第5話 闇魔法の師匠
「お招きいただいて、光栄ですわ、エインズワース様」
そう言いながら、私は意識して口元を吊り上げた。
変人の魔術師と言われているとはいえ、目の前の男は侯爵家の嫡男だ。
油断していい相手じゃない。
しかもこっちは――すでに、かなりの手の内を晒している。
(……まあ、そうでもしなきゃ、ただの伯爵令嬢がここまで来られなかったんだけど)
ヴァルトは、私の笑みを見て一瞬だけ目を細め、それから低く笑った。
「光栄、ね。まあ座ってくれ」
「失礼しますわ」
勧められたソファに腰を下ろすと、彼は対面のソファに座る。
(警戒と興味、両方ってところかしら)
灰青の瞳が、私の全身をさっと撫でるように見ていく。
「まずは……そうだな」
ヴァルトは、ゆっくりと手を伸ばし、側のテーブルに置かれていた一枚の封筒をつまみ上げた。
見覚えのある封蝋。
私が出した手紙だ。
「まさかこの手紙に――闇の魔力が込められていた時は、心底驚いたぞ」
封筒を指先でくるくると弄びながら、楽しそうに言う。
私は、わざとらしく首を傾げてみせた。
「お気づきになったのですね」
「気づかない方がどうかしているくらいには、派手に仕込んであったからな」
くつくつ、とヴァルトが笑う。
そう、私はこの手紙に――ほんの少しだけ、闇の魔力を残しておいた。
紙の繊維の奥に沈ませるように、薄く、薄く浸透させる。
普通の人間はまず気づかない程度に。
手練れの魔術師であっても、気づくのは困難だろう。
(……でも、闇の性質に馴染みがある人なら、嫌でも引っかかるはず)
闇魔法は、見つけるのが難しい。
光や炎のように目立つ輝きを放つわけでもないし、残留魔力も他属性とは違う揺らぎ方をする。
普通の探索魔法では、まず痕跡を拾えない。
だからこそ――あの封筒から闇の気配を拾える者は、闇魔法を研究し、学んだことのある者に限られる。
(つまり。ヴァルト・エインズワースは、やっぱりこっち側を知っている)
確信が、胸の奥で静かに固まる。
「こちらこそ、まさかヴァルト様が闇魔法を見抜くとは思いませんでしたわ」
私は微笑みながらそう告げた。
「はっ、嘘つけ」
ヴァルト様が肩を揺らして笑う。
「こんな大胆に闇魔法をかけておいて、見つけてみろと言わんばかりの魔力だったぞ」
確かに、見つけずに無視されたらそこまでだった。
闇魔法の技術を学ぶ相手ではなかったと思うだけ。
その場合は、別の手段を探すだけだった。
「だが」
ヴァルトは封筒をひらひらと振りながら、少しだけ表情を引き締める。
「俺がこれを世間に言うとは、考えなかったのか?」
確かにその可能性は少し考えた。
普通の人間なら、闇魔法の使い手がいると知れば即座に忌避し、告発しようとするだろう。
社交界で「モランテス家の次女は闇に触れている」と囁かれれば、それだけで生きづらくなる。
だが……。
「考えなかった、というより――その可能性はほとんどないと判断しました」
「ほう?」
「『変人の魔術師エインズワース様』が、闇魔法がちょっとできるくらいの少女を、わざわざ言い触らすことはないと思いましたから」
回帰前――神殿で私が暴れたあのとき。
ほとんどの人間が、私を「魔女」と呼び、恐怖と嫌悪の目を向ける中で。
この男だけは、違っていた。
彼は、私を魔女だとも、怪物だとも言わなかった。
ただ――独学で鍛え上げた闇魔法の精度に、純粋に驚き、感嘆していた。
(そんな人が、自分の興味をそそる者を、無駄に外に流すとは思えない)
少なくとも、そう結論づけるくらいには、私は彼の目を覚えている。
私の返答に、ヴァルトは一瞬ぽかんとした顔をして――すぐに吹き出した。
「ぷっ……ははははは!」
ヴァルトが突然大笑いを始めた。
応接室に響く豪快な笑い声。
涙まで浮かべている。
「ははっ……そうかそうか。変人の魔術師と、正面から言われるのは久しぶりだな。面白い」
「何度でも言って差し上げますわ?」
さらりと言うと、ヴァルトの口角がさらに上がった。
挑発的な物言いだが、彼は気に入ったようだ。
「結構だ。大胆不敵なご令嬢には、ぜひ名前で呼ばれたい」
まさかそんなすぐに名前呼びが許されるとは思わなかった。
普通なら、もっと段階を踏むものだろう。
「光栄です、ヴァルト様」
名前を呼ぶと、彼は満足げにうなずいた。
「よし。では本題だ」
ヴァルト様が身を乗り出す。
