第7話 神殿長、新聖女との対面
――新聖女ミネルヴァが現れた、という新聞記事が出てから、数日が経った。
予想通り、街はざわついていた。
酒場でも、市場でも、神殿前の広場でも。
どこに行っても「聖女が二人」「神の奇跡」「新しい時代」という言葉が聞こえてくる。
(うるさいわね……)
新聞の紙面に浮かんでいた、三日月みたいな笑みを思い出すだけで、胃が重くなる。
あの顔が、これから「祝福」と称して街中にばらまかれていくのだと思うと、苛立ちで喉が焼けそうだった。
そんな中で――。
「レイナ、聞いたか?」
蔵書室で本を読んでいると、ヴァルト様が新聞を片手に顔を出した。
あの灰青色の瞳が、面白そうに細められている。
「何をですの?」
「神殿が今日、通達を出した。神殿本部で『二人の聖女による共同施療』とやらをやるそうだ」
ぱさ、と新聞が机の上に投げ出される。
見出しには、太い文字でこう書かれていた。
『今代の聖女エリシア様と、新聖女ミネルヴァ様による奇跡の共演』
吐き気がするほど甘ったるい文言だ。
「……お姉様も、駆り出されるんですのね」
「神殿としては、新聖女の実績作りに、既存の聖女の信用を利用したいだろう」
ヴァルト様は肩をすくめた。
私の胸の奥で、黒い何かが音を立てる。
(お姉様の信用を、あなた達の茶番に利用する気ね)
許せない。
でも――。
(むしろ、好都合かもしれない)
偽物が、人前に立つ。
本物の聖女と並んで、「奇跡の共演」とやらをやる。
そこに、私も顔を出せば……面白いことができるかもしれない。
「師匠」
「なんだ」
「闇魔法の、ちょっとした試運転をしてもいいかしら」
私の声に、ヴァルト様は興味深そうに片眉を上げた。
「派手にやるなよ?」
「ええ。軽く、少しだけ。お姉様の邪魔にならない範囲で」
紙面のミネルヴァを見つめながら、私はゆっくりと息を吐いた。
(――見せてあげる)
本物と偽物の差を。
少しだけ、痛い目を見せてあげるわ。
神殿本部の前は、人でごった返していた。
病人、怪我人、その家族。
好奇心で見に来た野次馬まで。
誰もが聖女達の姿を一目見ようと押し合いへし合いしている。
「レイナ、こっちよ」
人混みを抜けた先で、白いローブ姿のお姉様が手を振っていた。
いつもの聖女服ではなく、少し装飾を抑えた実務用の衣。
それでも、彼女が立っているだけでそこだけ空気が柔らかくなる。
「お待たせ、お姉様」
「ううん。来てくれて嬉しいわ」
少し無理を言って付き添いをしたいと言ったけど、無事に通ったようでよかった。
これで問題なく、中に踏み込める。
神殿の中に足を踏み入れると、すでに神官たちが慌ただしく走り回っていた。
いつも見慣れた顔ぶれ――その中に、白と金の豪奢なローブをまとった男の姿がある。
「エリシア様、よくお越しくださいました」
神殿長、カルディス。
回帰前に、お姉様をいらない者としてでっち上げの罪で断罪し、処刑した男。
人当たりのいい笑みを浮かべながら、ゆったりとした動作で近づいてきた。
「本日は、お二人の聖女様による共同施療とあって、民たちの期待も高まっております」
「お二人」という言葉に、わざとらしく重みを乗せる。
ああ、この男を――今すぐこの場で殺したいくらいだ。
だが、今は我慢だ。
「エリシア様のご尽力があってこそ、神は新たな聖女をお遣わしになられたのでしょう。あなたの献身こそ、今代の奇跡なのです」
一見、褒め言葉。
けれど、その実――。
(お前の役目は終わりつつある、と暗に言っているような感じね)
お姉様は、困ったように笑った。
「私はただ、できることをしているだけですわ」
「その謙虚さも、また神に愛される所以でしょう」
カルディスはそう言うと、ふと思いついたように手を叩いた。
「そうだ。エリシア様、本日の儀式に際して、特別な御品をご用意いたしました」
「……御品、ですか?」
お姉様が首を傾げる。
カルディスは神官の一人に目配せをし、小さな木箱を持ってこさせた。
「神殿の奥に長らく秘されていた、神聖なる加護の証です。どうか本日の施療の折、身につけていただければと」
