第29話 ただの師匠、ただの弟子
浄化礼祭のあの夜から、王都は――うるさくなった。
舞台が大神殿で、登場人物が聖女二人と神殿長、さらに魔女なら、噂が広がらないほうがおかしい。
(……案の定ね)
私は街に出るたび、店の軒先でも、馬車待ちの列でも、酒場の外でも、同じ言葉を拾うことになった。
「結局、どっちが本物なんだ?」
「私はエリシア様だと思うわ。あの光、見たって言う人がいたもの」
「いやいや、新聖女ミネルヴァ様の方が神々しいって……あれは奇跡だろ」
言葉の端に、甘い興奮が混じる。
貴族も民衆も、奇跡が好きだ。
そして――貴族の世界は、もっと露骨だ。
社交会。お茶会。舞踏会の控室。
香水と笑い声の中で、噂は情報として流通する。
「エリシア様の光が一度消えかけたのよ。信じられる?」
「けれど二度目は圧倒的だったわ。あれを見てなお、偽物と言えるのかしら」
「ミネルヴァ様は最後、祈祷をなさらなかったでしょう? お疲れ? それとも――」
「神殿長があんな声を荒げるなんて、異例よ。何か隠しているのではなくて?」
半々だった。
でも――。
その半々の均衡を、少しずつ、確実に削っているのが、ひとつの事実だった。
(ミネルヴァは、最後に光を出さなかった)
あの場で、誰もが見た。
エリシアお姉様が二度目に強く光った。
そして私がもう一度と求めたとき、ミネルヴァは出さなかった。
逃げた。
それは、貴族たちにとって最高の餌だ。
確証ではない。だからこそ、噂になる。
「やはり、あの娘は本物じゃないのでは?」
「神殿長の庇い方が必死すぎたわ」
「逆に言えば、ミネルヴァ様は繊細で……神の器は弱いのよ、きっと」
「……それ、庇ってるようで馬鹿にしてない?」
「そ、そんなことないだろ」
そんな会話が、笑い声と一緒に流れていく。
神殿の内部も似たようなものらしい。
信徒たちの間でも、神官たちの間でも、疑いは消えない。
ただ、神殿は面子の生き物だから、表では“新聖女を礼賛という形を保ちたがる。
それでも――民衆は、ほぼエリシア派だった。
市場で聞いた。
「エリシア様は昔から救ってくれたもの。あの方が嘘のはずないよ」
「ミネルヴァ様? 綺麗だけど……なんだか違うね」
「神殿長は怖い目をしてたってさ。あんな人だったっけ?」
庶民は、強い光に酔わない。
派手さより、日々の救いを覚えている。
回帰前なら、この頃にはもう――。
(民衆も貴族も、旧聖女エリシアは偽物が多かった)
思い出すだけで、胸の奥が黒くなる。
私が守れなかった結末。
奪われた光。
あの絶望。
だから今、この街の空気は――私にとって、救いだった。
(……まだ完璧じゃない。でも、確かに違う)
新聞の片隅にも、遠回しな記事が出ていた。
『浄化礼祭にて、聖女二名の祝福が披露される』
『神殿長の指揮のもと、厳粛に執り行われた――』
私はその新聞を畳み、机に置いた。
場所は、いつもの。
師匠の屋敷――研究室。
整頓されているようで、されていない。
この空間は、相変わらず落ち着く。
「……とりあえずは問題ないようだな」
ヴァルト様が、椅子にもたれながら言った。
彼も新聞の見出しを流し読みしている。
興味があるというより、状況確認だ。
「はい」
私は頷く。胸の奥が少しだけ軽い。
「お姉様の評判は落ちていません」
一拍置いて、続ける。
「でもまだ、これからです」
ヴァルト様が、ふっと鼻で笑った。
「だろうな。カルディスとミネルヴァが、これで終わるわけねえ」
彼はそう言って、少しだけ表情を緩めた。
「俺も協力してやるから」
淡々と言うくせに、言葉が妙にまっすぐだ。
「肩の力抜けよ」
「……ありがとうございます」
私は照れ臭くなって、視線を逸らした。
師匠に礼を言うのは簡単なのに、こういう言い方をされると、途端に心臓が騒ぐ。
(先日のダンスのせいだ)
あれ以来、胸が落ち着かない。
距離が近かった。
手を取られた。背に触れられた。
ただの社交の礼儀。
わかっている。
わかっているのに、思い出すだけで頬が熱くなる。
(勘違いしない。私は弟子。師匠は師匠)
立場も地位も違う。
彼にとって私は、面倒だけど放っておけない弟子。
それ以上を望むのは――滑稽だ。
そう言い聞かせた、そのとき。
奥の方から、微かな物音がした。
私は、反射で姿勢を変える。
「……今、誰かいましたよね」
研究室の奥。
仕切りの向こう。
ここに私とヴァルト様以外がいるのは、珍しい。
私は小声で聞いた。
「ヴァルト様。誰か招待したんですか?」
「ああ」
ヴァルト様が、さらっと答えた。
さらっと答えた、ということは――隠す気はない。
