同じ事を言った。吉本は、首を傾げながら言った。

「俺は、吉本大太郎だ。上星の大学時代の先輩だ。ところでこの上田と、言うのは、聞いていたが2人とは知らなかった」

「高坂は、違います。こいつは、少しだけ場所を貸してもらったら吉島とでも稽古します」

「誰かと、思ったら吉島か?綺麗になっていたので、誰かわからなかった」

「お久しぶりです。まさか、吉本さんからお世辞を言われるとは、思いませんでした」

「どうせなら、2人で、稽古するんじゃなくて、子供の相手をしてやってくれ。夏休みの合宿中だから、人手が足りないんだ」

 話がまとまると、吉本は泣いていた子を引きずるように剣道場に戻した。怒号と、悲鳴を聴きながら早代子たちは、更衣室で着替えた。その時に、吉島が言った。

「吉本さんは、怖い人だからいつもみたいな、練習態度はやめておきなさいよ。大学時代に、女子部員は大体泣かされたから」

「早代子はいいな。強い人に鍛えてもらえて」

 朋子はそう、言うが、早代子は全然嬉しくない。防具もつけて、吉本の元へ行くと外に連れて行かれた。その強さは、上星よりずっと、強い。

 そこには、長い石段があった。上から、眺めても一番下がどこまでかよくわからない。吉本はそこを、指差して言った。

「お前は、高校1年生だったな?」

「はい」

「じゃあ、10往復だ」

「ちょっと、待ってください。防具はつけてますし、裸足ですが」

「当たり前だ。お前は、防具をつけずに、剣道をするのか?靴を、履いてやるのか」

「わかりました」

 早代子が、石段に、向かおうとすると吉本に止められた。

「お前は、高校生だからここまでする、必要はないかと思っていたが、今の反抗的な態度からして信用できない」

 吉本は、早代子に正座させて面と小手の紐を、固く結んだ。

「痛いです」

「早く、走らないと、日が暮れるぞ」

 早代子は、石段を下り、上がる。石段は、夏の日差しでかなり熱くなっていた。さらに、往復するごとに吉本から、1発たたかれた。

 ようやく、10往復を、終えてホッとしたのも束の間。吉本は、非情な事を言った。

「時間がかかりすぎだ。もう、10往復してこい」

「何回か、蛇がいたんです。怖かったのでその時は、止まりましたがそれ以外は一生懸命走りました」

「さっさとしないと、本当に、日が暮れるぞ。まあどんなに、暗くなっても走らせてやるけどな」

 おそらく、石段の周りに、明かりはない。真っ暗になってからこんなところを、走りたくない。早代子は、再び石段に、向かった。

 さっきより、確実に、速く10往復が終わった。今度は、蛇もいなかった。これでもう、石段往復は終わったと思い、素直に吉本の1発を、待つと何回もたたかれた。

「最初よりずいぶん、早いが、1回目はよほど怠けたのか?それともさっきはズルをしたかだな。どっちだ」

「怠けても、ズルもしていません」

「俺はどっちかで、答えろと言ったんだ。俺は、素直じゃない奴は大嫌いだ。罰としてもう、10往復だ」

 結局早代子は、石段を、40往復した。最後の4往復の頃にはすっかり、日が暮れてしまった。幸い、月明かりでかろうじて、石段は、見えた。それでも、何回かは、転んでしまった。

 早代子は、吉本に、連れられ、道場の横の建物に、入った。もうふらふらの早代子には、吉本が引っ張る力が強いのはありがたかった。吉本が、早代子を離したところには、6人の子供達が防具をつけたまま、正座していた。早代子もそれに、従った。

 よく、見ると中央には、美味しそうな料理が並んでいた。吉本は、先にそれを皿に取って食べ始めた。そして、一通り、食べ終えると箸を、置いた。

「まず、福野。こっちにこい」

 早代子から、一番遠くにいた、男の子が吉本の前に行った。どうやら、寝坊したらしい。どうやら、反省の言葉を、言ってから、今夜も練習させてほしいと、お願いすると面と、小手を、外してもらえて、食事を摂ることができるようだ。

 そして、早代子の隣にいた、女の子の番になった。その子は、早代子たちがここに着いた時に泣いていた女の子だった。何か、言っているが声が、小さくてよく聞き取れない。吉本がどんどん、苛立っているのがわかった。女の子は、少しだけ、声を張り上げるが、吉本の怒声がかき消した。

「福村。お前は、夜の稽古までそのままだ。今日も、松島に倒されたぐらいで、泣きやがって。悔しかったら、強くなれ」

 また、福村は泣き出してそこを飛び出して行った。早代子は、気が気ではなくなり吉本に今夜の練習に参加することだけを、言って福村の後を追った。背後から、吉本の声が、聞こえた。

「上田。お前も、福村も防具を外すのは、許さないぞ」

 早代子は、外に、出た。すると、福村はそこにいた。早代子は、何も言わずに福村を抱きしめた。すると、福村は、言った。

「ありがとうございます。私はどうやったら、お姉さんたちみたいに強くなれますか?」

「私は、強くないからその質問には、答えられないな。ごめんね。そうだ。ちょっと、待ってて」

 早代子は、朋子を探した。すると、道場の入り口の段に、腰掛けて、中学生ぐらいの女の子と、話していた。

「朋子。ちょっと、来てよ」

「どうしたの?」

 早代子は、朋子の腕を、引っ張った。すると、中学生の女の子もついてきた。早代子は、気にせず朋子を福村の前に、連れて、行った。

「どうしたの?あんなちゃん。また、怒られた」

 中学生は、誰よりも、早く福村あんなに、声をかけた。

「私がいつまでも、強くならないからいけないんだ。どうやったら、結奈ちゃんみたいになれる?」

 この中学生は、上野結奈というらしい。

「あんなちゃんは、強いじゃない。もう、何回も優勝しているでしょ?私は、初めて優勝したのは小学5年生の時だった。だから、私より、あんなちゃんが、強いよ」

「なんだ。やっぱり、あんなちゃんって、強かったんだ。みんなから、下手とか弱いと言われてるのが不思議だった」

「あんなちゃん。そろそろ、夜の練習が、始まるから先に行って」

「わかりました。よろしくお願いします」

 あんなは、走って道場に、行った。それを、見届けると結奈は早代子たちに言った。

「吉本先生は、期待している、子にはすごく、厳しいんです。私もなぜかその1人で、何度も先生を恨みました。でも、私の家は、裕福じゃないから、公立の中学校に、入ったんです。そこの剣道部は、人数も少ないし練習時間も、短いしゆるくて、物足りないんです。それで、初めて、先生の指導がありがたく、思えるようになりました。あんなもきっと、気づく、時が来ますので、先生の指導を、批判したりしないでくださいね」

