第9話 ヴァルトの胸中
ヴァルト・エインズワースが、最初にレイナと会った日のことを思い出す。
あの日、エインズワース家の応接室に現れた伯爵令嬢は――よく磨かれた礼儀と、どうしようもなく危うい輝きを同時に纏っていた。
自分から「闇魔法を教えてほしい」と言ってくる時点で、普通ではない。
しかも、わざわざ闇属性の残滓を封筒に仕込んでくる度胸の良さだ。
(少なくとも、退屈はしなさそうだと思った)
最初の決め手は、正直に言えばそこだった。
面白そうだ――それが、ヴァルトがレイナを「弟子」にしたもっとも即物的な理由だ。
地下実験室で闇魔法を披露させたとき、その思いは確信に変わった。
『――闇を、ここまで自分のものにしているのか』
足元の影から這い出す黒い気配。
独学とは思えないほど滑らかな魔力の流れ。
そして何より――その目。
(獲物を見る目、だったな)
恐怖も、嫌悪も、迷いもない。
ただ「この力を使って、必ず手に入れる」とでも言いたげな、獰猛な光。
闇魔法の実例を、こんなに間近で長期的に観察できる機会など、そうそうない。
(実験できる幅が増える、程度の感覚だった)
だが、一カ月も経たないうちに、その認識は静かに変わっていった。
レイナが、魔法学園に一度も顔を出していないと聞いたときもそうだ。
軽口で「経歴に傷がつく」「嫁の貰い手がいなくなるぞ」と揶揄したが――彼女の返答は、即答だった。
『構いませんよ。お姉様を助けさえすれば』
さらりと、何でもないことのように言ってのけた。
その横顔には、打算の欠片もなかった。
(本当に、全部放り捨てている顔だったな)
家柄、将来、体裁。
貴族令嬢が通常、もっとも気にするべきものを、彼女は全部後ろに投げ捨てている。
そこまでして守ろうとしているのが、聖女エリシア――あの姉だと知ったとき、ヴァルトは内心で妙に納得した。
姉の光と、妹の闇。あまりにも対照的だ。
けれど、根っこにあるものは驚くほど似ている。
エリシアは「誰かを助けたい」という祈りを、ひたすら外側に向けている。
レイナは「特定の誰かを絶対に守る」という執念を、鋭く一点に向けている。
形はまるで違う。
だがどちらも、簡単には折れない芯を持っていた。
(……正直、最初は面白いおもちゃくらいの認識だったが)
今は違う。
闇魔法の式を一つ覚えるたびに、夜遅くまで練習して指先を震わせる姿。
そして――自分の経歴を切り捨てることを、当たり前のように選び続ける、その愚直さ。
(その生きざまに尊敬できるような女性に、初めて会ったな)
ふと我に返ると、ヴァルトはそんな自分自身の感想に、少しだけ苦笑した。
まさか自分が女性に対して、ここまで情を寄せる日が来るとは思っていなかった。
そんなことを考えていたときだった。
蔵書室の扉が、控えめにノックされた。
「ヴァルト様、今いいかしら?」
「ああ、入れ」
扉が開き、レイナが姿を見せる。
神殿から帰ってきたばかりのはずなのに、表情は妙に晴れやかだった。
「ふむ、その顔は……何かやってきたな?」
「ええ、少しだけ、ね」
レイナはヴァルトの向かいの椅子に腰を下ろし、神殿本部で行われた「二人の聖女による共同施療」の顛末を語り始めた。
ミネルヴァとやらの杖に仕込まれた補助魔力の流路。
その「周囲」に闇をまとわせ、増幅をほんのわずかに鈍らせたこと。
結果、新聖女の癒しは「良くなったような気がする」程度で止まり、エリシアとの差が露骨に現れたこと――。
「なるほどな」
ヴァルトは話を最後まで聞き終えると、ゆっくりと手を組んだ。
「魔道具本体には干渉していない。補助陣の外側だけ覆って、通り道を細くした……か」
「師匠に教えていただいた通り、『周りから』ちょっと布をかけただけですわ」
「布をかけただけで、あれほど露骨に差が出るなら……」
ヴァルトの口元が、にやりと吊り上がる。
「元々の性能が大したことない証拠だな」
「でしょう?」
レイナも同じように、悪戯を成功させた子どものような笑みを浮かべた。
「誰も傷ついていませんし、誰も死んでいません。ただ、偽物の奇跡とやらが、少し色あせて見えただけですもの」
「それでいて、本物の聖女の力は、否応なく際立つ……か」
ヴァルトは肩を揺らして笑った。
「やるではないか、弟子」
「お褒めに預かり光栄ですわ、師匠」
軽口を叩き合いながらも、ヴァルトの胸中はどこか誇らしかった。
闇魔法の「試運転」に、これほど綺麗な使い方を選ぶとは。
無闇に誰かの命を奪うのではなく、偽物を一段だけ引きずり下ろし、本物を一段だけ押し上げる。
(……やはり、面白い女だ)
一緒になって笑う彼女の笑みも、好ましい。
元からレイナの獰猛な笑みは好きだったが。
「神殿長の顔はどうだった?」
ふと思いついて問うと、レイナはくすりと笑った。
「いつも通り、人当たりのいい笑みでしたわ。ただ……拍手がまばらなのは、かなり気に入らなかったみたい」
「だろうな。計算を狂わされたのだから」
「ミネルヴァのほうはわかりやすかったですわよ。指先が震えてましたもの」
「はは、想像がつくな。それで――お前はそれを見て、どう思った」
「――まだまだこんなものじゃ足りない、ですね」
レイナは、あっさりと言ってのけた。
「でも、最初の一手としてはちょうどいいくらいかしら」
ヴァルトは短く息を吐いた。
「……本当に、覚悟を決めているんだな」
「当たり前ですわ。これは遊びじゃありませんもの」
その言葉に、嘘はなかった。
ヴァルトはそれをよく知っている。
神殿に牙をむくということが、どれほどの危険を孕んでいるか。
それを理解した上で、それでも姉を守るために前に進もうとしていることも。
「……まあいい」
ヴァルトは立ち上がり、棚から一本の酒瓶とグラスを二つ取り出した。
中身は薄い果実酒――未成年でも一口かじる程度なら問題のない軽いものだ。
「神殿長と新聖女に、最初の小さなつまずきをプレゼントした祝いだ」
「ふふ、いいですわね」
グラスに少しだけ注がれた淡い色の液体が、灯りを受けて揺れる。
コツン、と二つのグラスが軽く触れ合った。
「――本番は、これからですわ、師匠」
「そうだな。愉快な見世物を期待しているよ」
二人の笑い声は、静かな蔵書室に溶けていった。
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