「手紙には闇の魔力が残っていた。……そして、文面には『ある魔法の知識を教えてほしい』とあった」
ヴァルトは手紙をテーブルに置き、指先で軽く叩く。
「もちろん、そのある魔法とは――」
「闇魔法です」
私が言葉を継ぐと、彼は短く「だろうな」と頷いた。
「それで、なぜそれを学びたい?」
灰青の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
「確かに君が想像している通り、俺は闇魔法にも精通している。まあ、家族や部下にも言っていないが」
口調は軽いが、その目は笑っていなかった。
「興味本位で手を出していい魔法じゃないぞ。それはわかっているんだろうな?」
真剣な表情。
ふざけた態度は消え、魔術師としての顔が現れる。
私はその目を真っ直ぐ見返した。
「もちろんわかっています」
私は、彼の視線から目を逸らさずに言った。
「私が闇魔法を学ぶ理由は、ただ一つ」
一度、唇を結ぶ。
胸の中で言葉を確かめてから、吐き出す。
「お姉様のためです」
――嘘をつくこともできた。
適当な理由で誤魔化して、「ただの興味です」とか「いざというときの自衛のために」とか。
そのほうが、きっと話は穏やかだっただろう。
でも――それは嫌だった。
(この人から知識を学ぼうとしているのに、最初から騙すのは……それこそ、私が嫌いなクズ達と同じじゃない)
神殿長カルディス。
偽聖女ミネルヴァ。
そして、自分の娘を金蔓としか見なかった両親。
彼らと同じ場所に、自分を落としたくなかった。
「お姉様?」
ヴァルトが、少しだけ眉を上げる。
「君の姉は……聖女の、か」
「はい。エリシア・モランテス。アルディナ王国の聖女です」
「ふむ」
ヴァルトは椅子の背にもたれ、天井を一瞬仰いだ。
「聖女の親衛隊にでもなるつもりか? それなら、なおさら普通の魔法を学んだほうがいいだろう」
「親衛隊などではありません」
即座に否定する。
「私は、お姉様を――悪意から守りたいのです」
「悪意?」
その言葉に、ヴァルトの視線が再び私に戻る。
「どんな悪意だ?」
「神殿の、です」
静かに、けれどはっきりと告げる。
応接室の空気が、少しだけ重くなった気がした。
ヴァルトはしばらく私を見つめ、それから小さく息を吐く。
「確かに、あそこは一枚岩じゃないな」
淡々とした口調。
だが、その奥にはわずかな蔑みのようなものが滲んでいた。
「聖女の力は、王家と神殿の利権の塊だ。利用しようとする連中はいくらでもいる。……だが、神殿は同時に、地位も力も桁違いだ。下手に何かすれば、君が死ぬ羽目になるぞ」
(実際に死んだものね、一回)
処刑台の冷たさを、私は覚えている。
でも、だからこそ。
胸の奥で燃え続けているものを、そのまま言葉に変える。
「――私がお姉様を救うという意志は、絶対に揺るぎません」
「――例えこの身が、滅びようとも」
部屋に沈黙が落ちる。
ヴァルト様は、じっと私を見つめていた。
闇を覗き込むような。
私の中の何かを、探ろうとするような。
数瞬――いや、体感ではもっと長く感じられる沈黙が流れた。
逃げずに、その目を見返す。
やがて。
「ふっ」
ヴァルトが口元を緩めた。
「気に入った」
突然の言葉に、私は瞬きをする。
「……え?」
「覚悟、狂気じみた姉への愛情、闇魔法に手を出そうとする危うさ」
ヴァルトが指を折りながら数える。
「全部含めて、気に入った」
そして、にやりと笑う。
「よし。今から、お前は俺の弟子だ」
「……弟子?」
まさか弟子とまで言われるとは思っていなかった。
知識を少し教えてもらえれば、くらいに思っていたのに。
「闇魔法は危険だ。適当に教えて『はい、さようなら』じゃ済まない」
ヴァルトが立ち上がる。
「きちんと管理して、きちんと導く必要がある。だから弟子だ」
なるほど、理にかなっている。
そして、私にとっても悪い話ではない。
「わかりました」
私も立ち上がり、深く頭を下げる。
「よろしくお願いします、師匠」
「おう、よろしくな、弟子」
ヴァルトが満足そうに笑う。
こうして、私は闇魔法の師を得た。
お姉様を守るための、大きな一歩を踏み出した。
(見ていて、お姉様)
心の中で呟く。
(今度こそ、必ず守ってみせるから)
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