 そしていよいよ、夜の練習になった。早代子は、吉本とマンツーマンで、稽古することになった。吉本の力はとても、強く外れるとものすごく、痛い。初めはそれが、偶然だと思っていたが、次第にその回数が増え、早代子はそれがわざとであると、悟った。体のあちこちが、痛くなって、攻められなくなった。すると、今度は上星から、叩かれた。

「何をやっている。どんどん、攻めろ」

 痛みに、耐えて打ち込んでいくと、吉本は、投げを打つようになった。そして、パンチやキックまで繰り出す。まるで、剣道だけではなく、柔道や空手もやっているようだ。

 早代子はついに、立ち上がれなくなった。上星と、吉本に引きずられ、一旦壁際に連れて行かれた。身体中に、痛みを、感じた。上星が、持ってきた飲み物を、一気に、飲んだ。

「全然歯が立たないな。所詮お前はまだその程度だ。それなのに、怠けようとばかりしやがって」

「すみませんでした。もう、怠けませんので許してください」

「まだ、夜の練習は始まったばかりだ。吉本さんに、指導してもらえる、機会なんて滅多にないんだ。早く、立ってかかっていけ」

 そう、言われるが、既に1時間は経っている。石段の往復でかなり、足に来ている。

「やりますがまだ、立てません。少し、待ってください」

 その矢先に、吉本が、早代子に、近づいた。

「いつまで、寝ているつもりだ。立て」

 吉本は、早代子を、強引に立たせようとするがすぐによろけて、倒れてしまった。吉本は、早代子を叩いてから大声で、言った。

「そこにも、寝ているやつがいるな」

 吉本が、歩いていく、先にはあんなが、倒されていた。あんなは、慌てて立ち上がろうとしたが吉本の一撃の方が、早かった。

「また、お前が、稽古中に寝転んでいると邪魔なんだ。いつも、言っているだろう」

 吉本が、あんなをさらに、叩くと相手をしていた結奈も、加わった。

「早く、立ちなさい」

 早代子はふらふらとそこに、近づいて言った。

「吉本先生は、私の指導をお願いします」

「お前はもう、無理だ。まともに、立っていられないじゃないか」

「大丈夫です。よろしくお願いします」

 吉本は、早代子との稽古を、再開した。早代子は、何回も倒された。そして、長かった稽古が終わった。早代子と、あんなはやっと、ご飯を食べられるが、既におかずはほとんど、残っていなかった。

 早代子はおにぎりを、あんなのために作った。あんなは、美味しいと、言ってたくさん、食べた。そこに、結奈がやってきた。

「あんなちゃん。そんなに、食べたら上田さんの分がなくなってしまうよ」

「あっ。ごめんなさい」

「私はどうにかするからいいよ」

「上田さんは、優しいんですね。あんなに、激しい稽古の後なのに。あんなちゃんも、明日は上田さんのように先生に、稽古してもらおう」

「お願いだから、許してください。もう、結奈ちゃんに倒されても泣かないから」

「いつもそう、言っているくせに、泣くよね。先生に、鍛え直してもらおう。もちろん、私もやるから」

「結奈ちゃんやめてあげて。吉本先生は、強いよ。しかも、手加減とかしないんでしょ」

「そんなことないですよ。私も、今まではそう、思っていました。でも、今日の上田さんのような、稽古はしたことないです。それにあんなに、倒されても、立ち上がる、人を初めて、見ました。上田さんのように、強くなるにはどんなに、痛くても怖くても、先生に向かっていかなければいけないと、気づいたんです」

「私は、強くないよ」

「やる。先生と、稽古します。いつまでも、結奈ちゃんに迷惑かけられないから先生に鍛えてもらう」

 この道場では、期待されている、者には吉本が、指名した指導者がつけられるようだ。結奈は、あんなの指導者で、試合結果が悪かったりすると、2人とも怒られて、厳しい罰が待っているらしい。

 吉本は別れ際に、早代子に言った。

「お前の根性は、認めてやる。ただし、今日は時間がなさすぎた。また、改めて鍛えてやろう」

「ぜひ、お願いします」

 なぜか、上星が即答した。早代子はまたこの辺に、来る機会があればと答えたが上星は言った。

「機会なんてなくてもいい。俺が、連れてきてやる」

 上星がそう、言ったら現実になるのはなんとなくわかった。早代子は、感謝の言葉を言って車に乗った。あんなと、結奈も出てきて、手を振った。


 早代子は、深夜に剣道部員がいる、宿に戻った。みんなが、寝ているだろうと静かに襖を開けるとさく子が声をかけてきた。

「お疲れ。お風呂入るよね?洗濯するの待ってたんだ」

「私がやるから、寝ていいよ」

「早代子はいなかったけど、私はここから、帰ったらマネージャー候補じゃなくなるんだ」

「正式に、マネージャーになるって事?」

「違う。実は、昨夜西島先生にもうマネージャーにはならないと、伝えた。こっちに、来る前からどうするか聞かれていて、選手として、頑張りたいって言った」

「マネージャーになりたいって、言ったらどうなったの?」

「ならしてもらえたと、思う」

「もったいない。せっかく、念願のマネージャーになる、チャンスだったのに」

「実は、私も初めから、マネージャー志望だったわけじゃない。入部するつもりはほとんどなかったけど、私だって、小学生の頃からやってきたからどんな、練習をしているのか、興味本位で覗いて見ていたら山田さんに、声をかけられた。それから、何回も教室にも来られるので、仕方なくマネージャーになりたいって、言った。私はそのつもりで、入部届を、出したらみんなと、同じように練習しないといけなくて。でも、早代子たちが、インターハイで、活躍したのを、見て私もあの舞台に、立ちたくなった。もちろん、今のままでは、全然ダメ。だから、先生からも、毎日の朝練と、居残りを言い渡されたけどやることにした。マネージャー候補として、最後の仕事になるから、洗濯はやらせて」