木箱の蓋が静かに開かれる。
中には、細い銀鎖のブレスレットが一つ、柔らかな布の上に乗っていた。
中央には、小粒の透明な宝玉がはめ込まれている。
光の加護と称しているくせに、妙にぬめるような魔力の揺らぎ。
「神聖なるもの……?」
お姉様はためらいがちに問い返す。
カルディスは穏やかな笑みを崩さない。
「ええ。癒しの祈りを捧げる際、心を静め、神とのつながりを感じやすくするよう設計された儀式具です。効果そのものは穏やかなものですが……本日ほどの大役の前には、きっとお役に立つでしょう」
何やら丁寧に説明している風だが、効果の説明は特にない。
お姉様は真っ直ぐな目でブレスレットを見つめていた。
「ではありがたく、お預かりしますわ」
「寛大なお心に感謝いたします」
カルディスが恭しく頭を垂れる。
その仕草は絵に描いたような敬虔さだ。
「レイナ・モランテス嬢。ご機嫌よう」
視線が、すっと私に向けられる。
「ご挨拶痛み入ります、カルディス様」
表向きの礼儀は守る、守りたくないけど。
こいつの挨拶なんて吐き捨てたいけど。
だが彼に対する本音は、決して表には出さない。
「本日は、姉の付き添いとして参りました」
「ええ。聖女様のご家族がそばにいらっしゃることは、聖女様にとっても患者にとっても、大きな安心となりましょう」
言葉の裏には何もない。
ただの社交辞令。
だからこそ、たちが悪い。
(神聖なるもの、ね……)
お姉様の手首には、すでに銀鎖が巻き付けられている。
透明な宝玉が、わずかに光を受けて瞬いた。
(どう見ても、ろくでもない仕掛けがありそうなんだけど)
何かあっても、必ず私がお姉様を守る。
「新たな聖女、ミネルヴァ様ももうすぐお見えになります」
カルディスがそう言ったときだった。
「失礼いたします、神殿長様」
柔らかな声が、私たちの背後から届く。
振り向いた先に――。
「本日はお招きいただき、光栄です」
あの絵で見た少女、さらには回帰前に見た少女が、そこにいた。
淡い茶髪を、きちんと結い上げている。
雪のような白い肌。青みのある瞳。
白と水色の聖女服は、どこかお姉様のものを模しているようでいて、細部が微妙に違う。
「ミネルヴァ様、お忙しい中ありがとうございます」
カルディスが恭しく頭を下げる。
ミネルヴァは控えめに手を振った。
「私はまだ未熟者です。エリシア様のような聖女様になれるか、不安でいっぱいですわ」
そう言って、小さく俯く。
周囲の神官たちが、「そんな」とか「ご謙遜を」とか囁いた。
(お姉様のような聖女、ね)
その言葉に、視線が自然とお姉様に向かう。
ミネルヴァも、青い瞳をそっとお姉様へ向け――柔らかな笑みを浮かべた。
「エリシア様。お会いできて光栄です。あなたのような素晴らしい聖女様がいらっしゃるのに……私などが選ばれてしまって、本当にいいのか、今でも戸惑っているのです」
言葉だけを聞けば、謙虚そのもの。
「そんなことありませんわ」
お姉様は慌てて首を振る。
「神がお選びになったのですもの。きっと、意味があるはずです」
「ありがとうございます、エリシア様」
ミネルヴァは、まるで『守ってもらって当然』と知っている人間の笑みで微笑んだ。
(よくもまあ、そんな顔で……)
胸の内で毒を吐きながら、私はミネルヴァの手元に目を向ける。
彼女は、銀の杖を持っていた。
水色の宝玉が先端にはめ込まれている。
(あれが、補助用の魔道具ね)
表向きは「祈りを形にするための儀式具」。
けれど実際は、ミネルヴァ自身の不足した癒しの力を補うための、神殿製の杖だ。
――師匠から、そう聞いていた。
『あの杖の魔力波形、外付けの魔法装置だ』
蔵書室で、ヴァルト様は面白そうに笑っていた。
新聖女としてミネルヴァの披露式があった時に、彼が一目で見抜いた。
『魔力増幅の効果がある魔道具、といったところだな。はっ、微量な癒しの力とやらを上げようとしている魂胆が丸見えだ』
(あの杖が、ミネルヴァの命綱ってわけね)
手のひらの内側が、じんわりと熱を持つ。
闇が、蠢く。