「……は?」
私が呆けた声を出した瞬間、仕切りの向こうから、柔らかな足音が近づいた。
そして、現れたのは――。
「レイナ」
「お姉様……!?」
心臓が跳ねた。
驚きすぎて、言葉の形が崩れる。
どうしてここに。
どうして師匠の屋敷に。
私が固まっている間に、お姉様はヴァルト様へ軽く頭を下げた。
「突然お邪魔して申し訳ありません、ヴァルト様」
「別に」
ヴァルト様はいつも通り素っ気ない。
「お前の妹、変に誤解されると面倒だろ。説明しといた方が早い」
お姉様が私を見て、ふふ、と笑った。
「ヴァルト様にね、色々聞いたの」
柔らかな声。
「レイナとの関係のこと。闇魔法のこと。危なくないのか、とか」
(……やっぱり、お姉様は優しい)
心配だったのだろう。
私が闇を使うせいで、私が傷つくことも。
私が誰かに利用されることも。
そして――私が魔女だと噂されることも。
お姉様は、私の前に立つと、躊躇いなく手を伸ばした。
「レイナ」
笑っているのに、目が少し潤んでいる。
「私のために動いてくれていたのね。ありがとう」
次の瞬間、抱きしめられた。
細い腕。温かい匂い。
私は、息を止めた。
(……だめ)
泣きそうになる。
泣いたら、今までの強がりが全部崩れる。
でも、お姉様の腕の中は、ずるいくらい安心する。
「……うん」
私はかすかに声を出して、抱きしめ返した。
背中に回した手が、少し震えているのが自分でもわかる。
「当たり前よ」
私は、喉の奥を熱くしながら言った。
「お姉様を守るのは――私がお姉様のこと、好きだから」
お姉様が、くすりと笑う。
「ありがとう。私も好きよ、レイナ」
それから少しだけ身体を離し、私の目を見て言った。
「でも、無茶はしないで」
「……努力するわ」
そう答えたところで、私は咳払いをした。
泣きそうなのをごまかすためだ。
「それに、師匠も手伝ってくれますから、ね?」
「ん? ああ、そうだな」
誤魔化すためにそう言ったら、お姉様がまた笑う。
「ふふっ、師匠、ね……」
言った瞬間、空気が一瞬止まった。
お姉様が、なぜか楽しそうに笑う。
意味深すぎる。
「そうなの? ただの?」
私は頬が熱くなるのを感じた。
「ただのです」
きっぱり言う。言い切るしかない。
その横で、ヴァルト様がわずかに視線を逸らした。
さっきまでの無愛想が、ほんの少しだけ崩れている。
「ヴァルト様。お姉様にどう説明したんですか? どういう関係だって聞かれたんでしょう」
「別に、今言った通りだろ。何でもねえよ」
即答。
……絶対、何か違うことを言った。
この調子だと言ってくれないだろう。
お姉様が、またくすくす笑う。
「やっぱり仲がいいのね」
「……仲は悪くないです」
私が言うと、ヴァルト様が鼻で笑った。
「お前らも仲良さそうだな」
私はもう一度、お姉様を見た。
笑っている。
不安そうにではなく、ちゃんと笑っている。
(……よかった)
それだけで、今日ここにいて良かったと思えた。
どれだけ闇を使っても、結局私は――この笑顔を守りたいだけだ。
「レイナ」
お姉様が、少しだけ真面目な声になる。
「あなたが闇魔法を使うこと、怖い人もいると思う」
視線が柔らかい。
「でも私は――あなたが闇を使って私を守ってくれたことを、絶対に忘れないわ」
胸が、じんとした。
「……ええ」
私は短く答える。
長く答えたら、泣くから。
ヴァルト様が、咳払いをした。
「ま、そういうことだ」
ぶっきらぼうに言う。
「闇は危ねえ。だが、使い方次第だ。こいつはそれを理解してる」
私を「こいつ」と呼ぶが、妙に優しい。
私は、少しだけ笑った。
そして私は、心の奥で誓い直した。
ミネルヴァとカルディスは、必ずまた罠を仕掛けてくる。
なら、私は闇で暴く。
(何度でも)
私はお姉様の前で、そして師匠の前で、静かに息を吸った。
「……次はもっと綺麗に潰します」
思わず口に出た。
物騒だとわかっている。
でも、本音だった。
お姉様が目を丸くして、それから笑った。
「レイナらしいわ」
ヴァルト様は肩をすくめる。
「ほら見ろ。こいつ、元から物騒だ」
「師匠に言われたくないです」
私が返すと、お姉様がまた笑う。
その笑みを見て、私の胸の奥が少しだけ軽くなる。
気恥ずかしい。でも、嬉しい。
――お姉様を守る。
闇で暴いて。
闇で切り裂いて。
光を取り戻すために。
そして、胸の高鳴りは――まだ、黙って隠しておく。
今はまだ。
私はただの弟子で、彼はただの師匠だから。
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