 早代子は、さく子に洗濯を、任せて入浴した。この時に、身体中にアザや擦り傷ができている事に気づいた。そしてそれまで、感じていなかった、痛みを感じた。

 風呂から、出ると、さく子はまだ、洗濯機の前にいた。そこで、教科書を広げていた。

「勉強してるんだ」

「少しね。私は、早代子と、違って成績良くないから」

「私はそこまででもないよ。景子なんて、私よりすごいし、朋子なんてもっとすごい」

「私は、朋子のことあまり知らない」

「朋子は、学年で成績トップなんだよ。それなのに、卓球も剣道も強い」

「剣道やっていたのは、聞いたことあるけど、強いの?」

「私も、一緒に稽古したり、対戦したことないけど、小学生の頃は、景子といつも優勝争いしていた。最近だと、高本くんと、試合して勝ってた」

「微妙だな。高本くんはそんなに、真面目に練習しないし試合で勝った印象はない。中学の時もだけど、高校でも剣道部に、入るとは、思わなかった」

「それは、さく子がいるからじゃない。かなり、さく子のことを気に入っているみたいだから」

「なんとなく、知っている。でも、高本くんって、私にはそんなこと一言も言わない。それに、最近ではそれが早代子に、変わったんじゃないかな」

「まさか。最近はあまり、言われていないけど、私に対して悪態ばかりつかれてたよ。まあ、私はさく子のように美人じゃないから、仕方ないけど」

「この前、久しぶりに、話したら早代子がよく、見たら可愛いって言っていたよ。付き合ったら?」

「嫌だよ。もし、バレたら、誰からどんな事されるかわからない。中学生の時に、初めての彼氏ができて、デートしてたら、上星先生に、見つかって、別れて剣道に打ち込むよう誓わされた」

「その彼氏とはどうなったの?」

「別れるしかなかった。毎日放課後には、上星先生が迎えに来て遅くまで剣道やっていたしスマホも毎日チェックされるから、連絡も出来なかった。でも、今ではそれでよかったと思っている。小学生の時に、一緒に道場に行っていた、景子に、中学の剣道部への誘いを、断った時の悲しそうな顔と彼氏ができた、噂を聞いた時の軽蔑したような、顔が、頭から、離れたことはない。景子がどれだけ、努力して試合で勝っているか、一番わかっているのに私はそれをせず、才能がないって、言い訳していた。他人から、臭いとか野蛮とか言われるといちいち、落ち込んで、精神的にも弱かったんだな。だからずっと、景子とまともに、話をできなくなっていたから同じ剣道部に、入って、本当によかった」

「景子ってたとえ、早代子が、剣道部に入らなくても普通に接してくれたと思う。うちのクラスの美桜とも、普通に、喋っているよ」

 月田美桜は、景子や、早代子と同じ中学で剣道部だったが高校では帰宅部だ。しかし、今でも景子と仲が良いのは、早代子も知っていた。

「そうだよね。景子がそんなの気にするわけないから、私が一方的に負い目を感じていたんだろうね。だから、お母さんや、景子への懺悔だと思ってきつい、稽古にも耐えてきた」

 その時乾燥機が、止まった。さく子はそこから、剣道着などを取り出して、ハンガーにかけた。そして、早代子が、1年生の部屋にかける。人数が、少ないからとそこは、部員の物干し場にされていた。防具も、全員のが、置かれているので、臭いし狭い。

「そろそろ、寝ようよ」

「私は、今日はまだ、勉強してない」

「今日はもういいじゃない」

 さく子はそう、言ったが早代子はみんなの道着を、カーテンがわりにして教科書を開いた。


 翌日の昼過ぎに、学校に戻ると男子剣道部員や保護者などに、迎えられた。貴理子が、インターハイの結果報告と、お礼を言って3年生は、剣道部を引退した。

 その余韻に、浸るまもなく、1、2年生は剣道場に、集められた。西島は、早速部の新体制を発表した。キャプテンには、山本真優。副キャプテンには、原下美加。マネージャーには、月谷梨子が、選ばれた。いずれも、2年生だ。

「それで、今日の練習はどうするの?」

 西島は、真優、真子そして、梨子に順番に、聞いた。3人とも、今日は休みにするよう言ったが西島が待っていた、回答ではなかったようだ。

「そう。あなたたちは、3年生からの推薦もあってその役になってもらったのに、ガッカリね。さっき、高泉さんも、不甲斐ない、試合をしたことを、謝罪していたでしょ。来年こそ、トーナメントに、進めるよう、後輩にはもっと、練習してほしいって、言われたでしょ。まあいいわ。今から、練習したい、人は着替えてきなさい。その意思がない、人は帰っていいよ」

 貴理子が、出迎えた人に言ったことは、西島が書いたものを読み上げただけだ。早代子は、新幹線の中でそれを貴理子に、見せられたので、内容は知っていた。しかしこの状況で、着替えないわけにはいかない。全員が、部室で、着替えた。もちろん、練習しないで、帰るつもりだった、部員もいたと、思うが私語が禁止なので、本心はわからなかった。稽古前に、西島は真優たちに、言った。

「みんなが、練習したがっているのにあなたたちは、何なの?まあいいわ。3人は、後で残ってね」

 早代子は、貴理子からもう一つ部のことで聞かされた。それは、正副キャプテンと、マネージャーには、西島の考え方を、叩き込まれるとのことだった。

 貴理子も、本当はあんなに部員に対して、厳しくしたり叩いたりしたくはなかったが西島に逆らえば何をされるかわからず、怖かった。もっと、部員同士が、仲良くなれる環境にしたかったと涙ながらに話した。そして、来年キャプテンになっても、今の1年生が、仲が悪くなるようなことは、無くしてほしい。

 早代子は、貴理子の言葉を、胸に秘め、稽古を始めるが昨日叩かれた、痛みに加えて筋肉痛も、酷かった。いつもより、動きも、技のキレが悪いのは、自分でもわかった。お陰で、西島と、梨子から何回も叩かれた。しかし、梨子のは、全く痛くない。そのためそれ以上に、梨子は西島に、叩かれていた。それでも、梨子が部員を、強く叩くことは、出来なかった。

 西島は、苛立ったように、稽古を打ち切った。西島はまず、全員がだらけていたと言った。そしてその責任は、正副キャプテンと、マネージャーにあると、今日からの居残りと、明日からの朝練を言い渡した。さらに、早代子には、道場で稽古するよう、命じた。


 早代子たちが、着替えて帰ろうとすると、剣道場では西島の怒声が響いていた。逃げるように、外に出て少し歩いたところで、上星の車が、停まっていた。早代子は、駆け寄って言った。

「上星先生。今日は、身体中が、痛いです。部活もありましたので、許してください」

「多少の痛みは、誰でもある。早く、乗れ」

 早代子は、渋々車に、乗り込んだ。上星は時計を、気にしながらみんなも送ると言うのでみんな一緒だ。さく子と、樹音が降りたところで、景子が道場に、行きたいと、言った。

「さすが、中戸さんだ。すぐに、何やかんや、言って、怠けようとする上田とは、大違いだ。ぜひ、一緒に来て上田を、鍛えてやってくれ」

「私は、道場に入っていませんし、今は道具も持っていません」

「臭くて、申し訳ないが上田のを使ったらいい」

「私のを、景子が使ったら私はどうすれば良いですか?」

「お前は、吉島先生から使用許可をもらったのがあるだろう」

「私の家に、寄ってもらえますか?」

「それがもう、時間がないんだ。やっぱり、上田のは臭くて嫌なんだね?それなら、高坂のを借りよう。上田のよりはだいぶ、マシだから」

「私も、臭いのでどれでも、構いません」

「どうしてそんなに、急いでいるんですか?」

 早代子の問いに、上星は、何も言わなかった。そして、道場に着いた。キョロキョロ見回しながら、歩いている景子に、合わせていると、上星に、髪を引っ張られた。

「早くしろ」

 そのまま、剣道場に入るとそこには仁田がいた。あいさつを、終えたところでそれまで稽古していたまりかと恵梨香が、早代子のところへ来た。

 早代子は、再会と実現することを、喜んでいたが景子は驚きのあまり喋っていない時も口が開いていた。それまで、稽古の相手をしていた、朋子が少し、遅れてやって来て言った。

「柏村さんはものすごく、強い。早代子はよく、勝ったね。インターハイ王者に」

「すごい。優勝したんですか?おめでとうございます」

「ありがとう」

「早代子は、インターハイの結果を、知らなかったの?」

「柏村さんは、個人と団体で優勝したんだよ」

 景子が、結果を、教えてくれた。仁田が、話に、入ってきた。

「上田さんには、感謝しているよ。柏村は、3年になってから、負けてなかったから調子に乗っていたんだ」

「柏村さんは、気の毒だったね。せっかくの連勝記録が、上田なんかに、止められて。今日は、上田にこの前のはまぐれだったと、教えてやってください。ほら、上田。さっさと、着替えろ」

 上星が、急に話に、入ってきた。早代子は、景子と、更衣室に向かった。着替えて、剣道場に戻るとまりかは早代子を、待ち受けていた。上星の提案で、まりかの相手は、早代子がすることになった。それも、早代子が倒れるまでだそうだ。

 ほかの3人は、吉島も混じって和気藹々と稽古をしている。それを、横目に早代子はまりかと真剣に対峙している。しかし、早代子は、身体中の痛みでまりかが5回打ち込んで、1回返す、程度だった。上星は、10分を過ぎたところで、一旦止めた。

「上田。お前は、何をやっているんだ。そんなんじゃ、柏村さんに、失礼だろう」

「上星先生。上田さんはたしかに、本調子ではありませんが、決定打は、許してもらえませんし、逆に私が少しでも、気を抜けばやられています。このまま、続けさせてもらえませんか?」

「待て、柏村。上田さんは、状態が、悪そうだが、怪我しているんじゃないか?」

 それまで、黙っていた、仁田が、聞いた。早代子は、一瞬間を置いて答えた。

「実は、昨日の稽古であちこち、痛いんです。でも、大丈夫ですから、柏村さんと、稽古させてください」

「そんなに、痛くなるような稽古をしたのか?」

「普段から、真面目にやっていればどうってことはない」

「はい。吉本先生には、私の甘さを教えて頂きました。でも、柏村さんと稽古する前日にしなくてもいいじゃないですか?」

「吉本先輩と、稽古させたんですか?それは、酷過ぎる。上田さんは、女子高生ですよ。大学生でもほとんどの女子は、厳し過ぎて、泣いていたのに」

「それなら、心配いらない。吉本先生も、手加減することを覚えられたようで上田は泣かなかったぞ」

「泣いたかどうかの問題じゃないです。吉本先輩の稽古は、扱きを通り越していじめです。そんなところへ、上田さんを、連れて行くなんて」

「上田は、充実した稽古ができて、喜んでいた。お前だって、吉本先生に鍛えてもらったからインターハイ優勝監督になれたんじゃないか?」

 早代子は、上星と仁田のやりとりが、終わりそうもないためまりかに稽古の続きをお願いした。まりかは、早代子の体を、心配したが、応じてくれた。再び、剣道場内に2人の声と竹刀が激しくぶつかり合う音が、響くようになった。

 30分以上が、過ぎて早代子の技が綺麗に入った。それが、まりかからの終わろうというメッセージだと気づいた、早代子も逆に、綺麗な技を打ってもらった。そして、2人は、小手と面を外して握手した。そこに、先に稽古を、終えていた景子たちがきた。朋子が、拍手しながら、言った。

「やっぱり、2人ともすごい。で、今から、試合でもするの?」

「しないよ。こんな、状態では、柏村さんに、失礼だから」

「そんなことはないけど、今は中立な、審判がいない。また、大会で対戦できるのを楽しみにしているわ」

 早代子が、次にまりかと、大会で対戦できるのっていつだろうと、考えているとまりかは仁田の前に行った。

「仁田先生。大学でも、剣道を、続けます。だから、推薦してください」

「お前は、剣道なんて、頑張っても、オリンピックには、出れないし辛いだけだし、就職にも役立たないって言っていたよな」

「すみませんでした。高校に、入学してから覚悟していたとはいえ剣道と勉強の毎日でした。自由時間も、寮から出ることも.スマホを、持つことも、許されず友達との会話もだんだんついていけなくなりました。それでも、インターハイ優勝を、目指してやってきたんです。そして、昨年念願の初優勝したのにご褒美でもらった、休みはたった、3日しかもらえませんでした」

「入部するときに、盆も正月もないことは、言ったし覚悟していたはずだ」

「はい。だから、3日だけでも、嬉しかったです。でも、私と恵梨香以外の部員は、盆明けまで休みました」

「お前はしつこいな。それは、バスの予約が、取れなかったから、仕方ないだろう」

「私たちだってそうなのに、絶対寮に、帰るように、言われましたよね。それに、寮母さんもいないから、街に買い物に、出かけたのを脱走したと、罰まで、与えられましたよね。それからはいつも、私と恵梨香が悪者にされましたよね。それからどんどん、剣道が、嫌いになりました。だから、大学ではやらないつもりでした。でも、上田さんとやって、久しぶりに楽しかった。いつかまた、上田さんと、対戦したい。同じ、大学でもいいかな」

「すまなかった。お前たちには、期待していたんだ」

 そこへ、上星が、嬉しそうに言った。

「仁田。お前は、罰なんて与えていると、懲戒免職になるぞ。俺のように、優しく指導しないと。それから、柏村さん。上田は、大学に、行くとしてもこのあたりにするそうだ。高校を、卒業したらこの道場の指導者になるために、鍛えてやることになっているんだ」

「そんなこと、一言も言ったことないですし、嫌です」

 早代子は、慌てて、否定した。これに、朋子が、反応した。

「もったいない。どうして、断るの。じゃあ、私がなる」

「高坂は、何をやっても、才能があるから、大丈夫だ。上田はそうじゃないから、面倒見てやるんだ」

「それなら、早代子の方が、心配いらないのに」

 仁田が、急に、早代子たちに、頭を下げた。

「本当にありがとう。柏村がようやく、大学でも、剣道を続ける気になってくれたし大田も久しぶりに楽しそうに稽古していた。お願いだから、3人にはこいつらの良きライバルでいてくれないか?」

「仁田先生。ライバルなんて、お願いされてなるものじゃないです。それに、私たちがそうなったのは、先生の責任ですよ」

 仁田は、本当に申し訳なさそうな顔をしていた。早代子たちは、LINE交換をして今後の検討を誓い合った。翌日の見送りには、部活のため早代子はいけなかったが、朋子からその時の写真が、送られてきた。


 盆も、明けても剣道部の練習は午前中のみだった。西島はまだ、新体制の山本たちが不満らしく午後はその指導時間に、充てられた。早代子たちはいつものように、4人で帰っているといつも通り、上星の車か途中に停まっていた。

 しかしこの日は、朋子も乗っていて手招きした。早代子が、車に乗ると3列目のシートに引っ張った。ほかの3人も、2列目のシートに、座ると上星は発車させた。すると、朋子はさらに近寄ってきた。

「そんなにくっつくと、臭いよ」

「私が、早代子を臭いなんて、思うわけないでしょ」

 それでも、今日も天気が良く、気温も高い。少しだけ、体を離そうとすると早代子のお腹が鳴った。朋子はすかさず、車内に、響き渡る声で言った。

「上星先生。その先のラーメン屋に、入って」

 上星は、無言で、ラーメン屋の駐車場に、車を、停めた。みんなで、車を降りて店に入るとちょうど昼の客が帰ったようで、空いていた。

 お世辞にも、綺麗とは言えない、半個室に入った。座って、メニューを眺めると朋子が言った。

「今日は、私の奢りだから、遠慮しないで」

 みんなはすぐに、お礼を言ったが、早代子だけは、腑に落ちない。店員さんが、注文を聞きに来て各々頼んでいく。

 自分で、支払うつもりだった早代子は最後に注文をした。

「塩ラーメン」

「そんなんじゃ、足りないでしょ。それも、セットでお願いします」

 すかさず、朋子が、言った。店員さんが、下がると景子が朋子に聞いた。

「ネットのことは、本当?」

「うん。何も、間違ってないよ。でも、意外と早く思わぬことからバレちゃった」

「日本一可愛い、ヤンキー」

「そりゃそうだよね。あの両親の娘なら」

 早代子は、ネットを、全然観ていなかったことに、気づいてスマホをこっそり取り出した。

「早代子。今頃になって、調べなくてもいいよ。私たちの秘密はみんなに、知られてしまったの。今まで、黙っててくれてありがとう」

「早代子は、知っていたの?」

「いつまで、調べているの?しかもそんな、下の方で。もう、バレたって本人が言っているんだから堂々と見ればいいよ」

「相変わらず、上田は世間に疎いな」

「毎日部活を、朝からやっているのに、道場まで連れて行かれるからじゃないですか」

 早代子が、上星に、文句を言っていると、店員さんが注文の品を持ってきた。食べながらみんなが、早代子に朋子が、SNSで、話題になっている、内容を話してくれた。

 それによると、毎試合注目されている、容子との試合が、テレビのニュースで流れ相手の可愛い子は誰だとなった。学校名や、名前はすぐにわかり、学校にも、取材が来たようだ。そして、朋子の両親が誰なのか知っているおそらく、先生が、口を滑らせたと思われるとのこと。

「それで、最近学校の近くに、大勢の人が集まっているんだ」

「それについては、西島先生も、気をつけるように言っていたでしょ。聞いていなかったの?」

「まあ、上田には関係ないからな。可愛くもないし、近づくと悪臭がするからな」

「早代子が、危険な時には上星先生が、助けてくれるから、安心だもんね」

「俺は、見捨てるぞ」

「嘘ばっかり。じゃあそろそろ、出ようか」

 朋子は、伝票を、持って立ち上がった。みんながそれぞれ、お礼を言った。そして、再び上星の車に乗り込むと1人ずつ、家まで送られた。

 朋子は、早代子と2人になったところで、聞いた。

「突然だけど、今日うちに泊まりに来ない?それとも、道場に行く」

 早代子は、スマホで、父の勤務予定を確認した。

「今日は、夜勤だから、大丈夫だよ」

「じゃあ、先生。うちに、お願いします」

「上田。稽古してからがよかったら、道場に、行くか?」

「今日は、朋子の家にお願いします」

「どうして、お前はいつも怠けようとするんだ。そんなことじゃ、次に柏村さんと対戦した時にガッカリさせてしまうぞ」

「だから、西島先生にお願いして道場にも通わせてもらえるようにしたんです。たまには、休ませてください」

「今日だけだからな」

「早代子はうちに、来てからも、素振りとかするから安心してください」

 朋子がそういうと、上星は何も言わなくなった。あとは、朋子と世間話をした。


 上星は、朋子の家の前で、車を停めたが以前と違ってかなり、周囲を警戒した。近くを、歩いていたおばあさんが、角を曲がり、他の車が通り過ぎるのを、確認してから早代子たちを、降ろした。

 朋子と、同じように、車から一目散に家まで、走った。玄関に、入るとすぐに、剣道をして、お風呂に入って、勉強した。早代子はてっきり、朋子が何か大事な、話をするものと、思っていたが、前回と変わらない、メニューをこなすので、思い過ごしだったと、理解していた。

 朋子は、日が、沈む頃に朋子は夕食の準備をしようと、言った。今日は、手抜きして焼肉にするそうだ。2人で野菜を、切り終えて、朋子が冷蔵庫から高級そうな霜降りの和牛肉を、取り出した。

「すごい。こんなのいただいていいの?」

「もちろん。貰い物だけど、早代子と食べたかったから。早速焼こうよ」

 朋子は、店にあるような、コンロをセットした。2人で、美味しく食べていると、朋子が急に真面目な表情に変わって、話した。

「インターハイが、終わってまもなくお母さんが久しぶりにここに来た。それも、事務所の社長ともう1人。どうやら、事務所でも私の事が、話題になったみたい。それで、スカウトに来た」

「すごい」

「何もすごくないよ。お母さんがそういう、仕事しているからに決まっている。私は、芸能界に入れるようなことを、何一つやったことないから、断ったけど、3人が頭を下げて頼むから引き受けた。でもまだ、契約したとかじゃなく、レッスンを受けさせてもらうことになった」

「それってどんな?」

「歌や、ダンスそれに、演技とかかな。今はなんでもできなくちゃ、ダメだって。それによって、何になるかとか才能ないから契約しないって、言われるかもしれない」

「いつから、レッスンが始まるの?」

「明日からになった。どうしても、早代子には、話してからにしたかったから」

「もし、私が今日来ていなかったらどうなったの?」

「日程がずれるだけだよ。本当は、真っ先に話したかったけど、学校の先生を優先しなきゃいけないってことで遅くなってしまった。ごめん」

「いやそれで、正解だから。私なんて、何もしてあげられない」

「早代子が、応援してくれるなら、私は、頑張れそうな気がするんだ」

「応援するよ。朋子なら、何をやっても、成功する」

「なんか、無理矢理言わせちゃったね」

「そんなことない」

「でも、早代子に一番お願いしたいのはこれからも、親友でいてほしい。早代子は、私をただの友達ぐらいにしか思っていないかもしれないけど、レッスンが嫌だとか、辛いとかLINEに愚痴を、聞いてほしいのは、他には誰もいない。早代子は、道場や部活でスマホを、管理されているからなかなか、返信できないのも、知っている。既読になってくれたら、私はそれだけでも嬉しい」

「私も、朋子のことは、親友だと思っている。だから、応援するし愚痴も聞く。でも、私じゃなくても朋子にはそのぐらいのことをしてくれる、人はいくらでもいるでしょ」

「早代子だけだよ。私がこんなことを、話せるのは」

「わかった。ところで、学校や部活はどうするの?」

「続けるつもりだよ。それも、一応条件だから。でももしかしたら、転校とか退学する可能性があるかも。大成功したらね」

「朋子には、成功してほしいけど転校されたら寂しいな」

「おそらくそんなことにはならないから。レッスンで、挫折してしまうかも。でも、頑張るよ。お父さんや、お母さんに、恥はかかせられない」

 朋子は、笑顔だったが目には、決意が感じられた。その後は、眠りにつくまでずっと喋っていた。そして、朝になると、朋子のマネージャーの宗松周太郎が、朋子を迎えに来た。宗松は、笑顔一つ見せず早代子に、挨拶した。早代子はこんな、怖そうな人が朋子のマネージャーなのを、心配した。

 宗松の運転する、車で学校近くまで送られた早代子は今日も、部活だ。朋子と、別れるときなぜか涙が出た。朋子は、始業式には会えるから、笑顔で送り出してほしいと言った。無理して、笑顔を、作るが涙も出るのでどんな顔になっていたか、早代子自身も、分からなかった。


 午前中で、部活を終えるといつも通り、上星が迎えに、来た。早代子は、挨拶をしてすぐに車に乗った。

「今日はやたら、素直だな」

 上星にそう、言われても、無言で窓の外を眺めていた。早代子はあれから、朋子のことばかり気になった。部活中もずっとだ。

 途中で、景子たちも、心配して声をかけて来た。西島先生にも、怒られた。それでも、集中できたのはその数分だけだった。だから、道場でも、思い切り怒られた。相手をしていた、子供達の前で、叩かれて、上星に外へ連れて、行かれた。

「お前はいつもよりずっと、集中力が欠けてる。子供達の前で、恥ずかしい思いをさせてやろうか?」

「すみません。今日は、朋子のことが、気になって、仕方ないんです」

「高坂は、お前とは、違う。どんなに、厳しくても耐えてできないことは、人一倍努力する」

「わかっています。でも、朋子のマネージャー怖そうだったし」

「あいつは、覚悟を決めて、行ったんだ。そのぐらいで、挫けるわけないだろう。高坂は、新たな道を歩き出したんだ。それに、引き換えお前はどうだ。毎日部活でもここでも、早く終わらないかと、思いながら、チンタラ練習して、帰って少しだけ、勉強して寝る」

「先生。まだ、言い足りないと、思いますが、私も決めました。一応進学や、就職も目指しますがここで指導者もします。先生が、本気でそう思っていただいているなら、私も朋子を、見習って、チャレンジしてみます」

「どうせ、少し厳しくすれば、言い訳して怠けようとするんだろ」

「そんな、時には引っ叩いてください。私の根性も、鍛え直してください」

「よし。よく、言った。きっと、お前のお母さんも、喜ばれる」

「どうして、お母さんが?」

「お前は、聞かされなかっただろうな。お母さんは、剣道が強かった。それで、警察官になって強化選手にも選ばれて、活躍されていた。ところが、3年くらいたった頃に、お前のお父さんと、恋愛関係になって子供ができた。それが、お前だ。両親とも、相当怒られたらしい。それがきっかけで、お母さんは、警察も剣道も辞められた。それから、10年が、過ぎて伊木先生が、お母さんを、説得されて道場を、引き継ごうとされたんだがその矢先にがんが、見つかったんだ」

「どうして、上星先生がそんなことを知っているんですか?両親からも、聞いていないです」

「伊木先生から、聞いた。俺もあそこの道場の出身だ。だから、指導方針も、似てるだろう」

 早代子は、否定する、言葉を、飲み込んで言った。

「それなら、私が指導者になるなら、伊木先生のところですね」

「お前は、馬鹿か。伊木先生はもう、道場を閉めようと入門も断っておられる。だからここでやるしかない。ついでに、教えてやるがこの道場の門下生が、何人いるか知っているか?」

「40人ぐらいですか?」

「100人を、有に超えている。だから、半分以上は会費要員だ。考えてみろ。ここにそんな、人数が入れるわけないだろう。厳しくすれば、出なくなる、奴もいる。それで、ちょうどいい」

「それだとみんな、来なくなるんじゃないですか?」

「だから、親が期待している子と、俺たちが期待する子には、休ませないようにしている。会費も、多くもらってな。大体それがいつも、来ている奴だな」

「女の子が、多くないですか?」

「男は、サッカーや、野球に流れてしまう。道場の経営も、楽じゃないんだ。あらかじめ、言っておくがお前もここだけの収入では、生活は、楽じゃないからな。よし、稽古に、戻るぞ」

 上星は、早代子にまずは、トレーニングルームで、筋トレするよう、命じた。スクワットなども、鉄アレイを持たされ、防具の紐にも、括り付けられた。それを、20回が、1セットで、7、8セットもやらされたら、既に筋肉が、悲鳴をあげていた。


 一方朋子は、レッスン初日から、毎日近況を報告してくれた。まずは、演技の方をやっているようだ。演技なんてやったことないから、大変だけど、根気よく優しく指導してもらっているし、マネージャーも気遣いをしてもらって、幸せだと。早代子は、安心すると、同時に自分が選んだ道への後悔を感じながら、稽古で疲れた握力を使って、短文を、震える、手で打つのが、精一杯だった。

 始業式の日に、久しぶりに、会った、朋子は早代子が、教室に入るとすぐに満面の笑みで近づいて来た。

「私ね、ドラマデビューが、決まったんだ。事務所の先輩が、体調不良で断ったみたいで棚ぼたなんだけど、私を推してくれたみたい。それから、アイドルグループにも、参加することになった。この前メンバーの顔合わせがあったんだけどみんな、可愛かった。でもどっちもまだしゃべっちゃいけないみたいだから、内緒にしてね」

「わかった。おめでとう」

「なんか、早代子の反応が、悪くてガッカリ。もっと、喜んでくれると思った」

「私はね、朋子の影響で何か、新たな挑戦をしようかと、上星先生のところで指導者にならせてほしいと、お願いしたら、毎日扱かれてる」

「そうなんだ。先生喜んでいるでしょ?張り切っているのが、目に浮かぶ」

「張り切りすぎだよ。今まであんなに、長時間他人の相手なんてしなかったのにずっと、私の相手だよ。しかも、自分が、休憩している、間は私は筋トレ。朋子も、頑張っているからと自分に言い聞かせて、耐えていたのにそんなに、楽しんでいるなんて」

「私も、楽しいことばかりじゃないよ。でも、お互いに努力は報われるはずだよ」

「そう、願いたい」

 担任の先生が、教室に、入って来て早代子と朋子にインターハイの結果報告をするように言った。まず、早代子は、自分の勝敗は、言わずに、団体としての結果を言った。

 すると、朋子は自分の結果を、言った後で付け加えた。

「上田さんは、チームとしての結果は、残念でしたがインターハイ個人戦の王者をも、勝利しました。私も、観戦に、行きましたがとても、強かったです」

 クラス中が、視線が早代子に、集まって、誰からともなく拍手が起こりやがて全員がした。早代子はうつむいて、朋子に小声で言った。

「余計なこと、言わなくてもいいのに」

 朋子はそれには、何も答えず両手の人差し指を、早代子に向けていた。それからいろいろあって、今日の学校の予定が、終わった。

 朋子は、部活に行くと、言うので2人で昼食を買って食べていると高本が話しかけてきた。

「高坂。お前すごいなぁ。ちょっとした、有名人じゃないか。しかも、ネットに出てる写真を、見ると騒がれるだけあって、結構可愛いんだ」

「ありがとう。でもあなたとは、付き会えません。ごめんなさい」

「なんだよ。元々お前が、言ったんじゃないか」

「私は、1回振られた、人とは、付き合わない」

「あの時は、ヤンキーって、イメージしかなかったんだ」

「そんなことより、本当にそのために、話しかけてきたの?」

「悪いかよ」

「高本くんは、さく子が好きじゃなかったの?」

「さく子は、剣道部員だから、恋愛禁止なんだ。大体どうして、さく子がマネージャーにならなかったんだ。そうなっていたら、ルールも関係なくなるのに」

 高本は、途中から、早代子を睨んでいた。

「私たちも、さく子が、マネージャーになると、思っていたんだけど自分から選手になるって言い出したから」

「お前たちがそそのかしたんじゃないのか?しかも、部の伝統の防具を付けているし。かわいそうで、見ていられない。上田も、さく子に付き合ってやれよ」

「それも、さく子が、言い出したんだしキャプテンたちが、使っているからもう余ってない。さく子はあれだけ、頑張っているんだから、高本くんも協力してあげて」

「俺にどうしろと、言っているんだ?」

「だから、さく子の相手する時も、本気でやってよ。打ち込む時も、手を抜かずわざと打たせたりするのもやめてほしい。さく子も、怒っていたよ。舐められてるって」

「考えておくよ」

「よろしくね。さて、私たちは部活に行こうか」

「俺も、行こうかな」

「今日も、男子も練習あるの?最近熱心だね」

「女子が、インターハイに行ったのに、男子もそれなりの成績じゃないとみたいな、雰囲気になったんだよ。だから、俺のようにそんなのどうでもいいと、思っている部員には上田は恨まれているぞ」

「あんたたち、最低。早代子が、今までどれだけ、頑張ってきたか知らないの?卓球部も、男女合同で練習することもあるけど、私が負けた時にみんなが、私に謝った。誰か、1人でもまともに、私の相手になれたら、結果が変わったかもしれないって、最近猛練習してる。ヤンキーの集まりで、お荷物みたいな、扱いを受けている、卓球部より、剣道部は下なの。振ってくれてありがとう。高本くんと、付き合ったら一生後悔するところだった」

「もういいよ。

 早代子は、朋子の腕を、引っ張った。すると、朋子は素直に従って教室を出た。早代子はその前に、高本の様子を、見るとその場で、立ち尽くして、頭をかいていた。


 それから、数カ月が経って、早代子は、道場の初心者の指導を、任されることが、増えた。もちろん、早代子に上星のような、厳しい指導はできない。それは、構わないと言われている。その子たちがふざけていたり、早代子に、悪態をついたりすると、上星たちが、直ぐにやってくる。

 一方部活の方は、新体制が、西島の考え方に、染まっていくに、従って2年生の人間関係が悪化した。その煽りを、早代子たち1年生が、食らっていた。試合にもなかなか、出場させてもらえない。早代子も、出させてもらえれば、結果を残すが次に出られる、確証はなかった。それでも、4人で腐らず朝練も自主的にやった、甲斐があり試合に、出れば活躍した。

 その原動力の一つが、朋子の活躍でもあった。朋子は、ドラマの撮影に加えてアイドルグループもまだデビュー前にもかかわらず、注目され、テレビにも出演する、機会が、増えた。キャプテンの高瀬ゆらと、朋子は必ず呼ばれていた。そのため、朋子は学校を、休むことも増えていた。それでも、試験では学年トップを維持しているのは賞賛するしかなかった。それでも、朋子は、嘆いていた。

「これほど、早い段階から、忙しくなるのは、予定外だったな。私以外は、東京に住んでいるから他のメンバーが出てくれたらいいのに。このままだと、退学させられるよ」

「出席日数さえ、クリアできたら、退学はないんじゃない?」

「それだけじゃないよ。試験の点数も、前回より合計で40点ぐらいも、下がった。このペースだと1年で200点も、少なくなるんだよ」

「今回は、難しかったから、平均で50点ぐらい落ちたみたい。ちなみに、私もそれくらい落ちた」

「困ったな。どうやって、勉強時間を、確保しよう」

 早代子は、朋子があまり、聞いていないと、思って、言った。

「道場に、通うのと、部活に、出る回数を減らせばいいのに」

「早代子は、毎日あれだけ、時間を、割いている剣道をやめろって、言われたら嫌でしょ。きっと、勉強にも集中できなくなるでしょ。私だって、同じだよ」

「私は、朋子ほど剣道が、好きじゃない、気がする」

「そんなこと、言ったら指導している、子供達が、悲しむよ。早代子は、慕っている子は多いのに」

「それはないよ。私はまだ、入門したばかりの子しか、教えてないよ。それにどうせ、私の手から離れると、上星先生から、篩にかけられて、出てこなくなるだろうから」

「とりあえず、最初に送り出した、10人はまだ続いているね。このままだと、道場に入りきれなくなるって上星先生が、嘆いてた。でももし、私がたくさん、お金を稼げるようになったらもっと、広い道場を建ててあげたい。早代子が、指導者になるなら、尚更だ」

「私も、普通に進学や、就職を目指すよ。それで、可能な限り道場には行く」

「そうなの?」

「そうだよ。上星先生にもそれは、言ってある」

 朋子は、一瞬だけ、寂しそうな表情を、見せたが、直ぐに笑顔に戻った。そしてこの日も、明日からのイベントや、撮影のために、東京へと、向かった。

 道場は、朋子の知名度が、上がるにつれ、入門者も増えた。早代子は、自分の部活が終わってから時間が遅いのに、通ってくれるその子たちが、愛おしく感じていた。そして、お母さんの遺影に、話しかけた。

「お母さん。剣道をやっててよかった。あの子たちにも、良い出会いがあるといいな」

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